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2010年03月21日
牧水・美酒の縁、そこはかとなく今に漂って
昨日のボカボカ天気と打って変わって、荒れ模様の春の彼岸でした。
処理できないほどのダム問題関連のことをかかえながら、その悪天候のなか、急きょ実家の弟たちの車に便乗して、旧中山道沿いにある長野県佐久市茂田井の「武重本家・酒蔵開放」のイベントにお邪魔させていただきました。上信道の車窓からは、黄砂に覆われつくしてどんよりとしたにび色の景色だけが拡がっていて、不気味な光景でした。
例年、3月21日は、年に一度の最大のイベント「酒蔵開放」とのことです。今年で12回目。来場者数は1,200名もの愛飲者が訪れるとのことです。
武重本家酒造株式会社 http://www.takeshige-honke.co.jp/index.html
造り酒屋のシンボルとして知られている大振りの酒林のつるされた、時代劇にでもでてきそうな重厚な造りの門がまえを入ると、右手には昔の酒づくりの用具などと並んで、塀にそってウィンドウ越しに資料館がありました。
そのガラス戸の中の展示物の一つ、箱膳の上にのった「若山牧水が愛用した徳利」というのが目につきました。祥瑞の染めつけのすっくりとした大振りの目の中に焼き付いてしまうほど形の良い徳利でした。脇に同じ模様の小皿が二つ。一つには塩が盛ってあって、塩を魚に飲んだ? らしいです。
たひたび、武重家の旨酒に酔いしれていたらしい牧水。その歌碑は、門前の疎水脇、旧蔵の前にあります。
お恥ずかしいながら、牧水の訪れた酒蔵との予備知識のひとつもなく、突然、お邪魔してしまった次第ですが、こちらの代表的な銘柄は、もちろん若山牧水にちなんでの「牧水」や「御園竹」のようでした。
今年の春の新酒は、「御園竹」の“一押し新酒 春花見”と“大吟醸無濾過生酒”の2種。利き酒会場には、ランク別、辛口・甘口などの利き酒がズラリとありました。どれも、花粉症でたれさがった眼を見開かさせるほどの、存在感のあるお酒ばかりでした。ホームページに、
「武重家住宅及び武重本家酒造」の建造物30棟は国の登録有形文化財です
当社のお酒は文化財の中で造られています
とあるように、江戸時代の建築という主家も酒蔵も全て文化財指定。江戸時代の建造物と説明書きが添えられていました。
まず入口では、和服のとってもお似合いな素敵な女優さんと見まがうほど端麗なご容姿のご当主夫人、その夫人自ら、持ち帰りのできる利き酒用のおちょこの配布。蔵ではまだ高校生とかのご長男までも利き酒の接待。社員はもちろん、武重姓のご親戚や近隣の方々総出の心こもるきめ細やかな接待の数々でした。
さて、牧水といえば、ご存じのように、わが八ッ場とも少なからずの縁があります。
1918(大正7)年11月20日、信州の歌会に出るために中之条から軽井沢に向かう途中、立ち寄った牧水ほは馬車にゆられながら見た吾妻渓谷に魅了され、予定を変更して川原湯温泉に宿泊(翌朝は宿の不手際で馬車に間に合わず、歌会に遅れてしまうのですが)。吾妻の渓谷にいたく見せられ2年後の5月に、酒瓶片手にまた訪れているのです。
そして、かのおそるべき想像力にて、ダム建設の話が起きる30年も前に、次の一文を記しているのです。
「どうかこの渓間むの林がいつまでもこの寂と深みを湛へて、永久に茂っていて呉れることを心から祈るものである。
ー略ーー若しこの流れを挟んだ森林が無くなるようなことでもあれば諸君が自慢して居るこの渓谷は水が涸れたより悲惨なものになるに決まってゐるのだ」ーー若山牧水『静かなる旅をゆきつつ・中編』より
大勢の招待客に交じって試飲させてもらったいずれの銘柄も、酒にさほどの縁もないのに、おいしいお酒とわかる感動もので、受付で渡された利き酒ようのおちょこに、私でもたぶん、銘酒「牧水」を始め、数種類の旨酒を併せて3~4杯ほどは頂いてしまったほどでした。「牧水」だけでも、数種類並んでました。やっぱり大吟醸が最も美酒でした。本当に良い酒は百薬の長。
旨いはずです。
案内してもらった酒蔵の内部に掲げられた説明によれば、ご先代は戦中戦後も一貫して昔からの酒造りの伝統を死守してきたと記されていました。米は一俵三万円もするという山田錦を主に用いているそうです。守り続けられた伝統の技・きもと造りなのです。
利き酒のつまみは、野沢菜の古漬けや紫蘇とレモンの風味の利いた若漬けの二種あり、食べ放題。甘酒や酒粕ゼリーなどもふるまってくださいました。また、母屋の縁側では庭園を眺めながらの抹茶のご接待までも。
昼食には、近隣のお手伝いの方たちらしい方たちが打っていられた、仕込み水を使った手打ち蕎麦(有料)や蓼科牛のハンバーガーの出張販売もあり、ほろ酔い加減の舌にどれも、心地よい旨さでした。
腹ごなしに、往時の中山道のたたずまいをしのばせる茂田井宿をそぞろ歩きしてみました。
昔、皇女和宮も通ったそうで、望月宿と芦田宿との間に位置し、二つの宿に旅人が止まり切れない時の宿泊所となったので茂田井地区は「相の宿」と呼ばれてきたとのこと。屋並みがとってもゆかしく心引きつけられ、おのづと歩を進められてしまう風致地区です。
この武重家の前の街道、往時の中山道の有様を彷彿させるゆるい坂道を、史跡「高札場」の矢印をたよりに突き進むと、元禄二年創業との大澤酒造さんの酒蔵群の建物があります。
元庄屋さんとかで、垣根にそって掲げられた高札場の跡地の標識越しの庭園には、時代の変遷をかんじさせる大木の庭木類が蒼然としてそびえています。
屋敷内に足を踏み入れさせて頂くと、酒蔵を改造したらしい入場無料の民俗資料館や「しなの山林美術館」もありました。
美術館内にはなんと「八ッ場」と題された工事現場を抽象的に描いた洋画も展示されていた上に、本日の入館者名簿には、草津町のホテル関係者のお名前も記されていました。北軽井沢を超えれば長野県。牧水の昔から、西群馬の各地と信州には高崎・前橋周辺に住む者には伺い知れない交流があったのでした。
帰宅後、インターネットを検索したら、なんと武重家は山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」の撮影が、武重家の裏手の畑にセットがくまれ行われたとのことでした。
それとも知らず、偶然にして、わが家の一行は、蔵元の長い土塀沿いに畑地の農道にまで足を踏み入れてみたのでした。裏手の墓地の立ち枯れた湾曲したままの松の大木の風情が何ともいえなかったものです。
実は、拙著にも、山形県鶴岡市の月山ダムの派生事項から、妙な私見にて、この映画の製作課程と監督のことに触れてしまっていたのでした。
不思議にも八ッ場とは縁もゆかりもない、ダム問題とかけは似れた旅日記を記すのは不謹慎かなと思っていたのに、酒とを愛し旅にあけくれた牧水の足跡の縁と軌跡の流れは、わが八ッ場ともそこはかとなく、それでいて連綿として続いていたのでした。
処理できないほどのダム問題関連のことをかかえながら、その悪天候のなか、急きょ実家の弟たちの車に便乗して、旧中山道沿いにある長野県佐久市茂田井の「武重本家・酒蔵開放」のイベントにお邪魔させていただきました。上信道の車窓からは、黄砂に覆われつくしてどんよりとしたにび色の景色だけが拡がっていて、不気味な光景でした。
例年、3月21日は、年に一度の最大のイベント「酒蔵開放」とのことです。今年で12回目。来場者数は1,200名もの愛飲者が訪れるとのことです。
武重本家酒造株式会社 http://www.takeshige-honke.co.jp/index.html
造り酒屋のシンボルとして知られている大振りの酒林のつるされた、時代劇にでもでてきそうな重厚な造りの門がまえを入ると、右手には昔の酒づくりの用具などと並んで、塀にそってウィンドウ越しに資料館がありました。
そのガラス戸の中の展示物の一つ、箱膳の上にのった「若山牧水が愛用した徳利」というのが目につきました。祥瑞の染めつけのすっくりとした大振りの目の中に焼き付いてしまうほど形の良い徳利でした。脇に同じ模様の小皿が二つ。一つには塩が盛ってあって、塩を魚に飲んだ? らしいです。
たひたび、武重家の旨酒に酔いしれていたらしい牧水。その歌碑は、門前の疎水脇、旧蔵の前にあります。
お恥ずかしいながら、牧水の訪れた酒蔵との予備知識のひとつもなく、突然、お邪魔してしまった次第ですが、こちらの代表的な銘柄は、もちろん若山牧水にちなんでの「牧水」や「御園竹」のようでした。
今年の春の新酒は、「御園竹」の“一押し新酒 春花見”と“大吟醸無濾過生酒”の2種。利き酒会場には、ランク別、辛口・甘口などの利き酒がズラリとありました。どれも、花粉症でたれさがった眼を見開かさせるほどの、存在感のあるお酒ばかりでした。ホームページに、
「武重家住宅及び武重本家酒造」の建造物30棟は国の登録有形文化財です
当社のお酒は文化財の中で造られています
とあるように、江戸時代の建築という主家も酒蔵も全て文化財指定。江戸時代の建造物と説明書きが添えられていました。
まず入口では、和服のとってもお似合いな素敵な女優さんと見まがうほど端麗なご容姿のご当主夫人、その夫人自ら、持ち帰りのできる利き酒用のおちょこの配布。蔵ではまだ高校生とかのご長男までも利き酒の接待。社員はもちろん、武重姓のご親戚や近隣の方々総出の心こもるきめ細やかな接待の数々でした。
さて、牧水といえば、ご存じのように、わが八ッ場とも少なからずの縁があります。
1918(大正7)年11月20日、信州の歌会に出るために中之条から軽井沢に向かう途中、立ち寄った牧水ほは馬車にゆられながら見た吾妻渓谷に魅了され、予定を変更して川原湯温泉に宿泊(翌朝は宿の不手際で馬車に間に合わず、歌会に遅れてしまうのですが)。吾妻の渓谷にいたく見せられ2年後の5月に、酒瓶片手にまた訪れているのです。
そして、かのおそるべき想像力にて、ダム建設の話が起きる30年も前に、次の一文を記しているのです。
「どうかこの渓間むの林がいつまでもこの寂と深みを湛へて、永久に茂っていて呉れることを心から祈るものである。
ー略ーー若しこの流れを挟んだ森林が無くなるようなことでもあれば諸君が自慢して居るこの渓谷は水が涸れたより悲惨なものになるに決まってゐるのだ」ーー若山牧水『静かなる旅をゆきつつ・中編』より
大勢の招待客に交じって試飲させてもらったいずれの銘柄も、酒にさほどの縁もないのに、おいしいお酒とわかる感動もので、受付で渡された利き酒ようのおちょこに、私でもたぶん、銘酒「牧水」を始め、数種類の旨酒を併せて3~4杯ほどは頂いてしまったほどでした。「牧水」だけでも、数種類並んでました。やっぱり大吟醸が最も美酒でした。本当に良い酒は百薬の長。
旨いはずです。
案内してもらった酒蔵の内部に掲げられた説明によれば、ご先代は戦中戦後も一貫して昔からの酒造りの伝統を死守してきたと記されていました。米は一俵三万円もするという山田錦を主に用いているそうです。守り続けられた伝統の技・きもと造りなのです。
利き酒のつまみは、野沢菜の古漬けや紫蘇とレモンの風味の利いた若漬けの二種あり、食べ放題。甘酒や酒粕ゼリーなどもふるまってくださいました。また、母屋の縁側では庭園を眺めながらの抹茶のご接待までも。
昼食には、近隣のお手伝いの方たちらしい方たちが打っていられた、仕込み水を使った手打ち蕎麦(有料)や蓼科牛のハンバーガーの出張販売もあり、ほろ酔い加減の舌にどれも、心地よい旨さでした。
腹ごなしに、往時の中山道のたたずまいをしのばせる茂田井宿をそぞろ歩きしてみました。
昔、皇女和宮も通ったそうで、望月宿と芦田宿との間に位置し、二つの宿に旅人が止まり切れない時の宿泊所となったので茂田井地区は「相の宿」と呼ばれてきたとのこと。屋並みがとってもゆかしく心引きつけられ、おのづと歩を進められてしまう風致地区です。
この武重家の前の街道、往時の中山道の有様を彷彿させるゆるい坂道を、史跡「高札場」の矢印をたよりに突き進むと、元禄二年創業との大澤酒造さんの酒蔵群の建物があります。
元庄屋さんとかで、垣根にそって掲げられた高札場の跡地の標識越しの庭園には、時代の変遷をかんじさせる大木の庭木類が蒼然としてそびえています。
屋敷内に足を踏み入れさせて頂くと、酒蔵を改造したらしい入場無料の民俗資料館や「しなの山林美術館」もありました。
美術館内にはなんと「八ッ場」と題された工事現場を抽象的に描いた洋画も展示されていた上に、本日の入館者名簿には、草津町のホテル関係者のお名前も記されていました。北軽井沢を超えれば長野県。牧水の昔から、西群馬の各地と信州には高崎・前橋周辺に住む者には伺い知れない交流があったのでした。
帰宅後、インターネットを検索したら、なんと武重家は山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」の撮影が、武重家の裏手の畑にセットがくまれ行われたとのことでした。
それとも知らず、偶然にして、わが家の一行は、蔵元の長い土塀沿いに畑地の農道にまで足を踏み入れてみたのでした。裏手の墓地の立ち枯れた湾曲したままの松の大木の風情が何ともいえなかったものです。
実は、拙著にも、山形県鶴岡市の月山ダムの派生事項から、妙な私見にて、この映画の製作課程と監督のことに触れてしまっていたのでした。
不思議にも八ッ場とは縁もゆかりもない、ダム問題とかけは似れた旅日記を記すのは不謹慎かなと思っていたのに、酒とを愛し旅にあけくれた牧水の足跡の縁と軌跡の流れは、わが八ッ場ともそこはかとなく、それでいて連綿として続いていたのでした。