2010年08月26日

八ッ場に恋して11年。未だ舞扇、重し

 八ッ場に恋して11年。未だ舞扇、重しやはり、「川原湯祭り」に参加させて戴きました。
 四面楚歌の敵陣にのりこむ身構えも要される局面に、いかにどこか抜けている無神経な女でも、「エイ、ゃー」とばかりの自らへの気合が求められます。神経を逆なですることにつながるからです。
 人さまの町の、年一回の慰労をかねたなごやかな席に、無神経極まりないとのご指摘は、ひしとひしと感じます。
 そんなこんなで、気持ちを引き締めるために取りだしたのはいいのでしたが、久しくく着なかった浴衣の帯結びに手間取り、結局、またも猛スピードで榛名山の山越えと相成りました。
 どんなひもでも帯でも体に巻きつけることは、背筋をシャッキリとさせられるものです。
 
 いつも、道々一度は想起します。
 そこに山があるから登るのと同じく、私にとって、そこに八ッ場ダム建設予定地があるから何をおいても出かけるのです。
 「人の町のことに口出しスルナ」の声が、同温泉組合のHPにはあります。しかし、八ッ場のことは、もはや、長野原町さんのことだけではなくなりました。この国の明日の行方にゆさぶられる、国民的課題の一つとなりました。
 そして、昨今の政治のどうにも説明つかない混戦ぶり。はがゆくてならぬが、“ブルータス、お前もか”式に、“民主党よお前もか”と困惑しつつも、八ッ場ダムとの接点を眼見据えて見えぬものを見させて頂く。
 どちらに転ぶか、わが八ッ場はいま、歴史の分水嶺を歩かさせられています。
 後日の分析の面で、そこに意義ありとして、この祭りの場に「私の仕事の一環」として出かけたしだいです。

 そして、いつも、あの民話の世界のことに納得が行き、得心するのもまた、この山道です。
 恋しいヒトに会いたくて、一夜に山を七つも八つも越えて夜な夜な通う、おなじみの民話の世界の若者の恋心についてです。  幾つかの類似の物語がありますが、一晩にそんなに山越えできるものかと「恋こごころ」に疎い私は、長い間、常識的判断で、疑問に思っていました。
 しかし、あいたさ見たさの一途な思いは、不可能を可能にするものだと、すでに少なくとも三〇〇回を超える八ッ場通いの日々を重ね合わせて、民話の中の虚構性について、得心がいくのです。

 そんな思いで駆けつけた、今年の川原湯温泉夏祭り。
 さすがは、川原湯温泉街の底力をみせつける、本格的な装置。美味な料理の数々。旅館のオーナーさんたちが汗だらけになってじきじきに腕をふるわれています。しかも、その分量の豊富さ。
 本当にご馳走さまでした。全て、おいしかったです。それもそのはず、プロの皆さんなのですから。
 但し、手厳しい言葉にも接しました。
 受けても当然。頂戴した言葉と態度はしっかりと、今は、帯の間に折りたたまさせて戴いておきます。今夜、帯を解いても、心の中にたたみましょう。
 でも、判ってくださる方もいますから、平気。信念をもってここに千里の道をも遠しとせずの心意気で、かけ走ってきたのですから。
 そして、子供の日の運動会や学芸会以降、生まれてまさに二度目の踊りの輪のなかに、自然体で入ってしまいました。曲名は「川原湯音頭」。もちろん。振りは見よう見まねでしたけれど。
 お蔭さまで、思いもかけないうれしい出会いもありました。
 最後まで居たかったけれど、抽選会までいるのもヘンというか、まさに無神経。その辺りでそろそろ失礼。
 
 今夜は多くを具体的に語りません。語るその時にはお白州の上で裸になるつもりの覚悟できちんと申し上げます。今は、ただこの局面を眼にとどめさせて戴いておきます。 
 帰途、あえかな月夜をおいつつ走っていると、不意にまさに月にむら雲の呈で陰り出しました。。
 浴衣のみやつ口から涼風が入り、心地よいものがありました。
 月の消えた夜空仰ぎつつの帰途の道々、口をついてでた歌は、なぜか、かの大正時代の「籠の鳥」。どうしてこんなに古いんでしょう。
 席上、「どういう立場で、」などとと問われると笑いながらも、「はい、悪名たかき女のようでございまして」などとふざけて答えていたせいでしょうか。
    人目忍べば 世間の人は   怪しい女と 指ささん この「怪しい女と 指ささん」の部分に、なぜか妙に心そそられる、困ったヒトなんです。
 そして、後続の歌詞「世間の人よ笑わば笑え」と言い返したいところでしたが、恐らく招かざる客のひとりなのですから、神妙にしていました。

 さて、久しぶりの和装のせいだからでしょうか、続いて口をついてでてきた唄は、これまたなぜか「芸者ワルツ」。
  その二番目の歌詞、  
        空には三日月 お座敷帰り
        恋に重たい 舞い扇
        逢わなきゃよかった 今夜のあなた       
        これが苦労の はじめでしょうか

 さて、まさにお座敷帰りの今夜、この宴に行かなければ良かったのか否か、「これが苦労の はじめでしょうか」と相成りましょうか。
 何本か身体に撒きつけた腰ひもの拘束感にも似て、まさに“恋=八ッ場ダムに重たい舞い扇”です。
 そして、いざ記す時には、これらのひもをかなぐりすてて、身一つになって本気で記すつもりです。
 
 八ッ場の実相は、端的にスッキリ断じて、記し切れるものではなく、このような書き方に、どうぞご寛容のほどを。
 末尾の歌謡曲。ざれ唄にあらず、時代の中をかいくぐり、大衆の息づかいとともに生きてきた歴史の発露と心得ます。


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Posted by やんばちゃん at 22:58│Comments(0)八ッ場だより
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