2010年04月22日
八ッ場に
時間的にきつい中で、またも八ッ場へいってきました。
本来ならば、Bさん宅の田植えは20日だったので、この日に?“撮影”に行くつもりでした。ところが、押せ押せの時間帯で、ついに次々とズレてしまって、行けなくなってしまったのでした。
「何も来なくたっていいよ。来られりゃ、かえって邪魔だい」との口とは裏腹に、ご老体に鞭打って田植え機に挑戦している、己の雄姿を映像にとどめておきたいお気持ちもそこはかとなく感じさせる、Bさんのご性質を知っているので、もしかしたら、ハイライトの部分で、私の車が坂道をくだってくるのを待ちあぐねているかも知れないとの勝手読みがよぎりつつ、作業していました。
こういう時、締め切りのある仕事は辛いです。
それが証拠に電話した際の、「ハァ、田植えは終わっちゃたい」とのポツリのひと言。
しかし、一応、完了。
で、昨日、週末の二つのイベントも控えているので、今月は止めようかと思っていた、日曜日にある恒例の「高崎人情市」に出店しようかどうしようかとひらめく。
窓口業務を担って下さっている「高崎やるき堂」なる事務局さんに電話したら、今月はスペースがあるとのこと。
そうなると、販売品の調達が眼前に迫る。
八ッ場へ行っても、今は原木しいたけはなし。わが家で間に合うものでムリをしない方が、良策かとも逡巡。出典のきっかけは日ごとに実が大きくなってしまったサンショウ。ちりめん山椒を作るのなら、実の柔らかい今なのだ。
何しろわが家には何もないのに、サンショウの木だけは20本近くあって、そのうち半分は実をつける。葉サンショウは採る暇がなかった。
これまた選択を迫られた。土曜日は終日、サンショウの実を採っても採りきれない。
お詫びを兼ねて電話すると、先のひと言。
で、何はともあれ、行くことに決意した。
本日、猛スピードで榛名山中を突っ走っている最中も、やはり今年の田植えを撮っておくべきだった。来年、はたして自力で植えられる、それは定かではない。これだけ頑強で、“小型ダンプ”と命名されていた私が、その体重を支え続け、走り続けさせてくれた足腰が弱ってきている。姉が「今に動けなくなる」と心配しては、治療をしたがらない私に薬をかっては届けてくれる現実もあるではないか。
秋の採りいれもあるけれど、やはり、田植えの方がスッキリとして清々しい。
真っ先にBさんの処に行くことにした。で、いそうな場所を目にさがしながら、走らせて行った。ついに自宅へ。その集落に入った途端、一家総出で、田植えのご近所のCさんのご家族の姿がとびこんできた。
その先にある、Bさんの田では、なんとBさんが、独りで田植えをしているではないか。
狭いその場所での、2軒もの田植え。
「全く!モウ」と思う。まぁ、メインの久森の田の「田植えは終わった」と解釈すべきだろう。久森も他の田んぼも終了したけれど、自宅脇の三枚の田は今日だったのだ。
でも、うれしさがこみ上げてきた。で、「間にあって、良かったぁ!! 田植えの場面が採れて」と申し上げた。
田植えをしているBさんの姿をビデオに収め、合間合間に畔の2度目に芽吹いた、黄緑色のセリを摘ませてもらった。Cさんには「背景として、映ってはしまいますけれど、お顔はわかりませんので」と申し上げると「構わねぇよ」とのこと。で、「じゃあ、むしろ映させていただきますけれど」とお伝えした。若いもの腰のお嫁さんが、機械植えの後の水田で、手植えをしている姿は絵になる。
そのCさんのご家族が、お昼に引き上げられた後、疲れて日陰の道端にすわって小休止のままのBさんの処へ、持参の弁当を持って行き、一緒に野良弁当。「アンタの作るものは、悪いけれど俺の口にはあわねぇから、持ってこなくてもいいよ」と言われても、これまた心とは裏腹に勝手解釈。
今日は、時鮭とタケノコの炊き込みに、タケノコの煮ものと炒め物。色どりはスナップエンドウ。孟宗竹はこの地域には1カ所だけ。何もかもそろいすぎている、Bさん宅にもない。ためか、そのマズい弁当を食べてくださった。たっぶりと容器につめたタケノコは「後で、このみの味で、煮直してください」と添えた。
陽の明るいうちに、家にもどって、サンショウの実を摘み取らなければならない。それにまだ少し、私の穴場の場所での収穫も待っている。帰り際に「ワラビが生えているだんべから持って行けや」と行ってくださった。「後でね」と辞去。ここの家のコゴミはもう遅過ぎて開きすぎている。
でも、来て、良かった。
ころが、次々といつもの直売所に
それが証拠に昨日、頼んでおく品物のことで、電話した際の、「ハァ、田植えは終わっちゃたい」とのポツリのひと言。
で、
本来ならば、Bさん宅の田植えは20日だったので、この日に?“撮影”に行くつもりでした。ところが、押せ押せの時間帯で、ついに次々とズレてしまって、行けなくなってしまったのでした。
「何も来なくたっていいよ。来られりゃ、かえって邪魔だい」との口とは裏腹に、ご老体に鞭打って田植え機に挑戦している、己の雄姿を映像にとどめておきたいお気持ちもそこはかとなく感じさせる、Bさんのご性質を知っているので、もしかしたら、ハイライトの部分で、私の車が坂道をくだってくるのを待ちあぐねているかも知れないとの勝手読みがよぎりつつ、作業していました。
こういう時、締め切りのある仕事は辛いです。
それが証拠に電話した際の、「ハァ、田植えは終わっちゃたい」とのポツリのひと言。
しかし、一応、完了。
で、昨日、週末の二つのイベントも控えているので、今月は止めようかと思っていた、日曜日にある恒例の「高崎人情市」に出店しようかどうしようかとひらめく。
窓口業務を担って下さっている「高崎やるき堂」なる事務局さんに電話したら、今月はスペースがあるとのこと。
そうなると、販売品の調達が眼前に迫る。
八ッ場へ行っても、今は原木しいたけはなし。わが家で間に合うものでムリをしない方が、良策かとも逡巡。出典のきっかけは日ごとに実が大きくなってしまったサンショウ。ちりめん山椒を作るのなら、実の柔らかい今なのだ。
何しろわが家には何もないのに、サンショウの木だけは20本近くあって、そのうち半分は実をつける。葉サンショウは採る暇がなかった。
これまた選択を迫られた。土曜日は終日、サンショウの実を採っても採りきれない。
お詫びを兼ねて電話すると、先のひと言。
で、何はともあれ、行くことに決意した。
本日、猛スピードで榛名山中を突っ走っている最中も、やはり今年の田植えを撮っておくべきだった。来年、はたして自力で植えられる、それは定かではない。これだけ頑強で、“小型ダンプ”と命名されていた私が、その体重を支え続け、走り続けさせてくれた足腰が弱ってきている。姉が「今に動けなくなる」と心配しては、治療をしたがらない私に薬をかっては届けてくれる現実もあるではないか。
秋の採りいれもあるけれど、やはり、田植えの方がスッキリとして清々しい。
真っ先にBさんの処に行くことにした。で、いそうな場所を目にさがしながら、走らせて行った。ついに自宅へ。その集落に入った途端、一家総出で、田植えのご近所のCさんのご家族の姿がとびこんできた。
その先にある、Bさんの田では、なんとBさんが、独りで田植えをしているではないか。
狭いその場所での、2軒もの田植え。
「全く!モウ」と思う。まぁ、メインの久森の田の「田植えは終わった」と解釈すべきだろう。久森も他の田んぼも終了したけれど、自宅脇の三枚の田は今日だったのだ。
でも、うれしさがこみ上げてきた。で、「間にあって、良かったぁ!! 田植えの場面が採れて」と申し上げた。
田植えをしているBさんの姿をビデオに収め、合間合間に畔の2度目に芽吹いた、黄緑色のセリを摘ませてもらった。Cさんには「背景として、映ってはしまいますけれど、お顔はわかりませんので」と申し上げると「構わねぇよ」とのこと。で、「じゃあ、むしろ映させていただきますけれど」とお伝えした。若いもの腰のお嫁さんが、機械植えの後の水田で、手植えをしている姿は絵になる。
そのCさんのご家族が、お昼に引き上げられた後、疲れて日陰の道端にすわって小休止のままのBさんの処へ、持参の弁当を持って行き、一緒に野良弁当。「アンタの作るものは、悪いけれど俺の口にはあわねぇから、持ってこなくてもいいよ」と言われても、これまた心とは裏腹に勝手解釈。
今日は、時鮭とタケノコの炊き込みに、タケノコの煮ものと炒め物。色どりはスナップエンドウ。孟宗竹はこの地域には1カ所だけ。何もかもそろいすぎている、Bさん宅にもない。ためか、そのマズい弁当を食べてくださった。たっぶりと容器につめたタケノコは「後で、このみの味で、煮直してください」と添えた。
陽の明るいうちに、家にもどって、サンショウの実を摘み取らなければならない。それにまだ少し、私の穴場の場所での収穫も待っている。帰り際に「ワラビが生えているだんべから持って行けや」と行ってくださった。「後でね」と辞去。ここの家のコゴミはもう遅過ぎて開きすぎている。
でも、来て、良かった。
ころが、次々といつもの直売所に
それが証拠に昨日、頼んでおく品物のことで、電話した際の、「ハァ、田植えは終わっちゃたい」とのポツリのひと言。
で、
Posted by やんばちゃん at 23:51│Comments(0)
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