2010年04月27日
撮影顛末記 “一も見ずして、百の想像”
本日27日15時すぎぐらいだったろうか、かけっぱなしだったテレビに、ニュース速報のテロップが流れた。「小沢氏、《起訴相当》決定」だった。
八ッ場の推進派が悔し紛れに「胆沢ダムが良くて、八ッ場がなんでダメなんだ」と息まき、執拗に追調査を行おうとしていたことがとっさに浮かんだ。
昨日26日の続きです。天気の良さに張り切って、出発。
被写体の1号には、農作業中のQさんと決め込んでいた。
ところが、いつもの場所にいない。また、会えないかなと心急きながら、自宅に行ってみる。
役所の職員らしい男性が集落の入り口の消防小屋の小さな車寄せに車を止めている。何かこの辺りで測量でも行うのかなと思いつつ、Qさん宅の直角の門口にたどり着くと、いたいた。Qさんとお手伝いの同年輩のいつものお二人が、坂道になっている庭先に座り込んで、缶ジュースを飲んでいた。
老人二人が野良着のままいるのは絵になる。「あら、お昼ですか、じゃ、私もそこで一緒に食べさせてもらおうかしら」と言いかけて,今日のは人前で食べるには臆する、単にご飯を積めた代物だったなと思いつつ、前回のお礼の心ばかりの品を持って車を背にすると、「アンタね、そこは邪魔だよ。もうじき役所の人が来るの待っているんだから。で、この車がでるんだよ」とのこと。
「じゃあ、すぐ出ます。コレ、玄関に置いておきますから。生ものですから、冷蔵庫にね」と伝えながら、急ぎで玄関先の式台に置き、戻りがけにお二人の脇を通りながら、「あのね、私。今日からビデオで撮るからお願いしますね」。
と言うと、「アンタね、そんなの失敗するよ。止せ止せ。どうせ、損するだけだけなんだから」との言葉を背に受けた。まずは何ごとも「牽制」のヒトなのだ。
「今日はね,忙しいんだよ。落ち着いて車を出せよ。あんたはおっちょこちょいで下手なんだから」のまたもの半ばお得意語を背に浴びながら、車に戻ると、死角になっている小道を二人の職員らしき方たちが歩いてくるのが見えた。さっきの男性だった。
「お客さん、もう見えますよ」と声をかけ、ともかく車をどかした。「はぁ、来たかや」と二人の老人は、慌てだした。
事実、 「また、車、落とすなよ」もおっちょこちょいも本当。バックしそこなって、溝に脱輪。ジャフを呼ぶというのに。老人の意地もあってか、「な~に、これくれぇ」とっしゃって、80過ぎのこの方に、大ごとさせたことがあるのだ。思えば、何やかやと、この方にもご面倒のかけ通しなのだ。だから、毎回とはいえないまでも、Qさんの珍しいものや好物らしきものがあると少しだれれど、おすそわけ。味付けはお気にいらないから、今日は素材のままにて。
まずは昼食をたべ、腹ごしらえと思い、この山間部のたたずまいを残す集落が一望できる、桜の古木のある高台に車を止め、出がけに詰め込んだ自家弁当を食べる。桜の持主は転居して、土台のみ残っている。
眼下の坂道をQさんの車が走って行くのが視界に入った。先日、測量していた拡幅工事の立ち会いか何かだろうと踏む。
さて、道々、桜を映してみようかととおもいながら、手順に自信がなくて控えてきたビデオの箱を購入以来、初めて開けた。開けたら、映った。最初に説明書を読まずにいつも、失敗するからと思ったが、やはり、きぜわしくて読みこなせない。
そうこうするうちに、車が戻ってみえて、今度は何やら赤い耕運機が門口に見え出し、乗ったり降りたりしているのが見えた。良かった、ちゃんと農作業するんじゃない。牽制はしても、ちゃんと、それとなく協力体制をとってくれるヒトでもあるのだ。
慌てて、坂道を下って、しかし、車を進めるとすれ違いの出来ない一本道だから、耕運機とぶつかる。とっさに私も消防小屋の狭い空間に止めた。そこから、まずはこの集落の全景を入れて、Qさん宅の門口に近づくことにした。まずは導入部の全景だろうなと考えたのだ。大抵の映像がそうしている。その後、あの門口に集中。ところが、ズームがわからない。そこまでは取り扱いの説明を聞いていなかった。
メカに弱いオバさんはわからなければ、止せばいいのに、手あたり次第に動かしてみる悪癖がある。
モタモタしていると、Qさんはスッカシをくれるように、さっと反対側の小道を通って、畑に行ってしまった。こういう処は老人にしては、何とも軽妙でシタタカ。一応はカメラの前にたつことの拒否表明はしてみせた。
おっかけ取材で到着すると、畑の隅に耕運機は泊まったままで、また、乗ったり降りたりあちこち点検模様。なんだ、こっちもあっちも故障気味なんじゃない。
今度は画面が大きくなったまま、画像を小さくできない。仕様書をちょっと見して、それらしき処を動かしてみる。
そのうちに、今度はガンとして映らなくなった。
何か、工具類を取りに建物に近づいてきたQさんに、「あのね、動かなくなっちゃったの」と伝えると、わが意を得たという感じの「それみ~ろ、ワハハ」の高笑い。
その笑顔の良いこと!
この方とかれこれ、10カ年のおつきあいになるが、絶品の笑顔だ。笑いだしの眼元の端に「それ、みたことか」のあざけりを含んでの晴れ晴れとした高笑いだった。その一瞬の輝きが、何とも言えない良い表情。
「Qさん、今の笑顔、良かった! 」と言ったが、映らないのだから仕方ない。カメラも間に合わなかった。
(……あれで、内心は案外がっかりしているのかも知れない)
少年の時から、才覚にとんだガキ大将だったという、この方の会心の笑みだった。
おもわず、内心で「コノなんとも言えない得心の笑顔を、もし〇〇写真にでも使ったら、参列者がこぞってどっと。紅涙を流したであったろうなととおもわせられたものだった)。
あぁ、肝心かなめの時に。
一瞬の表情、時に賭ける、映像作家の悔しさを、ちょっぴり味わった次第。
仕方なく、Qさんの処を辞して、横壁のワサビなどの景色と工事風景を撮るのが目的なのに、どうしようと思いつつRさん宅に。
Rさん夫妻はルスだった。JRや電気工事などあちこちの工事が賑やかだった。
あの石組みの何百年もかかった風情の疎水の際まで、掘り起こされてしまっていた。
「これ、壊すのいつ頃ですか」と聞きかけようとすると、先手を打つように、「工事のことはわからないよ。うちはテレビのケーブル線だから」とのこと。
「もったいないですねぇ」と思わず、立ち入り禁止とはなっていたが、あちこちカメラに収めた。
すると、「オバさん。工事中は中に入ってきちゃ、ダメだよ」と言われた。無言でひきさがったけれど、本当はあまりの地域一帯の改変の無残さに、声が出なかったのこともある。それに、自分でもオバさんと言っているのに、ほぼ同年輩のオジさんに、あまり良いニュアンスを含んでオバさんを連発されると、快いものでもなかった。
何とかして、ビデオに収めたかった。
Rさん宅の駐車場で、購入元にSOSの電話をし状態と最後に表示された「 」を伝えて、何か応急措置はないか問うた。
かなり待ちそうなので、六合村に向かった。貝瀬を過ぎたあたりで電話が入った。
何のことはなかった。単に充電してなかったらしいのだ。
つまり、私は新しいものを買った時には、最初からフル装備と思い込んでいた。当然、ビデオもと思い込んでいた。(本日、これを記すにあたって、仕様書をみたら、真っ先に「充電」のことが記されていた)。
しかし、電池で動くものとは異なっていたのだ。
箱ごと買った時の袋入りのまま持っていたのだから、長野原町にいるうちだったら何軒かの知り合いに頼んで、充電させてもらえたのに…… 六合村の山間に入ってしまえばどうにもならない。
「一を知って十を知るむと言う言葉があるが、「一も見ないうちから、百を想像してしまう」ヒトなのであった。
八ッ場の推進派が悔し紛れに「胆沢ダムが良くて、八ッ場がなんでダメなんだ」と息まき、執拗に追調査を行おうとしていたことがとっさに浮かんだ。
昨日26日の続きです。天気の良さに張り切って、出発。
被写体の1号には、農作業中のQさんと決め込んでいた。
ところが、いつもの場所にいない。また、会えないかなと心急きながら、自宅に行ってみる。
役所の職員らしい男性が集落の入り口の消防小屋の小さな車寄せに車を止めている。何かこの辺りで測量でも行うのかなと思いつつ、Qさん宅の直角の門口にたどり着くと、いたいた。Qさんとお手伝いの同年輩のいつものお二人が、坂道になっている庭先に座り込んで、缶ジュースを飲んでいた。
老人二人が野良着のままいるのは絵になる。「あら、お昼ですか、じゃ、私もそこで一緒に食べさせてもらおうかしら」と言いかけて,今日のは人前で食べるには臆する、単にご飯を積めた代物だったなと思いつつ、前回のお礼の心ばかりの品を持って車を背にすると、「アンタね、そこは邪魔だよ。もうじき役所の人が来るの待っているんだから。で、この車がでるんだよ」とのこと。
「じゃあ、すぐ出ます。コレ、玄関に置いておきますから。生ものですから、冷蔵庫にね」と伝えながら、急ぎで玄関先の式台に置き、戻りがけにお二人の脇を通りながら、「あのね、私。今日からビデオで撮るからお願いしますね」。
と言うと、「アンタね、そんなの失敗するよ。止せ止せ。どうせ、損するだけだけなんだから」との言葉を背に受けた。まずは何ごとも「牽制」のヒトなのだ。
「今日はね,忙しいんだよ。落ち着いて車を出せよ。あんたはおっちょこちょいで下手なんだから」のまたもの半ばお得意語を背に浴びながら、車に戻ると、死角になっている小道を二人の職員らしき方たちが歩いてくるのが見えた。さっきの男性だった。
「お客さん、もう見えますよ」と声をかけ、ともかく車をどかした。「はぁ、来たかや」と二人の老人は、慌てだした。
事実、 「また、車、落とすなよ」もおっちょこちょいも本当。バックしそこなって、溝に脱輪。ジャフを呼ぶというのに。老人の意地もあってか、「な~に、これくれぇ」とっしゃって、80過ぎのこの方に、大ごとさせたことがあるのだ。思えば、何やかやと、この方にもご面倒のかけ通しなのだ。だから、毎回とはいえないまでも、Qさんの珍しいものや好物らしきものがあると少しだれれど、おすそわけ。味付けはお気にいらないから、今日は素材のままにて。
まずは昼食をたべ、腹ごしらえと思い、この山間部のたたずまいを残す集落が一望できる、桜の古木のある高台に車を止め、出がけに詰め込んだ自家弁当を食べる。桜の持主は転居して、土台のみ残っている。
眼下の坂道をQさんの車が走って行くのが視界に入った。先日、測量していた拡幅工事の立ち会いか何かだろうと踏む。
さて、道々、桜を映してみようかととおもいながら、手順に自信がなくて控えてきたビデオの箱を購入以来、初めて開けた。開けたら、映った。最初に説明書を読まずにいつも、失敗するからと思ったが、やはり、きぜわしくて読みこなせない。
そうこうするうちに、車が戻ってみえて、今度は何やら赤い耕運機が門口に見え出し、乗ったり降りたりしているのが見えた。良かった、ちゃんと農作業するんじゃない。牽制はしても、ちゃんと、それとなく協力体制をとってくれるヒトでもあるのだ。
慌てて、坂道を下って、しかし、車を進めるとすれ違いの出来ない一本道だから、耕運機とぶつかる。とっさに私も消防小屋の狭い空間に止めた。そこから、まずはこの集落の全景を入れて、Qさん宅の門口に近づくことにした。まずは導入部の全景だろうなと考えたのだ。大抵の映像がそうしている。その後、あの門口に集中。ところが、ズームがわからない。そこまでは取り扱いの説明を聞いていなかった。
メカに弱いオバさんはわからなければ、止せばいいのに、手あたり次第に動かしてみる悪癖がある。
モタモタしていると、Qさんはスッカシをくれるように、さっと反対側の小道を通って、畑に行ってしまった。こういう処は老人にしては、何とも軽妙でシタタカ。一応はカメラの前にたつことの拒否表明はしてみせた。
おっかけ取材で到着すると、畑の隅に耕運機は泊まったままで、また、乗ったり降りたりあちこち点検模様。なんだ、こっちもあっちも故障気味なんじゃない。
今度は画面が大きくなったまま、画像を小さくできない。仕様書をちょっと見して、それらしき処を動かしてみる。
そのうちに、今度はガンとして映らなくなった。
何か、工具類を取りに建物に近づいてきたQさんに、「あのね、動かなくなっちゃったの」と伝えると、わが意を得たという感じの「それみ~ろ、ワハハ」の高笑い。
その笑顔の良いこと!
この方とかれこれ、10カ年のおつきあいになるが、絶品の笑顔だ。笑いだしの眼元の端に「それ、みたことか」のあざけりを含んでの晴れ晴れとした高笑いだった。その一瞬の輝きが、何とも言えない良い表情。
「Qさん、今の笑顔、良かった! 」と言ったが、映らないのだから仕方ない。カメラも間に合わなかった。
(……あれで、内心は案外がっかりしているのかも知れない)
少年の時から、才覚にとんだガキ大将だったという、この方の会心の笑みだった。
おもわず、内心で「コノなんとも言えない得心の笑顔を、もし〇〇写真にでも使ったら、参列者がこぞってどっと。紅涙を流したであったろうなととおもわせられたものだった)。
あぁ、肝心かなめの時に。
一瞬の表情、時に賭ける、映像作家の悔しさを、ちょっぴり味わった次第。
仕方なく、Qさんの処を辞して、横壁のワサビなどの景色と工事風景を撮るのが目的なのに、どうしようと思いつつRさん宅に。
Rさん夫妻はルスだった。JRや電気工事などあちこちの工事が賑やかだった。
あの石組みの何百年もかかった風情の疎水の際まで、掘り起こされてしまっていた。
「これ、壊すのいつ頃ですか」と聞きかけようとすると、先手を打つように、「工事のことはわからないよ。うちはテレビのケーブル線だから」とのこと。
「もったいないですねぇ」と思わず、立ち入り禁止とはなっていたが、あちこちカメラに収めた。
すると、「オバさん。工事中は中に入ってきちゃ、ダメだよ」と言われた。無言でひきさがったけれど、本当はあまりの地域一帯の改変の無残さに、声が出なかったのこともある。それに、自分でもオバさんと言っているのに、ほぼ同年輩のオジさんに、あまり良いニュアンスを含んでオバさんを連発されると、快いものでもなかった。
何とかして、ビデオに収めたかった。
Rさん宅の駐車場で、購入元にSOSの電話をし状態と最後に表示された「 」を伝えて、何か応急措置はないか問うた。
かなり待ちそうなので、六合村に向かった。貝瀬を過ぎたあたりで電話が入った。
何のことはなかった。単に充電してなかったらしいのだ。
つまり、私は新しいものを買った時には、最初からフル装備と思い込んでいた。当然、ビデオもと思い込んでいた。(本日、これを記すにあたって、仕様書をみたら、真っ先に「充電」のことが記されていた)。
しかし、電池で動くものとは異なっていたのだ。
箱ごと買った時の袋入りのまま持っていたのだから、長野原町にいるうちだったら何軒かの知り合いに頼んで、充電させてもらえたのに…… 六合村の山間に入ってしまえばどうにもならない。
「一を知って十を知るむと言う言葉があるが、「一も見ないうちから、百を想像してしまう」ヒトなのであった。
Posted by やんばちゃん at 23:52│Comments(0)
│八ッ場だより