2012年01月22日
18年ぶりの雪の湯かけまつり、その朝
1月20日 6時49分、湯かけまつりが終って、左端にズラリと並んだ車列がほぼ解け、家路にもどるためのUターンの車です。
上の写真の一分前の48分、この辺りはまだ、ぎっしり。
終ると、宿泊旅館に戻って、温かな温泉と朝食がまっています。
通例、旅館は予約客で既にいっぱい。
駅前の駐車場に雪をかむっている車には、あぶれた方たちなどの車中泊組などがあり、駅前からの道路左端の駐車組は、早朝にでてきた近隣の方たちも多いようです。
ちなみに、駅前駐車場で、ご一緒になった女性は、都内からで毎年みえている由。ここに朝4時半に到着。早暁の闇をやぶって、5時に打ち鳴らされるおふれ太鼓に間に合ったそうです。
さて、来年は何とか宿泊いたしましょう。でも、もっと厳しくなるでしょう。一昨年2009年は昨日、ご紹介の柏屋さんに総勢15名ほどで宿泊できたのでした。間近くなってからの予約でしたが、奇跡だと土地の方に言われました。キャンセルでもあったのでしょうか。
その前日19日は、当会で「長野原町行政」さんと、話し合いを持ったものでした。高山町長さんやダム対策委の議員さんたちと激論を闘わしたものでした。
そうそう、冒頭写真の竹の道下の空間は、高山長野原町長さんが経営していられた「高山旅館」さんがあった場所でした。一昨年の湯かけ祭りの時は、まだ解体されていなかったやに記憶していますが…… 写真類を確かめないと定かでは
ありません。
なお、町長さんとそのご親戚が、川原湯代替地への真っ先の移転組でした。
で、2009年9月の中止騒動の時に、地元事情に通じていない中央マスコミの某テレビに、一町民として「中止になったら困る」と訴えて、話題になったことがありましたっけ。
でも、この町長さんたちの一角は、これだけ危険視されている、打越代替地の中でも比較的安全とされている、切土地帯なのです(地質学者のおっしゃる、最新情報によれば、「切土」といえども、必ずしも安全とはいいきれない由)。
で、これも一種の役得? との声もありますね。
でも、高山町長さんは歴代町長さんに比べれば、また清廉な方でしょう。前町長さんなんて、今だに大活躍とかのウワサが流れてますものね。しかも、後日の事実がこのウワサを裏付けてますようですけれど……
ただし、一部推進派の皆さんは、お一人お一人はダムの弊害をチャンとわかっていられるらしいのに、どうしてこんなにダムに固執されるのかは、“八ッ場ダム七不思議”に入るようです。
さてさて、本日は雪の影響で、イベントが中止になったため、思わぬ余時間がでたため、こんなことまでつい。
いけませんね、雪のように純白、清浄可憐な心ざしをもたないと。
陽射しがさしてきましたので、ここでチョン。
でもね、雪の下にはコンクリートがありますけれど、その下には黒々とした土があるように、八ッ場にも、幾つかの“黒いウワサ”もあるんですよ。
先々の日、丁寧に覆われたコンクリートの下土のその幾つかが、太陽の光に照射される日がまいりますでしょうか?
Posted by やんばちゃん at 10:07│Comments(0)
│八ッ場だより