2010年11月29日
10/20時点での八ッ場問題を
ちょっと、出かけなければなりません。
そんなわけで、時間に急かれての穴埋め用? 的に、妙なことで陽の眼をみなかった下記の何とも哀れな草稿を転載させて戴きます。
10/20の時点での記述ですので、いささか、色あせ草稿ですが……
//////////////////////////
これでは、八ッ場は出来てしまう
――八ッ場ダム列車の軌跡は予定稿かーー
新政権の試金石、八ッ場ダム検討列車は「コンクリートから人」への使命感に燃え、期待通りの「ダム中止駅」でストップしてくれるのだろうか。それともやはり過たず、前政権の密命通り、58年間の任務をまっとうすべく強引に「ダム建設駅」まで疾走してしまうのであろうか。着地点が定まらぬまま中止声明後、無策の一カ年が過ぎてしまった。
今日に至る一年余の経過をたどる。
2009/9/17未明 前原前国交相「八ッ場ダム中止」を打出す
2009/12/3 〃 「有識者会議」設置(非公開 全12回)
2010/7/16~8/15「有識者会議・中間まとめ案」への意見募集
2010/9/27 「 〃 ・中間まとめ」を馬淵新国交相に提出
2010/10/1 八ッ場ダム「検討の場」、スタート
2010/10/13 三井国交副大臣等、現地あいさつ
2010/10/20 関東知事会 2015年度ダム完成の要請を決議
2010/10/25 一都5県知事、2度目の八ッ場視察
本年9月、全12回にわたった有識者会議のまとめ案がほぼ確定し、馬淵国交相に提出されるに及ぶ。ことここにいたって、中止への期待感は消え「これでは逆に八ッ場ダムは出来てしまう」と危機感を募らせてきた、そんな八ッ場ダム反対市民運動の一人である。
そもそもの問題点は、かけ声のみで現地入りは一度のみの前原前国交相の無策と、昨年12月、国交省河川局に丸投げに近い形で任せてしまった有識者会議の中味にあった。
メンバーはほぼ“御用学者”のレッテルを貼らせて戴きたい顔ぶれ。地元民は愚か、ダム懐疑派学者も市民運動家も無視され、 おまけに時代錯誤の「非公開」を貫きとおす始末。
淀川水系委員会時にようやく勝ち得た成果の逆行と世評に評されたのもムリからぬ。
春泥にはまったようなどっちつかずの果ての7月、パブリックコメントの場が与えられた。が、問題性の多い内容であった。問題点を東京新聞の社説(7/16)から引く。
「国交省政務三役の最終判断に至るまでの個別ダム検証は、国と水資源機構が施工する三十一事業について国交相が地方整備局および同機構に指示、道府県施工の五十以上の補助ダム事業は同相が道府県に要請する。
事業者自身に事業の検証を求めることになり、果たして公正、客観的な検証結果が得られるか。とくに補助ダムは、初めから事業の妥当性を主張する首長が多いだけに、危惧(きぐ)の念を覚える」。
現状打破を求め危惧感を抱きつつ応募したダム反対市民は、上記の懸念事項への是正を訴えた。参考までに「水源開発問題全国連絡会」が集約した提出意見一覧を。http://www7b.biglobe.ne.jp/~yakkun/suigenrennnope-zi2/data/souko/pabkometeishutuikenshu-.htm
しかし、やはり市民側の一縷の期待は裏切られ、ほぼ原案のまま9/27まとめ事項として馬淵国交相に手渡されるに及ぶ。何のための意見公募であったのか、単なるセレモニーでしかなかった。果たして2885もの意見はどのように反映されたのか、全く藪の中。これでは予定通りのお決まりコースを列車はつつがなく通過したにすぎなかった。
続いてなぜか、新内閣発足後の迷走状態の中、八ッ場ダムは急眉の課題として、直ちに10/1から他ダムに先駆けて「検討の場」がスタートした。
補助ダムならずとも八ッ場ダムが、前政権による政治と金力による強引な手法で推進したものであり、担ってきた国交省のメンツの砦として「八ッ場だけは絶対にヤル」が、未だ根強く現存しているらしい気配下、主体的な牙城となるのは他ならぬ関東地方整備局。その指示のもとで、強固に「推進」を掲げ、抵抗し続けている下流都県と関係市町村の姿勢が揺るぐはずがなく、肝心の長野原町もまた絶対推進を貫き通すのは自明の理。加えて、件の「有権者会議」が後見役を果たす仕掛けとなっている。
呉越同舟の推進組仲良し列車をしたてられたのでは、たまったものではない。
ダム建設は、俄然、現実味を帯びてきてしまった。
遡る7/27、一都5県は国土交通大臣に対し具体的検証の遅れを理由に、「平成22年度直轄事業負担金及び利水者負担金について留保」の旨を申し入れていた。
さらに今月20日、関東知事会名で国に、当初計画案通り2015年度までに完成させる要望書提出を取り決め、次の一手的な枷を見事にはめた。
来る25日には昨年10/19についで、一都5県知事による2度目の現地視察が予定されていて、目下、本会議中の馬淵大臣の出席要請の現状下にある。
八ッ場ダムはキレイごとで済まない、大物政治家による「政治ダム」である。
半世紀かけて自民党政権の資金源として揺るがぬ献金体制が堅固に練り上げられてきた。その資金源を断ちきりたい民主党政権との相克は今や全国に知れ渡り、さながら息詰まる茶の間の活劇調ドラマとなった感がある。
現在、求められてやまない選択は、前政権の意向に同調して甘い夢を見続けてきた一部の特等席の乗客は降ろし、この列車に閉じ込められたまま翻弄され続けた町民が主役となって立ち上がり、自らの手で納得のいく町づくりとのための停車駅を取捨選択。真の生活再建を築き上げることが、最も本質的な解決策となろう。
そんなわけで、時間に急かれての穴埋め用? 的に、妙なことで陽の眼をみなかった下記の何とも哀れな草稿を転載させて戴きます。
10/20の時点での記述ですので、いささか、色あせ草稿ですが……
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これでは、八ッ場は出来てしまう
――八ッ場ダム列車の軌跡は予定稿かーー
新政権の試金石、八ッ場ダム検討列車は「コンクリートから人」への使命感に燃え、期待通りの「ダム中止駅」でストップしてくれるのだろうか。それともやはり過たず、前政権の密命通り、58年間の任務をまっとうすべく強引に「ダム建設駅」まで疾走してしまうのであろうか。着地点が定まらぬまま中止声明後、無策の一カ年が過ぎてしまった。
今日に至る一年余の経過をたどる。
2009/9/17未明 前原前国交相「八ッ場ダム中止」を打出す
2009/12/3 〃 「有識者会議」設置(非公開 全12回)
2010/7/16~8/15「有識者会議・中間まとめ案」への意見募集
2010/9/27 「 〃 ・中間まとめ」を馬淵新国交相に提出
2010/10/1 八ッ場ダム「検討の場」、スタート
2010/10/13 三井国交副大臣等、現地あいさつ
2010/10/20 関東知事会 2015年度ダム完成の要請を決議
2010/10/25 一都5県知事、2度目の八ッ場視察
本年9月、全12回にわたった有識者会議のまとめ案がほぼ確定し、馬淵国交相に提出されるに及ぶ。ことここにいたって、中止への期待感は消え「これでは逆に八ッ場ダムは出来てしまう」と危機感を募らせてきた、そんな八ッ場ダム反対市民運動の一人である。
そもそもの問題点は、かけ声のみで現地入りは一度のみの前原前国交相の無策と、昨年12月、国交省河川局に丸投げに近い形で任せてしまった有識者会議の中味にあった。
メンバーはほぼ“御用学者”のレッテルを貼らせて戴きたい顔ぶれ。地元民は愚か、ダム懐疑派学者も市民運動家も無視され、 おまけに時代錯誤の「非公開」を貫きとおす始末。
淀川水系委員会時にようやく勝ち得た成果の逆行と世評に評されたのもムリからぬ。
春泥にはまったようなどっちつかずの果ての7月、パブリックコメントの場が与えられた。が、問題性の多い内容であった。問題点を東京新聞の社説(7/16)から引く。
「国交省政務三役の最終判断に至るまでの個別ダム検証は、国と水資源機構が施工する三十一事業について国交相が地方整備局および同機構に指示、道府県施工の五十以上の補助ダム事業は同相が道府県に要請する。
事業者自身に事業の検証を求めることになり、果たして公正、客観的な検証結果が得られるか。とくに補助ダムは、初めから事業の妥当性を主張する首長が多いだけに、危惧(きぐ)の念を覚える」。
現状打破を求め危惧感を抱きつつ応募したダム反対市民は、上記の懸念事項への是正を訴えた。参考までに「水源開発問題全国連絡会」が集約した提出意見一覧を。http://www7b.biglobe.ne.jp/~yakkun/suigenrennnope-zi2/data/souko/pabkometeishutuikenshu-.htm
しかし、やはり市民側の一縷の期待は裏切られ、ほぼ原案のまま9/27まとめ事項として馬淵国交相に手渡されるに及ぶ。何のための意見公募であったのか、単なるセレモニーでしかなかった。果たして2885もの意見はどのように反映されたのか、全く藪の中。これでは予定通りのお決まりコースを列車はつつがなく通過したにすぎなかった。
続いてなぜか、新内閣発足後の迷走状態の中、八ッ場ダムは急眉の課題として、直ちに10/1から他ダムに先駆けて「検討の場」がスタートした。
補助ダムならずとも八ッ場ダムが、前政権による政治と金力による強引な手法で推進したものであり、担ってきた国交省のメンツの砦として「八ッ場だけは絶対にヤル」が、未だ根強く現存しているらしい気配下、主体的な牙城となるのは他ならぬ関東地方整備局。その指示のもとで、強固に「推進」を掲げ、抵抗し続けている下流都県と関係市町村の姿勢が揺るぐはずがなく、肝心の長野原町もまた絶対推進を貫き通すのは自明の理。加えて、件の「有権者会議」が後見役を果たす仕掛けとなっている。
呉越同舟の推進組仲良し列車をしたてられたのでは、たまったものではない。
ダム建設は、俄然、現実味を帯びてきてしまった。
遡る7/27、一都5県は国土交通大臣に対し具体的検証の遅れを理由に、「平成22年度直轄事業負担金及び利水者負担金について留保」の旨を申し入れていた。
さらに今月20日、関東知事会名で国に、当初計画案通り2015年度までに完成させる要望書提出を取り決め、次の一手的な枷を見事にはめた。
来る25日には昨年10/19についで、一都5県知事による2度目の現地視察が予定されていて、目下、本会議中の馬淵大臣の出席要請の現状下にある。
八ッ場ダムはキレイごとで済まない、大物政治家による「政治ダム」である。
半世紀かけて自民党政権の資金源として揺るがぬ献金体制が堅固に練り上げられてきた。その資金源を断ちきりたい民主党政権との相克は今や全国に知れ渡り、さながら息詰まる茶の間の活劇調ドラマとなった感がある。
現在、求められてやまない選択は、前政権の意向に同調して甘い夢を見続けてきた一部の特等席の乗客は降ろし、この列車に閉じ込められたまま翻弄され続けた町民が主役となって立ち上がり、自らの手で納得のいく町づくりとのための停車駅を取捨選択。真の生活再建を築き上げることが、最も本質的な解決策となろう。
Posted by やんばちゃん at 11:50│Comments(0)
│八ッ場だより