2010年10月07日
決算特別委傍聴 /八ッ場版「老人と海」
秋晴れのこの上なく佳き日に、決算特別委員会の産経土木常任委員会の傍聴などで、ほぼ終日、群馬県議会棟にいました。
朝、傍聴の手続きに行くと、「土木関係は午後からになると思いますよ」と言われたけれど、出かけてきたのだから、聴くよりなし。
三月の決算の時に、決算特別委にも関連して、八ッ場ダム問題の質疑があった。
翌日の新聞で、そのことを知って、不覚にも遅れをとって以来、幾度となく議会事務局の職員さんにかけて、確かめてきて、予算の次の決算時には遅れをとらじと対処してきていた。
本質的には八ッ場のことは「八ッ場ダム特別委員会」で協議とされてきている。原則として、通常の常任委員会では協議しないことになっている。当初の土木常任委で持ちだした議員の発言を、牽制する騒ぎもあった。
一片の資料もなしに、産業生活課を皮きりに、八課長クラスや関係機関が説明と言うか、早口に読み上げる膨大な21年度決算の事業内容や数字などは把握はもちろん、筆記しきれるものではない。
「持ち出し」は禁止でも、参考資料として、見せてくれてもよさそうなものではないかと、傍聴の都度、思う。いつかは傍聴終了後直ちに、「情報公開」で、その日の配布資料一式の開示の手続きをしてみた次第。
実際に、緩和の方向に向かいつつはあるのだが……、
現に、国レベルでは、記者クラブ登録なしの一介のライターへの「取材」枠を拡げてくれつつある。写真も録音も可能になっている。
この日、傍聴人は全常任委を合わせて当方独りの模様。記者席もまばらだった。
実際、終了後、かなりの時間経過後に、駐車券を貰いに行き、使用名簿欄を見れば、6月議会の特別委員会に来た当方の名前のみ。6月以前のつづりは年度末で閉じたらしく、今年度の名簿にはその前に独りの三名の記述であった。
これでは、「傍聴」枠やその待遇の拡大を訴えても、どうしようもない。利用者がいないのだから。
ために、駐車券一つの発行でも、議会事務局の職員さんたちも不慣れらしく、議事課で手続きを終えて、駐車券担当の庶務課に行くと、議事課からの「傍聴に来た」との証明がなければ「出せない」とのことになる。つまり、同行してもらって堂々と室内を横切れば良かったのが…… 。
し~んと静もりかえって、気固い空気に臆して当方にも、いささかの遠慮があって廊下を通ったのがまずかった。確かに傍聴にきたのかどうか、定かではない。
産業経済常任委員会分野における冒頭の「第7カン」の声に、「第7巻」と記してしまって、「あぁっ」と苦笑。
しかし、「款」の文字がとっさに描けない。「款・目・項・節」だったけと記憶の底から立ち上がってくる言葉。
一期だけの地方議員の端くれだったけれど、オール前保守系といった感の当方の町議会では、予算決算の質問時には、冒頭に「〇款〇目の〇項について」というのが、恰好良いというか、不文律風な風潮があって、「決算書の〇ページの〇〇についておお尋ねしますなどと言おうものなら、初心者として軽んじられるとか言うのが、伝令としてとび、定着化していた。
実際、伝手のある先輩議員からいち早く伝授したらしいほぼ同期の男性議員がいち早く、これみよがしにはれがましく「えぇ~〇款〇目について」と繰り出していた。
財務会計や議案書など諸事項の説明会当日、葬儀ごとか何かで欠席したため、遅れをとった当方は当初、戸惑った。
「何よ、そんな形式的慣習よりも、質問の中味の濃さだよ」と思い、使うには釈だった。なにごとにも形式が先行する町議会だった。それがかの政党筋の連綿とした格式のように受け止められた。
2度目の定例会過ぎにスラスラと繰り出せ始めた頃、ほどなく始まった高崎市への「編入合併」。断じて、「対等」ではなかった。密約に応じて暗躍した一部幹部たち。八ッ場ダムの暗転劇と同じだ。
アメと鞭に次々と合併賛成派に転じられ、少数派に追い詰められていく最後までなびかぬ合併反対派として、合併反対闘争に明け暮れざるを得なかったたこの一時期、八ッ場通いは必然的に間遠になったものだ。
本日、県議たちが繰り出す質疑は、予算に付随しての内容の総称的傾向の質問が多かった。
こちらが、面とすれば、かつて味わった数値に関してのみの質問は点だった。
12時50分~ 開始の肝心の土木関係では、15課長もの説明事項が続いた後、質疑にはいった。
最後から二人目の質問にたった関口県議が「河川について」質問した。
浮かび上がったのは、改修が必要な河川は、1700㌔のうち1280㌔。このうち約420㌔が終了。 関口県議は「あと、30年くらいかかりますね」と言っていた。が、山場にかかりつつあった時、応えようとする河川課長に向かって、よく聞き取れなかったが新井委員長が「まとめて説明してやってよ」的な言葉をくりだした。これをうけて、関口県議は「この後、委員長は忙しいらしいので、詳しいことぱまた後ほど個別に教えてください」と自己規制的にほどなく結んでしまった。
またも、思い出せば、県議会のこの場合とは異なったが、かのどっかの議会では、革新系筋の長い質問にはブーイングが飛んだ。「はぁ、止せよ」といったり大きなアクビをしてけん制したのは、例の力の結束を誇示する、どっかの党筋であった。
それはわが町は無論、高崎市の場合にも顕著だったっけ。
一般質問はかかさず、その際にホントのことを遠慮せずにズバズバと「モノ言うオンナ」、しかも合併反対の議員でここでも、なびかず、質問時の用語にアッサリと「合併」とせず、「編入合併」の語を用いる当方は、時間内の制約は守ったけれど、これらの旧高崎市の体育会系のオジ様議員たちには気にくわないらしく最もヤジとばされた。こういう時、わが町からご長老議員をはじめ、編入組町村からの議員はもはや大高崎市の中ではおとなしかった。
議会=学芸会の語が一時期、マスコミをにぎわしたが、質問はあらかじめ予定稿の作文を提出。それを担当課と詰めていく。その過程で「編入合併」の語は使わないでくれと何度かトラぶった。
で、「新市の醸成というのは、反対してきたものが、良かったと言える時にこそ、達成であり完成点である」と言うと、大きなヤジにさらされ、壇上からヤジの主をじっと見据えたこともあった。
議員の務めを吐き違えていまいかと、新米議員には苦々しかったことが多々あった4年弱の歳月であった。しかし、そういう議員や表だっては口を開かずに裏工作や根回しに長けた議員が、実力派として重きを置かれ、当選する仕組みがまだある。
議員たちが八ッ場のことではおとなしくなりつつあるという、世評が最近、話題にのぼっている。
しかし、うれしいことに、これとても終末街道に近づきつつある。
そして、“議員”というのは、政務調査費一つでも、会派単位だから、個人の意志を越えて、悪に手を突っ込む仕組みにさらされるしかけがある。見るものはみたという感じだ。
机もない傍聴席で述べう時間、必死にメモを採っていると、いささか疲れた。
帰宅後、前述10/2の八ッ場のXさんに電話した。何度目かの電話の20時過ぎ、ききとれぬような声で、「今日、やっと刈り終わったい。昨日と今日の二日間で。結局、手刈りだったんだい」と。
例の刈り残した汁田のことである。確か、もう83歳にはなられるではなかったろうか。
先日、『老人と海』の心意気で、ご自分の限界に挑まれるのではと記した。
想定したのはヘミングウェイの小説の題名だったが、今週末から、シネマトークたかさきで映画の「老人と海」が上映されるらしい。与那国島で、小舟で200㌔のカジキマグロに挑む、老漁師を追った、ジャン・ユンカーマン監督のドキュメンタリー映画である。
海と陸とのそれぞれの場の営みに、ある種の感動がある。
あぁ、今日,八ッ場に行ければ、私たちの申し出を拒み、機械刈りにも見切りをつけ、独りで手刈りに挑んだXさんの姿をビデオに収められたのにと、ちょっぴり後悔。
でも、きっと、手を出してしまって、怒鳴られていたろう。おっしゃる通り、気長にやることが最良の長生きの薬。
Xさんが、またこの先もずっと農作業を出来ることを祈る。人間の身体は使い続けることで持続可能なのだから。
まだまだ、八ッ場のために一働きも二働きもしてもらわなければならない方なのだ。
朝、傍聴の手続きに行くと、「土木関係は午後からになると思いますよ」と言われたけれど、出かけてきたのだから、聴くよりなし。
三月の決算の時に、決算特別委にも関連して、八ッ場ダム問題の質疑があった。
翌日の新聞で、そのことを知って、不覚にも遅れをとって以来、幾度となく議会事務局の職員さんにかけて、確かめてきて、予算の次の決算時には遅れをとらじと対処してきていた。
本質的には八ッ場のことは「八ッ場ダム特別委員会」で協議とされてきている。原則として、通常の常任委員会では協議しないことになっている。当初の土木常任委で持ちだした議員の発言を、牽制する騒ぎもあった。
一片の資料もなしに、産業生活課を皮きりに、八課長クラスや関係機関が説明と言うか、早口に読み上げる膨大な21年度決算の事業内容や数字などは把握はもちろん、筆記しきれるものではない。
「持ち出し」は禁止でも、参考資料として、見せてくれてもよさそうなものではないかと、傍聴の都度、思う。いつかは傍聴終了後直ちに、「情報公開」で、その日の配布資料一式の開示の手続きをしてみた次第。
実際に、緩和の方向に向かいつつはあるのだが……、
現に、国レベルでは、記者クラブ登録なしの一介のライターへの「取材」枠を拡げてくれつつある。写真も録音も可能になっている。
この日、傍聴人は全常任委を合わせて当方独りの模様。記者席もまばらだった。
実際、終了後、かなりの時間経過後に、駐車券を貰いに行き、使用名簿欄を見れば、6月議会の特別委員会に来た当方の名前のみ。6月以前のつづりは年度末で閉じたらしく、今年度の名簿にはその前に独りの三名の記述であった。
これでは、「傍聴」枠やその待遇の拡大を訴えても、どうしようもない。利用者がいないのだから。
ために、駐車券一つの発行でも、議会事務局の職員さんたちも不慣れらしく、議事課で手続きを終えて、駐車券担当の庶務課に行くと、議事課からの「傍聴に来た」との証明がなければ「出せない」とのことになる。つまり、同行してもらって堂々と室内を横切れば良かったのが…… 。
し~んと静もりかえって、気固い空気に臆して当方にも、いささかの遠慮があって廊下を通ったのがまずかった。確かに傍聴にきたのかどうか、定かではない。
産業経済常任委員会分野における冒頭の「第7カン」の声に、「第7巻」と記してしまって、「あぁっ」と苦笑。
しかし、「款」の文字がとっさに描けない。「款・目・項・節」だったけと記憶の底から立ち上がってくる言葉。
一期だけの地方議員の端くれだったけれど、オール前保守系といった感の当方の町議会では、予算決算の質問時には、冒頭に「〇款〇目の〇項について」というのが、恰好良いというか、不文律風な風潮があって、「決算書の〇ページの〇〇についておお尋ねしますなどと言おうものなら、初心者として軽んじられるとか言うのが、伝令としてとび、定着化していた。
実際、伝手のある先輩議員からいち早く伝授したらしいほぼ同期の男性議員がいち早く、これみよがしにはれがましく「えぇ~〇款〇目について」と繰り出していた。
財務会計や議案書など諸事項の説明会当日、葬儀ごとか何かで欠席したため、遅れをとった当方は当初、戸惑った。
「何よ、そんな形式的慣習よりも、質問の中味の濃さだよ」と思い、使うには釈だった。なにごとにも形式が先行する町議会だった。それがかの政党筋の連綿とした格式のように受け止められた。
2度目の定例会過ぎにスラスラと繰り出せ始めた頃、ほどなく始まった高崎市への「編入合併」。断じて、「対等」ではなかった。密約に応じて暗躍した一部幹部たち。八ッ場ダムの暗転劇と同じだ。
アメと鞭に次々と合併賛成派に転じられ、少数派に追い詰められていく最後までなびかぬ合併反対派として、合併反対闘争に明け暮れざるを得なかったたこの一時期、八ッ場通いは必然的に間遠になったものだ。
本日、県議たちが繰り出す質疑は、予算に付随しての内容の総称的傾向の質問が多かった。
こちらが、面とすれば、かつて味わった数値に関してのみの質問は点だった。
12時50分~ 開始の肝心の土木関係では、15課長もの説明事項が続いた後、質疑にはいった。
最後から二人目の質問にたった関口県議が「河川について」質問した。
浮かび上がったのは、改修が必要な河川は、1700㌔のうち1280㌔。このうち約420㌔が終了。 関口県議は「あと、30年くらいかかりますね」と言っていた。が、山場にかかりつつあった時、応えようとする河川課長に向かって、よく聞き取れなかったが新井委員長が「まとめて説明してやってよ」的な言葉をくりだした。これをうけて、関口県議は「この後、委員長は忙しいらしいので、詳しいことぱまた後ほど個別に教えてください」と自己規制的にほどなく結んでしまった。
またも、思い出せば、県議会のこの場合とは異なったが、かのどっかの議会では、革新系筋の長い質問にはブーイングが飛んだ。「はぁ、止せよ」といったり大きなアクビをしてけん制したのは、例の力の結束を誇示する、どっかの党筋であった。
それはわが町は無論、高崎市の場合にも顕著だったっけ。
一般質問はかかさず、その際にホントのことを遠慮せずにズバズバと「モノ言うオンナ」、しかも合併反対の議員でここでも、なびかず、質問時の用語にアッサリと「合併」とせず、「編入合併」の語を用いる当方は、時間内の制約は守ったけれど、これらの旧高崎市の体育会系のオジ様議員たちには気にくわないらしく最もヤジとばされた。こういう時、わが町からご長老議員をはじめ、編入組町村からの議員はもはや大高崎市の中ではおとなしかった。
議会=学芸会の語が一時期、マスコミをにぎわしたが、質問はあらかじめ予定稿の作文を提出。それを担当課と詰めていく。その過程で「編入合併」の語は使わないでくれと何度かトラぶった。
で、「新市の醸成というのは、反対してきたものが、良かったと言える時にこそ、達成であり完成点である」と言うと、大きなヤジにさらされ、壇上からヤジの主をじっと見据えたこともあった。
議員の務めを吐き違えていまいかと、新米議員には苦々しかったことが多々あった4年弱の歳月であった。しかし、そういう議員や表だっては口を開かずに裏工作や根回しに長けた議員が、実力派として重きを置かれ、当選する仕組みがまだある。
議員たちが八ッ場のことではおとなしくなりつつあるという、世評が最近、話題にのぼっている。
しかし、うれしいことに、これとても終末街道に近づきつつある。
そして、“議員”というのは、政務調査費一つでも、会派単位だから、個人の意志を越えて、悪に手を突っ込む仕組みにさらされるしかけがある。見るものはみたという感じだ。
机もない傍聴席で述べう時間、必死にメモを採っていると、いささか疲れた。
帰宅後、前述10/2の八ッ場のXさんに電話した。何度目かの電話の20時過ぎ、ききとれぬような声で、「今日、やっと刈り終わったい。昨日と今日の二日間で。結局、手刈りだったんだい」と。
例の刈り残した汁田のことである。確か、もう83歳にはなられるではなかったろうか。
先日、『老人と海』の心意気で、ご自分の限界に挑まれるのではと記した。
想定したのはヘミングウェイの小説の題名だったが、今週末から、シネマトークたかさきで映画の「老人と海」が上映されるらしい。与那国島で、小舟で200㌔のカジキマグロに挑む、老漁師を追った、ジャン・ユンカーマン監督のドキュメンタリー映画である。
海と陸とのそれぞれの場の営みに、ある種の感動がある。
あぁ、今日,八ッ場に行ければ、私たちの申し出を拒み、機械刈りにも見切りをつけ、独りで手刈りに挑んだXさんの姿をビデオに収められたのにと、ちょっぴり後悔。
でも、きっと、手を出してしまって、怒鳴られていたろう。おっしゃる通り、気長にやることが最良の長生きの薬。
Xさんが、またこの先もずっと農作業を出来ることを祈る。人間の身体は使い続けることで持続可能なのだから。
まだまだ、八ッ場のために一働きも二働きもしてもらわなければならない方なのだ。
Posted by やんばちゃん at 22:44│Comments(0)
│八ッ場だより