2010年09月27日
馬淵大臣、満面の笑み。有権者会議、写真撮りのみ許されました
【終了時に中川座長の労をねぎらう、馬淵大臣】
あのブスっとした馬淵大臣の、一昨年、八ッ場へ見えた時とは、打って変わった晴れやかな笑顔を初めて、まじかで拝顔しました。
「非公開」が貫かれたまま回を重ねてきた、本日夕刻~霞が関の国土交通省内で開催された。最後の「第12回有権者会議」に行ってきて、さきほど戻りました。
さて、「お前は何を見てきたのか、一国一省の苦みばしった大臣の、笑顔を見に行ったわけでもあるまいに」。
と、お叱りをうけそうですが、会議の中味は私たちには非公開。記者クラブ所属の報道関係者にはつづりの会議録が配布されましたが、私たちにはなし。後ほど、アップされるとのことでした。
つまり、写真をとりに行ったのでした。
当初はダメ元でもと心づもりしていたのですが、当方よりもその辺りに明るい知人に「建物のなかにすら、絶対に入れない」と言われ、交通費を工面して出かけるのに、合同庁舎3号館の建物を見て帰ってくるのもと思いだし、いかに能天気な私でも寂しい懐具合を思うと、断念しかけたものでした。
でも、中止宣言以来、一年。八ッ場は岐路にたっています。
心臓強く、ここは出かけて良かったです。
事前に担当課に電話して伺い、「非公開」はわかるが、明記されている写真撮りだけでも、ご検討願えないかと依頼。
「前原前大臣は「記者クラブ」以外にも枠を広げてくださる旨のことを会見でおっしゃっていられた。すぐに適用にはならないとは思いますが……」と添えた。約束の30分後に電話すると、応対してくださった方が、お二人の担当者に連絡してくださったようで、そのお一人の方が電話に直接出てくださるとのことだったけれど、マスコミ筋からの問い合わせ電話が長引いてしまっているとのこと。電車の時間が刻々と迫ってきて、焦るが、「ではまた5分後に」とお伝えした。
今度はすぐに出てくださり、どうも、ニュアンスとして全面拒否でもない柔らかな応接に、行くことを決意。
必死だったけれど、11階特別会議室の前には17時20分着。まだ数社のテレビ局だけだった。本職のカメラマンさんたちはカメラの調節に余念がない。後に理由わかる。
数10名のマスコミさんたちに交じって、端の方で待つこと約1時間半。なること叶わなかった取材畑の雰囲気を味わえるだけでも良しとすれば、肝心の協議の場には入室できないことも苦にならなかった。
馬淵大臣が到着するのを待って、予定よりやや遅れて18時過ぎに開会。部屋のドアが閉ざされた。
ほどなく始まった国交省報道部による、入室説明の配置などの説明会。輪の中に入っていいいのかどうかマスコミ陣の隅でたたずみ臆していると、受付の職員さんが、「ご一緒に聞いてください」と眼で促してくださった。ほっとした。これで入れるパスポートをゲット。
18時40分、国交省報道部の指揮で、入室可。
(どうに審議されたか不明だけれども、たぶん、予定稿にてだろうと推測する)先の説明会で、最終回の今回はまとめ案を中川座長から、馬淵大臣に手渡すセレモニーが、ハイライトと事前に教えられていた。
ところがである。当方の安物のデジカメ。動かないのだ。
慌てて、ビデオの写真装置で撮る。
思いついて、電池の向きを変えてみた。なんと、電池の入れ方が逆だったのだ。で、肝心の場面はあっけにく過ぎた。
プロの皆さんが、事前に角度などに余念なく時間を費やし、準備おこたりなくリハーサルしていたのは成るほどと得心。
ために、馬淵大臣の正面から撮れず、横顔もしくは後ろ姿。
戸口で某テレビ局の若いカメラマンに「皆さんが懸命にリハーサルなさるわけわかったわ」と伝えると、笑われた。
散会のあと、馬淵大臣が満面の笑みをたたえ、委員一人一人をねぎらって握手を求めていたのが、不思議な光景を見たように、心に残っています。これは、撮れてました。
広大な特別室をでようとしたら、大臣ご一行の後を追う一団の中に、見覚えのある前の八ッ場ダム工事事務所長さんの顔がみえた。廊下を出てエレベーターの方に向かうと、見送りの後、また逆方向に戻る一団の中に、また前所長さんが先頭を歩いてみえた。現地でいちども言葉を交わしたことがないのに、すれ違う時に、思わす、お名前を申しあげてしまった。すると、「はい、そうです」と律儀にもおっしゃってくださった。
いつも、感じるのだが、対応してくださる職員さんたちのお一人お一人は、本当に優秀かつ親切で、皆さんどなたも、「この国を良くしたい」という思いで働いて下さっているのを感じる。それは、国の中枢機関に近づくに連れ、すぐれた品性を感じさせてくださる。仮に言葉はぞんざいでも、地方には地域独特の密着性があるけれども……
でも、どういうわけか、集団となり、発表されると、必ずしもよりよい方向づけに行かず、妙な方向持としてし繰り出される。
職員の権限の及ばぬ、“権力構造”の世界があるのだろう。
八ッ場の未来が、こうして決まっていく。
おそらく、政治的解決とやらに終息するのだろう。
帰途、氷雨のふる中、有楽町の駅まで歩く。
桜田門の警視庁前を過ぎ、道なりに歩いてくると、前を歩いていた公務員風の人が、皇居の門を入って行く。出てくる人もいる
試しに入ってみた。右手にも門があり、その前はいわゆる皇居前広場のようでランニングしている方たちがいっぱい。前方に高層ビル街のネオンがかがやく。
思いついて、出がけにバックに入れた、ふかし芋をほおばりつつ、皇居の黒々としたシルエットを背に、大都会の夜景を凝視した。
あのブスっとした馬淵大臣の、一昨年、八ッ場へ見えた時とは、打って変わった晴れやかな笑顔を初めて、まじかで拝顔しました。
「非公開」が貫かれたまま回を重ねてきた、本日夕刻~霞が関の国土交通省内で開催された。最後の「第12回有権者会議」に行ってきて、さきほど戻りました。
さて、「お前は何を見てきたのか、一国一省の苦みばしった大臣の、笑顔を見に行ったわけでもあるまいに」。
と、お叱りをうけそうですが、会議の中味は私たちには非公開。記者クラブ所属の報道関係者にはつづりの会議録が配布されましたが、私たちにはなし。後ほど、アップされるとのことでした。
つまり、写真をとりに行ったのでした。
当初はダメ元でもと心づもりしていたのですが、当方よりもその辺りに明るい知人に「建物のなかにすら、絶対に入れない」と言われ、交通費を工面して出かけるのに、合同庁舎3号館の建物を見て帰ってくるのもと思いだし、いかに能天気な私でも寂しい懐具合を思うと、断念しかけたものでした。
でも、中止宣言以来、一年。八ッ場は岐路にたっています。
心臓強く、ここは出かけて良かったです。
事前に担当課に電話して伺い、「非公開」はわかるが、明記されている写真撮りだけでも、ご検討願えないかと依頼。
「前原前大臣は「記者クラブ」以外にも枠を広げてくださる旨のことを会見でおっしゃっていられた。すぐに適用にはならないとは思いますが……」と添えた。約束の30分後に電話すると、応対してくださった方が、お二人の担当者に連絡してくださったようで、そのお一人の方が電話に直接出てくださるとのことだったけれど、マスコミ筋からの問い合わせ電話が長引いてしまっているとのこと。電車の時間が刻々と迫ってきて、焦るが、「ではまた5分後に」とお伝えした。
今度はすぐに出てくださり、どうも、ニュアンスとして全面拒否でもない柔らかな応接に、行くことを決意。
必死だったけれど、11階特別会議室の前には17時20分着。まだ数社のテレビ局だけだった。本職のカメラマンさんたちはカメラの調節に余念がない。後に理由わかる。
数10名のマスコミさんたちに交じって、端の方で待つこと約1時間半。なること叶わなかった取材畑の雰囲気を味わえるだけでも良しとすれば、肝心の協議の場には入室できないことも苦にならなかった。
馬淵大臣が到着するのを待って、予定よりやや遅れて18時過ぎに開会。部屋のドアが閉ざされた。
ほどなく始まった国交省報道部による、入室説明の配置などの説明会。輪の中に入っていいいのかどうかマスコミ陣の隅でたたずみ臆していると、受付の職員さんが、「ご一緒に聞いてください」と眼で促してくださった。ほっとした。これで入れるパスポートをゲット。
18時40分、国交省報道部の指揮で、入室可。
(どうに審議されたか不明だけれども、たぶん、予定稿にてだろうと推測する)先の説明会で、最終回の今回はまとめ案を中川座長から、馬淵大臣に手渡すセレモニーが、ハイライトと事前に教えられていた。
ところがである。当方の安物のデジカメ。動かないのだ。
慌てて、ビデオの写真装置で撮る。
思いついて、電池の向きを変えてみた。なんと、電池の入れ方が逆だったのだ。で、肝心の場面はあっけにく過ぎた。
プロの皆さんが、事前に角度などに余念なく時間を費やし、準備おこたりなくリハーサルしていたのは成るほどと得心。
ために、馬淵大臣の正面から撮れず、横顔もしくは後ろ姿。
戸口で某テレビ局の若いカメラマンに「皆さんが懸命にリハーサルなさるわけわかったわ」と伝えると、笑われた。
散会のあと、馬淵大臣が満面の笑みをたたえ、委員一人一人をねぎらって握手を求めていたのが、不思議な光景を見たように、心に残っています。これは、撮れてました。
広大な特別室をでようとしたら、大臣ご一行の後を追う一団の中に、見覚えのある前の八ッ場ダム工事事務所長さんの顔がみえた。廊下を出てエレベーターの方に向かうと、見送りの後、また逆方向に戻る一団の中に、また前所長さんが先頭を歩いてみえた。現地でいちども言葉を交わしたことがないのに、すれ違う時に、思わす、お名前を申しあげてしまった。すると、「はい、そうです」と律儀にもおっしゃってくださった。
いつも、感じるのだが、対応してくださる職員さんたちのお一人お一人は、本当に優秀かつ親切で、皆さんどなたも、「この国を良くしたい」という思いで働いて下さっているのを感じる。それは、国の中枢機関に近づくに連れ、すぐれた品性を感じさせてくださる。仮に言葉はぞんざいでも、地方には地域独特の密着性があるけれども……
でも、どういうわけか、集団となり、発表されると、必ずしもよりよい方向づけに行かず、妙な方向持としてし繰り出される。
職員の権限の及ばぬ、“権力構造”の世界があるのだろう。
八ッ場の未来が、こうして決まっていく。
おそらく、政治的解決とやらに終息するのだろう。
帰途、氷雨のふる中、有楽町の駅まで歩く。
桜田門の警視庁前を過ぎ、道なりに歩いてくると、前を歩いていた公務員風の人が、皇居の門を入って行く。出てくる人もいる
試しに入ってみた。右手にも門があり、その前はいわゆる皇居前広場のようでランニングしている方たちがいっぱい。前方に高層ビル街のネオンがかがやく。
思いついて、出がけにバックに入れた、ふかし芋をほおばりつつ、皇居の黒々としたシルエットを背に、大都会の夜景を凝視した。
Posted by やんばちゃん at 23:51│Comments(0)
│八ッ場だより