2010年09月13日
真の自然体験です。?ミョウガ採り体験ツアー
上のミョウガの群落は、花が咲いてしまって、旬の時を過ぎても採ってもらえず放置状態の八ッ場のミョウガです。
こんな群落が数十も拡がっています。どこの群落をかきわけても、このような光景が見受けられます。
工事現場の端に群れている写真のミョウガたちに、来年の開花はありません。
どういうわけなのか、最後の年となった生物たちは、本当にせいいっぱい咲き誇るものです。そして、その英姿を人間のまぶたに焼き付けて、地上から去っていくのです。
例えば、3号橋、昨日の報道で正式名は「丸岩大橋」となった地点には、1O年くらい前には、畑を追われたフキたちのこんな群落があちこちに見受けられ、フキのトウが道端にいっぱい芽吹いていたものでした・
が、今はコンクリートの下で絶え果てていることと思います。
フキの栽培は養蚕業の衰退に伴って、奨励された次の農産物でした。
だから、横壁の高台にはフキがいっぱいあります。ある生産農家は、丁寧にそろえて手間暇かけて出荷しても、箱代にもならないどころか、市場から手数料を要求されて赤字だったと嘆いて、以来、出荷を停止。
ミョウカもその類いのようだったようです。
農協の薦めるままに秋田から高いフキの苗を取り寄せて、採算が採れた農家が果たして何軒あったでしょうか?
一説に「国が奨励する作物や政策を守った百姓がみんなバカをみた口さ。方針なんか聞かずに自分の思い通りの方法をやったもんが、今は上手くいっているよ」との農家の方たちの声がありましたけれど……
すでにわが家のミョウガは空白状態。今後、例年通り生えてくれるものがどうか定かでなく、ミョウガ大好き人間の当方、幸い元の地主さんとはお知り合い。二年前までは、広い屋敷うちのこれらのミョウガをこまめに採っては、おみやげにもたせて下さった奥さんも、今年はもうなさらないみたいです。
で、元の持主さんのお顔が浮かぶおびただしいミョウガたちが皆、写真の朽ちたミョウガのようになるのは、時間の問題。
そこで、工事現場の土砂の間から、まるで人目をひくかのように、身をのりだすように密集しているミョウガの一つかみを採らせて戴いて、ありがたく我がつましい食卓を飾らせていただくことに。みんな時すでに遅しの花咲きミョウガばかりですけれど、これって、ミョウガドロボーになりましょうか?
ソウソウ、先日、お知らせした「多喜二奪回祭」では、小林多喜二が伊勢崎に来た時に喜んで食したという、「ミョウガの卵とじ汁」が参加者にふるまわれました。
スタッフの方の話では、約80年前の1931(S6)年9月6日当時の伊勢崎市では、菊池家をはじめいっぱい芽吹いていたというミョウガが、今年は菊池家にも近隣にも生えていず、往生したそうです。八方手を尽くして入手したそうで、当日はお椀からはみ出るほど、たっぷりののミョウガ汁を御馳走になりました。
そこで、おもわず頭に浮かんだのが、八ッ場の誰にも採ってもらえない、現在は、国のものですから、正式には採れないミョウガたちでした。
このミョウガたちに来年があるのなら、都会の方たちに喜ばれるように、採り放題の「八ッ場・ミョウガツアー」でも企画したいものですが……
国交省も、工事の休みの1日、現場を開放して採らせてくれるか、目をつぶって採らせてくれればよいものをと思います。
その方が、税金をつかって、養殖のニジマスを購入して、わざとらしく久森沢に放流。千葉や埼玉の子供たちにつかみどりを行わせ、“にせものの自然体験”を味わさせるよりも、よっほど良い!!
これぞ、真の交流事業?
でも、そうすると、都会の子供たちも純粋で感性豊かだから、「ワラビやミョウガが大地にいっぱい生えていて、魚も育つ今のままの自然の方が良いな」と自覚してしまうことにつながりかねず、将来のダム反対予備軍の養成所になってしまって、困ることに……なるでしょうから、認可するはずもなし。
しかし、国家の大金をつかって、水没予定地として買い上げた土地は、国民に還元するのが当たり前ではないでしょうか?
Posted by やんばちゃん at 07:28│Comments(0)
│八ッ場だより