2010年09月04日

地蔵たちよ、産土の地の守護神たれ 

 本日は拙文の転載にて。
 例にあらずのおだやかな主義ですが…… 
 
 地蔵たちよ、産土の地の守護神たれ 
 村の辻々に華を添えるかのように鎮座し、悪病の侵入をまもってきた結界の石仏群。
 これらは古から悪霊の侵入にニラミを利かせて、まさに守護神的な役割を担ってきた、土着のなじみある神々と呼べる。
とりわけ、双体道祖神は、旅行く人々たちの心を如何に和ませてくれたものであろうか。
 長い歳月をじっと抱き合ったまま、風雨にさらされながらも自分たちの止まった時のみをむさぼり続けている、何とも素朴かつほのぼのとした立像には、誰しも心そそられる。
 これらの双体神は信州が中心とされているが、隣接県のわが群馬にも数多く分布していて、倉渕村が質量ともに知られている。ちなみにその数は、寛永2年より大正13年の約300年間に94体にも及ぶという(1976年の調査による)。
が、長野原町にも、なんと41体もの双体道祖神があるのだ。

 中でも、八ツ場ダム建設に沈むとされてきた川原湯温泉・上湯原地区の通称・アベック地蔵には、ほっと心なごませてくれるものがあった。川原湯温泉街を通り抜け、上湯原地区の吾妻川にかかる栄橋に通じる木立ちの細道の中ほど、その沢筋の道路際にあり、№4なる立て札があった。 
 約45㌢ほどの象をよくよく見ると、男性の手を肩に受け止めた女性は、かすかにはにかんでいるふうに見えるとのことであった。
 この形のままに約250年間を、この地に鎮座し続けてきたのであった。
 長野原町教委発行の『長野原町の道祖神』(1985年刊)によれば、宝暦6(1756)年のものという。施主の名は「小○○助」とあるらしい。恐らく、この地のご先祖の方であろう。

 昨年八月末の衆議院選による政変によって、「中止」が打ち出された当時、まだ手づかずであったこの上湯原地域への大規模工事は免れるものと勝手読みしていた。
 そんな矢先の今春、工事は俄かに開始されてしまった。4月初めの風景が、写真①である。ほどなく、近くの土地に移動となった。目下、写真②のような工事風景が繰り広げられている。
 
  ※写真①②省略

 心配なのは、この辺一帯は、天明3(1783)年の浅間山の大噴火による、泥流に覆われたもろい地質の顕著な地層が、はっきりと見受けられた地域なのであった。
 この間、再三、開催された学習会の折には、地質学の講師はわかりやすい好適地として、この場で説明。近場の木陰にたたずんで、私たちは聞いたものであった。

 上部には、山中をくり抜いてトンネルだらけの付替JR吾妻線と新川原湯温泉駅が新設される。さらに付替県道林長野原線が走る。八ッ場のランドマーク的な建造物として、すっかり全国の茶の間に浸透した、湖面2号橋(仮称)も含み両端に延びる県道である。
 これらの上方に上湯原地域の代替地が造成される予定であるが、完成はどんなに早くとも二年後とされている。移転希望世帯は、同地区に残っている家の中で三軒のみ。
 恐らく、完成の暁にはこれらの石仏も、水没点586㍍より上方の代替地に、移設されることだろうが、二人だけの時を楽しむとともに、どうかしっかりと産土の神として、移り住む大地の安全を守りぬいてほしいものである。


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Posted by やんばちゃん at 22:07│Comments(0)八ッ場だより
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