2010年05月22日
八ッ場の田植え風景、無事に収録
詰まった時間帯の中で、八ッ場へ行ってきました。
本来ならば、20日に行く心づもりをしていました。Bさん宅の田植えでしたので、?“撮影”をしなければと思っていたのでしたが、なにやかやとあって、次々と押せ押せとなった時間の中で、締め切りのあることもあり、こちらは後の行程もあり、期日が送れるとご迷惑をかけてしまうので、八ッ場行きは断念。
なお、“撮影”と大上段に申してみても、撮ることだけで、それが実際、安ビデオに映っているかどうかも不明。録画状態を確かめている時間もないのです。しかも、買う際に聞いた録画可能時間がきたら、その後の処置は全くお手あげ。
それに、Bさんはいつもの反語と心得ていますが、「何も来なくたっていいよ。来られりゃかえって邪魔だい」と、のたもうてくれたのです。
でも、その言葉とは裏腹に、田植えと言う農家にとって最大のハイライト。80歳すぎながら、未だ現役のその時のご自分の雄姿を映像にとどめておきたい気持ちが、そこはかとなくあることも読み取れるのでしたけれど……
てすので、雑務を兼ねた仕事をこなしている間にも、たぶ坂道を下って久森水田に入っていく私の車を待ちあぐねているかもしれない、Bさんの姿が、しきりにちらついた次第です。
そして、一昨日20日、完了。
となると、今月は1週間後に迫ったイベントが二つあるし、なにやかやとあるからと止めていた、恒例の高崎人情市への出店が頭をもたげました。
というのは、屋敷うちのサンショウの実が日ごとに膨らんできてしまっていたのです。どういうわけか、半世紀も殆ど手入れをしない荒れ屋敷の中で、サンショウだけは約20本を超えるのです。その内、実のなるのが半数。新芽の時の採取は断念しましたが、もったいなやがりの私は、このまま落としてしまうのは、惜しい。
このフリーマーケットで、少しでも販売するのが、ここ何年かのことでした。昨年は思い切って、市場へ持っていったものでした。でも、この時期は、農家ならずとも超多忙時期にかさなるので、その忙しさは並みではありません。
ちりめん山椒にするのには、最も最初の柔らかいうちに摘みとらなければならないのです。
もし、スペースに余地なければ、断念するのですが、21日、事務局を兼ねてくださっている「たかさきやるき堂」さんに電話したら、0K。
となると、次は販売品目の品ぞろえ。
そして、一仕事終わった解放感から、色濃く迫ったのは、Bさん宅の田植えのこと。
でも、八ッ場へいっても、この時期は原木しいたけはなし。
サンショウの実採りだけでも、残された土曜日1日はかかるのですが、そんなにさばけるものでもなし。
それにその周りに嫌というほど生えているフキ。真竹には間があり、黒竹は少量。花物もいつもながらの地味なもので決めてはなし。急な出店だから、出店料の3000円がクリアできれば良しとせざるを得ないことはわかっても、何事も最大限のことをしたのが性癖のヒト。
前日にルス電にいれさせて頂いていたあることの問い合わせもあって、Bさんに電話してみると、最後に「田植えは、はぁ終わったい」とポツリのひと言。
……ともかく、八ッ場へ行って、陽のあるうちに帰っきて、急いで自宅周辺のものでの品揃えをすることに。
榛名山中を突っ走っている間にも、この小型ダンプと呼ばれてきたわが身もまたガタが出始めているのだから、Bさんか゜、来年もまたお独りで田植えが出来るとはの保証は定かではなく、秋の収穫期よりも田植えの方が清々しい映像になることは決まっていたのにと、やや自責の念と悔いに覆われてました。
道々、耕作地などを目で追いながら、自宅周辺にさしかかると、めったに人の姿を見たことのないその一帯の田に、農家の方たちの姿があり、活況を呈していました。後にご近所のCさん宅がご家族総出の田植えと分った次第。
そして、なんとその先の田でBさんが、田植え機にまたがって、植えているではありませんか。
一瞬、「全くモウ」と思いましたが、うれしさがこみ上げてきました。「終わった」というのは、メインのやんば館前の久森と田の場所で、自宅前は今日なのでした。
で、「良かったぁ!! 間に合って」と。
Bさんの年間を通して、最も? 大変できぐろうだけれど、反面晴れがましいご雄姿をビデオと壊れかかったカメラに納めながら、合間に、畔の塗り土の間から、芽吹いたばかりのセリの新芽を摘み取りました。
つまり、休み休みなされるので、その待つ間も惜しいヒトなのです。その上、セリの若芽は本当に吸引力がありました。
Cさんのお宅には、「背景に少し、映ってしまいますけれど、皆さんのお顔はわかりませんのりで」と申し上げると、「な~に、いいよ」とのこと。で、「じゃ、むしろ、写させていただきますけれど」とお断り。
とりわけ、機械植えの後の補修の手植えに余念のない物腰の若いお嫁さんの姿は、場面に絵を添えてくれそうです。
そのCさんご一家が、昼食に引き上げた後、道端の日陰で休んでいる、しかしご本人は「休んでるんじゃねぇよ。これからどういう段どりでするか、考えている」とおっしゃる、その長いこと考えていられる処へ、時間に急かれながら作った弁当類を運んで、「お昼にしましょうよ」と。
「アンタの作ったもので俺の口に合うものは無いから、持ってこないで頂戴」と常日頃、何回となく言われているのに、性懲りもなく、これもまたもむいつもの「反語」とみなして、堂々と持っていくのです。
この日のメニューは時鮭とタケノコの簡単炊き込み。
それに孟宗竹はこの地域には一カ所しかなく、なんでもかんでもあるらしい昔からの農家のBさん宅にも、どうやら無いらしいとわかってきたタケノコの煮ものと炒め物。色どりのスナップエンドウもたっぷりと詰めて、「お味は後で好みの味に煮直して」と伝えました。
二人で野良弁当を食べて、まだ二枚の田が残っているのですが、明朝までにフル回転の身なので、時間に迫られてこの日の収録は無事に修了ということに。
車に戻った際、Bさん宅の伸び放題のコゴミの草むらの辺りに目をやった私の姿を見ていたのか、車の窓から「それじゃ」と言うと。「そこにワラビが生えているから、採ってけゃ」とおっしゃる。「あぁ、でももうバックするの大変だから、後で来る」と言うと、「後でまた、来られたら面倒だ」との声が飛ぶ。が、これもまた「反語」と勝手解釈して、次の場所へ。
でも、Bさんの今年の田植えの場面が無事に撮れて、本当に良かった。
本来ならば、20日に行く心づもりをしていました。Bさん宅の田植えでしたので、?“撮影”をしなければと思っていたのでしたが、なにやかやとあって、次々と押せ押せとなった時間の中で、締め切りのあることもあり、こちらは後の行程もあり、期日が送れるとご迷惑をかけてしまうので、八ッ場行きは断念。
なお、“撮影”と大上段に申してみても、撮ることだけで、それが実際、安ビデオに映っているかどうかも不明。録画状態を確かめている時間もないのです。しかも、買う際に聞いた録画可能時間がきたら、その後の処置は全くお手あげ。
それに、Bさんはいつもの反語と心得ていますが、「何も来なくたっていいよ。来られりゃかえって邪魔だい」と、のたもうてくれたのです。
でも、その言葉とは裏腹に、田植えと言う農家にとって最大のハイライト。80歳すぎながら、未だ現役のその時のご自分の雄姿を映像にとどめておきたい気持ちが、そこはかとなくあることも読み取れるのでしたけれど……
てすので、雑務を兼ねた仕事をこなしている間にも、たぶ坂道を下って久森水田に入っていく私の車を待ちあぐねているかもしれない、Bさんの姿が、しきりにちらついた次第です。
そして、一昨日20日、完了。
となると、今月は1週間後に迫ったイベントが二つあるし、なにやかやとあるからと止めていた、恒例の高崎人情市への出店が頭をもたげました。
というのは、屋敷うちのサンショウの実が日ごとに膨らんできてしまっていたのです。どういうわけか、半世紀も殆ど手入れをしない荒れ屋敷の中で、サンショウだけは約20本を超えるのです。その内、実のなるのが半数。新芽の時の採取は断念しましたが、もったいなやがりの私は、このまま落としてしまうのは、惜しい。
このフリーマーケットで、少しでも販売するのが、ここ何年かのことでした。昨年は思い切って、市場へ持っていったものでした。でも、この時期は、農家ならずとも超多忙時期にかさなるので、その忙しさは並みではありません。
ちりめん山椒にするのには、最も最初の柔らかいうちに摘みとらなければならないのです。
もし、スペースに余地なければ、断念するのですが、21日、事務局を兼ねてくださっている「たかさきやるき堂」さんに電話したら、0K。
となると、次は販売品目の品ぞろえ。
そして、一仕事終わった解放感から、色濃く迫ったのは、Bさん宅の田植えのこと。
でも、八ッ場へいっても、この時期は原木しいたけはなし。
サンショウの実採りだけでも、残された土曜日1日はかかるのですが、そんなにさばけるものでもなし。
それにその周りに嫌というほど生えているフキ。真竹には間があり、黒竹は少量。花物もいつもながらの地味なもので決めてはなし。急な出店だから、出店料の3000円がクリアできれば良しとせざるを得ないことはわかっても、何事も最大限のことをしたのが性癖のヒト。
前日にルス電にいれさせて頂いていたあることの問い合わせもあって、Bさんに電話してみると、最後に「田植えは、はぁ終わったい」とポツリのひと言。
……ともかく、八ッ場へ行って、陽のあるうちに帰っきて、急いで自宅周辺のものでの品揃えをすることに。
榛名山中を突っ走っている間にも、この小型ダンプと呼ばれてきたわが身もまたガタが出始めているのだから、Bさんか゜、来年もまたお独りで田植えが出来るとはの保証は定かではなく、秋の収穫期よりも田植えの方が清々しい映像になることは決まっていたのにと、やや自責の念と悔いに覆われてました。
道々、耕作地などを目で追いながら、自宅周辺にさしかかると、めったに人の姿を見たことのないその一帯の田に、農家の方たちの姿があり、活況を呈していました。後にご近所のCさん宅がご家族総出の田植えと分った次第。
そして、なんとその先の田でBさんが、田植え機にまたがって、植えているではありませんか。
一瞬、「全くモウ」と思いましたが、うれしさがこみ上げてきました。「終わった」というのは、メインのやんば館前の久森と田の場所で、自宅前は今日なのでした。
で、「良かったぁ!! 間に合って」と。
Bさんの年間を通して、最も? 大変できぐろうだけれど、反面晴れがましいご雄姿をビデオと壊れかかったカメラに納めながら、合間に、畔の塗り土の間から、芽吹いたばかりのセリの新芽を摘み取りました。
つまり、休み休みなされるので、その待つ間も惜しいヒトなのです。その上、セリの若芽は本当に吸引力がありました。
Cさんのお宅には、「背景に少し、映ってしまいますけれど、皆さんのお顔はわかりませんのりで」と申し上げると、「な~に、いいよ」とのこと。で、「じゃ、むしろ、写させていただきますけれど」とお断り。
とりわけ、機械植えの後の補修の手植えに余念のない物腰の若いお嫁さんの姿は、場面に絵を添えてくれそうです。
そのCさんご一家が、昼食に引き上げた後、道端の日陰で休んでいる、しかしご本人は「休んでるんじゃねぇよ。これからどういう段どりでするか、考えている」とおっしゃる、その長いこと考えていられる処へ、時間に急かれながら作った弁当類を運んで、「お昼にしましょうよ」と。
「アンタの作ったもので俺の口に合うものは無いから、持ってこないで頂戴」と常日頃、何回となく言われているのに、性懲りもなく、これもまたもむいつもの「反語」とみなして、堂々と持っていくのです。
この日のメニューは時鮭とタケノコの簡単炊き込み。
それに孟宗竹はこの地域には一カ所しかなく、なんでもかんでもあるらしい昔からの農家のBさん宅にも、どうやら無いらしいとわかってきたタケノコの煮ものと炒め物。色どりのスナップエンドウもたっぷりと詰めて、「お味は後で好みの味に煮直して」と伝えました。
二人で野良弁当を食べて、まだ二枚の田が残っているのですが、明朝までにフル回転の身なので、時間に迫られてこの日の収録は無事に修了ということに。
車に戻った際、Bさん宅の伸び放題のコゴミの草むらの辺りに目をやった私の姿を見ていたのか、車の窓から「それじゃ」と言うと。「そこにワラビが生えているから、採ってけゃ」とおっしゃる。「あぁ、でももうバックするの大変だから、後で来る」と言うと、「後でまた、来られたら面倒だ」との声が飛ぶ。が、これもまた「反語」と勝手解釈して、次の場所へ。
でも、Bさんの今年の田植えの場面が無事に撮れて、本当に良かった。
Posted by やんばちゃん at 23:56│Comments(0)
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