2009年12月30日

生活再建は住民の未来設計にのみ使え

 八ッ場ダムは、識者による当初の指摘通り、政権交代による一挙の解決とはほど遠くなり、ますます混迷を深めています。
 このままでは、おちつくまでには、さらに何年間かかるのかおぼつかなくなりました。
 それは、第一に指導者がいないこと。
 さらにお金や法律ではかたづかない、「生きている人間の問題」であり、地域の個々の人物像、はては物故者の生前の行動をも絡むからだと思われます。
 第二に、金の問題。
 その混沌の場に、いたす゜らに大金がつぎ込まれる。しかも長年にわたる、ひも付きの。政権交代後、急に無傷の金が投与されても収拾がつかなくなるのは当たり前。
  ある方は「棄民の山村とは違って、莫大なお金が落ちている村だなあという印象がまずありました。国から落ちるお金を前提に地域のあり方を考えざるを得ない不幸について、もっと知りたいと思います」とのご意見をくださいました。
 --国から落ちるお金を前提に地域のあり方を考えざるを得ない不幸ーー
 確かに、言い得てます。
 もはや、ズタズタにさせられた村落共同体の中で、なにもかもを降り落ちる点からの資金にて、行動の軸を形成されることに慣らされてきてしまった人々。地域内を歩くと、特措法に基づくダム補助金施設が公私ともにめだちます。
 願わくば、“精神力の棄民”にだけは陥れられないでください。

 そして、新政権の皆様、満額以上の予算をつけ形にして、住民の皆さんの心中深く、ターニングポイントを図ろうとしたことは良いのですが、この辺で事業の中味を精査して方向づけないと、推進派の術中に落ちますよ。
 その術とは、周辺整備を整えた後、(政権が変わった後、または取引によって)、一挙に「ダム中止」の「中止」に持ち込み、本体工事も実現させることです。その影がチラホラ。水没地を歩けば、ムダな事業が目について、腹立たしさが募ります。
 地元の推進派の方々が、、現在、比較的落ち着いているのは。そのひそかな意図≒指令のもとに結束しているからだと思われます。こちらには「指導者」がいるのが悔しい限り。

 来月24日に至る過程で、かつての洞察力の眼の輝きを取り戻して頂き、本来は「生活再建」と「ダム建設」は別もの、生活再建予算は自分たちの「未来の生活設計のためにだけ使う」ことを自覚。ダムよりも「生活再建が先決」であるという、再認識して頂くことに尽きると思います。

 長野原町の本来の自治をめざす、指導者的人物の出現がまたれる。
 誰が、いないのか!!
 来春は、首長選挙である。


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Posted by やんばちゃん at 23:58│Comments(0)八ッ場だより
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