2009年12月22日
川原湯住民の意思
テレビ朝日に本日も、八ッ場ダム問題が出た。
代替地に移るという川原湯住民の意思とは別に、県内民主党国会議員の提案とのズレであった。付随して52億円の1号橋建設の是非が焦点であった。
私は、10月半ば民主党国会議員に現地の状況を問われた時、前日、八ッ場を歩いて得た確かな情報源をもとに、「川原湯温泉街は、代替地移転を望んでいます」と伝えた。「そうですかぁ? いゃ、大分変わってきて現在の処で良いとかと聞いてますけれど…」とのことであった。
この方たちの情報源は、たぶんある点的な出所に頼り切っているのではないだろうか。ある1点からでたものと容易に憶測はつくのである。しかし、集落の意見は面積である。良いも悪いものみこんで、その村の総体としての方向性がだされていくのである。
現実に12月初めの時点でも、「ここら残りたいというものは、だれもいない」と断言の声にまたも、接した。川原湯温泉、現在地新築主義再のルートはほぼ憶測がつく。正しく理想的な意見ながらも、主張した住民への風あたりは一時、強かった。思わず、常日頃は私自身が周囲から受ける注意なのに、「あんまり本当のことを言うと、たたかれるよ」と言ってしまった。
私も、個人的には現在の土地に再建するのがベストとは思っている。が、ともかく、先走って、下流の好みをいうべきではないかもしれない。下流側が先に行動を起こしてしまったから、埋めがたい川原湯の反発を招いてしまったのだ。
選択権は住民にある。
その上で代替地にいっても仕方ないことなど、おのつ゜とわかってくるのではないだろうか。後先が逆になれば、意地でも代替地選択を死守することになりゆく。
人さまの土地の方向性を、どんなに理想があり、その方が正しくともこざかしく私見を突き進めるのは、謁見行為ではなかろうか。
仮排水トンネル工事反対とか一号橋不要論というのとは、内容が違うように考える。
長い間の桎梏を忘れて、陽があたり広々と明るい場所に越したい気持ちは、判らなくはない。
だか゜、それがダム湖建設への一里づかとしての隠された意図のもとの要望にも感じられ、「ダム建設の夢よ、再び」の意図が見え隠れしなくはないことには問題性もある。もし、そうだとすれば、闘わざるをえない。
さて、本日はまた、八ッ場へ行くつもりだった。まったくの私的な用事で、明日の販売用のシイタケを分けてもらいにいく予定だったのだ。先月から頼んでおいたのだけれど、Gさん宅は育っていないとのことでダメ。残るHさん宅は昨日連絡がとれなくて、今朝、慌ててせっかちに「これから、往きますけれどよろしいでしょうか」と問うと、ようやくつながった。良かったと思ったら、「……しいたけなんか、ねぇよ」と言う。一瞬の間の後、「このおっちょっちょいが、まったく」という。ここで、アッと思う。「もしかして、コレ、Iさん家」という間もなく、ガチャン。何度となくHさんにかけているのだが、携帯もダメ。
そのうちに暗誦しているIさんの番号を何かの拍子に回してしまったらしい。忙しいのが口癖のかたに申し訳ない。「あんたは、まるで子供みてぇな口の利き方するけど。俺は親じゃないんだよ」とおっしゃるが、これはまるで、親が子供に言ウ口じゃないですか。
その後、ようやくHさんにつながった。伺うと、なんとやはり寒くて育たないとのことで不可。あわてて実家に連絡。たくさん手配したからと実家の店の分も請け負ってしまったのだ。迂闊だった。私がわけてもらってくるといったのでと本日のしいたけは手配してなかつたという。「ごめん」と謝る。
昨年も暮れは無理で、二軒とも年明けにようやく軌道にのって育ちだしたものであった。
しいたけがダメなら行っても仕方なし。おかげで、庭のセリまで採って、いつもより準備が入念にできた。
また、昨晩のある方との約束で、月末に行く。 これで今年の八ッ場通いも年納めとなる。
代替地に移るという川原湯住民の意思とは別に、県内民主党国会議員の提案とのズレであった。付随して52億円の1号橋建設の是非が焦点であった。
私は、10月半ば民主党国会議員に現地の状況を問われた時、前日、八ッ場を歩いて得た確かな情報源をもとに、「川原湯温泉街は、代替地移転を望んでいます」と伝えた。「そうですかぁ? いゃ、大分変わってきて現在の処で良いとかと聞いてますけれど…」とのことであった。
この方たちの情報源は、たぶんある点的な出所に頼り切っているのではないだろうか。ある1点からでたものと容易に憶測はつくのである。しかし、集落の意見は面積である。良いも悪いものみこんで、その村の総体としての方向性がだされていくのである。
現実に12月初めの時点でも、「ここら残りたいというものは、だれもいない」と断言の声にまたも、接した。川原湯温泉、現在地新築主義再のルートはほぼ憶測がつく。正しく理想的な意見ながらも、主張した住民への風あたりは一時、強かった。思わず、常日頃は私自身が周囲から受ける注意なのに、「あんまり本当のことを言うと、たたかれるよ」と言ってしまった。
私も、個人的には現在の土地に再建するのがベストとは思っている。が、ともかく、先走って、下流の好みをいうべきではないかもしれない。下流側が先に行動を起こしてしまったから、埋めがたい川原湯の反発を招いてしまったのだ。
選択権は住民にある。
その上で代替地にいっても仕方ないことなど、おのつ゜とわかってくるのではないだろうか。後先が逆になれば、意地でも代替地選択を死守することになりゆく。
人さまの土地の方向性を、どんなに理想があり、その方が正しくともこざかしく私見を突き進めるのは、謁見行為ではなかろうか。
仮排水トンネル工事反対とか一号橋不要論というのとは、内容が違うように考える。
長い間の桎梏を忘れて、陽があたり広々と明るい場所に越したい気持ちは、判らなくはない。
だか゜、それがダム湖建設への一里づかとしての隠された意図のもとの要望にも感じられ、「ダム建設の夢よ、再び」の意図が見え隠れしなくはないことには問題性もある。もし、そうだとすれば、闘わざるをえない。
さて、本日はまた、八ッ場へ行くつもりだった。まったくの私的な用事で、明日の販売用のシイタケを分けてもらいにいく予定だったのだ。先月から頼んでおいたのだけれど、Gさん宅は育っていないとのことでダメ。残るHさん宅は昨日連絡がとれなくて、今朝、慌ててせっかちに「これから、往きますけれどよろしいでしょうか」と問うと、ようやくつながった。良かったと思ったら、「……しいたけなんか、ねぇよ」と言う。一瞬の間の後、「このおっちょっちょいが、まったく」という。ここで、アッと思う。「もしかして、コレ、Iさん家」という間もなく、ガチャン。何度となくHさんにかけているのだが、携帯もダメ。
そのうちに暗誦しているIさんの番号を何かの拍子に回してしまったらしい。忙しいのが口癖のかたに申し訳ない。「あんたは、まるで子供みてぇな口の利き方するけど。俺は親じゃないんだよ」とおっしゃるが、これはまるで、親が子供に言ウ口じゃないですか。
その後、ようやくHさんにつながった。伺うと、なんとやはり寒くて育たないとのことで不可。あわてて実家に連絡。たくさん手配したからと実家の店の分も請け負ってしまったのだ。迂闊だった。私がわけてもらってくるといったのでと本日のしいたけは手配してなかつたという。「ごめん」と謝る。
昨年も暮れは無理で、二軒とも年明けにようやく軌道にのって育ちだしたものであった。
しいたけがダメなら行っても仕方なし。おかげで、庭のセリまで採って、いつもより準備が入念にできた。
また、昨晩のある方との約束で、月末に行く。 これで今年の八ッ場通いも年納めとなる。
Posted by やんばちゃん at 21:09│Comments(0)
│八ッ場だより