2009年10月22日

八ッ場のもんは、今、不幸なんだから

 肝心の放映されたテレビを見ていないので全容がつかめないのですが、
(数日間要する早朝6時~8時までの地域の利根川にそそぐ川辺の草刈り大作戦)、そのボランティアの初日、帰宅して程ない8時半頃、ダム問題で1999年~ずっとご一緒に歩んできた、Tさんから電話が入った。
 「今朝のテレビみましたか」と問われ、「いいぇ、今戻ったばかりなの」と言うと、「八ッ場には、まだ骨のある人いるんですねぇ」と言う。その主は、「ダムには反対。行けば認めたことになるから、ダムの会議には一度も出たことない」とか言ったと由。
 
 八ッ場で、そのセリフの言い切れるのは、オンリーワン。
 存じ上げている、あの方しかいない。
 「かなりのお年の方でしょ」と言うと、「いいや、まだ若かったですよ」という。
 そんなことないよな。じゃぁ、違う方なのかなぁと思ったけれど、Tさんから聞く田んぼの情景は、その方の家の田んぼの進捗度に類似している。数日前に、刈りあげた稲をハンデェにかけてあったのを脱穀作業に入ったばかりなのであった。
 その人だったら、この間、Tさんだってあっていなくはないはずなのである。先日、豊田嘉雄さんのお墓参りの際にも、引き合わせようとしたけれど留守だったけれど。

 そこで、その「気骨の主」とおぼしき人物に電話をしてみた。
 「もしかしたら、テレビにお出になられたんですか?」。
 「ウン」と照れくさそうにおっしゃる。
 「ものすごく若く見えたそうですよ」というと、実年齢の半分の年に見えたんべぇという。「それは、無理ですよ」と笑った。
 
    「けぇれ、けぇれ」なる、撮影ストーリー顛末記       
 時過ぎて、私も是非とも観てみたくなったのでビデオを持っているか聞いてみた。
 前日の放送が翌早朝のこともあり、撮ってない由。
 連絡もなかったようであった。あったとしても、録音なさるような方でもないのだが……。(実はたぶん、?撮り方をご存じないのでは)。
 それでも子供さんたちには、知らせられたであろうに。「たぶん、くれると思うから、テレビ局に頼んでみたら。肖像権っていうこともあるんだから」とは伝えた。
 珍しく家にいられて「急がしいだから」をおっしゃらず、「だけど、ありゃ、だまされたようなもんさ」との背景を語りだされた。(よほど身体が疲れていられるんだろう。声にも張りがない)
  
 この「気骨の主」が語るには、放映の前日、水没地の田んぼで作業をしていると、一団の車が止まり、最初のお一人が先に一人で歩いてきた。その男性はカメラをもっていた。
 その後を、10メートルくらい遅れて2~3名の男性たちがやってきた。
 最初の人が「一人できた」と言っていたので、安心していると、その方は何やら背後に回って、カメラのシャッターを切り始めた。
 すると追いついた取材陣らしき、後続部隊の男たちが、そこにマイクを出したり、撮影用のカメラを回し出したのだそうだ。
 
 ここで、「気骨の主」は、怒り出してしまった。
 「なんだおめぇたち。人をだますようなことして。百姓の話にきたっていうから……、そんな」と。
 そこにディレクターらしき人物が出てきて、「後先が逆になって、すみません。実は撮影なんです」と謝ったとそうなのである。
  この方は、“インチキ”という言葉が大嫌い。怒りは、おさまらず、
 「おめぇなんかは金もうけだけれど、俺、手間が損だから、忙しいんだから」と。
 「人の不幸をな、おめぇらは暇かき仕事にきているけれど、ダムの是非論は別にして、いま八ッ場の人たちは不幸に陥っているんだから。けぇれ、けぇれ(帰れ帰れ)」とお説教をたれだした由。
 重ねて、「もっと大事なことがあるべぇや。けぇれ、けぇれ(帰れ帰れ)」。
 ところが、このあたりからカメラの目線は、どうやらこの「気骨の主」に、向き始めたらしいのだ。
 どういうわけだが、「俺、ダムは嫌いだ。一度も会議にいかねぇ」の部分もちゃんと収録されてしまったようなのである。たぶん、設問があったのだろうけれど。
 そして、「けぇれ、けぇれ」の部分から放映となったとか。

 そうこうするうちに、電話中、「ダムの是非論は別にして、八ッ場のヒトたちは不幸なんだ」」の矛先が私にもむいてきた。
少々、笑いを含んだ声音だが、
 「人の不幸で飯を食うのは、イクちゃんオメエも同じだよ」と。
 「ハイ、確かにそうです。だから、今日もそちらへ伺いますけれど、お宅には寄らないつもりす。タダ飯食っちゃ悪いから」と言うと、「ウフフ」と柔らかく笑われた。
  
 マスコミに媚びを売らないヒトなのだ。
 2年くらい前だったろうか、あるテレビ局がこの人に集中取材に入った。が、私の拙著に記したようにバックに国交省がいる場合もあることを知っていたので、詰問し続けたらしい。何度目かの撮影の際に、「はぁ、来るな」とやっぱり追い返してしまったというのである。
 ともかく、この方は不思議に絵になるキャラクターなのである。少しでもお元気な様子が、映像に残っていることは喜ばしい。
 
 だが、記しながらも思うのだが、確か、先のTさんの説明中には、撮影の主眼は、八ッ場を長年撮り続けてこられたあるカメラマンを追って田んぼにに入っていったとかの話もされていた。
 となると、これは件の「気骨の持ち主」の、早合点ではないのだろうか。
 本来は最初に一人だけ、先にみえたカメラマン氏の撮影だったのではないかと思われる。
 スタッフたちは「気骨の主」を撮りにきたのではなく、カメラマン氏が、農作業の写真を撮る場面を撮影したとしか、考えられないのだが……。でも、そこに農家の人が、無中で作業していることは、高台の道から見下ろせて、明らかに視界に入る。本来なら、最初に断るべきなのだ。
 でも、どうにも、全体が不可解で、百聞は一見にしかずだ。
 どなたか、ビデオを撮られていないだろうか?

 ところで、「気骨の持主」のこの方はダム中止が色濃くなった頃、(ちょっぴり健気に)八ッ場の皆さんにどうしていられるかと問うと、「俺は俺でちゃんと考えているからいいんだよ」と毅然と言い放たれていた。
 過日、今般の騒動ではすっかり賛成派になってしまった別のある方から、私は「思い通り、中止になってよかったんべえけれど」と言われて、いささか気落ちしてしまった。
 その時に、こんなふうに心情を吐露してくださった。
 「実はナ、反対だ反対だって、俺も言いづけてきたけれど、ここで長年暮らしていると、やっぱり気持ちのどこかで、しかたねぇ、造られちゃんだんべぇなって思いこまされてきた。だから、中止って聞いた時は、俺でも正直のところ、頭の中が真っ白になったんだよ」と本当に正直に話してくたさった。
 「ここの者は、今みんな本当に苦しいんだから、決して批判めくことは口にしちゃ、なんねぇよ」とも。
  
  この方は、口は悪いが、ダム問題における、私の宝物的存在である。
 
 そして、「もっと大事なことがあるべぇや」のセリフは、亡き父がその昔、役場の職員たちに「(親の金で学校だしてもらえて、そうやって公務員におさまっていられるんだから)、そのいい頭を、世の中の良いことに使えや」と言い続けたと伝え聞く言葉に重なる。
 61歳で急死した父の命日は、今月の末。父親と同年になって心騒ぐが、私もようやく世の中の哀しみがわかるようになった。
 考えれば、「気骨の持ち主」も亡父も、「貧困」とか「苦労」とかいう言葉、「世のため人のため」という精神をも、身体で知っている世代だ。

 本当に、ダムの是非論をこえて、政治は早く、この苦しみから救出する手だてを講じるべきではないか。


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Posted by やんばちゃん at 23:53│Comments(0)八ッ場だより
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