2009年02月27日
八ッ場夜廻りコース (三)“陸と川・海との仲良し丼”に願う
【2008/12/5(金)記す】
私の“八ッ場 夜廻りコース”
(三)“陸と川・海とのなかよし丼”にこめる願い
ところでこの日、実は料理下手な私も朝から、お昼のお弁当を用意していたのです。
新米の八ッ場産のハンデェ米のツヤツヤ飯に鮭を炊きこみ、前夜、つけこんでおいたイクラを小瓶に小分けして詰め、食べる時に乗せれば、私流の簡単「はらこ飯」になるとひらめき、それをたっぶり容器に詰めておいたのを昼前にはでかけそこなったけれど、夜、食べてもいいし……とそのまま持参。
それで、夕暮れにいつも大変なお世話をかける、あるお宅の仕事場の前をとおったら、幸いいらして帰り仕度をしていた所でした。
ご高齢の方なので、「まだ、ご飯の用意してないでしょ」と聞くと、今日は明日から天候が崩れるので人を頼んで整理をしたということ。その後片付けをしていたようでした。「だったら、これたっぷりあるから一緒にたべませんか」と伝え、昼間お手伝いの方たちに食べてもらった残りらしい、実だくさんの汁ものを温めてもらった上に、ツケモノや残りの副菜まで添えてもらって、男性?と二人で?即席の楽しい晩餐会を。
実はその前に伺い、庭先で立ち話をさせてもらった方からも、この方のことに話が及んだ際、「そういえば、昼間通ったら今日は大勢、助っ人がいたなぁ」と言ってました。今年も1年間の丹精の果物の収穫が無事終了。作業の一区切りがついて良かったなとこちらもほっとしました。
確か、昨年の皆さんとのある会合の後の懇親会の折、私はついつい賄い役なので、世話のない短時間でもりつけられるドンブリ物を考えるのですが、やはりイクラとマグロを載せ、そこに川原湯温泉の作ったばかりの温先たまごをかけて、名づけて“ホラ、「陸と川とのなかよし丼ですよ。あ、正確には海も加わるね」”とお出ししたものでした。そろそろ、何かまた会を開かせてもらいたいな、相談しなければと思いだしました。
日頃、私生活では男性に縁がなく、男女共同参画社会の理念を声高に口にする私ですが、こんな日の数時間は長野原町の素敵な男性陣に囲まれて、みなさんの“主婦”役の映えある役柄に、無節操に徹させていただく次第なのです。
“陸と川・海とのなかよし丼”には、その名のように水没地の皆さんと下流の市民とがいがみあうことなく、そのハーモニーで環境破壊を食い止めたいという、悲願にも似た思いをこめています。
そして、八ッ場もそろそろスノータイヤをはかないと行けなくなり、榛名山中の山道も雪があり朝晩は道路が凍てて、日中でなければ怖くて通れなくなりました。
わが家に来てくださった八ッ場の男性陣は、運転上手な方たちばかりなのに、「早ぇっていうから通ってみたけれど、よーく、あんなおっかねぇ道を通ってくるな」と驚かれるのですが……。
この日、陽ざ中だし路面の氷は溶けているだろと、除雪車で除けられた道路端の雪の塊りが溶けて自然の面白い造形美をみながら、今日が最後だろうなと感じつつ走りました。もう、来春まで通れなくなり、これから春までは、今までより余裕をもって家をでなければならなくなりました。
で、「危ぶねぇ道は通るなよ」と毎回、念を入れて言われていたので、冬場の夜間は通らないようにしています。季節と天候に応じて、幾つかのコースを用意しています。この日の帰途もちゃんと国道を通って、途中から伊香保へ出て帰宅の安全度3番目のコースを。
さきほど貰った乾燥芋を、帰途の車の中であり難くつまませていただきながら帰らせてもらいました。
しかし、どのお宅でもご辞退しながらも「お茶の一杯くらい」と入れてくださるので、固持もしきれず、ついつい戴いてしまったお茶で、今夜は寝つくのが厳しいかなと。一杯どころか、合計何杯飲んでしまったのだろうと指折りつつ……。
八ッ場の厳冬が、ズシリとした重みで始まりました。
――了―――
私の“八ッ場 夜廻りコース”
(三)“陸と川・海とのなかよし丼”にこめる願い
ところでこの日、実は料理下手な私も朝から、お昼のお弁当を用意していたのです。
新米の八ッ場産のハンデェ米のツヤツヤ飯に鮭を炊きこみ、前夜、つけこんでおいたイクラを小瓶に小分けして詰め、食べる時に乗せれば、私流の簡単「はらこ飯」になるとひらめき、それをたっぶり容器に詰めておいたのを昼前にはでかけそこなったけれど、夜、食べてもいいし……とそのまま持参。
それで、夕暮れにいつも大変なお世話をかける、あるお宅の仕事場の前をとおったら、幸いいらして帰り仕度をしていた所でした。
ご高齢の方なので、「まだ、ご飯の用意してないでしょ」と聞くと、今日は明日から天候が崩れるので人を頼んで整理をしたということ。その後片付けをしていたようでした。「だったら、これたっぷりあるから一緒にたべませんか」と伝え、昼間お手伝いの方たちに食べてもらった残りらしい、実だくさんの汁ものを温めてもらった上に、ツケモノや残りの副菜まで添えてもらって、男性?と二人で?即席の楽しい晩餐会を。
実はその前に伺い、庭先で立ち話をさせてもらった方からも、この方のことに話が及んだ際、「そういえば、昼間通ったら今日は大勢、助っ人がいたなぁ」と言ってました。今年も1年間の丹精の果物の収穫が無事終了。作業の一区切りがついて良かったなとこちらもほっとしました。
確か、昨年の皆さんとのある会合の後の懇親会の折、私はついつい賄い役なので、世話のない短時間でもりつけられるドンブリ物を考えるのですが、やはりイクラとマグロを載せ、そこに川原湯温泉の作ったばかりの温先たまごをかけて、名づけて“ホラ、「陸と川とのなかよし丼ですよ。あ、正確には海も加わるね」”とお出ししたものでした。そろそろ、何かまた会を開かせてもらいたいな、相談しなければと思いだしました。
日頃、私生活では男性に縁がなく、男女共同参画社会の理念を声高に口にする私ですが、こんな日の数時間は長野原町の素敵な男性陣に囲まれて、みなさんの“主婦”役の映えある役柄に、無節操に徹させていただく次第なのです。
“陸と川・海とのなかよし丼”には、その名のように水没地の皆さんと下流の市民とがいがみあうことなく、そのハーモニーで環境破壊を食い止めたいという、悲願にも似た思いをこめています。
そして、八ッ場もそろそろスノータイヤをはかないと行けなくなり、榛名山中の山道も雪があり朝晩は道路が凍てて、日中でなければ怖くて通れなくなりました。
わが家に来てくださった八ッ場の男性陣は、運転上手な方たちばかりなのに、「早ぇっていうから通ってみたけれど、よーく、あんなおっかねぇ道を通ってくるな」と驚かれるのですが……。
この日、陽ざ中だし路面の氷は溶けているだろと、除雪車で除けられた道路端の雪の塊りが溶けて自然の面白い造形美をみながら、今日が最後だろうなと感じつつ走りました。もう、来春まで通れなくなり、これから春までは、今までより余裕をもって家をでなければならなくなりました。
で、「危ぶねぇ道は通るなよ」と毎回、念を入れて言われていたので、冬場の夜間は通らないようにしています。季節と天候に応じて、幾つかのコースを用意しています。この日の帰途もちゃんと国道を通って、途中から伊香保へ出て帰宅の安全度3番目のコースを。
さきほど貰った乾燥芋を、帰途の車の中であり難くつまませていただきながら帰らせてもらいました。
しかし、どのお宅でもご辞退しながらも「お茶の一杯くらい」と入れてくださるので、固持もしきれず、ついつい戴いてしまったお茶で、今夜は寝つくのが厳しいかなと。一杯どころか、合計何杯飲んでしまったのだろうと指折りつつ……。
八ッ場の厳冬が、ズシリとした重みで始まりました。
――了―――
Posted by やんばちゃん at 17:18│Comments(0)
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