2009年02月27日
“八ッ場 夜廻りコース” (一)銀杏の大樹、ついに死す
次は、趣きを変えて、しばしば訪れる八ッ場現地の風俗の変化や食生活の断片を記した、個人的雑記を。
日頃の長野原町の女性の皆さんとの触れあいと日常生活の一端を知っていただく意味で思いきって送信してみます。(昨年12/5(金)の夜、書きなぐった雑文です)。
なお、私的な内容で、直接のダム反対資料ではありませんので、お急ぎの方は割愛してください。あまりにも長いので、三回に分けます。
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【2008/12/5(金)記す】
私の“八ッ場 夜廻りコース”
(一)銀杏の大樹を育んだ清水が、自在に流れていた山里の終焉
昨日、12/4は大安。
私自身は陰陽五行には拘泥しないのですが、長野原町でおつきあいさせて頂いているお宅の多くでは何かにつけて日常生活の基準としているのを耳にしているので、やはり祝いごとは訪れるお宅の家風にそってと思いました。
午前中から昼の弁当も持って出かける予定が、何やかやと時間をとられ、ついに午後に突入。一旦は中止してみたけれど、翌週の日がらの良い日に行けるかどうかわからず、思いきって出発。
考えてみたら、最近は週に一度の頻度で八ッ場通いを行ってました。
先週の28日も気がついたら、やはり大安だったのですが、11/30(土)の東京でのイベント用の送付の時間に急かれて、特産物を集めただけでとんぼ返りだったのです。
今回は夕方になるので、気ごころの知れたおなじみの方たちへの最新ニュースと、昼間は留守がちなのでお目にかかれなかったお宅を選んで、久々にお邪魔することに。
極めて私的な八ッ場めぐりです。名づけて、?“八ッ場 夜廻りコース”の始まり、始まり~。
手土産はいつものようにダム問題をめぐる全国の情報のコピーやビデオなどです。
この日の最新ニュースは、前回の川辺川の知事や首長も交えての「ダム以外の治水」協議のお知らせなどでした。
本当に“東の八ッ場 西の川辺川”の「相称の構図」は、はるか昔のこととなってしまって、今や「乖離も甚だしき構図」の現実感に打ちのめされます。
最初に目的の「新築祝い」のお宅にまず。
このお宅は部分水没地の高台なので水没はしないのですが、余儀なく移転の憂き目にあい、長年あらがってこられたお宅です。今年の春すぎから工事が始まり、つい先ごろ、旧宅近くに豪壮な新築家屋が完成しつつあったのですが……。
その一週間ほど前の11/20(木)にいつもの調子でお邪魔しましたら、大勢の職人さん達がせわしく出入りしていたので、いぶかしくて感じつつ車を降りて、歩をすすめ解体寸前の家の有様にびっくり。二日前に新居に引っ越ししたばかりとのことでしたが、虚をつかれた思いでした。
というのはそのほんの一週間ほど前の13日にも、都内でのダム反対集会の色添えに販売する品物のお願いに訪れていたのです。
13日のその日、(実はこの間、何となく見たくない気持ちもあって近づきもせず、転居の期日にもふれずに来ていたのですが)新居の進み具合も山場だろうなと思って、「お忙しいでしょ」と言うと「大丈夫。いいからいいから」といつものように奥さんが入れて下さったお茶を戴き、裏の畑で今年初めて作ってみたという珍しい緑色の大根を抜いて下さったり、いつもながらの懇切なもてなしを受けていたばかりだったからでした。
このお宅の道路反対側の敷地にはギンナンの巨木があって、ご夫妻ともお年をとられて来たことと出荷するには利にあわないこともあってか、昨年はおびただしいギンナンが地面に落ちたままでした。ところが見に行くと、どういうわけか今年はチラホラ状態。これでは不可。次の候補先にお願いするしかなかったものでした。
周辺一帯のダムの大規模工事は、地下水脈を変えてしまって、傍らのワサビ田をメチャメチャにし、銀杏の大樹までも樹勢を衰えさせてしまったらしい。不思議なのだが、草木の類も最後の年は精いっぱいに花咲き、実を生らせるものである。そして、切ないまでのその姿を、まぶたに焼きつかせるものだ。
ワサビ田の水枯れをめぐって、このお宅ではおよそ10年以上も前から、国土交通省に抗議書を提出し続けてきたが、おそらく未だに未解決であろう。
先祖伝来の銀杏とワサビは、冬場の高収入となる産物であったという。
この家に出入りしてから9年目。殆ど毎回お邪魔し持参の情報をお配りするおなじみのお宅でしたが、転居も解体もまだ先だと思っていたので、何とも寂しく、新築のお祝いの華やぎよりも、無念さが迫ってなりませんでした。
せめて、最後の時に立ち会えたことを喜ぶしかなく、見慣れたなつかしい築200年とかのお宅のたたずまいをバックに、残務処理の荷物を運んでいるご当主を写真に収めさせていただきました。
解体の場面は幾つも出くわしているのに経緯や内部をよく知っているので、ひとしお寂しさが漂いました。
昨日、心ばかりの祝いを玄関で渡して辞そうとしたのですが、「そんなこといわないで、あがってあがって」と本当にもてなし上手な奥さんの言葉に甘えて、ついついお邪魔。
伺えば、職人さんの仕事の段取りの都合上、解体が早まったとかで、家財は職人さん達が運んでくれたために、何がどこにあるのか判らなくて20日間ほど経っても未だに往生しているとのこと。
とりわけ困惑したのは、奥さんの意見が通らなかったというオール電化の台所仕事。おまけに使いこんだお鍋類は使えず数も足りず、親せきの方を頼み軽井沢までナベ底が鉄製のものを求めにでかけ、何組か購入した由。
前回私がお邪魔した日のことらしく、帰途、新居前で奥さんが外出から戻り、たくさんの買い物袋を降ろしているのを車の中から目にしましたが、迷惑をかけるからそのまま辞去したものでした。
しかし、まだ不具合。このお宅は月に一度は大勢の方たちが集まる会合があるのです。そこで昨日まで突貫工事で、翌日の本日5日に予定の会合に備えて、表に急遽、ミニ台所を設置してもらったと苦笑い。
その奥さんのみならず、私もまた、庭の慣れ親しんだ植木や石がそれなりの場所を得てみごとに配置されているのが何かよそよそしく感じられてしまいました。
かつて、清水が縦横に湧き出て、川筋を背にした山里の野趣ある風景を存分に保っていたこの周辺一帯は、工事用道路などで切り開かれて景色が一変してしまってます。ほどなく、ここも国交省の造成工事が本格化してしまうのでしょう。
日頃の長野原町の女性の皆さんとの触れあいと日常生活の一端を知っていただく意味で思いきって送信してみます。(昨年12/5(金)の夜、書きなぐった雑文です)。
なお、私的な内容で、直接のダム反対資料ではありませんので、お急ぎの方は割愛してください。あまりにも長いので、三回に分けます。
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【2008/12/5(金)記す】
私の“八ッ場 夜廻りコース”
(一)銀杏の大樹を育んだ清水が、自在に流れていた山里の終焉
昨日、12/4は大安。
私自身は陰陽五行には拘泥しないのですが、長野原町でおつきあいさせて頂いているお宅の多くでは何かにつけて日常生活の基準としているのを耳にしているので、やはり祝いごとは訪れるお宅の家風にそってと思いました。
午前中から昼の弁当も持って出かける予定が、何やかやと時間をとられ、ついに午後に突入。一旦は中止してみたけれど、翌週の日がらの良い日に行けるかどうかわからず、思いきって出発。
考えてみたら、最近は週に一度の頻度で八ッ場通いを行ってました。
先週の28日も気がついたら、やはり大安だったのですが、11/30(土)の東京でのイベント用の送付の時間に急かれて、特産物を集めただけでとんぼ返りだったのです。
今回は夕方になるので、気ごころの知れたおなじみの方たちへの最新ニュースと、昼間は留守がちなのでお目にかかれなかったお宅を選んで、久々にお邪魔することに。
極めて私的な八ッ場めぐりです。名づけて、?“八ッ場 夜廻りコース”の始まり、始まり~。
手土産はいつものようにダム問題をめぐる全国の情報のコピーやビデオなどです。
この日の最新ニュースは、前回の川辺川の知事や首長も交えての「ダム以外の治水」協議のお知らせなどでした。
本当に“東の八ッ場 西の川辺川”の「相称の構図」は、はるか昔のこととなってしまって、今や「乖離も甚だしき構図」の現実感に打ちのめされます。
最初に目的の「新築祝い」のお宅にまず。
このお宅は部分水没地の高台なので水没はしないのですが、余儀なく移転の憂き目にあい、長年あらがってこられたお宅です。今年の春すぎから工事が始まり、つい先ごろ、旧宅近くに豪壮な新築家屋が完成しつつあったのですが……。
その一週間ほど前の11/20(木)にいつもの調子でお邪魔しましたら、大勢の職人さん達がせわしく出入りしていたので、いぶかしくて感じつつ車を降りて、歩をすすめ解体寸前の家の有様にびっくり。二日前に新居に引っ越ししたばかりとのことでしたが、虚をつかれた思いでした。
というのはそのほんの一週間ほど前の13日にも、都内でのダム反対集会の色添えに販売する品物のお願いに訪れていたのです。
13日のその日、(実はこの間、何となく見たくない気持ちもあって近づきもせず、転居の期日にもふれずに来ていたのですが)新居の進み具合も山場だろうなと思って、「お忙しいでしょ」と言うと「大丈夫。いいからいいから」といつものように奥さんが入れて下さったお茶を戴き、裏の畑で今年初めて作ってみたという珍しい緑色の大根を抜いて下さったり、いつもながらの懇切なもてなしを受けていたばかりだったからでした。
このお宅の道路反対側の敷地にはギンナンの巨木があって、ご夫妻ともお年をとられて来たことと出荷するには利にあわないこともあってか、昨年はおびただしいギンナンが地面に落ちたままでした。ところが見に行くと、どういうわけか今年はチラホラ状態。これでは不可。次の候補先にお願いするしかなかったものでした。
周辺一帯のダムの大規模工事は、地下水脈を変えてしまって、傍らのワサビ田をメチャメチャにし、銀杏の大樹までも樹勢を衰えさせてしまったらしい。不思議なのだが、草木の類も最後の年は精いっぱいに花咲き、実を生らせるものである。そして、切ないまでのその姿を、まぶたに焼きつかせるものだ。
ワサビ田の水枯れをめぐって、このお宅ではおよそ10年以上も前から、国土交通省に抗議書を提出し続けてきたが、おそらく未だに未解決であろう。
先祖伝来の銀杏とワサビは、冬場の高収入となる産物であったという。
この家に出入りしてから9年目。殆ど毎回お邪魔し持参の情報をお配りするおなじみのお宅でしたが、転居も解体もまだ先だと思っていたので、何とも寂しく、新築のお祝いの華やぎよりも、無念さが迫ってなりませんでした。
せめて、最後の時に立ち会えたことを喜ぶしかなく、見慣れたなつかしい築200年とかのお宅のたたずまいをバックに、残務処理の荷物を運んでいるご当主を写真に収めさせていただきました。
解体の場面は幾つも出くわしているのに経緯や内部をよく知っているので、ひとしお寂しさが漂いました。
昨日、心ばかりの祝いを玄関で渡して辞そうとしたのですが、「そんなこといわないで、あがってあがって」と本当にもてなし上手な奥さんの言葉に甘えて、ついついお邪魔。
伺えば、職人さんの仕事の段取りの都合上、解体が早まったとかで、家財は職人さん達が運んでくれたために、何がどこにあるのか判らなくて20日間ほど経っても未だに往生しているとのこと。
とりわけ困惑したのは、奥さんの意見が通らなかったというオール電化の台所仕事。おまけに使いこんだお鍋類は使えず数も足りず、親せきの方を頼み軽井沢までナベ底が鉄製のものを求めにでかけ、何組か購入した由。
前回私がお邪魔した日のことらしく、帰途、新居前で奥さんが外出から戻り、たくさんの買い物袋を降ろしているのを車の中から目にしましたが、迷惑をかけるからそのまま辞去したものでした。
しかし、まだ不具合。このお宅は月に一度は大勢の方たちが集まる会合があるのです。そこで昨日まで突貫工事で、翌日の本日5日に予定の会合に備えて、表に急遽、ミニ台所を設置してもらったと苦笑い。
その奥さんのみならず、私もまた、庭の慣れ親しんだ植木や石がそれなりの場所を得てみごとに配置されているのが何かよそよそしく感じられてしまいました。
かつて、清水が縦横に湧き出て、川筋を背にした山里の野趣ある風景を存分に保っていたこの周辺一帯は、工事用道路などで切り開かれて景色が一変してしまってます。ほどなく、ここも国交省の造成工事が本格化してしまうのでしょう。
Posted by やんばちゃん at 16:51│Comments(0)
│八ッ場だより