2011年04月14日
資材不足にて2号橋、未だ竣工式ならず
八ッ場の絶妙のタイミングの、田ゼリです。
毎年、採らせて貰っている0さんの、ご自慢の美田の畔際にはえているセリたちです。
身勝手にも「セリを採るまで田んぼにトラクターかけないでね」と伝えてきたのですけれど、遠目からみてももう土起こしをしてありました。考えたら、今年は一度もセリのことを口にしていず、震災のなかでそんなのんきなことをお願いするような雰囲気でもありませんでした。
「ウン、もう」と極めて一方的我がまま感覚になりながら、探しましたら、写真のみごとなのが畔際にびっしりありました。とたんに鼻腔をふくらまして、満面笑みとなった、どっかの単純おばさんの今年のセリ採り奮戦記のスタートです。
ところで、先月28日開通予定だった2号橋は、林側の1mほどと川原湯側のほんの一部分のコンクリート資材が足りなくて工事が出来ず、竣工式が延期になっていました。
それにしてももうどうかなとと思って、」バイパスを走りました。が、未だに開通していませんでした。工事中の気配もなく、ズラリと交通止め標識が並んでました。
たまたま、野のものをお送りしようかと思って、ご都合を伺ったある経済学関係の方は、「現在、大手の建設会社は皆、ある資材は全て震災現場に送っている。八ッ場どころではないだろうろ」とおっしていました。
この方は最近、二度八ッ場を訪れていらっしゃて、やんば館にも立ち寄ったそうでした。「昨日はやんば館はとてもひっそりしていましたよ」と伝えると、この方が訪れた28日のその時間帯にも誰もいなかったそうでした。昨秋までの混雑が嘘のようですね。
職員さんのおっしゃるのには「節電で暗くしているから、余計に感じるでしょう」とのことでした。
この方から頂戴していたはがきを昨日は見落としてしまっていたらしく、出がけにポストの隙間に発見。文面によれば、28日にやんば館に行ってきたとのことでした。で、久々に館内の展示物をざっとみました。一時期に比べると無難なダム一般知識に変わってはいましたけれど……
「中止」を発令したのなら、確かに礼讃型展示物は即座に一掃すべきでした。党内の足なみ揃わぬ「中止」宣言だったための今に続く中途半ぱさです。
八ッ場ダム工事事務所が気をきかして片づけ始めたのを、また元通りにさせた経緯もありました。こういう時、変わり身が早いというか、問題の質をわきまえた対応をすかさず繰り出すのは、むしろ公務員さんたちです。
そして、夕暮れ時の久森沢に降りて、セリ洗いを。
流れの上に渡されていた、縁台のような木橋がなくなっていました。
車は炭を積んでいるので、少しでもなるい坂道をと、対岸においていました。ここをつっきらなければセリのある田には行けません。長靴をもってこなかったことをくいましたけれど、幸い、オタの上は浅い流れなので、えいゃとばかりに。
1度目はあまりぬれずにまぁ成功。しかし、何度か往復しているうちに靴の中までびっしょり。結局、最後ははき替えの靴下も持っていなかったので、素足。
川べりは、芽ぶきの前の荒涼感にみちていました。
心なし水もにごって、オタの上にはヌルヌルしていた苔も生じていました。無理はありません、道上の第一小の跡地には、飯場があるのですから。 生活ザッパイが流れ込んでしまって、もう8年近くなりましょうか。
しかし、町場の川に比べれば、まだまだ良しとしなければなりません。セリにまといついている細かなゴミを取り除くのは、流れる水でない限り、大変な手間と多くの水を要するからです。
それでも中腰の姿勢は、足にきてしまいましたし、長くなるといかに早春とはいえ、冷たさに耐えかねてしまいました。
そして、電車の音に見あげれば、国道を走る車がめっきり減ったことに、厭でもきづかさせざるを得ませんでした。
時刻はまだほぼ6時なのに……と。ひっそりとした薄闇の中で独り、川辺りで下を向いてセリ洗いを続けていると、寂寥感がこのうえなく迫ってくる八ッ場でした。
さらに、次に訪れた川原湯地区、温泉街であるがゆえによりその想いが強くならざるを得ませんでした。
Posted by やんばちゃん at 23:55│Comments(0)
│八ッ場だより