2011年09月30日
地元民がもっとも良くしっている
【初登場の場所です。さて、ここはどこでしょう? お分かりの方、どうぞご一報を。?粗品ご進呈です】
さて、うれしいことに、上記写真をアップした処で、電話あり。
またもの、「新聞折り込みを見た」とのお電話でした。
「こういうチラシが入ったんは、初めてだい」との言葉に、お叱りかと身構えましたが、そうではありませんでした。「年寄りで会合に行けねぇから、電話してみたんだい」とのことでした。
「清水知事が地元を泣かせねえといってたけれど」とか、「自民党県議団は約束守らねえ。味方だと想わせた高島県議が裏切った。そん時に、反対期成同盟が入れた念書が守られていねぇ。自民党も県も住民の生活のことはちっとも考えてねぇ」等をおっしゃられてました。
当時の動きをつぶさにご存知の方と思われます。
関連して、やはり、お電話くださったある女性がおっしゃられたこの部分に関しては、「自民党は自分たちの時代がまだまだずっと続くと想っていたのよね。だから資金が行きわたるまでなかなか造らなかったのよ。だって、必要ならとっくにできていいるもの」と。
また違うご意見には、「前の建設省の時だって、ダムが造れる土地ではないことはわかっていたらしいですよ」とのご意見もありました。
すべて、おっしゃる通り通りです。
それらが複合して、半世紀59年間、ダムができない、造るのが不向きな八ッ場ダムなのです。
一部の有力者たちが味わった栄耀栄華の陰で、いかほどの住民が泣き泣き、ふるさとを跡にしたでしょうか?
何事も地元の方が最も良く知っていらっしゃいます。
もの言わぬ、言えなかった皆さん、今こそ、声あげてください。
かけがえのないふるさと・長野原町の存亡の時です!!
Posted by やんばちゃん at 09:48│Comments(0)
│八ッ場だより