2011年10月31日
(ニ)ワサビ続き 中止なら工事も中止すべきだった
昨日のミス写真の中から、やはりピックアップ。というのは、ここのワサビも先々、水没に関わらず、姿を消しかねないからです。ここのワサビは個人所有の土地に自生しているものなので、手入れが行き届いています。清々清しい緑色を味わいください。でも、早晩、たぶん、ここも道路にとられなくなってしまうらしいのですが…… もったいないです!! なさ過ぎます。
そして、夕暮れ、お邪魔したI家。最近はお決まりコースになったお宅です。代々、わさぴを栽培していられるようです。
で、先のワサビの話をして、車に取りに行き、3株ほどの中から、もっとも良いと素人目にも見えるのをお渡しすると、そこは専門家。じっと苗に目をそそいで、「これはしっかりしたいい苗だねぇ」と。見れば確かに生き生きとして、小さいけれどしっかりしています。
「じゃあ、J子さん、お宅のワサビ山にでも植えて」と言うと、「そうだね。これはいいものになるよ」と引き受けてくださいました。そして、台所から、「葉がしおれちゃっているけれど、昨日さ、ワサビ和えでも作ろうと思って、一本抜いてきたんだけれど、これっもっていきなよ」と大降りの、初めてみる大きさ、と言っても親指大。伊豆地方のあの大きさとは異なりますけれど、 「三年たつと、このくらいになって、出荷できるようになるんだよ」ともってこられて、そのワサビをくださるとおっしゃいましたけれど、「いいよいいよ。だって、せっかくJ子さんが採ってきたんだもの」と押し返しながら、「今度、お宅のワサビ山で、作業しているところを写真にとらせて」とお願いしてみました。気持ちよく「いいよ」とおっしゃてくださいました。
実は、防災ダムの中に、上流の蕗畑から種や根が流れてくるらしく、春先蕗が芽吹く場所があるのです。
心ときめく春の喜びなのです。川の中なら許されるとばかりに、楽しい秘密の採取場所なのです。
そして、時にほんの1~2株、ワサビらしきものもあって、初めてワサビを観た時の感動はまさしくまいあがったものでした。で、この時に、小指の第一関節の大きさもないことを知り、根ごと抜いても食しようもないことを体得しました。
やはり、上流の山あいにのワサビ田から種などが流れてくるらしいのです。が、たまり水のにごり水なので、先の沢よりもきれいな葉ではありませんでした。でもこれが天然ワサビなんだと知った時には、本当に感動ものでした。
そして、どうやらこの周辺一体の山々が、このお宅の持ち山のようなのです。山の際には、鍵のついたワサビ田が二箇所ありました。
一時、フレームも壊れ、このワサビ田が年々荒れ果てていました。
最近、J子さんのお話から総合すると、ダム移転などの心労から大病をなされていたらしいのでした。今年はここにもあまりいけませんでしたけれど、昨年あたりからまた、整備されて手入れがいきとどいていました。作業している男性の姿がありました。たぶん、離れて住まわれるといって、毎週おみえになられる親孝行な息子さんだったのであろうと思い浮かべながら、想像しいいます。
あの一帯が、このお宅のものとわかって、当方、いささか慌てて、「私、防災ダムの中かしか採っていないからね」と。
「なに、川の中はいいんさね」といいながら、「でも、結構、盗まれるんだよ」とのこと。何年か前には、暴力団関係者とおぼしいところから、フレームまでめちゃくちゃにされたそうで、警察に通報とも考えたそうでしたが、お連れ合いが闘病中で、女所帯なのでじっと我慢したそうでした。
8年くらい前、さらに奥山にある共同栽培のワサビ田の取材の時には、地元のKさんが、「ドロボーと間違えられると困るから」と案内に同道してくださいましたが、やはり、そういうことがあったのかと、あらためて得心した次第です。
そして、昨日30日の日曜日、こんな雨もよいの日はゆっくりお話が伺えるかなと考えて、八ッ場へ行こうかなと電話したら、J子さんはお留守。 昼過ぎの電話にコール音一度で、「はい」の声。「お帰りになられましたね」と言うと、温泉のお掃除当番だった由。
そして、「来月の〇日から二日間、お手伝いをたのんで、ワサビを植え返すよ」と。
はい、勇んでまいります。
苗は、200本ほど、用意してあるとのこと。
…… 使い物にならないかもしれないけれど、次回に、まだ、あの雑木林が掘削されテメチヤメチャになっていなければ、ワサビ田に植えるのは、それなりの良い苗でしょうけれど、採取したワサビの子苗をJ子さん宅の雑木林に移植させてもらおうかなと……
もよもや、あの人跡未踏のような場所が、開発されるとは思いいませんでした。だから、21日には「えっぇー」とショックでした。
それにしても、中止といったからには、本当は予算もストップするのが常識。
「中止って行ったから、喜んだんに」と悔し紛れにはき捨てるように言ったのは、同じく泣く泣く、最近工事用地にとられたLさんの嘆きの声。
しかし、村人はゴネ得の心無い言葉を投げかけてました。人様の気持ちの奥の本音の真偽のほどはわかりませんが、私はLさんの気持ちを信じたいと思います。
売却拒否を続けた挙句、最終的に親族の職場まで、手を回しかけられた経過がありました。そして、そのことを規制事実として「職場の上司まで手を回されて、あきらめたらしいよ」との快く思っていない筋の言質をはっきりと耳にしてますので……
ダムをはじめとした公共事業は、弱い者同士を戦わせる構造下にあることが、今もなお生き続けているわけです。
それが、わが八ッ場の軌跡であり、抵抗し抜いた人々の譜も、ついに終末街道になりつつあります。
そして、夕暮れ、お邪魔したI家。最近はお決まりコースになったお宅です。代々、わさぴを栽培していられるようです。
で、先のワサビの話をして、車に取りに行き、3株ほどの中から、もっとも良いと素人目にも見えるのをお渡しすると、そこは専門家。じっと苗に目をそそいで、「これはしっかりしたいい苗だねぇ」と。見れば確かに生き生きとして、小さいけれどしっかりしています。
「じゃあ、J子さん、お宅のワサビ山にでも植えて」と言うと、「そうだね。これはいいものになるよ」と引き受けてくださいました。そして、台所から、「葉がしおれちゃっているけれど、昨日さ、ワサビ和えでも作ろうと思って、一本抜いてきたんだけれど、これっもっていきなよ」と大降りの、初めてみる大きさ、と言っても親指大。伊豆地方のあの大きさとは異なりますけれど、 「三年たつと、このくらいになって、出荷できるようになるんだよ」ともってこられて、そのワサビをくださるとおっしゃいましたけれど、「いいよいいよ。だって、せっかくJ子さんが採ってきたんだもの」と押し返しながら、「今度、お宅のワサビ山で、作業しているところを写真にとらせて」とお願いしてみました。気持ちよく「いいよ」とおっしゃてくださいました。
実は、防災ダムの中に、上流の蕗畑から種や根が流れてくるらしく、春先蕗が芽吹く場所があるのです。
心ときめく春の喜びなのです。川の中なら許されるとばかりに、楽しい秘密の採取場所なのです。
そして、時にほんの1~2株、ワサビらしきものもあって、初めてワサビを観た時の感動はまさしくまいあがったものでした。で、この時に、小指の第一関節の大きさもないことを知り、根ごと抜いても食しようもないことを体得しました。
やはり、上流の山あいにのワサビ田から種などが流れてくるらしいのです。が、たまり水のにごり水なので、先の沢よりもきれいな葉ではありませんでした。でもこれが天然ワサビなんだと知った時には、本当に感動ものでした。
そして、どうやらこの周辺一体の山々が、このお宅の持ち山のようなのです。山の際には、鍵のついたワサビ田が二箇所ありました。
一時、フレームも壊れ、このワサビ田が年々荒れ果てていました。
最近、J子さんのお話から総合すると、ダム移転などの心労から大病をなされていたらしいのでした。今年はここにもあまりいけませんでしたけれど、昨年あたりからまた、整備されて手入れがいきとどいていました。作業している男性の姿がありました。たぶん、離れて住まわれるといって、毎週おみえになられる親孝行な息子さんだったのであろうと思い浮かべながら、想像しいいます。
あの一帯が、このお宅のものとわかって、当方、いささか慌てて、「私、防災ダムの中かしか採っていないからね」と。
「なに、川の中はいいんさね」といいながら、「でも、結構、盗まれるんだよ」とのこと。何年か前には、暴力団関係者とおぼしいところから、フレームまでめちゃくちゃにされたそうで、警察に通報とも考えたそうでしたが、お連れ合いが闘病中で、女所帯なのでじっと我慢したそうでした。
8年くらい前、さらに奥山にある共同栽培のワサビ田の取材の時には、地元のKさんが、「ドロボーと間違えられると困るから」と案内に同道してくださいましたが、やはり、そういうことがあったのかと、あらためて得心した次第です。
そして、昨日30日の日曜日、こんな雨もよいの日はゆっくりお話が伺えるかなと考えて、八ッ場へ行こうかなと電話したら、J子さんはお留守。 昼過ぎの電話にコール音一度で、「はい」の声。「お帰りになられましたね」と言うと、温泉のお掃除当番だった由。
そして、「来月の〇日から二日間、お手伝いをたのんで、ワサビを植え返すよ」と。
はい、勇んでまいります。
苗は、200本ほど、用意してあるとのこと。
…… 使い物にならないかもしれないけれど、次回に、まだ、あの雑木林が掘削されテメチヤメチャになっていなければ、ワサビ田に植えるのは、それなりの良い苗でしょうけれど、採取したワサビの子苗をJ子さん宅の雑木林に移植させてもらおうかなと……
もよもや、あの人跡未踏のような場所が、開発されるとは思いいませんでした。だから、21日には「えっぇー」とショックでした。
それにしても、中止といったからには、本当は予算もストップするのが常識。
「中止って行ったから、喜んだんに」と悔し紛れにはき捨てるように言ったのは、同じく泣く泣く、最近工事用地にとられたLさんの嘆きの声。
しかし、村人はゴネ得の心無い言葉を投げかけてました。人様の気持ちの奥の本音の真偽のほどはわかりませんが、私はLさんの気持ちを信じたいと思います。
売却拒否を続けた挙句、最終的に親族の職場まで、手を回しかけられた経過がありました。そして、そのことを規制事実として「職場の上司まで手を回されて、あきらめたらしいよ」との快く思っていない筋の言質をはっきりと耳にしてますので……
ダムをはじめとした公共事業は、弱い者同士を戦わせる構造下にあることが、今もなお生き続けているわけです。
それが、わが八ッ場の軌跡であり、抵抗し抜いた人々の譜も、ついに終末街道になりつつあります。
Posted by やんばちゃん at 11:40│Comments(0)
│八ッ場だより