2012年08月28日
25日土曜日の八ッ場です その二・「旅館移転の無情」
今度は、川原湯地区・打越代替地の旅館建設の様子を。
現在、営業中の五軒の旅館中、老舗大手旅館と心ぬくもる家族経営の旅館さん二軒が、新築中です。
いずれも、青写真に描かれていた、配湯搭の設置された「温泉街ゾーン」を避けられての住宅街とその外れへの進出です。
移転一番手の町長さんのいられる区域は、「切土」による工法地区。
信頼できる筋の学者さんの話によれば、「切土」≒「安全」とは必ずししもいいきれないそうですが、「切土」は「盛土」に比べて、より安全とは言われてまいりました。
で、限られたその区域の?奪いあいもあったとかなかったとかの流説あり。
写真右上のノリ面真下を、付替え県道が走っています。
この切土区域の吾妻峡トンネルと川原湯トンネルを結ぶ、付替え県道に面しての広大な敷地に、老舗旅館さんの凝った日本風旅館がたてられるようです。
左手の建物はご自宅。すでに完成間際のようで、この日は外回りの配管工事が行われていました。
右手奥の黒い2階建て建物は倉庫とのことで、少なくとも1年半ほど前に出現し、黒塗りの建物は目をひいたものでした。倉庫前に庭園が築かれるようで、倉庫に続いて植木類も植栽されていましたが、ご覧のようにもうかなり成長し、一つの風景になっていました。
敷地の真ん中のアプローチ道路が走り、写真左手奥のご自宅に続いて、手前部分が旅館のようです。右手の。その隣の白い四角の組み立て建物は県外からの施行業者さんの建設用の建物のようです。
真ん中の2階建建物は、隣接する一般住宅で、この境界には町道が走ります。なお、敷地内の湾曲道路は私道なのかどうかはわかりません。
次は、吾妻渓谷遊歩道入口からの進入路を登ったところにある小公園の真向かい、ノリ面に面した、見晴らしの良い分譲地を求めた旅館さんの造成工事です。もう数年くらい前になりましょうか、このノリ面に土地の皆さんが植木類を植栽していられましたが、ここももうかなり大きく茂ってました。
写真に続く一段下の区画も求められたとかで、このお宅もかなり広い土地です。下の敷地には趣味の工房も建てられるご計画とか。近隣の方の話では、「あそこは景色は抜群だぜ」とのことです。
様々な経緯がありました。
60年もの歳月が流れました。
本来ならば、レトロな雰囲気を残る現在の温泉街がベストと想う者の一人で、13年間、再三、指摘し続けてまいりました。
……でも、究極的には、その土地に住む当時者の方のご意思が最優先せざるを得ないものとも想い、その姿勢へも若干の通路をあけ、通してまいりました。
まして、2番目にご紹介したお宅は、ご先代の頃から、私たち市民運動が、何かにつけてお世話になってきた旅館さんです。宿泊させて戴いてみて、確かに客室はともかく、老朽化した細部を垣間させていただくと、明るい平地に移り住みたいお気持ちはよくわかります。まさに国策によって、耐えがたきを耐え、蛇の生殺しといわれる長い忍苦の日々を行きぬいてこられたのですから。
国の既成事実作りの作戦に乗るようで心もとありませんが、確かにもう、ここまで造成が進めば、引き返せと口にすることは、物理的にも人情としてムリでしょう。
願わくば、多年にわたる翻弄の歳月の果てに、大金を投じて、ここに永住の地を求められて移り住まわれる皆さんの未来永劫のご繁栄とご安泰を、心から切望してやみません。
ために、代替地の安全性をひたすら、祈ります。
それしか、手立てがなくなりました。
あまりに杜撰な検証とやらに怒りにかられ、昨年末の出来レースそのものの「事業評価委員会」の取材後には、東大教授の委員長にむかって「学者は、国は、事故が起きた時、どうにやって責任をとるんですか!!」と詰めよってしまったこともありました。
ために、なけなしの身銭をきって「ダム建設と生活再建は一体と思い込まされていませんか」のチラシ配布を続けてきました。
それでもなお、絶対に地すべりの危険性があるダム湖を造ってはならないと強く思います。
ダム湖畔で、で栄えた温泉地はありません。
もうこれ以上、苦難の道筋をたどらされて戴きたくないのです。
今後も、この一点に収斂して、闘います。
かつて戦争の愚かさ、空しさを叫んだ、いわゆる反戦主義者への評価がひっくりかえったのと同じく、仮に結末は負け戦でも…… いつかある、歴史の転換日を信じます。
環境の世紀の今日、私たちの主張の正義性が、必ず陽の目を見る、未来のその日がもたらされることを信じて……
現在、営業中の五軒の旅館中、老舗大手旅館と心ぬくもる家族経営の旅館さん二軒が、新築中です。
いずれも、青写真に描かれていた、配湯搭の設置された「温泉街ゾーン」を避けられての住宅街とその外れへの進出です。
移転一番手の町長さんのいられる区域は、「切土」による工法地区。
信頼できる筋の学者さんの話によれば、「切土」≒「安全」とは必ずししもいいきれないそうですが、「切土」は「盛土」に比べて、より安全とは言われてまいりました。
で、限られたその区域の?奪いあいもあったとかなかったとかの流説あり。
写真右上のノリ面真下を、付替え県道が走っています。
この切土区域の吾妻峡トンネルと川原湯トンネルを結ぶ、付替え県道に面しての広大な敷地に、老舗旅館さんの凝った日本風旅館がたてられるようです。
左手の建物はご自宅。すでに完成間際のようで、この日は外回りの配管工事が行われていました。
右手奥の黒い2階建て建物は倉庫とのことで、少なくとも1年半ほど前に出現し、黒塗りの建物は目をひいたものでした。倉庫前に庭園が築かれるようで、倉庫に続いて植木類も植栽されていましたが、ご覧のようにもうかなり成長し、一つの風景になっていました。
敷地の真ん中のアプローチ道路が走り、写真左手奥のご自宅に続いて、手前部分が旅館のようです。右手の。その隣の白い四角の組み立て建物は県外からの施行業者さんの建設用の建物のようです。
真ん中の2階建建物は、隣接する一般住宅で、この境界には町道が走ります。なお、敷地内の湾曲道路は私道なのかどうかはわかりません。
次は、吾妻渓谷遊歩道入口からの進入路を登ったところにある小公園の真向かい、ノリ面に面した、見晴らしの良い分譲地を求めた旅館さんの造成工事です。もう数年くらい前になりましょうか、このノリ面に土地の皆さんが植木類を植栽していられましたが、ここももうかなり大きく茂ってました。
写真に続く一段下の区画も求められたとかで、このお宅もかなり広い土地です。下の敷地には趣味の工房も建てられるご計画とか。近隣の方の話では、「あそこは景色は抜群だぜ」とのことです。
様々な経緯がありました。
60年もの歳月が流れました。
本来ならば、レトロな雰囲気を残る現在の温泉街がベストと想う者の一人で、13年間、再三、指摘し続けてまいりました。
……でも、究極的には、その土地に住む当時者の方のご意思が最優先せざるを得ないものとも想い、その姿勢へも若干の通路をあけ、通してまいりました。
まして、2番目にご紹介したお宅は、ご先代の頃から、私たち市民運動が、何かにつけてお世話になってきた旅館さんです。宿泊させて戴いてみて、確かに客室はともかく、老朽化した細部を垣間させていただくと、明るい平地に移り住みたいお気持ちはよくわかります。まさに国策によって、耐えがたきを耐え、蛇の生殺しといわれる長い忍苦の日々を行きぬいてこられたのですから。
国の既成事実作りの作戦に乗るようで心もとありませんが、確かにもう、ここまで造成が進めば、引き返せと口にすることは、物理的にも人情としてムリでしょう。
願わくば、多年にわたる翻弄の歳月の果てに、大金を投じて、ここに永住の地を求められて移り住まわれる皆さんの未来永劫のご繁栄とご安泰を、心から切望してやみません。
ために、代替地の安全性をひたすら、祈ります。
それしか、手立てがなくなりました。
あまりに杜撰な検証とやらに怒りにかられ、昨年末の出来レースそのものの「事業評価委員会」の取材後には、東大教授の委員長にむかって「学者は、国は、事故が起きた時、どうにやって責任をとるんですか!!」と詰めよってしまったこともありました。
ために、なけなしの身銭をきって「ダム建設と生活再建は一体と思い込まされていませんか」のチラシ配布を続けてきました。
それでもなお、絶対に地すべりの危険性があるダム湖を造ってはならないと強く思います。
ダム湖畔で、で栄えた温泉地はありません。
もうこれ以上、苦難の道筋をたどらされて戴きたくないのです。
今後も、この一点に収斂して、闘います。
かつて戦争の愚かさ、空しさを叫んだ、いわゆる反戦主義者への評価がひっくりかえったのと同じく、仮に結末は負け戦でも…… いつかある、歴史の転換日を信じます。
環境の世紀の今日、私たちの主張の正義性が、必ず陽の目を見る、未来のその日がもたらされることを信じて……
Posted by やんばちゃん at 10:15│Comments(0)
│八ッ場だより