2012年11月05日

その名も哀し、天明三年の?流れお地蔵様

【追記】 
 お地蔵様のある場所の正式名は「湯原観音堂跡」だそうです。天明3年の浅間山の噴火によって、お堂と古碑が流れてきたのだそうです。
 しかも、馬頭観音やお地蔵さまは1802(享和2)年のもの。千手観音は1788(天明8)のものでした。
 ということは、天明3年は、1783年ですので、流されてきたのはお堂で、それらの供養と、この地の安泰を願って、上湯原この土地の方、おそらくT家のご先祖たちが供養の意味で、建てられたのだと思います。
 従って、表題の“流れ地蔵”の表現は、不適切でした。 
 時間に急かれたとはいえ、きちんとした検証なしのうろ覚えの知識にて記しましたことをお詫び致します。


 
その名も哀し、天明三年の?流れお地蔵様

川原湯温泉上湯原地区にある、ある御一族の墓地です。
 ここはまだ、移転しませんが、もう墓地移転の先祖供養はすんでますので、近々だと思います。ここには、とってもお世話になった方の墓石もあり、先年の秋には、ご報告をかねてお墓参りをさせて戴きました。一日の日、それ以来、ひさしぶりに拝まさせて戴いた次第です。

 これらの墓石のつきた処に、お地蔵さまが見え隠れするのが、とらえられますでしょうか?
 その前はJR線の鉄路で、8㍍ものコンクリート壁があります。
 次に、そのお地蔵様たちのみの写真を。
 
その名も哀し、天明三年の?流れお地蔵様


 墓地の持ち主の方やガイド本によれば、天明3年(1783)年の浅間の大噴火で、ここまで流されてきたのだそうです。現在のご当主で19代目だとかの、T家の代々の皆さんによって、この地で厚く大事に守られてきましたが、ついにここも安住の地ではなかったようですね。
 正式名はなんとお呼びするのだったでしょうか?
 勝手に“流れ地蔵様”なんて、呼びしましたら、カワイソウですよね。

 浅間山は、まぎれもなく活火山。
 どうか、お地蔵さまたち、この地を必死でこの先も守り抜いてください!!



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Posted by やんばちゃん at 19:35│Comments(0)八ッ場だより
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