2012年12月12日
鎧着た6世紀の人骨さんにお目にかかってきました
※今朝15日、書きなぐったママの拙文を読み直したら、何ともひどい誤字と誤植だらけ。なんで、こんな風に変換してしまうのか、不思議なくらいのメチャメチャ雑文。いかに疲労と睡魔にみまわれながら、言うこと聞いてくれないパソコンと格闘したにせよ、ひどすぎました。あわてて、訂正した次第です。

鎧をきた男性の人骨です。うつぶせになっている状態とか。左が頭で頭骨の後も残ってました。右の大たい骨がみえますが、折れているので、身長はわからないとのことです。

こちらは、頭の方、つまり榛名山のある側から撮った写真です。
本日は、番外編です。……本日も。といったところでしょうか?
偶然でしたが、6世紀初頭の榛名山の噴火で、「国内初の鎧着た人骨」が出土した、渋川・金井東裏遺跡を観てきたのです。
しかも、本日一日限り。3時までの見学でしたのに……
そのように、昨日11日の新聞にはあったようなのでしたが、12月に入ってからは、ほとんど時間的ゆとりなく、新聞もここの処、ツン読状態。“で、読まぬことキヨシ、強し”の無鉄砲さで、たまたま金井地区での仕事を終えたのが、15時ちっょと過ぎ。上毛新聞一面トップの天皇崩御と同じくらいの大きさででていた見出しとテレビニュースの自ずらを想いだし、近場じゃないのとばかりに、現場の場所確認に行ってみることにしたのでした。
見せてもらえるかどうか、場所だけでもの軽い気持ちのみでした。
途中で、地元の方に「この先でいいんですか?」と問うと、地域のお年寄りの二人連れの女性が「3時で終りだから、もう入れないよ。ダメだよ」と言う。公開しているなんて、初耳。むしろ、驚きに近かった。それだけの大発見の貴重な現場を、こんなに早く公開すること自体が驚きだった。で、「明日もみせるんでしょうかね。まだ3時ちょっとすぎだし、でも、ともかく、行ってみます」と後はダッシュ。ダメといわれて引き下がったことはなし?
今度は、なまじの知識が災いして、「3時すぎて、もうダメですか?」といきなり、聞いてしまった。「僕も見学の者なので」と聞くや否や、今度は脱兎のごとくに走って、参加者の列にもぐりこんで、パチパチ撮りまくった次第です。
しばらくして、みな一様にヘルメット冠っているのに気がついた頃、係員さんから、「受付でヘルメットをもらって冠ってください」とのご注意があり。
つまり、当方、金井裏遺跡の裏にあやかって、裏口入学ならぬ、裏口県学してしまっていたのでした。
受けつけに行ったら、顔みしりの女性県議会議員さんが、埋蔵文化財の役職らしきかたと話していました。近くには、学生さんの頃からの顔みしりの彼女の秘書の男性もいました。で、写真を撮ってあげたりで。

さて、今度は正規の見学者の一員として、堂々と見学。男性の人骨よりま右手奥には、写真の子供の頭骨の跡が残っていました。土の色がわずかに変色していて、専門家の鑑定によれば、頭骨の後なのだそうです。標識のすぐ下で、丸い形状のものです。
ここは、八ッ場現地ではすでに部分開通している、上信道予定地。そのための発掘なのでした。
で、「このまま、保存できるといいですよね」と埋蔵文化財関係者には最も困惑させる言葉を。「それはムリ」との由。道路建設は変更がきかないようです。
もしかしたら、計画変更。そして、八ッ場川原畑の東宮遺跡。こちらはずっと近代になってからの江戸時代、浅間の噴火によるものです。
道々思ってきた、「渋川~八ッ場現地まで続く、上州活火山による6~18世紀遺跡群!!」
ポンペイをこえるはずなのに……
何とか保存できないかな、そうすれば…… ダム堤建設なしの密かな期待は見事に木っ端みじんに粉砕。
開発工事がなければ、発掘はできないし…… 知人の文化財関係者の間異口同音の嘆きのようです。
質問させていただいた方も「まぁ、ジレンマですよ、」とおっしゃられ、この後の調査は、周囲の土塊ごと切り抜いて、さらに専門の調査をするのだそうです。そして、道路は計画通りに着工されるそうでした。
いくら、立派な遺跡が出てもも現地保存はままならないんですよね。富岡製紙のように、官民一体の大きな保存運動でも起こらないものでしょうか。
八ッ場では、文部省指定の遺跡でさえも風前のともしび。過去に幾つの遺跡がつぶされたことでしょうか。
帰宅して、さきほどようやく新聞に目を通して、なんと、一日だけで、明日からは切り取り保管作業にかかるとのことがわかった次第。
で、係員さんの説明と合致して、現地保存への一縷の期待は霧散してしまっています。
残念ですね。現場保存がベストなのに!!
鎧をきた男性の人骨です。うつぶせになっている状態とか。左が頭で頭骨の後も残ってました。右の大たい骨がみえますが、折れているので、身長はわからないとのことです。
こちらは、頭の方、つまり榛名山のある側から撮った写真です。
本日は、番外編です。……本日も。といったところでしょうか?
偶然でしたが、6世紀初頭の榛名山の噴火で、「国内初の鎧着た人骨」が出土した、渋川・金井東裏遺跡を観てきたのです。
しかも、本日一日限り。3時までの見学でしたのに……
そのように、昨日11日の新聞にはあったようなのでしたが、12月に入ってからは、ほとんど時間的ゆとりなく、新聞もここの処、ツン読状態。“で、読まぬことキヨシ、強し”の無鉄砲さで、たまたま金井地区での仕事を終えたのが、15時ちっょと過ぎ。上毛新聞一面トップの天皇崩御と同じくらいの大きさででていた見出しとテレビニュースの自ずらを想いだし、近場じゃないのとばかりに、現場の場所確認に行ってみることにしたのでした。
見せてもらえるかどうか、場所だけでもの軽い気持ちのみでした。
途中で、地元の方に「この先でいいんですか?」と問うと、地域のお年寄りの二人連れの女性が「3時で終りだから、もう入れないよ。ダメだよ」と言う。公開しているなんて、初耳。むしろ、驚きに近かった。それだけの大発見の貴重な現場を、こんなに早く公開すること自体が驚きだった。で、「明日もみせるんでしょうかね。まだ3時ちょっとすぎだし、でも、ともかく、行ってみます」と後はダッシュ。ダメといわれて引き下がったことはなし?
今度は、なまじの知識が災いして、「3時すぎて、もうダメですか?」といきなり、聞いてしまった。「僕も見学の者なので」と聞くや否や、今度は脱兎のごとくに走って、参加者の列にもぐりこんで、パチパチ撮りまくった次第です。
しばらくして、みな一様にヘルメット冠っているのに気がついた頃、係員さんから、「受付でヘルメットをもらって冠ってください」とのご注意があり。
つまり、当方、金井裏遺跡の裏にあやかって、裏口入学ならぬ、裏口県学してしまっていたのでした。
受けつけに行ったら、顔みしりの女性県議会議員さんが、埋蔵文化財の役職らしきかたと話していました。近くには、学生さんの頃からの顔みしりの彼女の秘書の男性もいました。で、写真を撮ってあげたりで。
さて、今度は正規の見学者の一員として、堂々と見学。男性の人骨よりま右手奥には、写真の子供の頭骨の跡が残っていました。土の色がわずかに変色していて、専門家の鑑定によれば、頭骨の後なのだそうです。標識のすぐ下で、丸い形状のものです。
ここは、八ッ場現地ではすでに部分開通している、上信道予定地。そのための発掘なのでした。
で、「このまま、保存できるといいですよね」と埋蔵文化財関係者には最も困惑させる言葉を。「それはムリ」との由。道路建設は変更がきかないようです。
もしかしたら、計画変更。そして、八ッ場川原畑の東宮遺跡。こちらはずっと近代になってからの江戸時代、浅間の噴火によるものです。
道々思ってきた、「渋川~八ッ場現地まで続く、上州活火山による6~18世紀遺跡群!!」
ポンペイをこえるはずなのに……
何とか保存できないかな、そうすれば…… ダム堤建設なしの密かな期待は見事に木っ端みじんに粉砕。
開発工事がなければ、発掘はできないし…… 知人の文化財関係者の間異口同音の嘆きのようです。
質問させていただいた方も「まぁ、ジレンマですよ、」とおっしゃられ、この後の調査は、周囲の土塊ごと切り抜いて、さらに専門の調査をするのだそうです。そして、道路は計画通りに着工されるそうでした。
いくら、立派な遺跡が出てもも現地保存はままならないんですよね。富岡製紙のように、官民一体の大きな保存運動でも起こらないものでしょうか。
八ッ場では、文部省指定の遺跡でさえも風前のともしび。過去に幾つの遺跡がつぶされたことでしょうか。
帰宅して、さきほどようやく新聞に目を通して、なんと、一日だけで、明日からは切り取り保管作業にかかるとのことがわかった次第。
で、係員さんの説明と合致して、現地保存への一縷の期待は霧散してしまっています。
残念ですね。現場保存がベストなのに!!
Posted by やんばちゃん at 21:47│Comments(0)
│八ッ場だより