2014年11月26日
吾妻渓谷を守りたい
請願締め切りの18日朝、やはり諦めがたく、起きるとともに書き出した文章です。
写真は、同じく18日正午から、締め切られるその寸前の吾妻渓谷・瀧見橋上の駐車場の金網越しに撮ったものです。
まだ白糸の滝は手づかずです。
救いたいです。
皆さん、お力をおかしください。
「環境保護面から吾妻渓谷を守ろう」
【はじめに 】
「耶馬溪しのぐ吾妻峡」と上毛カルタで県民に親しまれた吾妻渓谷の長野原町管轄区域のダム堤上流部の類まれな景観が、程なく始まるダム堤建設による大規模な工事によって破壊されようとしています。
破壊し水没させるには惜しみてあまりある、かけがえのない県内随一の❝癒しの景勝地❞ではないでしょうか。
申すまでもなく、破壊は一時、自然は悠久です。
富岡製糸場と並び、わが群馬県が世界に誇れる「世界遺産」に匹敵する、県内きっての景勝地に他なりません。同じく「世界遺産」としても通用し、その価値は十分にあるものと信じて疑いません。
「吾妻渓谷は残る」といっても、確かにダム堤下の東吾妻町管轄分は残りますが、「八丁暗がり」周辺の生態系は、崩れることは必定です。
旧川原湯温泉駅に近かった為、渓谷に容易に降りられた場所として、最も慣れ親しまれた「滝見橋」周辺の景観は水没せざるをえません。「環境の世紀」とまで称される今日、観光立県をめざされる本県として、むざむざと沈めてよいのでしょうか。
どうかこの間、私たち以上にこよなく西上州の風景を愛されて参られました、県議会議員の皆様方、(ことここに到りましては遅きに失することも承知しておりますが)、なにとぞご再考、回避策など、もう一度、お考え願えないでしょうか。
群馬県民の一人として、どうしても諦め去ることが出来ないのです。
県内外の吾妻渓谷の自然を愛してやまない市民たちもまた固唾をのんで、貴委員会の心あるご検討をひたすら願っております。
【理由】
私たちは昨年11/4に滝見橋近くの駐車場にて、スペインの平和活動家・ミランダ・コレットさんの指導により、「吾妻渓谷保存」を願い、ペンキ絵を制作。この時の観光客の皆さんの反応と励ましを契機に、昨年末より国と県に向けての署名活動を展開してまいりました。
知事宛署名は、去る2/13に1016筆、11/10に655筆を県特定ダム対策課を通じて、お届けした次第です。数は極めて少ないですが、その際、極力、現地にての署名活動を致しました。県内外から訪れた観光客の皆様に添付資料をじっくりと説明し、その上での自発的な署名をしていただくように心がけました。
異口同音に「こんな良い処、もったいないねぇ」「ムダで意味のないダムなんかよりも、この観光で生きていけるのに」と口にされつつ、「こういう運動があってほっとした」とまで添えてくだされました。
吾妻渓谷保存に関する、具体的な理由につきましては吾妻渓谷保存署名の際にお配りして参りました、添付資料の2枚目をご参照ください。その上で、以下の点を加えさせて戴きます。
➀吾妻川沿いは、希少生物の宝庫です。
添付資料➂署名用紙の一項目のように、「環境影響費評価法」に基づいておりません。
②破壊してしまったら、何もかも終わりです。
あの渓谷美は近代技術の粋を駆使しても再生できるものではありません。
僭越ながら、かの田中正造の語録を想起させて戴きつつ、述べさせて戴きます。
「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」
工事が進展すれば、吾妻川の渓谷美は一変します。
対岸の山々も崩されてしまいます。
なお、反対期成同盟を筆頭にした堅固な反対運動を崩し、反対住民をなだめる策として当時の群馬県が提案した「ズリ上がり方式」なる方式がありました。
が、一村ことごとく湖面にズリあがって、元通りの村落共同体が営めることが条件だった、この現地再建方式に基づく代替地建設は、土地の方も住み着かなかった地すべりの危険地帯であるがために、遅々として進まず、難工事による高額の分譲価格などが災いしてに町外流出が予想外に多く劇的な水没地の人口減少がもたらされました。事実上、解体したに等しい状況にさらされています。
県内各地にこれだけの観光地をかかえながら、今般、魅力度46位にあまんじなければならなかった要因の一つとして、田中正造の今に新しい予見語録の「真の文明」とはほど遠い現実が、歴然とありはしませんでしょうか?
富岡製糸場が晴れて世界遺産に登録された、県民挙げての喜ばしい過程には、片倉製糸をはじめとした多くの関係者の方たちの献身的な保護活動があったことは周知のことです。
古来より川原湯温泉とは密接な関係にあり、歌人・若山牧水をはじめ、あまたの文人墨客が訪れ、その感動を作品に残している、歴史的文学的意義があります。
この吾妻渓谷の主要部を失っては、泉質低下とともに川原湯温泉の魅力は半減します
今や。川原湯温泉は高台に移転し、得難い泉質とレトロな雰囲気は失ってしまいました。泉質の落ちた温泉ほど無残なものはありません。また、付替え国道は草津温泉直行路線にしかなり得ず、川原湯温泉素通りとなってしまいますことは明白です。
せめて、そのつなぎ役としての吾妻渓谷現存維持にお力を貸してください。
想えば、吾妻渓谷には、不思議な「命脈」があります。
添えました添付資料一枚目をご覧ください。歌人・若山牧水が、1920年(大正9)年5月に訪れた際の記述、それは今から94年前の、なんとダム建設を予見した注目すべき一文です。
「ほんとに、土地の有志家といはず群馬県の有志家といはず、どうか私と同じ心で、このさう広大でもない森林のために永久の愛護者となつてほしいものである」と懇願。「この渓谷は水が涸れたよりも悲惨なことになるにきまつてゐるのだ」としています。
どうか、「群馬県の有志家」であられる県議会の皆様方、沈み行く吾妻渓谷、(特に右岸の長野原町管轄分であった)遊歩道をじっくりと歩かれたことがおありなのでしょうか?
野趣にとんだ西上州の自然界の粋が起伏にとんだ林のなかに静かに息づき、類のない癒しの空間でした。「でした」ともはや過去形で記さなければならない時が刻々と近づきつつあり、その途上にありますことが、何とも切なく胸に迫りきてなりません。
吾妻渓谷の蘇生と活力のためにお力添えの程を、
どうぞよろしくお願い致します
Posted by やんばちゃん at 23:34│Comments(0)
│八ッ場だより