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2009年05月10日

判決日前の、ある新聞報道

 明日5/11は、八ッ場ダム裁判の最初の判決、東京地裁の判決日です。
 本日、また現地に行き、判決の報道とは別に、明日18時~TBSテレビで水没地内の様子が放映されるとのことを聞いてきました。ご覧ください。
 以下に、「毎日新聞 ニッポン沈没」の八ッ場ダム関連記事を転載させていただきます。
というのは、八ッ場へ通いはじけた頃、お世話になった、故豊田嘉雄さんのお名前も久々に登場。しかもぬくもりのある表現で記されていて、うれしかったからです。
 ただし、記事末尾に明らかな誤認表現があって、惜しい限り。
 加えて、こんな良い記事なのに見出しの「水没直前」には、まだ水没したわけでもないので、拒否反応が走ります。
 そのことも含めて、説明代りに、この記事をメールで紹介してくださった方に対しての返信メールも添えさせていただきます。

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◆【毎日新聞 5月10日】 
(トップ > ニュースセレクト > 話題 > 記事)

ニッポン密着:計画57年、八ッ場ダム着工へ 水没目前、町のきずな
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090510ddm041040059000c.html
【写真】ダム湖に沈む川原湯温泉街(手前右)。奥が八ッ場ダム建設予定地=群馬県
長野原町で2009年5月9日午後、本社ヘリから岩下幸一郎撮影 

利根川水系吾妻川中流に国が計画している八ッ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)
本体工事が年度内に始まる。山あいの町に降ってわいた計画から57年。かつて町を
二分した反対闘争は終息したが、いまだにダムを歓迎できない人もいる。大戸(だい
ど)川ダム(大津市)の事業凍結を同じ国が決めるなど、公共事業見直しの流れに反
して建設に向けた手続きは粛々と進む。苦渋の選択をした住民らの心中ではなお、疑
問の火がくすぶり続ける。【伊澤拓也】
 ダム完成後は水没する川原湯温泉。温泉街を見下ろす小高い丘に、町でただ1軒の
老舗牛乳販売店がある。創業85年の「豊田乳業」。水没地区の3分の2に当たる住
民が計画の遅れと長引く工事に嫌気がさし、代替地への移転をあきらめ次々と転居す
る中残った。それどころか、敷地内では現在、新しい乳処理工場建設のつち音が響
く。
 敷地の一部は水没するJR吾妻線の付け替え用地だが、社長の豊田武夫さん(5
7)は「ダムの必要性に納得がいくまでは渡せない」と売却を拒んでいる。完成を急
ぐ国との交渉は平行線のままだ。
     □
 <遠く祖父より受け継(つぎ)し/故郷の田畑吾(わ)が住居/湖底に沈めてなる
ものか/ダム反対に決起せよ>
 計画が浮上した直後、こんな歌が川原湯温泉で流行した。作者は豊田さんの父文次
郎さん(88)のおじに当たる故嘉雄さん。「よっちゃん」の愛称で親しまれ、旅館
を営みながら反対闘争の先頭に立った。若いころは近所の子供らを引き連れ、歌声を
響かせていた。年配者の中には、歌を覚えている人がいる。
 「なんでわれわれの町が国のために水の底に沈まなくてはならないのか」。嘉雄さ
んは反対闘争の歴史をつづった著書「湖底の蒼穹(そら)」に、そう記して怒りを表
現した。住民らもこれに同調した。闘争が最も激しかった60年代。建設省(当時)
職員が現地を訪れると、軒先につるした一斗缶をたたいて「帰れ」と連呼した。
「よっちゃんと一緒に役人を追い返した」と豊田さん。住民らは集会で、ひざを突き
合わせ深夜まで対策を練った。
 ところが一枚岩だった住民も、ほころび始める。国が「高く買う」と個別交渉を重
ねた結果、住民代表でつくる交渉委員会は「賛成派」が主流となり、町は真っ二つに
割れた。表札に「ダム反対」と書く「色分け」も起きた。用地買収に応じた人たちは
町を離れ、活気もなくなった。ダム問題は住民のきずなを粉々に壊していった。
     □
 01年、住民代表が用地買収の補償基準に調印した。「ダムを受け入れ、再生する
しかない」という空気が支配的で、反対闘争の事実上の終結だった。あれから8年。
狭い温泉街の道路をトラックと重機がせわしく往来する。住民の多くはダムの早期完
成を望んでいるとされる。ただ、胸中は複雑な人もいる。川原湯温泉組合長で旅館を
営む豊田明美さん(44)は「人口減、施設老朽化などの理由が積み重なった。苦渋
の決断だった」と賛成に転じた事情を話した。いずれは代替地に移るつもりだ。
 詩が得意だった嘉雄さんは2年前の初夏、老衰で静かにこの世を去った。90歳。
「ふるさとが/湖底に沈む少し前/花の咲く頃(ころ)/ぽっくり死にたい」。生前
詠んだ詩の通りの生き方だった。その遺志は若い世代に受け継がれている。
 豊田武夫さんの長男真一さん(30)は「うちはここに根を張った牛乳屋。地元を
無視できるわけがない」と話す。思いは父たちと同じだ。ダム反対期成同盟委員長を
務めた文次郎さんを含めて嘉雄さんから4世代にわたり、ダムに翻弄(ほんろう)さ
れる古里を見つめる豊田家。豊田さんは「古里を壊してまでダムが必要だとは思えな
い」と言い切った。
     □
 東京地裁で11日、判決が言い渡される。東京都の市民グループ「八ッ場ダムをス
トップさせる東京の会」の会員らが、都がダム建設費を出すのは違法として、支出差
し止めと過去1年間の支出額約32億9000万円の返還を求めた訴訟だ。同様の訴
訟は千葉県などダム下流の5県でも提訴されており、初判断となる。
 高度経済成長期前に生まれたダム建設計画は、世紀をまたぎ「脱ダム」機運のうね
りをすり抜け、生き続ける。水没予定地ではまだ約340世帯が暮らす。豊田さんは
思う。「住民同士が最後に心の底から笑い合った日はいつだったろうか」
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 ■ことば
 ◇八ッ場ダム
 治水、利水を兼ねた多目的ダムとして1952年、群馬県長野原町の利根川水系吾
妻川中流に計画された。国が総事業費約6兆2000億円で計画している全国47の
ダムの一つ。反対運動の末、01年に国と水没地区住民が土地の補償基準で合意した
が、代替地整備が進まず完成予定は当初の00年度から15年度に延期された。09
年度に本体着工する。総貯水量1億750万立方メートル、総事業費4600億円。
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◆【返信】
 お知らせ、うれしく拝読。
 
 内容的にも「ダムを潔しとしていない水没地の生の声」というものだけ
に……、重みがあります。
 本当に、見出しの「水没直前」は嫌な響きの先走り表現ですね。
 なお、記事末尾の
> 水没予定地ではまだ約340世帯が暮らす。
 は、明らかなミス。惜しまれます。
 この340世帯とは、当初の長野原町内の全水没世帯数の数です(のち
に対象世帯は422世帯に拡大)。
 「水没340世帯中まだ▽△世帯が暮らす」ならば問題なし。
 そのように記したのが、思わぬ何かのハプニングでミスにつながったの
でしょうか? 
 
 先ほど、現地の方の中でこの種のことに最も明るい方に、(昼間のお礼
を兼ね)電話して確認しましたら、正確な世帯数は役場に聞かないとわ
からないけれど、現在残っているのはおよそ50世帯くらいとのこと。

 実は、今日てひょんなことから近所のお年よりたちと近くの山にドライブ。
しかし、稀にみる天気の良さと新緑の輝きに誘われか、1時間ほどの予
定が榛名湖まで足をのばし、エイヤットとばかりについつい山越えして、
先日も訪れたばかりなのに、何とまた「八ッ場入り」してしまったのです。
さらに喜んでくれるのを良いことに、あちこちと夕暮れ時まで、約140㌔
ほども走って帰宅……。
 かわいそうなのは「帰ってからあげるからね」と非情な飼い主からエサも
もらえずに出かけられてしまった犬のクロ。布団も干したままでした。
 わが八ッ場はそれほど、吸引力があるということでしょうか。

 もちろん、牛乳やさんにも立ち寄って、とびきり旨いのを味わってもらおうし
たのですが、冷蔵庫も自宅の玄関の戸も開くのですが、あいにくルスのよう。
少しばかりの品でご迷惑をかけても悪いから諦め、しかたなくある店で求め
たのですが、何か味が違うように感じられました。
 新しく県道になる道路沿いに、記事中にもある「新しい乳処理工場」がほぼ
完成していました。
 ところで、故・豊田嘉雄さんのお宅にもお邪魔したのですが、何もおっしゃっ
ていなかったので、念のため連絡しますと、記事のことは知らなかったそうで
「とっても良い書き方ですよ」と伝え、送ることに。

 本日は連れがいるので、どのお宅でも深入りした話はしませんでしたけれど、
幾つかの現地ならではの“面白い裏話や人間模様”が聞けました。
 それに、明日の東京地裁判決があるためでしょうか、一部の筋では妙な緊張
感があるようで、これまた現地ならではの妙趣な空気でしたが、対する当方は
ケセラセラ状態? 
 運動の筋道を貫くのみです。 
  


Posted by やんばちゃん at 23:49Comments(0)紹介