2010年09月05日

時を越え、解放歌よ高く響け

 八ッ場ダム問題をちょっと離れます。
 でも、根は一つです。
 
 本日、伊勢崎市で催された「第3回伊勢崎・多喜二祭/菊池敏清宅・現地見学会」に参加させていただきました。大変、感動的な会でありました。
 1931(S6)年9月6日、菊池敏清さん等伊勢崎市周辺の市民の招きで文化講演会に訪れた小林多喜二・中野重治・村山知義たちを、午後6時~の講演会前の茶話会が無届け集会とのかどで、伊勢崎警察署が検挙したのです。
 
 詳述は実行委員会の研究分野でありますので、ご遠慮させていただきまして、以下の必要な関係事項のみを。
 詳細は、http://www.takijidakkan.com/ 多喜二奪還研究室
 
 逮捕の知らせを受けた、講演会場の共栄館で待っていた聴衆たちは、怒って押し寄せ、「多喜二を還せ、多喜二を還せ」と、警察所を取り囲み抗議。
 また伊勢崎周辺の知識人、(もちろん、3人ともすでに鬼籍にはいられていますが)、石井繁丸元前橋市長(当時は弁護士)・角田儀平治弁護士・佐田一郎氏などの農民運動や無産運動の闘士たちの援護射撃もあって見事に奪還しえたのだそうでした。
 ただし、釈放の条件として、「公表しないこと」が取引条件だったことが、長い間、表にでなかった理由のようでした。
 配布されたパンフレットを拝読しますと、この時、仮庁舎と呼ばれていた、当時の木造2階建ての伊勢崎警察を囲みながら、「署内外で床を踏み鳴らしながら展開した抗議行動に署員は退避、署内外に労働歌・革命歌が響いた」と記されています。
 
 そこで、以前、「後ほど」としたままになっています、その「革命歌」の歌詞を。
 しかし、この時、唄われた「革命歌」が、ご紹介する、太田市出身の築比地仲助が応募し当選した、以下ご紹介のものであったどうか、他にも幾つかの革命歌があったのかどうかについては、現段階では心元ありませんが……
 
 ようやく探し出した共学文庫でもらった歌詞を先に添付してみます。 
 この共学文庫でのチラシの歌には、10番まであります。
 ただし、題名はなし。従って、私は、「ああ、革命は近づけりの歌」と勝手に命名していました。
 右隅に 「1985・7・5 3000」なる日付けのようなものが印刷されていますが、おそらく「共学文庫」の案内のこのパンフを印刷した日ではなかったでしょうか。
 
 その後、後に唄い手の添田唖蝉坊が統合して7番までに圧縮したと伝えられている歌詞を添付しますが、二つの歌詞は、若干異なっています。現段階ではどちらが正しいかわかりません。
 「共学文庫」の採録歌詞は、おそらくどなたかの記憶をもとに採譜したものではなかったでしょうか。
 結論として、原歌詞では「一高寮歌」のメロディでは、途中までしか歌詞がなく、そこで、二フレーズづつずらして前送りにして、七節に仕上げたように感じます。

「共学文庫」配布の歌詞  
 ああ革命は近づけり ああ革命は近づけり
 たてよ白屋らんるの子 さめよ市井の貧窮児
  
 見よ、わが自由の楽園を 蹂躙したるは何者ぞ
 見よ、わが正義の公道を 壊廃したるは何奴ぞ
  
 圧制、横暴、迫害に  われらいつまで屈せんや
 わが脈々の熱血は 飽くまで自由を要求す

 われらに自由なからずば むしろ墳墓を選ばんと
 わが同胞は露国にて 絶叫しつつあらざるか
  
 春らんまんの花さえも 権門勢家のために咲き 
 秋れいろうの月さえも 瑤台朱閣のために照る
  
 わが子はかつて戦場に かれらのために殺されき
 老いたる父もいたましく かれらのために餓死したり

 ああ積年のこの怨み  いかで報いで止むべきや
 われらは寒く飢えたれど なお団結の力あり
  
 ああたて 君よ、 革命は われらの前に近づきぬ 
 農夫はスキクワとりて起て キコリはオノをとりて起て

 鉱夫はツルハシとりて起て 工女はオサをとりて起て
 森も林も武装せよ 石よ何故飛ばざるか

 われらのし血下りては やがて染めたる赤色旗
 高く掲げて惨虐に 反逆すべく絶呼せよ
  
 ああ革命は近づけり ああ革命は近づけり

................................

   「革命歌」
 嗚呼革命は近づけり 嗚呼革命は近づけり
  起てよ白屋襤褸の児 醒めよ市井の貧窮児
  見よ我自由の楽園を 蹂躙したるは何者ぞ

見よ我正義の公道を 壊廃したるは何奴ぞ
  圧制横暴迫害に 我等は何時まで屈せんや
  我脈々の熱血は 飽迄自由を要求す

我等に自由なからずば むしろ墳墓を選ばんと
  我が同胞は露国にて 絶叫しつつ在らざるか
  春爛漫の花さえも 権門勢家の為に咲き

秋玲瓏の月さえも 瑤台朱閣の為に照る
  我が子は曾つて戦場に 彼等の為に殺されき
  老いたる父もいたましく 彼等の為に餓死したり

ああ積年の此の恨み 争(いか)で報いで止むべきや
  我等は寒く飢えたれど なお団結の力あり
  ああ起て 君よ 革命は 我等の前に近づきぬ

農夫は鋤鍬とりて起て 樵夫は斧をとりて起て
  鉱夫はつるはしとりて起て 工女は梭(おさ)をとりて起て
  森も林も武装せよ 石よ何故飛ばざるか

我等の眥血下りては やがて染めなす赤色旗
  高く掲げて惨虐に 反逆すべく絶呼せよ
  ああ革命は近づけり ああ革命は近づけり

作詩 築比地仲助
作曲 楠正一

〈備考〉
この「革命歌」(発表時は「革命の歌」)は、1907年7月
「大阪平民新聞」(主筆・森近運平)が革命歌を募集したとき、築比地仲助が「革田命助」というペンネームで応募し、当選したもの。
この歌を載せた1908年の「日本平民新聞」は革命歌を載せたという理由で発売禁止になった。


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