2010年06月17日
“県民主権”とやらは飾り文句ではなく、形で示せ
以下の県議会傍聴の際の私見は6/11の八ッ場ダム特別委員会の傍聴記の末尾に記した意見でした。が、余りに長すぎたので割愛。あらためて項を立てようと思いつつ、記事多発の折がら、のびのびとなってしまってました。
従って、文中の日時の時点は、6/11を指しています。
情報公開法などの進展に伴い、非公開だった特別・常任委委員会の傍聴が許可されたのは大きな成果だが、最もメモ書きが必要な、傍聴席には小机もない。
場所がないとのことだが、テーブル付きの席にすわる県職は前三列におさまっていた。そして、さらに一列は全くのアキ。後部の小テーブル付き椅子三列の席に、まばらに四名ほどが座っているだけで、開いていた。
記者席にはテープ付きが一台ある。
三~四人しか座れないから、その脇にテープル付き椅子席がある。この隣の椅子のみの五席が私たち一般
傍聴席。時折り、座りきれないマスコミ陣が座るが、彼らはボイスレコーダーをデンとおいておけるから、ポイントだけを記すだけでよいので、差し支えないだろうけれど、何時間もテープルのない空間で、メモを撮り続けるのはしんどい。特に年をとってくるとこたえる。
せめて、一般傍聴者にもボイスレコーダの持ち込みを許可するか、余っている時には、テープル付き椅子を貸してくれたり、席を移動させてほしいものだ。
「県民主権」とは、飾り文句ではなかろうに。こういう細部での現実のことがものを言うのだ。
また、この日、腰塚前委員長の提案で、前回の特別委員会の報告集刊行の提案があった。おごそかに現委員長が「ここで、提案があるそうです」と切り出してはみたが、なんと、肝心のその提案者は席をはずしていた。で、笑い声。戻ってこられるのをまったの仕切り直しで、「なされた提案である。
「関係者、約150名くらいに配る」とのことであったが、もちろん、これは公費による刊行物となるのであろうか。
さらにまた、報告集に、この間のヤジやトンチンカン発言はそのまま書きとめられるのだろうか。
きれいごとに修正されてまとめられたものなど、意味がなく、単なる、役職たちの功績的な記念誌でしかない。
それに公費を公然と使うのはいかがなものか。
従って、文中の日時の時点は、6/11を指しています。
情報公開法などの進展に伴い、非公開だった特別・常任委委員会の傍聴が許可されたのは大きな成果だが、最もメモ書きが必要な、傍聴席には小机もない。
場所がないとのことだが、テーブル付きの席にすわる県職は前三列におさまっていた。そして、さらに一列は全くのアキ。後部の小テーブル付き椅子三列の席に、まばらに四名ほどが座っているだけで、開いていた。
記者席にはテープ付きが一台ある。
三~四人しか座れないから、その脇にテープル付き椅子席がある。この隣の椅子のみの五席が私たち一般
傍聴席。時折り、座りきれないマスコミ陣が座るが、彼らはボイスレコーダーをデンとおいておけるから、ポイントだけを記すだけでよいので、差し支えないだろうけれど、何時間もテープルのない空間で、メモを撮り続けるのはしんどい。特に年をとってくるとこたえる。
せめて、一般傍聴者にもボイスレコーダの持ち込みを許可するか、余っている時には、テープル付き椅子を貸してくれたり、席を移動させてほしいものだ。
「県民主権」とは、飾り文句ではなかろうに。こういう細部での現実のことがものを言うのだ。
また、この日、腰塚前委員長の提案で、前回の特別委員会の報告集刊行の提案があった。おごそかに現委員長が「ここで、提案があるそうです」と切り出してはみたが、なんと、肝心のその提案者は席をはずしていた。で、笑い声。戻ってこられるのをまったの仕切り直しで、「なされた提案である。
「関係者、約150名くらいに配る」とのことであったが、もちろん、これは公費による刊行物となるのであろうか。
さらにまた、報告集に、この間のヤジやトンチンカン発言はそのまま書きとめられるのだろうか。
きれいごとに修正されてまとめられたものなど、意味がなく、単なる、役職たちの功績的な記念誌でしかない。
それに公費を公然と使うのはいかがなものか。
Posted by やんばちゃん at 19:33│Comments(0)
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