2009年11月26日
?クマさんにも会えなかった、孤独な一人旅
幸いにして、クマさんにはお目にかからずにすみ、無事帰還。
今朝、なにやかやとやはり出発が遅かったので、すでに店の開店時間に。で、少し怖かったから、途中で鈴を買いました。でも小さいのしかなくて、役立たずでしたけれど……、こんなものでも持っているというのは、支えになるもんですね。
香草中和工場は予想通りの場所にありました。
林の中にポツンではなく、修理工場のような建物の後ろ手の川に面してたっていました。通りに面していたこの建物にはユンポがズラリ。
建物下に谷沢川が流れているのが、木立越しにみえました。周囲を一巡したら、沢に降りる階段の工事が始まったばかりのようでした。が、作業員の方たちは昼休みで出かけたらしく、脱ぎ捨てた作業着や工具類が散乱していました。
着いたのが昼頃。一通り周辺を確認して、車中で昼食をゆっくりとりながらの行動でしたから30分頃だったでしょうか。
たぶん、程なく帰ってみえるだろうなと考え、阻止されたらおしまいだからと急いで、非常用はしごをおりました。脇に、しかし、老朽化にともなう工事でしたから、鉄の部分は朽ちており、木材の部分は腐っていたりで、帰って危険。で、設置された階段わきの茂みを下りました。(後ほど伺うと、現在は、点検の職員も使っていないとのことでした)
急斜面なのに捕まるのはクマザサばかり。
クマザサは、真っ直ぐ引っ張っている時にはよいのだけれど、すぐ折れるのが怖かったものでした。たまに風雪に耐えた木があると、これにつかまってようやく川面まで5メートルくらいの地点に。ここからが大変で、結局、滑り下りました。
角度は35度くらいでしょうか。
川面に横断するようにパイプ状の綱が張られていて、落ち口は一カ所。湯川の器具とは異なってました。設置された階段の真下には、太いパイプが二本通されていて、川に滔々と注ぎ込んでました。
透明の水に石灰が混じると泥色に変化。
川床には白い石灰が堆積していて、異様な光景でした。
帰途の方が大変で、汗びっしょり。
職人さんたちとあってもと思い、見まわして上流のなるい傾斜を、クマザサにつかまりながら、これは直線でしたから、折れるのは少なく助かりましたけれど。
この間、たった一時間なのに久々に汗をかきました。
首に巻きつけていた脱いだジャンパーを落としたことに気がつかず、やっと上ったもう少しだなと一息ついた斜面で、大木に背をかけてほっとしていたら、無いのに気がつき、そこにリュックをおいて、また下って探したのものです。が、容易にみつからず、いわゆるタヌキに化かされているのかなと一瞬思ったくらいです。結局、川岸かに2メートルくらいの処に落ちていたのです。
ところが、今度は先ほどの大木がみつからず、瞬時、往生。記憶と言うのは役にたたず、山菜とりの方たちが山の中で迷うというのはさもあらんとの経験をしました。
ほどなく、金具をたたく音がして、職人さんたちが午後の仕事を再開したようでした。時計をみたら、13時半。結構ゆっくりの昼やすみだったようです。
車にもどり、一息ついて時刻を確かめると45分。
さらに一回り、職人さんたちとも話を、道伝いに行くと、立ち入り禁止の立札。個人の所有地のようでした。
そしてねありましたよ。香草温泉の文字も、
帰りは先日、同行の皆さんを思い込みの投入場所にご案内してしまった際に通った、広い道路にかかる橋近くで、折しも散歩していた土地の男性にお目にかかって、端の上から、六合村の大パノラマを俯瞰しながら、大沢川の位置を伺いました。かなりな距離の上に、道路は交通止めですので、行ける手段がありませんでした。 なお、この間の蛇の丸焼き滋状の糞は、やはりクマのものでした。量的には意外に少ないんだなと変な関心です。
品木ダム管理所に回り、いくつかの質問を行い、平日なので、久々に場内を見学しようと思いましたら、この日は定休日とのこと。 木曜日以外の午後4時まで可とのこと。
さらに湯の湖に出て、五時近くになってから薄闇の中で、六合村の川筋の汚染度をみながら、ヒト山越えた山奥の頂上にある白根開善学校の構内をグルリと見てきました。もう授業は終わりらしく、寮にいらした指導者らしく、とても感じの良い女性の方に、敷地内に入らせて戴いた、お断りをひと言、述べさせていただきました。ご存じのように、中高一貫校で生徒数は80名戸のことでした。 周囲は一面の白樺林。下方の小倉集落に至るまで、目にしなかったので伺えば、元吉校長が、ここに建設された当時からの自然林のようでした。建学の精神を記しました門の空気と見事にマッチしたたたずまいでした。
先日22日、湯の湖付近で落葉集めをしていたご夫婦に出会って、いろいろと湯の湖周辺のことを教えて頂いたたものでしたが、その落葉集めのことを思い出し、帰路の山道に降り積もった落葉を、持っていたビニール袋に私も詰めてきました。?詰め放題、しかも無料の落葉です。
帰途は同じ道は戻るのが嫌いなヒトですので、尻焼き温泉方面に下りました。しかし、辺りは真っ暗。本日も温泉に入らなかったことを思い出し、川原湯は5時で終了なので、もしかして入れたらと、尻焼き。花敷温泉方面に下ったのにかかわらず、工事中で夜間は交通止めでう回路へとの無情な標識。
考えたら、今月は忙殺スケジュールの中、8日・22日・26日と八ッ場方面に行ったのに、三回とも川原湯温泉に入れなかった次第です。
仕方なく、温泉卵をゆでながら、一人ポツンと足湯。ことさら温く感じられました。
それから、相もかわらずの地元情報検討業務に専念。夜間でもお邪魔できるお宅に二軒ほどはしごして帰宅。
午前中、往きにお目にかかった方の開口一番の言葉。
「な~に、ダムはまたできるようになるんだと」とおつしゃったのです。本日の署名提出と合わせて、八ッば現地ではそのような空気が流れているのでしょうか。気がかりです。
今朝、なにやかやとやはり出発が遅かったので、すでに店の開店時間に。で、少し怖かったから、途中で鈴を買いました。でも小さいのしかなくて、役立たずでしたけれど……、こんなものでも持っているというのは、支えになるもんですね。
香草中和工場は予想通りの場所にありました。
林の中にポツンではなく、修理工場のような建物の後ろ手の川に面してたっていました。通りに面していたこの建物にはユンポがズラリ。
建物下に谷沢川が流れているのが、木立越しにみえました。周囲を一巡したら、沢に降りる階段の工事が始まったばかりのようでした。が、作業員の方たちは昼休みで出かけたらしく、脱ぎ捨てた作業着や工具類が散乱していました。
着いたのが昼頃。一通り周辺を確認して、車中で昼食をゆっくりとりながらの行動でしたから30分頃だったでしょうか。
たぶん、程なく帰ってみえるだろうなと考え、阻止されたらおしまいだからと急いで、非常用はしごをおりました。脇に、しかし、老朽化にともなう工事でしたから、鉄の部分は朽ちており、木材の部分は腐っていたりで、帰って危険。で、設置された階段わきの茂みを下りました。(後ほど伺うと、現在は、点検の職員も使っていないとのことでした)
急斜面なのに捕まるのはクマザサばかり。
クマザサは、真っ直ぐ引っ張っている時にはよいのだけれど、すぐ折れるのが怖かったものでした。たまに風雪に耐えた木があると、これにつかまってようやく川面まで5メートルくらいの地点に。ここからが大変で、結局、滑り下りました。
角度は35度くらいでしょうか。
川面に横断するようにパイプ状の綱が張られていて、落ち口は一カ所。湯川の器具とは異なってました。設置された階段の真下には、太いパイプが二本通されていて、川に滔々と注ぎ込んでました。
透明の水に石灰が混じると泥色に変化。
川床には白い石灰が堆積していて、異様な光景でした。
帰途の方が大変で、汗びっしょり。
職人さんたちとあってもと思い、見まわして上流のなるい傾斜を、クマザサにつかまりながら、これは直線でしたから、折れるのは少なく助かりましたけれど。
この間、たった一時間なのに久々に汗をかきました。
首に巻きつけていた脱いだジャンパーを落としたことに気がつかず、やっと上ったもう少しだなと一息ついた斜面で、大木に背をかけてほっとしていたら、無いのに気がつき、そこにリュックをおいて、また下って探したのものです。が、容易にみつからず、いわゆるタヌキに化かされているのかなと一瞬思ったくらいです。結局、川岸かに2メートルくらいの処に落ちていたのです。
ところが、今度は先ほどの大木がみつからず、瞬時、往生。記憶と言うのは役にたたず、山菜とりの方たちが山の中で迷うというのはさもあらんとの経験をしました。
ほどなく、金具をたたく音がして、職人さんたちが午後の仕事を再開したようでした。時計をみたら、13時半。結構ゆっくりの昼やすみだったようです。
車にもどり、一息ついて時刻を確かめると45分。
さらに一回り、職人さんたちとも話を、道伝いに行くと、立ち入り禁止の立札。個人の所有地のようでした。
そしてねありましたよ。香草温泉の文字も、
帰りは先日、同行の皆さんを思い込みの投入場所にご案内してしまった際に通った、広い道路にかかる橋近くで、折しも散歩していた土地の男性にお目にかかって、端の上から、六合村の大パノラマを俯瞰しながら、大沢川の位置を伺いました。かなりな距離の上に、道路は交通止めですので、行ける手段がありませんでした。 なお、この間の蛇の丸焼き滋状の糞は、やはりクマのものでした。量的には意外に少ないんだなと変な関心です。
品木ダム管理所に回り、いくつかの質問を行い、平日なので、久々に場内を見学しようと思いましたら、この日は定休日とのこと。 木曜日以外の午後4時まで可とのこと。
さらに湯の湖に出て、五時近くになってから薄闇の中で、六合村の川筋の汚染度をみながら、ヒト山越えた山奥の頂上にある白根開善学校の構内をグルリと見てきました。もう授業は終わりらしく、寮にいらした指導者らしく、とても感じの良い女性の方に、敷地内に入らせて戴いた、お断りをひと言、述べさせていただきました。ご存じのように、中高一貫校で生徒数は80名戸のことでした。 周囲は一面の白樺林。下方の小倉集落に至るまで、目にしなかったので伺えば、元吉校長が、ここに建設された当時からの自然林のようでした。建学の精神を記しました門の空気と見事にマッチしたたたずまいでした。
先日22日、湯の湖付近で落葉集めをしていたご夫婦に出会って、いろいろと湯の湖周辺のことを教えて頂いたたものでしたが、その落葉集めのことを思い出し、帰路の山道に降り積もった落葉を、持っていたビニール袋に私も詰めてきました。?詰め放題、しかも無料の落葉です。
帰途は同じ道は戻るのが嫌いなヒトですので、尻焼き温泉方面に下りました。しかし、辺りは真っ暗。本日も温泉に入らなかったことを思い出し、川原湯は5時で終了なので、もしかして入れたらと、尻焼き。花敷温泉方面に下ったのにかかわらず、工事中で夜間は交通止めでう回路へとの無情な標識。
考えたら、今月は忙殺スケジュールの中、8日・22日・26日と八ッ場方面に行ったのに、三回とも川原湯温泉に入れなかった次第です。
仕方なく、温泉卵をゆでながら、一人ポツンと足湯。ことさら温く感じられました。
それから、相もかわらずの地元情報検討業務に専念。夜間でもお邪魔できるお宅に二軒ほどはしごして帰宅。
午前中、往きにお目にかかった方の開口一番の言葉。
「な~に、ダムはまたできるようになるんだと」とおつしゃったのです。本日の署名提出と合わせて、八ッば現地ではそのような空気が流れているのでしょうか。気がかりです。
Posted by やんばちゃん at 23:58│Comments(0)
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