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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2009年10月28日

大沢知事、二度の利根川増水をパネル説明

 
※(恐れ入りますが、末尾付記までお読みくださいますよう。調査中のことありですので) 
 昨日の前原大臣との質疑応答のやりとりの中で、各知事のトップバッターとなった大沢知事は、冒頭の総論の後、パネル説明による実例をあげて、1981(昭和56)年と1998(平成10)年9月に、利根川の水量が増してあふれだした大水の例を示しました。そして、「しっかりとした検証」をと訴えました。
 さらに八斗島における、島津見解の「13センチ」説の指摘にも触れ、「とんでもない話」と言い切りました。 
 
 (後に述べる、別掲に掲げた薔薇豪城さんのプログに関係することなのですが)、今朝の朝日新聞群馬版にも、パネル説明をしている大沢知事の写真が掲載されています。が、知事が掲げた4枚の当時の写真には、拡大鏡で見る限り、どうやら車が流される写真はないように見えます。下の二枚の写真は定かに見えないのですが……(※27日の私の席からは、右側に座った知事が正面席の前原さんに向かって掲げたパネルは見えなかっのです)。
 問題は、大沢知事の発言に、県庁職員の車の流出被害への言及部分があったかですが……。(のちほど、何らかの形で確認してみるつもりです)。
 なお確かに、11年前の災害と下記に述べます車の流されたことは、ただちに誰の頭にも結び付くことがらなのです。
 
 しかも、とりわけ1998(平成10)年災害については、度々、「もし、災害が起きたらどうする」とダム推進派が持ち出す例。
 地元民のダム推進訴えのご常連となられた星川町議の話を、4度聞きました。が、必ず、車の流されたことで、県民の頭に焼きついている11年前の大水の例を出され、「あれは、吾妻川があふれたのです。こういう程度の災害がいつあるかわからない」と話されるのです。
 なお、「吾妻川増水」の件については、過日、どの程度だったのか、私も長野原町の記憶力の良く情勢に明るい方に聞いてみました。が、それほどではなかったような感じでした。
 調べてみる必要がありますよね。
 どなたか、詳しいこと、ご存じの方、いらっしゃいませんでしょうか?

 前段階の説明が、長くなりましたが、、
 11年前の、利根川増水によって、群馬県庁裏手の利根川の河川敷駐車場、県と前橋市の職員用だったと記憶していますが、止めておいた県庁職員たちの移動しきれなかった車が流されたことがありました。
 約80台ほどだったでしょうか。
 短時間な上に、出張職員などの車は、不可抗力だったようです。
 けれど、通常は危険が予想される、危険区域の「河川敷」なのです。
 車を流されたのは、いかに許可にちかい形だったとはいえ、河川敷に車を止めた職員たちの個人責任です。確か、群馬県も「責任なし」と結論づけたと記憶しています。群馬県では以後は、駐車をかたく禁じて、今日にいたっています。職員たちは、個人で駐車場を探し、公共交通の利用度も増したものでした。
 お気の毒だったのは、担当者の方が、自殺されたことでした。あらためて、ご冥福をお祈りしたい思いです。
  
 さて、次の転転載は、県外の方ながら、車が流された11年前のことにふれてくださった、「第7官界彷徨」さんのブログです。
 実は、昨日27日付の欄を拝読。薔薇豪城さんの方が詳しいとはご推察しましたが、地元、群馬の者として、(記憶力で記すのでためらいもしますが)、会見に出た者として、アウトラインを記させて頂きました。
 (この日は、「タニガキガンバレ!」ですが、「マエハラガンバレ!」は過去に6回あります。念のため)。
 ※但し、書き進めていくうちに、末尾のような疑問点が浮上してしまった次第です。

http://plaza.rakuten.co.jp/articlenine/
「第7官界彷徨」 10月27日 タニガキガンバレ
////////////////////////////////
 今日の東京新聞一面
「前原国土交通相は27日、八ツ場ダムの建設中止問題で、流域6都県の知事と前橋市で会談し、「中止の政権公約は堅持する」としながらも、同ダムの必要性を再検証する方針を伝えた。前原氏はこれまで、同ダムの再検証に否定的だった。」
 という記事が出ました。
 テレビのニュースを見ましたが、「中止の撤回」の言質をとりたかった6知事に対して、上手に回避した受け答えをしていて、ほっとしました。

 ニュースの中で、群馬県の大沢知事が、台風の時の出水で、何十台も車が流されたという時の写真をパネルにして提示していましたが、あれは河川敷の駐車場で、いわば遊水池のようなもの。
 八ツ場について興味のある人なら誰でも知っている話です。
 これをどういう意図で持参したのか。もし、この写真によって前原氏及びテレビを見ている一般国民をだまそうとしたのならまだ理解できますが、本気でこの内容を信じて持って来たのなら、知事としてこの日本中で注目の大問題に対して認識不足、即刻引退願った方がよいのではないでしょうか
 ---略ーーー
///////////////////////////////
「即刻引退」とは、かなり手厳しいご意見ですね。

※薔薇豪城様 
 いつも、お心にかけて頂いてありがとうございます。
 実は、私も同一の意見で勢いよく書き出してしまったのでしたが、書き進めているうちに、大沢知事が河川敷の車災害にも言及したかどうか定かではなくなりました。そして、趣旨がそちらの方に転嫁してしまったのです。従って、検証の必要性に迫られ、アップを一時中断。その後は論旨の再編成となってしまった次第です。
 そのことと、後ほどお断りさせて頂きますが、事前のお断りなしの転載のお赦しを。

  
  


Posted by やんばちゃん at 21:56Comments(5)報告

2009年10月27日

前原大臣、各知事と会談

 


【※2010・4/19入】

 昨日の前原大臣と知事たちの会談の感想は、不謹慎な感想をいえば、“拍子抜け”と言ったところでしょうか。
 穏やかに終了しましたし、続く知事たちの会見も、平板でした。
 痛快だったのは、会談最後で、なおも「中止に至る根拠的資料を見せて欲しいもの」と食い下がる上田知事に対して、
  「皆さん方が、論拠としている資料は、前政権が作ったもの。これの洗い直しをします」的な発言で、再検証をめざすことを明言したことでした。
  

 12時~、群馬県前橋市の新前橋駅前の「ウェルシティまえばし」(前・厚生年金会館)で開催中の関東知事会を一時、中断して、13時15分開始の、受益県である1都5県知事のみと前原大臣の会談でした。
 この日、前原さんに同行したのは、馬渕副大臣と三日月政務官。
 まず、席についた前原さんは、「ご報告にあがりながら上座に座り、申し訳ありません」と非礼を述べ、挨拶をかねた持論を展開。
  〇 9/23に大沢知事さんにお骨折り頂いて現地視察。地元の皆さんとは会えなかった。長い経緯を思うと、申し訳ない    気持ちはある。本日まで伸びてしまったことへのお詫び。
  〇 政権交代は手段であって目的ではありません。
  〇一つは税金の使い道を変えることを我々は約束させていただいた。2005年から日本の人口は減少。また高齢化など。そ の日本の置かれている現実をふまえ、税金の使い道を変えることを約束した。事業の在り方を見直すさせていただく。
  〇その一つがダム事業でございます。八ッ場と川辺川ダムの中止はマニュフェストに書かせていただいた。二つだけでなく、 補助事業も含め、143ものダム事業の見直しも進行しているわけです。
  〇 「コンクリートから人へ」を約束した。そこには、二つの大きな背景がある。
  〇 一つはダムだけで、治水はできないということ。できるだけダムに頼らない治水・利水を考えて行きたい。
  〇 二つ目は、今までの河川整備計画の基本的な考えたの見直しを行う。利根川水系の基本高水問題など。
  〇 100年に一度、200年にと言う考え方は、永遠にダムを造り続けていかなくなっている。ダムのもたらす弊害。
  〇 根本的に見直していく。
  〇 八ッ場ダム中止の基本的姿勢は堅持する。そのうえで、治水・利水の再検討を行いたい。
  〇 懸念されている代替案にはどういうものがあるかを示さなければ、承服していただけないものと思う。
  〇 新たな再検証には、徹底的な情報公開を行い、皆様方からの様々なご意見をいただきたい。
  〇 最終的な結論を出すために、知事の皆さんからのご協力もお願いしたい。  
  などです。(意訳の部分もありです)。

 この後、地元の大沢知事が発言。続いて石原、上田、森田、橋本、福田知事の順で発言。
 それに対して、前原さんが、総括した答えを繰り出し、その後、質問のある方はの問いに、知事側が挙手し、その質問に対しても、一括した返答で締めくくられました。
 
 興味惹かれたのは、石原知事が「なぜ、ダムが長期化したか」と繰り出し、それは「福田・中曽根・小渕の三総理」に関係することを述べ出し、「それほど難しすぎた」とされたことでした。(石原さんはどういうわけか、一段と声が低いのと、語尾をはっきりおっしゃらないので良く聞き取れませんでしたが)、もっと、はっきりと癒着の構造を分析し、私見を繰り出してほしかったものでした。この時、わが群馬県・大沢知事は心なし、口を尖がらせていたように私には見えましたけれど……。
 (人さまの県の一国一城の主なのですから、非礼なものいいですが)森田知事は、やはり芸能界の残痕をぬぐえていない感を、前回同様感じてしまいました。現実の千葉県の実情よりも周辺部を語り、メリハリをつけすぎる声音の高低や繰り出す“役者”的な驚嘆のセリフなどを追いすぎ、かえって違和感が漂ってしまうのではないでしょうか。この日も声を一段とあげ、抑揚をつけ「いきなりドーンとやってくるんだけはやめてほしい)旨の言葉を繰り出していました。
(エヘヘ、肝心のことを抜きにして周辺部のどうでも良いことを記すのは、本ブログと私も同じ。だから他人のこと判るのですよね。自戒します)
  
 前原さんが、各知事と言葉を交わしながら、先に退席。最も長かったのが上田知事との会話。なお、遠隔の地の私の知人はダム問題はわからないとしながらも、「上田知事というのはクセモノだねぇ。最も手ごわいよぅ」と言ってましたけれど……
 その後、席替えをし、今度は一列に並び、記者会見が行われました。
 さらに、その後は、席替え。黒っぽい背広姿の大勢の若手県職員が要員として駆り出されていました。  


Posted by やんばちゃん at 23:01Comments(0)報告

2009年10月26日

成瀬ダムの皆さん、ありがとう。

 秋田県の成瀬ダムであった水源開発問題全国連絡会、略して水源連総会から帰ってきました。
 「成瀬ダムをストップさせる会」(代表 奥州光吉)のスタッフの皆さんのたっぷりの“おもてなしの心”に心打たれた、感動ものの旅でした。
 
        現地スタッフの見事な“おもてなしの心” 
 例えば、夜の懇親会の席に、地元のスタッフの方が、ご自分の水田近くのドジョウを煮てもって来てくださったのです。数に限りがあると思って、遠慮して一匹、頂戴。
 少なくとも40年以上もの時を経て味わう、しっかりとした歯ごたえのある、今でも食感が口元に上りくるお味でした。
 お礼を兼ねて、「いいですね。こういう自然が残っているなんて」とご本人に申し上げますと、ウジャウジャいるとか、おっしゃっていられました。でも、この方のお人柄の良さが言わせるセリフで、おそら、現地でも、もう希少価値になられていることと拝察していますが……

 思い出せば、子供の頃はわが家の田んぼ近くのせせらぎでも採れて、農村部の子供たちには、それが大の楽しみだったのです。竹製しょうぎを差し込んで足で追い込むのですが、足裏に伝わるドジョウがうごめくくすぐったさは、今でも鮮やかに蘇ります。今は昔の田んぼがなつかしく、惜しくてなりません。
 そして、八ッ場では通い始めた頃には、大きなつやつやとぬめりのあるドジョウ(私たちは、子供心にも「本もの、もしくは本当の」という意味で本ドジョウと呼んでいた)が水路にうごめいていた。そして、ほどなく水路にのたくって死んでいた。大振りのタニシもいた。これも甲羅まで茶褐色に染められ、死滅した。真っ赤な沢ガニもいた。その姿が浮かぶ。けれど、みんな死に絶えてしまった……
 
 翌日午後からの開催直前に、2分以内で各地からのヒトことをと言われました。
 こういう、心温もるおもてなしの心のスタッフさんのいられる会を、率いられる奥州さんや会員の皆様に申し上げることではありませんけれど、この日、会場内には横手市周辺からお見えの方々がびっしり。関心の高さと同会の働きかけの素晴らしさが伝わりました。
 そこで、前夜ほぼ一睡もできなかった事もあって、昼食後のこの時間帯は、最悪の朦朧状態。2分という時間で、八ッ場の歩みをどこまで伝えられるか定まりませんでした。ようやく、計画から57年間ということと総選挙後の動き、地元感情のみにようやく、絞りました。それで安心したのが少し、頭がスッキリ。場内を見まわすゆとりができました。でも、これは時間内に収まらないだろうなと懸念していました。
 そして、またも、いやしさこの上ない私の舌先に上ってきたのが、前夜のドジョウのお味と持参してくださった方のお人柄。さらに懇親会の時に、お隣に座られたやはり農家の方が守っていらっしゃるという、珍しい山野草のこと。
 たくさんの方たちの感性に訴えるは、八ッ場の二の舞にならないように自然界の消滅させないでくださいということにしようとひらめきました。
 絶対にあんな無意味な成瀬ダムを阻止。赤滝を山々の紅葉を守り抜いてくださいますようにと。

 ですが、時間が押して、「各地からの話し合い」は、参加団体の紹介にのみとどめるとのことに。なんと、「訴え」ではなくて、「討議」だったのでした。あはや、ピントのずれたことを申し上げてしまうことになりかねませんでした。

         地域の熱が、名勝を慈しみ育て行く 
 現地では、お天気に恵まれ、とりわけ二日目の栗駒山頂へ行くまでの道はすばらしいものでした。奥州さんが「お見せしたい」というお気持ちがわかりました。
 また、宿泊した、湯沢市 小安峡温泉(※関東では湯沢というと新潟の湯沢市となりますが秋田県です。またコヤスではなく、オヤスのよう)の「旅館・多郎兵衛 」は気配りの利いた落ち着きのある名旅館でした。土地でも随一との由。私たちの安い料金ではムリだったのを、?優秀なるスタッフが掛け合ってくれたとのこと。お弁当のお味に至るまで、老舗旅館の名に違わずの一級品でした。で、毎回出席組の方たちの中でも、(比較語はいけませんけれど)最も…との事でした。
 そして、早朝5時台、眠れぬままに飛び起きて、川べりの景観散策。河畔の絶壁からお湯が噴き出ている壮観な景色でした。
 こうした自然界の妙を大事に守り育てる旅館街は、栄えるものと実感した次第です。

 他県での総会は初めて。昨年の設楽ダムは地域の文化祭のことで最終的に無念のキャンセル。一昨年は八ッ場ダム。本当に、ムリして、参加できて良かったです。ちなみに山形新幹線に乗ったのは初めてのヒト。福島までノンストップには、(指定席がタダで購入できたのに、満席)。自由席はあふれて、立ち通しでしたのでビックリ。
 
        八ッ場を覆う、暗雲は濃し
 関係者の皆様、お世話になりました。
 これからは、八ッ場モードでがんばらねばなりません。かなり、状況は何やら厳しいものになってきています。本当にストップ可能になれるでしょうか? 
 危ぶまれるものがありすぎるからです。
 
 当面の日程
①本日からの国会では、21日に八ッ場にみえた川内・衆議院国土交通委員会委員長(民主)質問に立つそうです。
②明日27日、前橋で一都5県の知事会が持たれます。席上、前原大臣は出席を求められていましたが、「現地住民と会うのが先)と断り。
③その現地との対話ですが、25日の地元紙の報道によれば、前原国交相が25日に長野町に入りたいとの意向を22日に国交省・三日月大造政務官が県幹部に打診。県は23日、町に連絡。夜、住民代表らが町役場に集まり、対応を協議。「あまりにも急な話。人を集めるのに時間が足りない」との結論にて断りとのことです。  続きを読む


Posted by やんばちゃん at 11:42Comments(1)報告

2009年10月24日

助っ人さんが現れて、少~し読みやすくなりました

 皆様へ

 読みにくくてならなかった、当欄をあるメカに強い方の手助けで、お蔭さまで少し読みやすくなりましたでしょ。
 助っと人様、本当にありがとうございました。


 さて、本日24から明日、「水源開発問題全国連絡会」で、秋田県の成瀬ダムに行って参ります。
 今朝、早起きしてもようやく荷物が整いました。それでは行って参ります。大きなバックで出かけますが、おみやげ話、いっぱいになりますでしょうか。  


Posted by やんばちゃん at 07:58Comments(0)報告

2009年10月14日

昨日の友も、今日は疎遠なり  私的傍聴記

 
 本日、13時~産経土木常任委員会で参考人招致が行われました。
 またしても、ごくごく私的かつ我流の県議会常任員会の傍聴記を。

 前回、7日はガムをクチャクチャ咬み通し、結構リラックスムードだった、中島篤
委員長も、本日はガムもかまず、心なしちょっぴり緊張気味にみえました。
 各委員の丸テーブルの後ろ側には、ここの処、なぜかおとなしい南波和憲県議
をはじめとした自民党県議団がズラリと並んで応援体制?
 (でも、応援席よりも激しいヤジを飛ばしていたのは腰塚委員。冒頭の委員長挨
拶で、中島委員長が、41年前にもやはり関東地方整備局長を招致したことがあり、
その時の委員で、今もご健在なのは、腰塚県議の父上お一人だけと紹介されてい
たので、それでと張り切っいるのかなと勘ぐってしまいましたけれど)。

 証人として招かれたのは、関東地方整備局の山田邦博・河川部長。
 もうひとりは、おなじみの八ッ場ダム渋谷愼一・工事事務所長。
 菊川滋局長は都合がつかないと報じられていましたが、つい下種者の勘ぐりで、
逃げたのかな?
 
 さて、「政権が変わるということはこういうこと!!」ということをしみじみ実感させられ
た国交省側の苦しい答弁でした。
 質問時間は全体で80分。配分は自民党・ポラリスの会が38分、他会派は14分づつ。

 まず河川部長は、冒頭挨拶の末尾で「申し訳ございませんが、個人的見解への回答は
控えさせていただきますことをご容赦ください」的な言辞をくりだして、立場擁護の牽制球
を、ピシャッと投げてられました。
 一番バッターは笹川博義委員(自民党・ポラリスの会)が、平成4年、国と取り交わした
協定書の約束破棄問題。
 「約束不履行になるか」的な質問に、山田河川部長は「個人的見解は」と逃げ、ヤジの
応援を受けた、笹川委員は「そのくらいは、個人の判断ではないと思われますけれどねぇ」
的な嫌味な疑問を投げかけてました。

 山田河川部長は いかに失笑されても、ヤジられても、核心に入ると、、「今後の話し合
いの中で詰めていく]「大臣は、できるだけダムに頼らない治水・利水への政策転換の入り
口として中止と言っていますので……」を繰り返し、断言語は避けた。
 渋谷所長も「まだ、何の連絡もありませんので、……」と。
 
 こういう風に話していくと、本当に前原国交省は悪いヤツに思えてくる仕掛け?なのかし
らと思えましたが、山田河川部長は、そんな愚策的仕掛けはほどこせないような温厚そうな
お人柄にお見受けいたしました。(……私の直感力って案外、当たってるとの知人の評価あ
り)。
 ソウソウ、この間、私の稚拙な質問に応えてくださった関東地方整備局の方たちは、どんな
冷たい対応をされるかと思いきや、かけた電話に懇切に応じてくださいました。
 たとえば、2004年の事業費の倍額になった時などは、丁寧な数式計算の根拠と算出方法
を教えてくださった上に、呑み込みの悪そうなオバさんが間違えたら困るとでも思われたのか、
算出方法のFaxまでくださいました。
 またも残業すればいいというものではないけれど、こんなに時間と思える時間にも、回答の
電話をくださったものでした。ある意味で徒労感を味わさせられる仲間筋との神経戦よりも、期
待感なしだけに、そのすっきりした対応はうれしかったものでした。

 ぴったり一時間半で終了。
 すると直ちに、招致人の渋谷さんの席に、萩原渉委員が歩み寄って、「今日はお辛い立場でした
ね」と常日頃の新密度穂みせた慰労語を。
 傍聴席をたち、出口に向かう職員たちの列に入ろうとした矢先に、何気なく出くわした場面と
耳元に飛び込んできたこの慰労の言葉に思わず静止。「見たぞ見たぞ」という気持で眺めてい
ました。これに対して渋谷さんは無言。
 そうなんですよね。笑顔を見せて、久かつを温めたら立場上、妙なことに。
 まさに、政権が変わった今は、長年の知己もまた、相対する立場となってしまったようで、迂
闊に、つい総選挙前までのなれあい場面は表に出せるものではないでしょう。
 他の各委員も一斉に名刺を出して、次々とお二人の招致人に挨拶。
 じっと観察。思わずニンマリとしてしまったら、県の職員さんのお一人(どっかでみた方)と目が
あってしまったのです。その方も何やらニャッとなされていました。でも、なぜか会釈されてしまい
ました。どういう意味かなアレって。
  
 傍聴札を返しに一階の事務所に行きましたら、招致人お二人を含む合計五人の国交省関係者
は、はじめてらしい県議会で入口がわからないらしく、事務所前に戻られて、出口を聞いてました。
 お供の三人は後ろの席に座って、資料などを示したりしていた方たちでした。
  そして、足早に立ち去って行かれました。
 そして、早くも「極めて、慎重な答弁だったらしい」と政権党、主党筋には報告されていたとの由。
 しかし、本当にすまじきものは宮仕えですね。結構、大変なんだなと感じた次第です。

 なお、この日の一般傍聴人は、最初に「傍聴人の定員は5名ですが、本日は多くなりそうなので、
特別枠の配慮を行いたい」旨の事務局の言葉がありましたが、定員内の、男性ニ名と私のみ。
 途中から三々五々と顔を出した県議たちも、この日はまばらな県職員席の空席に腰をおろしてい
ました。
 この後、明日15日の定例会最終日に特別委員会の設置を提案するための議会運営委員会が開
かれたようでした。


  


Posted by やんばちゃん at 23:50Comments(0)報告

2009年10月08日

品木ダムにはヒ素まであるのに (ニ)産経土木常任委・傍聴 

 昨日、お伝えした9/7(水)の県議会・産経土木常任委員会の
傍聴について、お知らせします。
 まず、下記の、総務企画常任委員会の様子を伝える二紙の報
道をご覧ください。
 
①はサイトがないので、手打ちにて。誤記がありましたら、お許しを。
 ①【2009年10月7日(水) 上毛新聞一面 中段 小見出し】
  八ッ場ダム問題 常任委でも舌戦 県議会 
 県議会総務企画常任委員会が6日開かれ、八ッ場ダム建設を
めぐって、推進派、中止派の両議員が県執行部への質問の形で
主張をぶつけ合った。
 口火を切ったのはの「八ッ場ダム推進議連1都5県の会」幹事長
を務める中沢丈一氏(自民)。利水を担当する県企画部、首都圏の
人口微増を理由に水需要が当分減少しないことや、少雨傾向に伴
い取水が不安定化しているという見解を示したのを踏まえ「水がめ
としての八ッ場ダムの必要性が高まっている」と建設推進の合理性
を強調した。
 これに対し、続いて質問した「八ッ場ダムを考える1都5県県議会
議員の会」事務局長の角倉邦良氏(リベラル群馬)は、強酸性の川
を石灰を使って中和している現状について触れ「(ダム湖が)青い水
を満々とたたえ、素晴らしい水がたまるなんてことはあり得ない」と主
張、建設事業に疑問を投げかけた。

② 【2009年10月8日(木) 朝日新聞群馬版】 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000580910080001
  八ッ場ダム    県議会で水質論争
    民主系議員発言を削除


 ////////////////////////////////
 さて、昨日7日、二日目の産経土木常任委員会のしんがりを務めたの
は、真下誠治さん(自民・ポラリスの会)。
 去る28日の県議会一般質問初日の冒頭の質問者で、八ッ場ダム問題
をとりあげ、その持ち時間のほとんどを、かの長野原町町議会議員・星河
由紀子さんの例の原稿を、時に声詰まらせて読み上げた県議です。
  ※(あらためて、くり返しこの方の手記を聞いていると各プロットごとが
  出来すぎていて、一瞬は心打たれる。が、次に「ちょっと、出来すぎて
  いないか?」 と、かえって違和感が漂いくるから、不思議である)
 
  設問の趣旨は、①の「今朝の上毛新聞の内容を訂正せよ」。
  理由は、「角倉発言は、読んだ人に影響を与える。いかがなものか」。

 以下は手元のメモ書きをもとに。誤認はご容赦を。
 真下:この記事に対して、どう考えるか
 県 :ダムに流入する湯の湖は、S38年に中和工場が完成。PH2~3
    をPH4~7に中和できるようになった。汚水対策、富栄養化対策な
    どがある。
 真下:それは草津の町だけのことか?
  県 :吾妻川全体。
 真下:河川は国の管理。吾妻郡全体に湯川の水質はどうなっているのか。
  県 :群馬県には詳細なデーターはない。
 真下:それは角倉発言の言う通りなのか。雨がふれば薄まるはず。
 県 : 県が聞いているのは、総合的な水質なので……
  
 ---ここで、隣の萩原渉県議と話し、以下、萩原県議からの伝聞口調て゜
    話した。で、3時~10分間の休憩終了間際、廊下の様子が見える室内
    の定席にすわっていた腰塚誠県議から「もう、話止めにして入れよぉ」と
    ニ~三度言われて、二県議は語りながら室内に入り、席についてもささ
    やきあっていたので、休憩中に廊下で今回の質問について話しあってい
    たのではの憶測がひらめいた。
     さらに今朝の②の記事を読み、総務企画常任委からの議員間の情報
    連絡があった? のではとの憶測ができるのだが……ーーーーー
 
 真下:草津町での「たれ流しの水を飲んでいる」という意見がある。 
     不安を煽るような発言だ。草津の公共下水はどうなっているのか。
     国の事業でやっているのだから……、質問書は出しているのか。
     シャンプーした水がフケやアカと一緒に伊勢崎市まで行っているとい
     うことらしい。草津町は垂れ流しかなのか。
 下水道課長:合併浄化槽の普及率は87、2%。県内の上から5番目の土
          地です。
 真下:12、8%は出来ていないということになるけれど……
     川の水質。利根川と合流する前の吾妻川の水質は、群馬県の汚泥の
     環境基準を満足させているのか?
 県側答弁: ーー※長いことと、メモしきれない部分もあるので略ーー
 
 真下:中和している品木ダムの水の色は、奇麗な水の色なのか。汚いのか。
     データーをもらえ。
   ※さらに、先の前橋地裁の環境の箇所の判決文を読み、国も問題ないこ
    とを認めていることを強調。 
 県  : ①流水調節 ②流水の健全な機能
 真下:吾妻川流域には、何百という川筋があり、その中の一本でしかない草
     津の湯川を取り上げるのはおかしい。
 県土整備部長:吾妻川はきれいです。
 真下:さすがは、元国交省の河川局。

    吾妻川・湯川、湯の湖、品木ダムは地元でしょに
   
   ここまで、急ぎのメモを写しましたが、あ~あ。
   真下さんは、吾妻合流地点の  渋川市選出の議員さんであり、萩原議員
  は湯川のある地元の草津町選出の  議員さんではありませんか。
    風評被害とか言って、こんなに仰々しく持ち出される前に、何で日頃よりご
  自分の眼で確かめておいたり、なぜ地元関係機関に電話ででも確かめられな
  いのでしょうか。
   マァもっとも、市民運動の中でも、先般「品木ダムのヒ素問題」を追及する会
  の設立に対し、「草津町の風評被害になる」とご親切な老婆心で運動つぶしを
  はかられたご仁もいらしたのですから、自民党議員団が一致団結して憂えて
  「発言削除」を迫るのもムリからぬことでしょうが。
   確かに、湯の湖の石灰水と反応した不気味な抹茶色を、エメラルドグリーンと
  でも呼べば、どんなに麗しい湖面が出現するかとでも感じられていたのでしょう
  か。
  
        ヒ素の堆積物があり   
   けれどね。ヒ素があるんですよ!! 
   風評被害でも何でもなく、最近は、品木発電所では、温泉にはつきもののヒ素の
  存在をちゃんと公表していますよ。市民運動が把握したのは、2000年~01年時
  ではなかったでしょうか。
   その為に、汚泥をダム湖下流に捨てられず、周辺の上流域の雑木林は、私が吾
  妻川流域「あなたこの水、飲めますか」を地元誌に乗せるために動き回った2000
  年秋の頃には、雑木林の賃貸料が年々かさんでいったデーターが品木ダムの記念
  誌にありました(草津町立図書館にあり、県立図書館を通して借りた)。
    数年前からもう飽和状態となっていて、対策に困惑しているではありませんか。
   この品木発電所の年間維持費は、同じく当時原稿に記す必要性に迫られ、同発
  電所に確認した際の答えは10億円でした。物価高の今は、幾らでしょうか。
   (“隗より始めよ”。早速、私も確かめてみましょう! 湯の湖と品木発電所に最後に
  訪れたのは7月でしったけ。もう、何回目になりますでしょう)。 
   脇で、県職員の顔を観ていて、「私自身はダムは必要だと思います」と答弁の中で
  あへて言わねばならないお立場を、お気の毒に感じてしまいましたけれど……。
   
  国交省、“鉄の輪づくり”、県議会でも   
   
   そして、「吾妻川はきれいです」と言っただけで真下県議に持ち上げられた、県土整
  備部長さんは、国交省からの出向だったんですか。
   はからずも、今夜の12チャンネルの23時過ぎの公共事業の特集番組「ダム中止 
  その先に」の中で、栃木県の総事業費1840億円の湯西川ダムについて、「どうして、
  ダムを中止でなかったのか」と問われた、福田昭夫前知事(民主党)が、「これは国家
  権力が強くてとてもとても。各県には国交省からの何とか部長がきていて、あっという
  まに横の連携をとる」という意味の証言がありました。
   これって、監視役?
   新政権さん、この制度にもメスを入れてくださいな。
   わが県の部長さんは、色白の繊細そうな方にお見受けいたし、とてもそのような鉄の
  結束の一員にはみえませんけれど……。そういえば、もうお帰りになられたけれど、高
  崎市にも国道17号ができるまで出向されていた、助役(後、副市長)さんがいらっしゃい
  ましたっけ。この方もとてもきさくでにこやかな方でしたが……

   とにもかくにも、「青々とした湖になるわけない」と述べたために、二日間にわたり討議
  された角倉県議の発言は、栄えある県議会の記事録から削除となったそうな。
   他の委員会でも熱心に妙チクリンな助っ人討議が行われていたことを、一県民として傍聴した者
  の責任としてきちんと明記して、おしまい、おしまい。
   これぞ、まさに錆びた?、鉄の輪


    


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2009年10月07日

契約行為なら訴訟に持ち込め (一)産経土木常任委員会・傍聴

 県議会・産経土木常任委員会の傍聴に行ってきました。
 8時半~受付、先着5名ということで、遅れぬようにと必死だった
のに、なんとオンリイ・ワンの私のみ(14時過ぎ1名来るが早退)。
 常任委員会のメンバーは、委員長以下8名。1名欠。
 3日ほど前に電話して、前日の6日には、産経の部門。ダム問題が
議案となる土木は本日と聞いてました。
 傍聴席についてから、しまったと感じたのは、配布物として貰えたの
は、流れを記した1枚紙のみ。前もって、県会議員からアウトラインを
貰っておくべきでした。
 ですので、約1時間の資料説明はまさにチンプンカンプンで、苦痛。
 その後、質疑に入りました。
 午前中のお二人はほぼ八ッ場ダムに時間を費やされ、午後の部で
発言された五議員とも質問・確認事項の末尾で、ダム問題にふれら
れました。

 この中から、二つの大きな視点を取りあげさせて戴きます。
①平成4年度の群馬県と関東地方整備局との基本協定書は、民事
での「契約」に値するのか? 
 「契約行為」なら「約束不履行」として、法的に責任追及が可能では
県の見解を問う。

②前日の総務企画常任委員会の中で、企画部に属す、水利権問題
関連で出された草津町の温泉水に関する角倉発言の余波問題。

 一度に書ききれませんので、ニ回にわけます。
 なお、記者と異なり、録音できずメモがきですので、言い回しは要約に
なりますこと。従ってニュアンスまでは不可となること。また誤認がありま
したら、ご寛容のほどを。

 最初は、13時再開後・二番手の笹川博義県議(自民・ポラリス)の
質問を。
 幾つかの事業の確認事項の最後に、①の質問を行いました。
 やりとりの骨子を。
 
 笹川:基本協定書を結んだ相手先は
 特定ダム課長 : 関東地方整備局と結んでいる。がイコール「国」であると県は
     考える。「国の全権大使として、契約」と考えている。
 笹川:協定書=契約書なら、民間での契約は履行義務がある。
     民間でいえば、訴訟の対象となる。
     その確認はしたか?
 ?県  :していない。
 笹川: だったら、すべきだ。
      政党の代表ではなく、国の代表と行ったのである。民主党の立
     場ではない。
      先の一般質問の中で、大沢知事が言ったように、情報公開をす
     べきだ。昨今の中傷メールは無知から出ている。当時の国交省は
     自民党に大変な責任がある。
     ーーーー以下、あいまい部分があるので念のため割愛ーー
 
 司会・中島篤委員長:「民事でいう契約なのか」を学事法制課の意見を求
              める必要性があるのではないか。
 県土整備部長: 訴訟の対象となるかどうか、調べてみたい。
  
   この後、「前原大臣を呼べないか」との発言もあり 
   


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2009年09月30日

週刊ポスト・コメント誤認記事について

 昨日に続き、「週刊ポスト」の現在発売中の八ッ場関連記事の私のコメントについて、訂正させていだきます。
 下記のかっこ内の朱筆が、私のニュアンスを伝える文意になります。
 もちろん、このようにまとまって語ったのではなく、断片的な談話を、記者がストーリーを作り、つないで仕上げたものであることは、ご了承ください。
 掲載記事では、前提条件やただし書きが欠落しているので、あたかも一年後に、水没地内の全世帯で1軒につき700万~800万円ほどもらえたような、まったく根拠のない記述になっています。もちろん、契約しなければ、補償金は支払われません。

 なお、コメントのず~と前の書き出し近くで「八ッ場ダムは戦後間もない1949年に利根川流域の水害防止」の1949年とありますが、これも1952年の間違いでしょう。(昨日、届くと思ったのですが、まだでして、全体をじっくりむ読んでません)

 9/28発売の「週刊ポスト」八ッ場ダム報道 の 当方のコメント訂正
  ()内赤字・訂正文  地の文章中の斜体文字・削除
//////////////////////////////////
 ダムに沈む町の住人たちと長年接し、『八ッ場ダム──足で歩いた現地ルポ』(明石書店刊)の著者である鈴木都子氏がいう。

 「住民の方々に、故郷が沈むことを泣く泣く受け入れたのに……という心情があるのは事実です。ただ、同時に“生活設計とダム建設が不可分”ということにもなっている(を思い込まされているのです)。
つまり、ダムによってお金がもらえるということ(という風にあおられてしまってきたのです)。01年の6月14日に補償基準の調印式が行なわれ、(いち早く契約に応じた)住民にはその年末に補償金が出ています。
まず(また、助成金という下流都県からの感謝金もあり、資産や世帯数により異なりますが、当時現地では、平均すると契約後に)1軒につき700万~800万円ほど貰えた(支払われる予定)と聞いています。その後の(損失補償に基づく)買収価格は、持っている土地の価値などによって(宅地の場合は)6段階に設定され、1等級の地区なら1坪24万5100円、6等級で1坪6万9600円となっていました」

 先祖伝来の土地を奪い去るダム建設が、“カネのなる木”に変わったのだ。

 そうやって国交省のプラン通りに生活設計が組まれているから、中止に反対せざるを得なくなった側面は否めない。

 明治大学政治経済学部の高木勝教授は、国交省が住民を“補償金漬け”にして操っていると指摘する。

「一般的に、ダムが建設される地域の土地や建物は単価が低い。だから役人は支援金などのかたちで、土地の代金以外にも多額の補償金をバラ巻き、反対派の声を封じていく。そうやってカネや圧力で住民を籠絡(ろうらく)するのが役人たちのやり方です。国交省は住民たちの“本当は故郷を捨てたくない”という思いを“ダム推進”へと操作しているようなものです」

 そうやって住民たちを味方につけた国交省は、「建設中止はダムを作るよりカネがかかる」というキャンペーンに乗り出した。

 しかし、民主党政権と前原大臣が八ッ場ダムで問われているのは、単純に建設推進と中止のどちらがコストが安いかという損得の問題ではない。

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Posted by やんばちゃん at 19:43Comments(0)報告

2009年09月30日

9/28発売「週刊ポスト」の誤認記事についてのお詫び

 月曜日発売の週刊ポストの八ッ場ダム問題の中で、私のコメントが
掲載されていますが、まったくの誤認報道となってしまってました。
 掲載誌を送ってくださるというので、求めてはないのですが、一読後
驚愕してしまいました。
 
 各記述の前提条件が欠落しているので、誤認も甚だしいき内容に変
容してしまっているのです。
 幾つもの柱立てを一つの流れに書いてあるので、これでは水没地の
全世帯で、一軒あたり700万~800万円のお金をもらったような印象
を与えてしまいます。
 
 現在、編集部と善後策について、協議中です。

 ダム問題は初めてという記者に「ダム問題の金銭に関わることは複雑
だから、気をつけてね」と幾度となく言ったのでしたが……。
 初めて、コメントをとられた週刊誌の世界で手痛い経験をしてしまいまし
た。
 「ゲラ」は当然、送ってもらえるものと思いましたら、ダメ。電話口で読んで
もらったものの、幾つかの間違いを指摘。「書き直したものをもう一度、連絡
して」と言うと、「もう、校了なので時間なし」とのことで……。
 取材の電話を受けてから、この間、三日間。
 私は、一言の内容でも、確認に八ッ場へ飛んでいったものでした。


追伸的に、
 (実は、訂正事実を詳述し書き上げたブログ記事がどういうわけか、二
回とも「投稿」にならず、先ほど途中で仮アップしましたら、いつの間にか
翌30日に日付が変化してしまいました。
 本日はいろいろありまして、疲労の極に達しています。そのためでしょう
か。二度も書き上げた長文がまたも、原因不明のクリア。再度また、詳述
するには、もはや限界です。そのうえ、抑えがたい睡魔に見舞われて…)

 勝手ながら、関係者の皆さま方、とりわけ、ご心労のかさなっている水没
地の皆様方に、心ならずもご迷惑をおかけしてしまわないかと憂えておりま
す。明日、再度また訂正をさせていただきます。お許しを。
          --(29日な記すが…、9/30 0時31分ーー)
                   


Posted by やんばちゃん at 00:15Comments(0)報告

2009年09月25日

町民の入れなかった意見交換会。“垢や膿”、どこへ届けよう!

 昨夜来、最初から一貫してダム反対派の地元の生の声を新政権に届けるために、
この町民の方の手書き原稿を分かりやすく校正してワープロ原稿にしました。
 その加筆説明した文書、当日用意した当方の要望書に加え、この間、各方面に送
信した要望メールなどの整理に追われていました。
 が、ようやく完了。

 幾つかの送付予定文書の中で、ハイライトはこの現地住民が、意見交換会に出席
して伝えようとして持参したものでしょうか。
 事実に基づく、国のインチキや公務員の実態、そして、何よりも
地元有力者の役得による横暴
が列記されています


 大臣に実態訴えようとした町民 会場に入れず 
 
 折角、大臣が見えるというのに、肝心の一般住民ははいれませんでした。
 9/19朝、本欄や水源連メールにてお知らせしたように、当初の計画は三部
 構成。
     一部は県知事・県議クラス・町長との会。
     二部は町行政とダム対策委員会、(定かには決定されていなかったが)
           ?傍聴のみの町民
     三部は、記者会見
 その二部の場面で、一般住民の傍聴は可能かも知れなかったのでしたが、
 前日の会議=(報道によれば)10日に発足した吾妻推進協議会の会合の中で、
二部はボイコットに決定。
 この時点で一般町民は入れないことが自動的に成立してしまったのです。
 ?これが長野原町の論理。
  この町の一端をみた思いです。
 国交省が申し入れたのは、長野原町に対してではなかったのでしょうか。
 吾妻推進協議会(委員長・萩原昭朗)は、何故に町民の声を封じられる
ほどの、絶大な権限を持っているのでしょうか。

 
 大臣一行は定刻よりずっと前に、二階にあがっていてご存じなかったのでしょうが、
そのため、朝刊に「一時間半の用意あり」とあったのを見た町民が訪れても、入口で
私服の警察官に阻止されたのです。
 警備とはいえ、なぜ、ここに私服の警察官がたつ必要性があったのでしょうか。
  現実に、意見交換会当日、地元に巣食う“垢や膿の実態”を聞いて欲しかった複数
の町民は警察官に阻止されてしまって、入室できなかったのです。
 まるで、町全体がダム建設を願っていることを示すための、門前払いではありませんか。
 
 その模様がテレビや新聞での報道から、確実に三名ほどいらっしゃったようですが、 
私にメモを送ってくださった前述の方は、このお三人とは別の方です。
 事前に私が、もしかしたら意見交換会の一般傍聴があり、手渡しできるかもとお伝え
したので、メモを持参されて会場にみえていたのですが、入口でやはり阻止され、入
れずに帰宅。
 かなり強く抗議したということですなので、駐車場近くまで警察官が着いてきたそうです。
怒鳴って帰したそうですが、 ナンバーでも、わりだそうとしたのでしょうか。
 
 テレビ画面で警官マスコミ勢に取り囲まれていた青年を目撃。記者の手帳に書き
込まれた青年の住所や名前を見て、私もお訪ねしたことのあるお宅の息子さんではと
ひらめいたものでした。その地域で唯一のお名前だったからです。
 のちほど彼に聞いた話と帰宅後のテレビ画面の映像を総合判断すると、この青年は
「意見交換会がある」というので、両親とは違う自分の意志で参加しようとして、律義に一時
台から庭の隅で延々と待ち続けていたようです。
 しかし、4時近くなっても、一向にその気配はなし。
 しびれをきらして、場内に入ろうとして警官ともみ合い、怒りが爆発。エスカレートしてしまっ
たようです。
 
 さて、このように、入口で制止して入れないのですから、流れるのは当たり前。
 こうして、「意見交換会一時間半の用意あり」の新聞に載っていた朝日新聞群馬版に載っ
ていた一縷の望みは断たれてしまった上に、結局、当初、伝えられた時間配分も大幅に変
更となり、そのまま知事クラスとの歓談が延長となり、長時間が費やされました。
 私は、会場内にいたものですから、メモの持ち主との待ち合わせ時間に会えなくなってし
まいました。
  
 私も持参した当日の要望事項のトップに掲げましたが、ともかく、草の根の民のみ声を聞く
門戸を広げた会を、今度は開催してもらいたいもの。
 そこで、日程をキャッチした「方策はないのものかと」メール類にも入れた次第です。 
 (数日間にわたり、今も続く「配信不可」で、急ぐのに届かず往生しました)
 

  総意←推進役員によって←(自民党) 
 
 今後は、ダムの役員は、幅広い町民から、公募などの措置を行ってほしいものです。
というのは自明の理といえばそうですが、ご多聞にもれず長野原でも、役員構成はダ
ム推進派でなければ、役員になるのは絶望的な構造になっているのです。
 これでは、真の民意は届けられません。
 ボイコットの決議したのはメンバーは、どっぷり垢が染み込んだ(?)一部役員であり、
その役員クラスが作り上げた町の総意であり、結束でしかなかったことも
併せてお伝えしたいのです。

 この役員体制こそが、ダム問題を動かしてきたと言っても過言ではなく、この間、国や
県による、幾つかの約束反故があったにもかかわらず、不思議なことに、今回のように徹
底抗戦どはせず、いずれの場合も、いつの間にか立ち消え。
 国と県と町は一体であることを物語ってませんか。

 とりわけ土地を持たなかった借地人は悲劇でした。ある役員が前例をしいた「100対0」
が、水発地内では、他の地主にも踏襲しされてしまったかからです。そして、この方たちも
自ら捨て身の構えで孤軍奮闘することもなく、諦観の中で町を出ていったのです

    “垢や膿”暴く、必殺仕置人登場す 
 
 その意味で、私が手元にお預かりしてこのメモ書きは、多年にわたる長野原町のダム
行政に、業をにやしたある方からの、必殺市置き人的文書となりうるかもしれないなと、心
して打ちました。
    


Posted by やんばちゃん at 14:03Comments(4)報告

2009年09月23日

予定通り、交換会の用意あり

    お知らせ

 意見交換会は予定通り、開催!! の模様
 
 地元の両町のダム(推進)役員は、本日の会議をボイコットすることに決定していますが、本日の朝日新聞群馬版に、
午後2時15分から同町の山村開発センターで1時間半用意されているが、現職大臣を前に住民が一人も参加しない可能性もある」
の記事がありました。
  

 早速、民主党筋に電話。
 国交省が仕切るので詳細は分からないですが、意見交換会の「用意」はあるそうです。
 
 昨日の夕刻、長野原町内には、防災無線で「意見交換会は出席せず、なし」の放送が出されたようですので、もしかしたら誰もということもあり? ある意味では、はからずも意見反映のチャンス!

   


Posted by やんばちゃん at 08:49Comments(0)報告

2009年09月12日

(二)お返事にかえて、経過を

 前述したように、ご質問の真意を読み違え、的はずれになっていることを憂えつつ、

 「地元の反対運動を黙殺」=「今頃になって」の解釈にての、個人的な経緯をお応えに代えさせて戴きます。
 お応えというより、むしろ言い訳ともとられなくないであろうし、そんなこと聞きたくもないとのご批判をも覚悟の上で、私の運動の経過を記させていただく次第なのです。よろしく、おつきあいくださいな。

 私が初めて、八ッ場現地を訪れたのは10年前の1999年11月3日と記憶しております。
 川原湯温泉を訪れた文人墨客の取材でした。
 終了して、見上げた対岸の三つ堂のおく深い景観に瞬時にして魅了されてしまいました。思わずまだあった河原畑地域の小道というか、野道に足を踏み入れてしまいました。
 そして、「ダムって何なの?」の疑問に突き動かされ、ダムのダの字も覚束なかった中年おばさんの今に続く、八ッ場通いが始まったのわけです。
 当時は現地の反対運動の旗は降ろされ、火は表面上は消えかかってました。
 始まったばかりの画期的な情報公開が、現在ほど開かれておらず、ダムの全容は部外者には殆どわからず、手探り状態でした。
 たた゜、ひたすら、八ッ場の底光りする自然界の癒しに惹かされて、お邪魔させて戴き、見聞の領域を広げさせて参りました。

 幸いにして、当時出入りしていた県内誌が、大型公共事業のムダをつく観点からの「ダムもの」を書くと掲載してくれたので、夢中で学びました。
 加えて、編集長が「旧・八ッ場ダムを考える会」の発起人の一人として設立準備会に奔走。その事務所的な部屋がそこにあり、吾妻郡出身の女性が短期間ながら事務局として働いていたこともあり、事務所のお手伝いも兼ねて、発足時からの会員となりました(※水問題の市民運動の砦、「水源開発問題全国連絡会=水源連」の存在は、まだ残念なことに知りえず、遠い存在でした。現在は団体加入しています)。

 うれしいことに、終世、ダム反対を貫かれた豊田嘉雄さんもまだお元気で、「遅かったよぅ」と嘆息されながらも積年の積もった思いを語ってくださいました。
 さらに、現地のし烈な運動を語る象徴とされている、1967年12月の総決起集会。
 その当時の若手メンバーの方々が、まだご存命だとの情報に小躍りしつつ、大喜びでお訪ねすると、時すでに遅く、明らかに推進の側に回った方もいましたが、反対運動の余燼をくすぶらせつつも、時代の変遷の中で余儀なくたたずまれていらっしっゃたのでした。    
 その際、異口同音に吐かれ、聞かされた言葉。
――あんた、来るんが遅すぎたい。もうちょっと早けりゃ、どうにかなったかもしれねぇけれどなぁ。はぁなあ、どうにもならねぇやいーーー
 ……ですが私は、なぜか、子供心に父親が繰り返していたので染み付いてしまった感の、例の2・26事件時のセリフを自己アレンジしてしまって、「今からでも遅くない」式のヒトなのです。諦めて、過ぎ去らせ黙認してしまえば、次の時点ではもっと遅くなってしまう。だから、気がついた時にガンバルしかないものと。
 こちらは、その年齢に合わない若いくて青臭い一途な思いに燃えてしまってました。が、今にして思えば、現地の皆さんの困惑は意にも介さなかったのかもしれませんでした。本当にご迷惑をかけ続けてきた、困ったおばさんです。

 その矢先、程なくやってきた、忘れもしない2001年6月14日の「保償基準調印式」。
 哀しいことにその時まで、「補償基準」の意味も正確には判らないほどの幼さでした。愚かさでした。
 調印式の取材からの帰り道、部外者の身にもことの重大さがひしひしと伝わりきて、想定される先々の工程と大きな節目に、その夜、消沈しながら関係者たちに電話した際には、思わず涙声になってしまってました。翌朝、新聞の「事実上のダム着工」の決定的な文字に打ちのめされたことが、今でも浮かび上がります。
 それでも、スカーレット・オハラ並みに、絶望の底でも、まだ「明日」があると思ってました(もちろん、類似点はこの気性の荒さのこの一点のみだけですが)。
  「まだ、完成したわけじゃない。明日がある」と言いきかせつつも、節目節目の苦しかった時には、悔いたものでした。
 「あの頃、今みたいにダムのことが分かっていたら」「まだ地目認定の段階だったら。せめて、補償基準前なら」と、悔いても仕方ない、後の祭りのことを。

  そして時に身勝手にも、全国活動の一端に触れて視野が広まった時に、ちょっぴり、己の無恥・非力を脇において、次のようなことがよぎりもしましたよ。
  全国の市民運動iはダム工程に精通している先駆者たちもいられたのだから、八ッ場のことだってご存じなかったはずもなかったろうにとも……、なぜ、もっと以前、地元に反対運動の余熱があった時に、援軍にかけ走ってくださらなかっかとも。
 (……で、もしかしたら、ここがご質問の隠された設問なのかとも、推察してもみますが……)
 でも、考えてみれば現に、かほど怠ったわけではないのに私もまた、この10年間もの歳月に、脱ダムの動きや理念を現地につなぎ、現地の状況を社会に拡げることの他には、出来なかったわけなのですから……。
 恥じて、愕然としています、
 
 誰も誰もが、仕事として日々着々とことを成し遂げられる公務員に対して、生活の資たる仕事をこなしつつそれぞれの持ち場のダム闘争を支えることで手一杯だったことでしょう。
 市民運動の限界ともよべましょうか。
 ほんのしばしとはいえ、身勝手な責任転嫁はまさしく暴論になるかもしれませんね。


 次に、当然、「生半可なことなら、迷惑だから、最初からやるな!」というお叱りの声が聞こえてまいります。
 捨身になって、職をなげうってでも、邁進すべきでしょう。命を懸けるくらいの覚悟がなければ、趣味で市民運動やボランティアはすべきではありません。

  
   
未完ながら、中断

 先ほど、何時間かかかって夢中で打ち上げましたこの拙文を、完成間際にうっかりミスにて消去してしまったのです。
 気を取り直して、昼食もそこそこに打ちなおしを始めてから、すでに数時間。なんと夕方の6時になりました。
 もう手が痛くて……限界です。
 中断します。ご寛容のほどを。
 





    


Posted by やんばちゃん at 17:25Comments(0)報告

2009年09月12日

(一)9/5のコメントへのお返事

 去る9/5の午前1時頃に、下記に転載のコメントをお寄せくださいました方、お返事が遅れてしまいまして申し訳ございません。(メール先をお知らせくださいましたら)もっと早くお返事できたのですが、ご連絡のとりようがわからなかったのです。
 しかたなく、外出前の9/6の深夜に、最新ブログの頭に、以下の言葉添えを記させて頂き、気がかりながらも出かけた次第です。
....................................
コメントをお寄せくださいました方へ (※9/63アップ、現在は削除)
 本日、コメントに気がついたのですが、お恥ずかしいのですが返信の仕方がよくわかりません。
 (なお、明朝というより、深夜に出かける予定の電車の時間も迫っており)恐れ入りますが、帰宅後に お返事させていただきます。 どうぞ、ご寛容のほどを。
  ....................................

 帰宅後に、ブログの管理画面をあちこち動かしてみましたが、やはり返信は不可能で、往生。
 さきほど、ようやくパソコンに精通している方に伺うことができたのですが、メール番号がないと返礼方法がなく、本欄で書くしかないとの由。
 そこで、本欄にて以下の、貴コメントへのご返答をさせていただく次第です。が、不特定多数の目にさらされることゆえ、ある程度の制約がつきまとうことは、ご理解くださいませ。
 願わくば、もう一度、お便りくださいませんか。仮にご連絡先が判っても、決してご迷惑はおかけいたしませんので。

..........................................................
 【お寄せくださったコメント全文】 
 ダム本体が出来ようが出来まいが地元のコミュニティはすでに破壊し尽くされていて手遅れです。私も近いうちに吾妻を出ることになると思いますし、 現在反対運動をしておられる方々はことごとく地元の反対運動を黙殺してこられた方ばかりなのはなぜなのでしょうか。その理由をご存じなら教えていただきたいと思います。私には理解できません。
※[句読点は、当方が添付]

...........................................................................
///////////////////////////////////////
 
【返信 その一】 

 さて、ご文面から、どうやら水没地内もしくはご関連の方かとご拝察致しております。お辛い立場から、つたなく私見に充ちた本ブログに、勇気をもつてお便りくださいましたこと、改めてお礼を申し上げます。うれしく拝読いたしました。

 最初に、次のお断りと確認をさせていただきます。
(いざ記そうとしまして、再度ご文面を熟読いたしましたら、迷ってしまったのです)。

 地元の反対運動を黙殺反対運動とは、(現在のダム推進の運動ではなく)かつての地元のダム反対運動と受け止めてよろしいのですよね。
 「反対」の語の位置づけ、思いもつかぬ「黙殺」の語の意味あいの関連性。それらが、短いセンテンスの中で微妙な箇所となり、判断に苦しんでおります。

 そこで、過日一読後に直感した文意、私たち市民運動に対しての批判、「地元が反対に燃えていた時に、市民運動の面々は手を出さなかった。今頃になって遅すぎる」との常日頃言われておりますご批判。そのように受け止めさせて戴き、以下のお尋ねの件に、見当違いの答えにならないか憂えつつ、誠意をもって記させていただきます。
 なお、あくまでも、私個人の見解で、市民運動総体を代表しているわけではないことは申すまでもありませんことはご承知ください。


① 〉現在反対運動をしておられる方々はことごとく地元の反対運動を黙殺してこられた方ばかりなのはなぜなのでしょうか。
② 〉の理由をご存じなら教えていただきたいと思います。私には理解できません。

①について、
 「ことごとく」とお書きになられたように、確かに私も微力ながら、反対運動の一員には相違ありません。但し、この10年間、断じて皆さま方の「地元の反対運動を黙殺」した覚えはありません。
※理由として、個人的理由と経過を、別記させていただきます。

 ですので、「なぜなのか」と問われましても、これまたお応えしようがないことをご理解くださいませ。

※また仮に(現在のダム推進運動)を意味されているとしても、地元の皆さんの運動を、これまた「黙殺」した覚えはありません。いかなる運動も国民に許された抵抗手段として、自由です。
 ただし結果的に、ダム推進派と反対派とでは、立つ足場が180度異なり、途中裁判闘争という場面も加わったことゆえ、「黙殺」ということではなく、もはや、好むと好まざるにかかわらず、「対立の構造」に位置づけられたのは、致し仕方のなかったことと考えます。
 お互いに国家権力に踊らされている同じ弱者の立場なのですから、むしろ、切なかったです。歩みよりが叶うなら話し合ってみたかったです。しかし、詳しくは記すこと控えますが、この間、私の動きに対してはなぜか、内外から不本意な制約がつきまとい、手痛い目にあって参りました。?現に本日もあり。

②について
 ここもまた、「理由をご存じなら教えて」と問われましても、同様にしてお応えしようがありませんこと、心ならずもお許しください。

 
 長くなりましたので一挙掲載はムリな上に、読みにくいので、二回に分けてアップさせていただきます。



























  


Posted by やんばちゃん at 16:16Comments(0)報告

2009年09月05日

歴史の因果は、クルクルと

  
 本体工事凍結後~本日までの動きを簡略に整理してみます。
 
 自民党を軸とした推進派は早くも示威行動への策を次々と打ち出しているようです。
 考えたら、与野党逆転して、今や抵抗勢力として、スクラム組んで陳情行動を繰り出すこの構図は、かって私たち野市民運動の側が、行使し得たほぼ唯一と呼べた常套手段的方法でしたけれどね。
 自ら強引に提唱し、導入した小選挙区制度に、何年後かの今般は、自ら首を絞められた自民党さんの運命iに、「因果は廻る
」という言葉を想起してしまいます。
 まさに、「淀の河原の水車のごとく、クルクルと歴史の因果は巡りくる」ものですね。
  
 ①9/3 国交省職員が群馬県庁を訪問し、通達。
 ②県知事・地元では不満や困惑が広がり、撤回への対策を練りだした。
 ③9/4  藤岡市長国交省を訪問。暫定水利権確保への要望書提出
 ④ 〃  都内で自民党の全国幹事長会議が開催。その合間にも6都県の幹事長が意見交換。協調して推進を目指すこ    とで一致。
 ⑤同日4日 吾妻郡内の首長や地元住民による中止撤回運動の主体となる「八ッ場ダム推進吾妻住民協議会(仮称)」は10  日に長野原町内で設立総会を開き、正式発足する運びとなった。
  協議会には、同郡内7町村長のほか、水没予定地住民代表や地権者代表ら、計約100人が参加する見込み。国や民主党  に、中止方針撤回を働きかけるため、署名やデモ行進などを行うことを検討している。
 ⑥ 同じく、6都県の自民党県議らで作る「八ッ場ダム推進議連1都5県の会」は11日に都内で会合を開催予定。各都県の    担当者から説明を受け、都県知事との連携など、今後の方針を確認する。

 
   


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2009年08月31日

群馬・保革逆転す 民主党6/自民3

 国民はいつまでも愚かではない。
 ちゃんとみているということを実証した今回の選挙でした。
 いつの世も、革命の担い手は市民です。
 今後は、市民の次の権利、「監視」の眼をゆるがせにしないことですよね。
  
 八ッ場ダムのある群馬県内の新・衆議院議員は、小選挙区・比例区併せて、3議席プラスの9議席となりました。
 民主が一挙に、5議席の増となり、大逆転です。
 民主党 3名+3名=6名。 自民 2名+1名=3名
 ※前回は1区~5区まで自民独占。
  比例区で民主党Ⅰ議席の計6議席でした。
 
 保守王国・群馬県民も、自民党筋の桎梏から逃れて、きちんと眼を輝かせての選択を行いました。
 この上は、八ッ場が動くことを祈るのみです。
 (政治に頼り切るのではなく、市民運動の側からの働きかけは、さらに大事なこと)
 ……なお、小渕優子さん圧勝の現地、現段階の担い手は、(仕掛けられた総意によって、表面的には)未だ圧倒的に「推進派」なので、弱りますね。もつれにもつれた“感情の糸玉”を解きほぐすのは、むずかしいものがあります。



  
                小選挙区              比例区

 ① 民主党 ーーー 合計:3名+3名=6名

         一区      宮崎 岳志(民)        
         二区      石関 貴史(民)  
         三区      柿沼 正明(民) 
         四区        --           三宅 雪子(民)    
                 
        比例区単独 中島政希(高崎市)・桑原 功(前橋市) 
                     
 
              小選挙区             比例区

② 自民党 ーーー 合計: 2名+1名=3名                           

         一区                   佐田玄一郎(自民・前橋市)
                                ※コスタリカ方式にて
                    
         四区      福田 康夫(自)    
         五区      小渕 優子(自)  

  


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2009年08月31日

群馬 開票結果 民主6名誕生

 
 予想を超えた民主党の驚異的な圧勝に、政治無関心派にも衝撃が走っています。
 これで、期待の変革がもたらされます。
 争点となった八ッ場ダム問題も、きっと進展・変化がみられるものと信じます。

 しかし、肝心の群馬5区では、早々と小渕優子さんの当選確定。
 しかも、その差、なんと10万票という大差をつけての当選。この特票数が、今後どのような圧力を発揮することになるのでしょうか? ここでは「小渕が勝つ」という安定感があって、選挙ムードはありませんでした。
  5区
   小渕 優子    152708
   土屋 富久     53048

 その他、1区~3区までは、自民大物議員を退けて、民主党による初の議席獲得。
 
 注目された4区は、接戦を極めましたが、残念ながら福田前総理が当選、その差12000票でした。


 追伸: 
 その後、4区の三宅雪子さんは比例で当然。
 そして、民主党の大躍進で、4区での立候補を模索していて、小沢代表代行の仲介で比例区に回った、順位33位の中島政希さんも当選。4度目の当選入りを果たしました。
 おまけに民主党内の対立構造から続く44位に登載の、労組系の桑原功さんも当選。

   


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2009年08月26日

党首クラス、八ッ場の地へ続々と来県す

 今回の選挙は保守王国・群馬にも激震が走り、地殻変動をもたらしています。
 連日、中央政界の大ものが支援にかけつけ、例にあらずの現象に県内はややヒート気味。
 
 中でも、死闘を繰り返しているのは桐生・伊勢崎市を中心とした群馬2区。前回に続き自民・民主の現職同士が互角の闘いを展開中。
 圧倒的な強さを誇る前総理・福田康夫候補に迫り追いあげて、今や?激戦地となりつつある注目区が、旧高崎市を中心とした群馬4区。民主党公認の新人・三宅雪子候補が“真夏の雪子が政治を変える”と銘打って、公示日直前に出馬。
 日々勢いを増し、24日は小沢党首が調整・激励に、翌25日は鳩山代表が1区~この4区までの支援に駆けつけています。
 そして、同じく24日には八ッ場ダムのある5区の社民党候補・土屋富久への援護射撃と比例区の社民党票をのばすために、福島瑞穂・社民党首も高崎入り。
 二日間にわたり、JR高崎駅は、時ならぬフィーバーぶり。

 JR高崎駅前での聴衆数は、(土屋候補の選挙区でないこともあり、候補者不在と渋川市に事務所があるための連絡不徹底もあってか)昨日の福島党首は約百名ほど。
 それでも、駅前ロータリーの福島党首の前を通り過ぎる車の市民たちは、一様にびっくり顔で、手を振ってました。「こんなことはめったにねぇ」と浮かれ調子の通りがかった男性は、握手を求めて、満足顔。

 そして本日、三宅候補とその支援に駆けつけた鳩山代表の元に集い、足を止め、聞き入った市民の数は、なんと2000名に達したとのアナウンス。ちなみに小泉元首相が1500名だったという。
 高崎駅前はまさに黒山の人出。ぺデストリアンデッキと呼ばれている広大な歩道橋やその階段もまた、ことごとく聴衆によって埋めつくされた感じで、写真を撮るのに往生。
 
 前日の読売県内版に、「鳩山来県」の政党広告が掲載されたことや三宅事務所をはじめ処々に予告が貼られていたことに加え、共同通信配布の「民主300議席」の報道が利いているのか、動員された市民というより、聴衆の多くはひと目みたさの一般の市民層という感じでした。皆、一様に興奮気味。もちろん、保守陣営からの偵察らしい感じの男性たちもいて、皮肉語をくりだしていました。
 鳩山代表が「短期間に三宅雪子をここまで育ててくださいました、皆さま方のご支援にお礼申し上げます」の旨を挨拶の冒頭て゜述べたように、熱気と勢いがある選挙は、ひょっとして、ひょっとするかの熱風をはらんでいて、好ましい高揚感がみなぎってました。
 
 民主党の躍進に比べ、無念にも時代の中で、かすんでしまった感の社民党と、日の出の勢いの民主党の力の差を見せつけられた感も漂いましたが、残念な共通点は、福島党首も鳩山代表のどちらも、4区の高崎市ということもあってか、肝心の「八ッ場問題」には言及しませんでした。
 実は、鳩山演説の中程で話しかけられてしまって、内容はおぼろとなり、後で周辺の方に伺いましたが、「農業政策には触れたけれど、言わなかったと思うよ」とのこと。
 夜半アップされた、産経新聞の速報記事では、前橋市では触れたと報道されてました。

 壇を下りた鳩山代表と三宅候補は、駅前の聴衆との握手に繰り出しました。一人檀上に残った応援の山梨県選出の米長参議院議員が、「未来の総理が皆様との握手を求めております。どうぞ記念に握手てみてください。もうじき総理になる方です」とか「手が届かぬヒトではなく、誰とでも気軽に話せる議員が、これからの国会議員です」などの、群集心理を煽る煽動語を矢継ぎ早にくりだしてました。
  
 一夜、空けた今朝26日の県内各紙は、鳩山代表の来県を取り上げています。
 以下に八ッ場に関する鳩山談話などをお伝えします。
 こうして、同一内容の記事を比較してみますと、その社の姿勢が匂ってきますね。特に産経記事の?には。


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①【2009年8月26日(水) 朝日新聞 中段 カラー写真】 
 八っ場ダムは「大きな無駄」
  民主・鳩山代表が来県


【キャプション】 政権交代を訴えた鳩山代表=伊勢崎市

 民主党の鳩山由紀夫代表が25日来県し、同党の公認候補がいる衆院1~4区を回って街頭演説をした。
 県内の選挙区で唯一の前職同士の激戦となっている2区では、伊勢崎市のショッピングモールで演説。聴衆から「よっ、鳩山総理」と声がかかるなか、鳩山代表は「あなた方の暮らしが少しでもよくなるようにと思って、政権与党にならなければいけない」と語り、大きな拍手を受けた。
 県内の争点については、八ツ場ダム事業を「大きな無駄遣い」とあらためて指摘した。

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②【2009年8月26日(水) 読売新聞 準トップ扱い カラー写真】http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20090825-OYT8T01355.htm
  「八ッ場ダムは無駄遣い」
   鳩山代表来県、住民対策も言及


 【キャプション】聴衆と握手して回る鳩山代表(25日、高崎市内で)  

 
 民主党の鳩山由紀夫代表が25日、来県し、公認候補を擁立した1~4区を回って、候補者とともに、「政権交代によって官僚任せの政治をこの国から消し去る」と訴えた。

 伊勢崎市内で行った演説では、マニフェスト(政権公約)で中止を掲げた八ッ場ダム(長野原町)について、「これからまた1000億、2000億、あるいはそれ以上、税金使うことは、どうしても腑(ふ)に落ちない。大きな無駄遣いと言わねばならない」と訴えた。一方で、現地住民の生活再建について、「反対していた住民が賛成に回った経緯は理解している。彼らが暮らしに困らないよう対策を講じるのは当然」と述べた。

 約2000人の聴衆が集まったという高崎駅西口での演説では、「マニフェストは国民との契約。4年前に小泉元首相は、郵政民営化ですべて良くなると契約したが、何も良くならなかった。なのに責任も取ろうとしていない。責任は総選挙で取ってもらう」と述べた


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③【2009年8月26日(水) 東京新聞】http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090826/CK2009082602000142.html
 『群馬から政権交代を』 民主・鳩山代表、4カ所で演説
  
 民主党の鳩山由紀夫代表は二十五日、衆院群馬1~4区の党公認候補を応援するため、県内四カ所で街頭演説し「日本の未来を明るい方向に導くため、群馬から政権交代をぜひとも実現させてほしい」と訴えた。

 鳩山氏の来県は、党幹事長として長野原町の八ッ場(やんば)ダム建設予定地を視察した昨年八月以来約一年ぶり。

 街頭演説は、太田、伊勢崎、前橋、高崎の四市で実施。前橋市のフォリオ駒形店前では、自民党政治を「官僚任せの長期政権にあぐらをかいた結果、国民生活を厳しい状態に追い込んだ」と批判。「税金の無駄遣いを徹底的に見直し、社会保障や子育て支援の環境を整備することが国民の暮らしの質向上につながる」と強調した。

 マニフェストで中止を明記した八ッ場ダム建設は「治水や利水の意義を見いだせないダムを造り続けることはできない」と断言。中止した場合は「予定地一帯の生活再建に全力を挙げ、地域住民に不利益が出ないようする」と述べた。 (中根政人)


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④【2009年8月26日(水) 産経新聞】http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/090825/gnm0908251852003-n1.htm
【09衆院選】
  群馬・八ツ場ダムの代わりに公共施設? 鳩山氏
  
 民主党の鳩山由紀夫代表は25日、前橋市での街頭演説で、衆院選で政権を獲得し八ツ場(やんば)ダム(群馬県)の建設を中止した場合は、住民生活に配慮した地域振興策などを講じる考えを表明した。

 鳩山氏は「最初は反対していた住民の方々が賛成に回った経緯も理解している。これからの暮らしに困らない対策を講じることは当然だ」と強調した。ダム建設に関しては「人口が減っていく中、利水や治水の目的に意味を見いだせない」と述べ、中止すべきだとの考えを重ねて示した。

 同党は衆院選マニフェスト(政権公約)で公共事業見直しの一環として同ダムの建設中止を明記。党政策集には、中止に伴う住民生活への影響を避けるため、公共施設の整備や産業振興に取り組む方針を盛り込んだ。


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⑤【2009年8月26日(水) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20090826ddlk10010200000c.html
 選ぶ:’09ぐんま衆院選  「与党劣勢・民主優勢」の中、4区は? /群馬 
 ◇三宅氏、福田氏が激戦  
 衆院選の公示から1週間。候補者らの舌戦はますます熱を帯びてきた。報道各社の情勢分析が「与党劣勢・民主優勢」を伝えるなか、群馬4区では、民主の小沢一郎代表代行が擁立を主導した新人、三宅雪子氏(44)と、前首相で自民前職の福田康夫氏(73)が激しく競い合う。候補者の動きを追った。【増田勝彦、杉山順平】

 ◇三宅氏「背中見える」 
 三宅氏は25日朝から、高崎市あら町の街頭に立った。自ら選んだイメージカラーのライトブルーのシャツ姿で、道行く有権者にあいさつ。知名度不足を補おうと、早朝の街頭活動は、出馬表明した7月下旬以来、日課となっている。

 25日午後は、来県した鳩山由紀夫代表や県連代表代行の中島政希氏らと高崎駅西口で街頭演説。集まった支持者らに「マラソンに例えれば、今(相手の)背中が見え、追いつこうとしている」と手応えを語った。鳩山代表も、ライバルの福田氏を「人間的にもすてきな方、立派な方だ」と持ち上げたうえで「みなさんに選んでいただくのはこれからの日本のこと。そのことに関しては三宅さんの方が魅力的だと思いませんか」とアピールした。

 候補者選定を巡り、中島氏ら保守系と労組系の対立が心配されたが「互いにそれぞれの持ち場で活動する」(陣営幹部)と休戦状態。労組関係者は同日、角田義一元参院副議長や輿石東代表代行を招き、高崎市内の群馬音楽センターで「総決起集会」を開き、三宅氏支持を確認した。

 24日には三宅氏擁立を主導した小沢代表代行が選挙事務所を訪れ、てこ入れするなど、党を挙げての戦いを繰り広げている。

 ◇福田氏、自らどぶ板 
 福田氏は前回まで貴代子夫人と、秘書で長男の達夫氏が選挙活動の中心を担っていたが、今回は、自民への逆風に危機感を募らせ、自ら積極的に選挙区内を回る。

 25日も、午前8時から選挙カーの助手席に乗り込んで住宅街の細い道まで回り、手を振る人を見つけると自らマイクをにぎり「どうもありがとう。福田です、よろしくお願いします」と頭を下げた。

 昼前には高崎市の中心市街地2カ所で街頭演説。「私はまだやりたいことがある。健康で、安心できる国づくりをしていかないといけない。皆さんと力を合わせてこの町を良くし、日本を良くするために一緒に頑張りましょう」などと語った。午後は支持を表明する企業などを回った。

 24日夜には高崎市内で親交のあるデザイナー、山本寛斎氏の講演会が開かれ、山本氏は集まった支持者を前に「福田さんは日本に二人といない情熱と才能の持ち主。希有な才能と情熱のある政治家が、ここ高崎にいる。それを忘れないで」と素晴らしさを強調した。

 会の最後に姿を見せた福田氏は「何もかもひっくり返して、あとは知らぬというのは、無責任という。それは、私たちはやりたくない」などと自民党への支持を訴えた。

 幸福実現党の森田貴行氏(38)は25日、城山県営住宅、群馬の森などで街頭演説し、終日選挙カーで選挙区内を回り、支持を訴えた。

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 ◆立候補者(敬称略、届け出順)

 ◇4区=高崎(旧群馬町など除く)、藤岡市、多野郡
三宅雪子 44 [元]テレビ記者   民新=[国]

福田康夫 73 [元]首相   (6)自前=[公]

森田貴行 38 幸福県副代表     諸新





  


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2009年08月25日

徳山ダムー囚われの水の哀しさ

 23日の日曜日に、心づもりしていたことがクリアとなってしまった。そこで、選挙ごとやボランティア活動を含む2番手、3番手の選択肢を、ことごとくパス。
 急遽、かねてより一度は参加してみたかった「恒例:徳山村キャンプ(2009年)」と現地に初めて参加。
   
 しかも、最大の選択理由とは、未だ1枚しか消化できていない、青春18切符を使ってしまなければという、お粗末な理由づけ。
 問題は、集合時間の13時までに到着できるかということにかかってきた。
 急な問い合わせに、「今年は選挙などのことで参加者が少なく、寝具などに余裕があるから、身一つで可」との事務局長・近藤さんの余分ごとのない端的かつ明瞭な言葉に惹かれて、時刻表としばし格闘。
  「ムーンライトながら」は、予想通りもちろんすでに完売。(自由席廃止により、全席指定。キャンセルはあっても半額以上の手数料のためか、手続きをする者は皆無との由)。
 久々に鈍化した頭をフル回転。
 こういう時は、いろいろと知恵をしぼるものです。
 なんと、予定していた到着時間よりも10分早い、12時半に大垣に着。
(考えてみましたら、この地の周辺にお邪魔したのは、個人的なダム関連の取材ごとで三回になりますが、いつも、急な参加やハプニングばかり。九年前、移転先の岐阜市内で最初にお目にかかった水没地出身の方から、「現地に行っても、もう何もないから」と言われて、伝手もないままに断念していなかったら、水没する前の状態をみられたのにと悔いが残っています)。

    豪華で温かいもてなし抜群のキャンプ 
 ともかく、スタッフの皆さんのお人柄の良さに加えて、諸材料の手配や照明など各設営のエキスパートの皆さんのチームワーク振りは特筆もの。通常のキャンプの概念を超えた驚きの、つわものぞろいの大規模なキャンプでした。
 一時期、90人近い方が集ったというのも、うなづけます。
  
 今年の設置場所の、かつての塚という集落の跡地での、抜群のロケーション。
 しかも、天気晴朗。稜線の重なりの向こうに、福井県境にそびえる冠山が、これほどくっきり見えたのは、13年間で初めてとのことでした。
 
 とりわけ、食材の豊かさでは、毎年、定評があるそうです。
 「食料持参は要らない。食べ切れない程あるから」とはうかがってましたが……、質量ともに、飯盒ご飯の粗食とはかけ離れた豪華さでした。
 皆さんも、来年は行きたくなるように、ご紹介してみます。

  飛騨牛は夜遅くまで~朝食にまで並び、食べ放題。最初の一回で終りだと思ってましたら、まだあるからと、時間をおいては焼きだすのです。
 ちなみに長良川河口堰問題、華やかなりし頃の大量のホルモンは、この回のメンバーの方が調達したものとの由。
 スタッフの御親戚が毎年、用意してくださっているというイワナの塩焼きは一本どころか、今年は人数が少ないためか4本も食べられた状況(?けれど、大食いの私としては珍しく遠慮して、2本にとどめたとこをあえて記させて戴きます)。しかも、焼き手は焼き加減におけるベテランといわれてきた方たち。通例、任務はその年々に参加の弁護士さんの役目とかの由で、今年の焼き手のお一人も、事務所のスタッフたちとともに参加されていたH弁護士。しかも、ジンクスがあって、歴代の参加弁護士は、皆その後、名を馳せているとのこと。
 三河湾から持ち込まれた干物類は、海なし県の群馬に届く、あの塩のきつさはなく、衝撃的な旨さでした。
 ガス屋さんのもちこんだガス窯で炊いたご飯。具だくさんの焼そば。飲み物、デザートに至るまで盛りだくさん。
 これらの食材の調達手配、かつ名仕切り役、Nさんの調理の味つけは抜群。おにぎりを握る手順も手つきも、プロ級。
 朝食は赤だしの具だくさんのみそ汁。特製の目玉焼きなどなど。
 通常、食事の用意には「時間割かず」に日夜日々、ダム問題をはじめとした市民運動に身をけずって奔走している女傑・Kさん(皆さん、お分かりの方ですので実名で申し上げても良いのですが、……)は、「ひさびさの栄養補給になる」と自ら暴露して、笑いを誘ってました。
 
 照明ライトもテントの張り具合もバッチリ。
 宴の途中で、巧みに設置されたライトを消して、みんなで見上げた夜空には、まさに降るような満点の星。しかも、星座に詳しい方の懇切な解説付き。久しぶりに夜空をあおいで感動ものでした。

 またまた、本末転倒の経過ごとが長すぎましたね。

         『徳山ダムはいらない!』のご紹介 
 本題の徳山ダムは、杜撰な計画によって徐々に拡大されてしまい、結果的に日本一の規模を誇りながら、今や使い道のないダムとなり、批判をかわす苦肉の策として、「導水路計画」なる無謀で強引な計画が立てられたということです。
 この辺りのことは部外者が下手な説明を繰り出すよりも、長年闘ってこられた、事務局長の近藤さんが、このほど緊急出版した下記の著作等をお読みください。
  頭脳抜群、理詰めの近藤さんには、珍しい読みやすい内容です。
     『徳山ダムはいらない!』(近藤ゆり子 著、 風媒社、 1000円)
 
 
  併せて、   徳山ダム建設中止を求める会 http://www.tokuyamadam-chushi.net
           事務局長ブログ      http://tokuyamad.exblog.jp/ 


      流れられない清流の悲哀 
 参加して最も切なかったのは、早朝の散歩で出くわした、湛水後に必然的にもたらされた光景です。
 キャンプ場所脇の、冠山に向かう道路は福井県に通じています。
 湖面というか川面というか、水面を見ますと、ダム湖独特の碧色。
 周囲の山々には深山であることを物語る朝もやがたなびき、それらが、湖面に映り、さながら東山魁夷描いた絵画を彷彿させる静謐な光景でした。水の色が濁っていれば、いるほどクッキリと対象物を映し出します。
 切なかったのは、その湖面の中で杉の立木が枯れて、ちゃっ褐色を呈しだしているのです。
 徳山では、環境に影響はないとして、費用節約の面から樹木は伐採しなかったのだそうでして、一年ほど経過した現在、あちこちでこのような褐色の木々が異様な景観を示しています。
 
 さらに切なかったのは、朝靄の中を上流に向かって進んだ先の、ダム湖の最上流部の光景。
 幾つもの深い谷を伝い流れた清流が川筋となって流れ続け、やがて、下流のダム湖の澱んだ水と交わる、その瀬戸際のあり様でした。
 水は流れ続けるものですのに、徐々に勢いを失わされ、やがて停止した水に同化させられ、死んだ水のようになっていかざるをえない、その切なさ。思わず、わが八ッ場に重ねてしまいます。
 かつては、徳山村の村内を滔々と自在に流れ続けていた、生きた水だったはずなのです。
 遥かなる海に向かって流れ続けたいのに、流れること叶わなくさせられた水たち。まさに“囚われの水”と呼べjましょうか。
 
 この日は日曜日ということもあって、幾人かの釣り人が訪れてました。
 一帯は川魚の宝庫で、アマゴ(=サツキマス。関東ではヤマメとか。調べると「ヤマメ、アマゴは、それぞれサクラマス、サツキマスの河川残留型(陸封型)に対する 呼称である」とあり)が手ですくえたというほどの清流だったそうですのに、「なんで、こんな酷くて意味のないムダなことするの」と叫びたくなりました。
  
 帰途、車中から、近藤さんがダム提上の湖面の中程を指さして、「あそこに杉の木の先が見えるでしょ。だから、あのあたりが役場のあった処だと思う」と説明してくださいました。
 馴染みのあるふるさとが、一片の土くれも残さず、思い出とともに水底に閉じ込められてしまうという哀しみ。
 唯一、沈まなかった門入地区への道路は、これまた経費節約とかの約束不履行で造られず、二週間に一度の船で限られた時間内にわたるしか手立てのない由。
  
 わか゜八ッ場ダムも阻止が出来ずに、このまま進んでしまったら、先々、このような光景にさらされるかも知れないという無残な思いを、またも重ねてみてました。
 しかも、鉄をも溶かす、可愛いげのない強酸性の吾妻川の水は、どんな化学変化を起こすのでしょうか。
 
 地元民の方たちの、どこかから仕掛けられた推進への抵抗勢力はかなり強いものがあります。
 ためにも、今般の選挙は何としても、勝たねばなりません。
 小渕陣営の留守部隊は、連日各地区の地元県議が「候補になり替わりまして」と宣伝カーで繰り出してます。

 争点の現場、群馬五区の居住民の一人として、もう、ビラ配りに出かけなければなりません。
 時間に急かれて、文意、何ともまとまりませんが、あしからず……。

 徳山ダムの皆さま方、突然の参加を快く、もてなしてくださいまして、本当にありがとうございました
  


 

 

 



 
 


  


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2009年08月12日

バソコンが勝手に、夏休み中でして……

皆さまへ

 8/4の記事を入力直後に、インターネットが停止状態になってしまいました。
(この時点ではメールは可能のように思いこんででいた為にか、結果的にはより複雑な各メーカーごとの対応になってしまいました)
結局、その原因は「かなり複雑、長引く」と思わされていた矢先の昨日11日、「モデムの再起動」という、ひょんなことから一件落着。

 そんなわけで、あっという間の一週間。往生しました。
 でも、発信元の当方は見られず一切の情報から孤立状態でしたが、皆さま方からはご覧いただけたわけですね。

 台風一過の今朝、再開手始めは、てっとり早く、またも新聞報道のコピーにて。
 東京新聞群馬版では、全六回で八ッ場特集が連載されていました。57年前~現在までの経過のアウトライン、今回の衆院選との絡みがある程度お分かり頂けるかと思いますので、転載させていただきます。
 長くなりますので、1回目のみ記事全文を転載。2回目からはサイトのみ。
 
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一回目
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【2009年8月4日(火) 東京新聞群馬版 写真あり】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090804/CK2009080402000117.html
「検証八ッ場ダム 衆院選を前に(1) 継続か否か一大争点に
【キャプション】  山あいに静かな風情を感じさせる川原湯温泉街。八ッ場ダムが完成すると、湖底に沈む=長野原町で

 「首都圏の水がめ」として国土交通省が長野原町で進めている八ッ場(やんば)ダム建設事業。「政権交代」を掲げ、勢いに乗る民主党が事業中止をマニフェスト(政権公約)に盛り込んだことで、総選挙の大きな争点として浮上した。事業の継続か、中止か-。十八日の公示まで二週間。計画着手から半世紀以上も経過して再燃した八ッ場ダムをめぐる動きを取材した。 (衆院選取材班)

 「ダム事業を政争の具に使ってほしくない。地元住民は苦渋の選択で建設を受け入れた。ダムの完成とダム湖畔に移転する住民の生活再建は一体だ。いまさらストップしたら、みんなが困る」
 地元住民で組織する八ッ場ダム水没関係五地区連合対策委員会の萩原昭朗委員長は、うんざりした様子で現在の心境を語った。
 八ッ場ダムは戦後のカスリーン台風の被害を背景に、一九五二年に国が計画を発表。巨大なダム湖に川原湯温泉街や鉄道(現JR吾妻線)の一部、多くの住宅と畑が水没するため、町や町議会、住民が激しい反対闘争を展開した。当時を知る七十代の元県議は「地元で反対集会が開かれた際など、何回も現地に入った。いくつも反対の旗を立てて、激しかったね」と振り返る。
 「国との交渉が長引く中で、住民の高齢化が進み、村から転出する住民も相次いだ」と語るのは四十代の地元の自営業者。国策に翻弄(ほんろう)され、疲弊した住民は最終的に集落ごとダム湖畔の代替地に移転する案を受け入れた。九四年からはダム周辺部の工事が始まった。
 ところが、国は二〇〇四年九月に事業費を四千六百億円に増額。こうした中、事業費を負担する本県など六都県の反対派住民が同年十一月、「ダムは治水・利水両面で不必要」として、各都県知事に建設負担金の支出差し止めを求め、一斉に提訴。今年五月以降、東京、前橋、水戸の各地裁で判決が出され、住民側は三連敗だが、政治の舞台での逆転に期待している。
 〇八年に国が工期を五年延長し、完成を一五年度にしたことも反対の動きを加速させた。今年十月にはダム本体に着工予定だが、民主など野党は「無駄な公共事業の象徴」と位置付ける。
 川原湯温泉旅館組合の豊田明美組合長は「中止となれば住民が生活再建できずに路頭に迷う。地域の崩壊だ」と悲痛な声を上げる。
 水没予定地にある同温泉はダム建設の影響で旅館主らが転出し、最盛期の昭和六十年代に十八軒を数えた旅館は七軒に減った。温泉街はダム湖を新しい観光資源に、近くの高台に移転する予定だが、政権選択の行方が本体着工を左右する。
 民主は、ダム建設を中止した際は、新法を制定して地域住民の生活再建を支援するとしているが、豊田組合長は「地元住民の声をしっかりと聞いてほしい」と訴えている。

◆八ッ場ダムをめぐる動き
1952年   国が長野原町で現地調査
  66年   長野原町議会がダム反対決議
  85年   長野原町と県が住民生活再建案に合意、覚書締結
  90年   国と県が水没予定地の再建計画作成
  94年   国がダム周辺部の工事開始
2001年6月 ダム建設に伴う補償基準に調印
      9月 基本計画変更で完成を00年度から10年度に延期
  04年11月 1都5県のダム反対派住民が建設負担金差し止めを求め各都県を提訴   
  08年9月 基本計画変更で完成を15年度に延期
  09年5月 東京地裁判決で建設反対の住民らが敗訴。6月には前橋、水戸地裁でも

<八ッ場ダム> 吾妻川の中流に国が建設する多目的ダム。水道用水や工業用水の補給などで恩恵を受ける1都5県が負担金を支出する。型式は重力式コンクリートダムで総貯水量は1億750万立方メートル。今年10月にダム本体工事に着手、2015年度の完成を目標にしている。

二回目
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【2009年8月5日(水) 東京新聞群馬版 写真あり】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090805/CK2009080502000119.htm
l検証八ッ場ダム 衆院選を前に(2) 建設中止は可能か 負担金返還など課題に
【キャプション】 工事が進む八ッ場ダム建設予定地=長野原町で、本社ヘリ「おおづる」から

三回目
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【2009年8月7日(金) 東京新聞群馬版 写真あり】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090807/CK2009080702000111.html
検証八ッ場ダム 衆院選を前に(3) 建設継続の妥当性 治水・利水 ともに疑問も
【キャプション】  八ッ場ダムの建設推進を誓った議員連盟の設立総会=4月10日、東京都議会議事堂で

四回目
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【2009年8月8日(土) 東京新聞群馬版 写真あり】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090808/CK2009080802000122.html
検証八ッ場ダム 衆院選を前に(4) 相次ぐ自治体の反発 『一方的な中止、迷惑』
【キャプション】 国の八ッ場ダム広報センター「やんば館」。近くでは湖面2号橋の建設が進む=長野原町で

五回目
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【2009年8月9日(日) 東京新聞群馬版 写真あり】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090809/CK2009080902000108.html
検証八ッ場ダム 衆院選を前に(5) 県特定ダム対策課 坂井賢一課長
【キャプション】 「事業を着々と進めたい」と話す坂井課長=前橋市で

六回目
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【2009年8月10日(月) 東京新聞群馬版 写真あり】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090810/index.html
検証八ッ場ダム 衆院選を前に(6) 「八ッ場ダムをストップ させる群馬の会」浦野稔代表 『税金は福祉や教育に』
【キャプション】  「政権交代となれば、中止への動きが加速するはず」と話す浦野代表=太田市で

  


Posted by やんばちゃん at 09:59Comments(0)報告

2009年07月19日

還付金問題、ホラやっぱりね。

……踊らさせられてしまった「負担金の還付金問題」に一程度の終止符を打つ、
見解を示す、民主党談話が出ました。以下に転載を。
 
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【2009年7月17日(金) 上毛新聞一面中段】 
八ッ場ダム 中止でも支出増なし
   民主党が談話発表
 
 国が長野原町で進める八ッ場ダム建設事業の政権獲得後の中止をかかげる民主
党は16日、本県を含む5都県など利水者が昨年度までに負担してきた利水関連事
業費1460億円を全額還付しても「事業を継続した場合の事業費を上回ることはない」
との談話を発表した。
 談話によると、同党「次の内閣」国土交通部門・公共事業検討小委員会が15日、国
土交通省の担当者から「国が事業計画をやめるときは全額還付が当たり前」「還付金は
新たに支出が増えるという話ではない」との説明を受けたという。
 このため、同党は1460億円の全額還付は利水関連事業費の負担者が利水者か
ら国に変わる「公会計内での負担者の変更にほかならない」と強調。新たな支出増に
は当たらないとの見解を示した。


  


Posted by やんばちゃん at 12:05Comments(1)報告