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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年07月22日

複雑多岐な動きありの温暖化

 昨日の記事に、以下のご助言が入りました。

 ①二酸化炭素の排出によって温暖化が進むという提唱は、まだ真実が確立されていないそうなのです。
  むしろ、この旗印のもとに、日本の大手企業がアジア各地のダム建設を推進して、巨額の暴利をむさぼるなど、許し難い大  変複雑なシステムになっているとのことでした。

 ② さらに、およそ50年も前のカスリーン台風の再来を警鐘してきた国交省もまたこの論調にのっかって、温暖化のため、これまでになかった被害がいつ起きるか分らない。ためにやはりダムは必要との論を展開している由。
 

 従って、この経済方面に明るいこの方は、論点のあいまいな昨日の私の文意に、危惧を示されてのご示唆を下さったのでした。
 別段、追従記事を書く記など毛頭、ありませんでしたが、焦点ぼけのあいまいな文意であったのは、書きながらも自分でも感じていました。まるで、昨日の暑さの中でもうろうとしているような浅いものでしたね。
 貴重なご指摘を戴いて、どっちつかずの半ば、゛バナナの房になって欲しい”的な気分の漂うおはずかしい一文を安易に記してしまった不明をはじるとともに、世の中の動きの複雑さに眼、見開かされた次第です。
 地球温暖化を自社の経済活動に利用して暗躍するなんて、浅ましいというか、なんというか、わが日本人は。
  
 広い識見に立たれてのご意見、ありがとうございました。
 このような見事なご指摘をくだされるすばらしい皆様に囲まれて、軌道修正して戴けることに喜びを感じています。
 (〇〇様、論旨や内容がご指摘に対し、もしかして外れていないか、よろしくお願いたします)  


Posted by やんばちゃん at 22:28Comments(0)報告

2010年07月16日

内海ダムへエール のぼり旗掲げ、反対の証守らん

 18日の日曜日に、四国・香川県の小豆島の景勝地、寒霞渓で。ダム反対集会が持たれます。参加させて戴くつもりでおりましたが、数日前に、今回は断念を決めました。
 本日、お世話役の遠藤さんから、次のようなメールが発信されました。そこで、つたないながらも、以下のエール文を、遠藤さんに託させて頂いた次第です。
 【遠藤メール】 
 先日お知らせいたしました、内海ダム開発緊急大勉強会を草壁公民館で開催します。
収用裁決がまもなく下りようとしていることへ、「私たちは断固闘うぞ」を意思表示し、全国からの支援を明らかにする集会でもあります。
平均年齢80歳を過ぎたジジババが歯を食いしばって頑張っています。団結小屋も設置しました。
前原大臣の「本体工事契約済み事業はGO」が出され、収用裁決がまもなく下されようとしている内海ダム再開発は極めてピンチです。
現地の反対運動がつぶれてしまえば、間違いなく同ダムは完成へとまい進してしまいます。
平均年齢80歳を過ぎたジジババに孤立感を与えないよう、支援をお願いします。

/////////////////////////////
八ッ場ダム」から、連帯のごあいさつ
のぼり旗、高く掲げ、ダム反対の証守らん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 群馬の八ッ場ダム反対運動に連なる立場の一人として、本集会にお集まりの皆様に、遠隔の地から、心から熱い連帯のエールを送らせて戴きます。
「平均年齢80歳を過ぎたジジババが歯を食いしばって頑張っています。団結小屋も設置しました。」
との遠藤保男さんのメールを拝読して以来、大いに心を揺さぶられ、本日は何としてもかけつけ、是非お目にかかりたいものと心はやらせました。
その心づもりで、要項をお送り戴くなどして、準備を進めて参りました。が、残念なことに、断念せざるを得なくなってしまいました。
 それにしても、日本三大渓谷美に数えられるという皆さま方の愛されてやまない「寒霞渓」と、八ッ場ダムの「吾妻渓谷」は、ともに景勝地であることに加え、火山活動により堆積した疑灰岩などの共通点が多々ありますよね。さらに、日本三大奇勝には当地の妙義山もまた名を連ねており、少なからずのご縁を覚えます。
何よりもダム建設の暁には、大きな痛手と影響を受けることが、哀しみを伴う口惜しさとなります。こんな景勝地を水に沈めてしまうなんて、なんてことをするのでしょう。まさしく、ダム建設は“国家の犯罪”としか、言いようがありません。
 かつて、わが八ッ場にも団結小屋がありました。その頃、ふるさとをこよなく愛され闘いぬいたお一人に故・豊田嘉雄さんがいらっしゃいました。
生前、詠まれた歌の中から、数首をご披露し、皆様とダム反対への思いの深さをわかちあえましたら幸いです。
 
 破れても破れても幟立てかえてダム反対の証守らん
 湯けむりのふるさと湖底となる様は不治の病の明け暮れのごとし
 湖底となるふるさと思い出多き場所確かめ繰りつ立ち去り難し
 此の世去る時来るともふるさとを湖底に沈めることは許さじ
 青春は兵役に埋没後半生ダムと対決命足らざる
           ――1996(平成8)年刊行『湖底の蒼穹』より
 

 続いて現在も、一貫してダム反対を貫き、自宅前の国交省のJR線や国道工事の進捗度を阻んでいる、金子宏さんからも、次のコメントを戴きました。
 「八ッ場ダムは国の政策でムリやり押し付けられたけれど、もう、原点に戻って止めて貰いたい。全国のダムのある温泉で栄えた処はなく、国の言うことは一つも宛てにならない。ひどすぎて、全く話にならない。皆さんには絶対に勝ち抜いて欲しい」
 

 今や、皆様方、ジジババたちの世代こそが、捨身の構えで権力に対峙でき得、真の革命の担い手として先陣に立たれていると、申し上げても過言ではないでしょう。
 先の豊田さんも「どんなに頑固ものと言われようが、最後まで八ッ場ダムに反対し、このダムは造ってはならないと叫び続ける。いつかきっと、やまた(※屋号)のよっちゃんは正しかった、と認められる日がくることを信じている」と記してました。

 皆さま、どうぞ今後とも、お一人お一人が、その両方の手にもてる、“怒りののろし”を、さらに高々と掲げ続けてくださいませ。
 私たちも、先人の皆様方への尊敬の念と、まだ見ぬ貴地への憧れをもこめて、あやまたず、お示しくだされる赤々とした戦列の軌跡に駆けより、勇んで連なることをお誓い致します。
                     2010年7月18日
                  「ST0P八ッ場ダム市民ネット」 
                           代表:鈴木郁子 拝  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)報告

2010年06月17日

“県民主権”とやらは飾り文句ではなく、形で示せ

 以下の県議会傍聴の際の私見は6/11の八ッ場ダム特別委員会の傍聴記の末尾に記した意見でした。が、余りに長すぎたので割愛。あらためて項を立てようと思いつつ、記事多発の折がら、のびのびとなってしまってました。
 従って、文中の日時の時点は、6/11を指しています。

 情報公開法などの進展に伴い、非公開だった特別・常任委委員会の傍聴が許可されたのは大きな成果だが、最もメモ書きが必要な、傍聴席には小机もない。
 場所がないとのことだが、テーブル付きの席にすわる県職は前三列におさまっていた。そして、さらに一列は全くのアキ。後部の小テーブル付き椅子三列の席に、まばらに四名ほどが座っているだけで、開いていた。
 記者席にはテープ付きが一台ある。
 三~四人しか座れないから、その脇にテープル付き椅子席がある。この隣の椅子のみの五席が私たち一般
傍聴席。時折り、座りきれないマスコミ陣が座るが、彼らはボイスレコーダーをデンとおいておけるから、ポイントだけを記すだけでよいので、差し支えないだろうけれど、何時間もテープルのない空間で、メモを撮り続けるのはしんどい。特に年をとってくるとこたえる。
 せめて、一般傍聴者にもボイスレコーダの持ち込みを許可するか、余っている時には、テープル付き椅子を貸してくれたり、席を移動させてほしいものだ。
 「県民主権」とは、飾り文句ではなかろうに。こういう細部での現実のことがものを言うのだ。

 また、この日、腰塚前委員長の提案で、前回の特別委員会の報告集刊行の提案があった。おごそかに現委員長が「ここで、提案があるそうです」と切り出してはみたが、なんと、肝心のその提案者は席をはずしていた。で、笑い声。戻ってこられるのをまったの仕切り直しで、「なされた提案である。
 「関係者、約150名くらいに配る」とのことであったが、もちろん、これは公費による刊行物となるのであろうか。
 さらにまた、報告集に、この間のヤジやトンチンカン発言はそのまま書きとめられるのだろうか。
 きれいごとに修正されてまとめられたものなど、意味がなく、単なる、役職たちの功績的な記念誌でしかない。
 それに公費を公然と使うのはいかがなものか。  


Posted by やんばちゃん at 19:33Comments(0)報告

2010年05月29日

東京市政調査会シンポジウム

 
 【左手より、新藤宗幸千葉大教授、森民夫長岡市長(全国市長会長)、鈴木、片山虎之助前総務大臣、池上岳彦立教大教授】
 ーー6/2 東京市政調査会 月刊『都市問題』編集部から送信して頂いた当時の写真です。

 いよいよ、シンポジウムの本番。
 日本プレスセンターのゆかしさ漂う建物に本日は堂々と。案内によればまず12時半までに9階の貴賓室にとあった。部屋の入り口にかかるとものものしい感じ、一瞬ひるむ。
 「会場は10階ホールですよ」と言われて、「あの、でも9階のと、あるんですが……」。若いスタッフが「〇〇さんですか」と気がついてくれた。総支配人さんらしき方がしきりに「失礼しましたと言う。
 無理はない。常日頃は髪ふりみだして長靴で野山をかけずり回っているオバさんだ。今日だって、長袖で隠しているが、両方の手首は傷だらけ。サンショウの青い実を採る際に、昨晩、暗がりの中で、手っ甲もせずに行ったので付いてしまったのだ。
 
 後で、聞くと「丁度、大臣のSPが、会場の点検をしていた」とのこと。
 大臣というのは、仙谷さんだろう。
 この方には、小さく瑣末なことながら、私にとっては縁がある。
 約20年前のほんの3カ月間ほどであったが、あるアルバイトで国会のなかで、回ってきた委員会や国会質問の議事録のなかから、関連事項の主要部分を切り抜き纏める作業があった。その時以来、まだ若手のホープ的存在だった仙谷由人さんのお名前は脳裏に刻まれた。その論調の切れ味の良さは、「こういう議員さんたちもいるんだ。こういう方たちの時代が、そのうちにやってくるんだ」とのそこはかとない期待感があった。
 
 おそらく、もう2度と入れないだろう、貴賓室。
 定刻、30分前。1番のりだった。大体、どの会でもそうであるが、どうでもよい立場の者が、早々にかけつけるものである。
 西尾勝理事長さんがみえた。
 その輝かしいご経歴を知るゆえに臆するもの大。
 本日の識者の方たちと、八ッ場の現実がどのように交われるのか、極めて心元ないことをお伝えした。
 この西尾理事長さんが、拙著をお読み下さり、今般のうれしいご縁となったこともわかった。
  
 程なく次々と現れた他の、まさに錚々たる方たちと不慣れな名刺交換をする。結局、当日の朝になるまで時間がとれず、出がけに急いで作成した手づくり名刺だ。元来、名刺というのは嫌であったが、最近はなれた。誰でも名刺を配る、“田舎のおじさん議員”なる揶揄的俗語が浸透しているからだ。なお、「田舎」が悪いわけではない。
  
 昼食の会場の窓辺に拡がる、界隈一帯ののしたたるような緑と特徴のある建物の屋根の部分。日比谷公会堂かなとも想った。まさに田舎者の私は、窓辺によって、100年になんなんとするという東京市政調査会等の全容を見降ろしてみたかったが、大臣の席を超えて、窓辺にしがみつく勇気はなかった。
 さて、そんなこんなで迎えた本番。

 ※(シンポジウムの内容は後日、『都市問題』編集部から刊行予定ですので、控えさせ戴きます)  


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(0)報告

2010年05月12日

抜き打ち的「八ッ場ダム特別委員会」

 今朝、新聞を開いて、目が点にまではならないけれど、ちょっとびっくり。
 なんと、県議会の八ッ場ダム特別委員会が昨日11日に開かれていたのでした。
 知らなかった! ここの処、追われていたので迂闊だったなと県議会ホームページを開いたけれど今月27日~の五月定例会の日程はあがっていましたけれど、他のどこをみてもなし。
 昨日の上毛新聞に《県議会 「八ッ場対策」など5特別委を設置》の記事があったけれど、開催日はなかった。
 本議会はインターネットで見られるから行かなくてすむのだけれど、常任・特別委員会はほとんどかかさず傍聴に行くんです。一般傍聴は5名の定数、8時半~先着順なので、必死で番号札、採りにいってましたけれど、殆どの場合、独りでしたが…
 
 で、午後、議会事務局へ問い合わせ。
 「どこに載っているんでしょうか?}
 「ないです。急に開催されることもあるんです」
 「……  ……」
 
 これって、ひどいんじゃないんでしょうか。
 以前、確か3月定例会で、2009年度分の決算がらまりの八ッ場ダム特別委員会が開かれた時と同じでした。
 つまり、県議会「八ッ場ダム特別委員会」は大手マスコミと関係者にだけ開かれているのでしょうか。
 それと県議会議員と特別の密接な関係者なら、県議からの個人的情報で入手できるでしょうが、一般県民にはムリです。
 かと言って「今度、こういう時は教えてください」と言えるほど、?税金をはらっているわけでなし。もちろん、税金うんぬんは冗談気味で関係ないけれど、ここまで頼むのは個人の権限を逸脱して、心得違いと心得ているけれど、本当に頼みたいくらいです。
 まあ、単なる釈明的に、直前になって「本日、これから開催します」って掲載されても、むしろ困りますけれど。
 
 なお、次回は6/11(金)。通例は特別委は二日間あってどちらかの日だったのですが、次回6月は1日だけだそうです。
 以下に報道記事を転載。
 
 毎日・読売・朝日新聞とも、この記事の前にトップ扱いで、参議院選の争点として、八ツ場が浮上していることが掲載されています。上毛は昨日11日の一面トップ。(明日の欄に転載)
   富岡氏「住民納得で中止」
   中曽根氏「着工すべきだ」

/////////////////////////
 【2010年5月12日(水) 毎日新聞群馬版】 
 http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100512ddlk10010180000c.html
   八ッ場ダム 流転の行方
  用地契約は9割締結  3月末 代替地移転36世帯

///////////////////////////
 【2010年05月12日(水) 朝日新聞群馬版】
  http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581005120001
   補償済み世帯 対象の90% 
/////////////////////////
  【2010年05月12日(水) 読売新聞群馬版】
     八ッ場ダム事業 進捗率74.5% 
  


Posted by やんばちゃん at 23:52Comments(0)報告

2010年04月13日

長野原町長選 無投票

 





 本日も急きょ、八ッ場へ行ってきました。
 まさに、三日にあげずの通い路なら、“私、八ッ場に恋してます”式になってしまいますね。
 注目の長野原町長選は、結果的には、予想通り無投票になり、現職の高山欣也氏(66)が再選を果たし、二期目となりました。
 17時ジャスト、町内の防災無線で流されました。

 久々にゆったりとたまった洗濯物をこなし、大量に摘んできたセリや頂いたワサビなどの始末をしていたのでしたが、不意に中断。「やっぱり、自分の眼で見てこなけりゃ、例え一行の記述でも、見ていなきゃ真実味に欠ける」とばかりに、いつ記すともつかない一行のために、昼食を食べているのももどかしく、大きな器につめこんで持参の呈で出かけました。
 
 選挙戦に突入。一騎打ちの東吾妻町内では必死の構えなので、選挙カーの声も高い。
 けれど、またも例の145号に魅せられるように引き込まれ、今日は全長を測ろうとしたのはいいのですけれど、東吾妻町の松谷奥地の美しい村落に踏みこんでしまって、5㌔の予定外コースを走行。
 横道にそれた分を差し引いて、松谷トンネルの全長は恐らく約3㌔くらいと踏みました。
 川原畑でもまた横道に。
 そうしたら、役員のKさんが農作業をしていて、お話を伺う。
 その目線の向こうのLさん宅の新築家屋に洗濯物がひるがえっているので、「あら、越したのかしら」と眺めやっていたら、なんとその家の主のLさんご夫婦が車に家財道具を積んで走ってこられた。「越されたんですか」と問うと、「えぇ、8日にね」と奥さんのM子さんの晴れやかな声がかえってきた。
 「それは、良かったですね。おめでとうございます」と述べ、駆け寄って手短かにある用件を「落ち着かれてからで、結構ですからお願します」と伝えた次第。

 結局、あちこち寄って、情報集めて、結局、高山陣営の選挙カーに出くわせたのは、あるお宅に立ち寄っている時。悪名たかき女の私は、この家にご迷惑かけるから、顔はださず。
 
 実は、結果的には無投票でしたけれど、高山陣営にとっては、気のもめる長い1日だったようです。
 つまり、選挙選に突入するかもしれない危機感に見舞われていたのです。
 ウワサの主は、去る11日に投開票があった、、みどり市長選で落選した、海老根篤氏(62)が、先週末に要項を貰いに訪れ、今朝も先に役場に出向いていて、終日その動向が、高山陣営を動揺させていたという経過があったのです。
 しかも、ウワサによれば、何と選挙選最終日の土曜日とかに、選挙カーで長野原町に来たとか。本日は、「誰かでれば、応援する」と言ったとか。
 ともかく、長野原町にとっては予期せぬ椿事だったようです。

 ある家で、FAXで入ったばかりだと見せてもらった用紙には「決起大会のご案内」となってましたが、17時よりの決起大会が祝賀会にかわって、開催のはこびになったようです。
 選挙事務所(旧大津スーパー)にての要項を頼りに、定刻ちょっと過ぎに、会場に。

 以下は、語調をかえて、その部分のわがメール文を流用。
 選対役員あいさつ、必勝ダルマ開眼、万歳、花束贈呈などに続くあいさつで、田村守前町長が、「無投票で当選するということは」で始め、「高山町長は四年のうちに八ッ場ダムを着工する」との気勢をあげると、場内は拍手で湧きあがりました。
 来賓祝辞のトップバッターの、小渕優子衆議院議員も同様の祝辞を述べ、「四年といわず、一日も早く」と述べると、さらなる拍手が起きました。
(地元情報によりますと、一号橋建設を機に、この勢いでダム本体工事までとの機運が、町内にみなぎっているとのことです)
続いて富岡由紀夫参議院議員、中曽根康弘衆議院議員(秘書が代理)など。

 高山町長がお礼の挨拶で、「先ほどまで選挙になるものと思いこんでいたので、涙がとまらず弱ってます」と述べたように、実は一昨日11日、開票された、みどり市長選で落選した、海老根 篤氏(62)が、先週末に要項を貰いに訪れ、今朝も役場に出向いていて、終日その動向が、高山陣営を動揺させていたという経過がありました。

 当初、遠慮がちにしてましたが、思いもかけず複数の旅館主の方から、好意的な声をかけられ、お話し合いがじっくりと出来たうえ、予期せぬ実のある言葉もうかがえました。  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)報告

2010年03月25日

倉渕ダム中止、了承

本日の上毛新聞トップ記事です。
各紙に報道されています。
早朝、出がけにみたのですが、7時すぎないと無料サイトにはのらないので、水源連メールに報告のみいれて、外出したしだいです。終日、雨にふられて寒々の一日でした。
 文中にもありますように、この公共事業再評価委は、八ッ場は続行としています。

//////////////////////////
 【2010年3月25日 上毛新聞一面トップ 経過年表あり】
  http://www.jomo-news.co.jp/news/a/25/news01.htm
  県公共事業再評価委が倉渕ダム中止を了承
 民間有識者らでつくる第三者機関の県公共事業再評価委員会は24日、2003年12月から凍結している倉渕ダム建設事業について、県が示した「中止」の方針を了承した。同ダムに参画する高崎市の別水源を確保する見通しがついたためで、県は今後、河川法に基づく整備計画の変更など中止手続きを進める。一方、八ツ場ダム関連の道路改築1事業と水道3事業に関しては、代替水源の確保は困難だとする県と藤岡市の「継続」方針を了承した。

 倉渕ダムは烏川の洪水調節と高崎市の水道水確保のため、県が旧倉渕村内に計画した多目的ダム。県は財政状況や水需要の伸び悩みから事業を凍結、高崎市がダム完成を前提とした暫定水利権で烏川から取水している水道水を確保する別の手段を協議してきた。
 県側は再評価委で中止理由について、県が保有する矢木沢ダム(みなかみ町)の水利権を高崎市に配分することで、高崎市の水道水を確保できるめどが立ったことを説明。洪水調節だけを目的にダムを建設すると費用対効果が継続基準を下回るとし、代替策として烏川沿いで堤防がない地域の堤防整備などを進める方針を示した。
 八ツ場ダム関連で再評価対象となった水道事業は①県央5市町に水道用水を供給している「県央第2水道」②東毛7市町の84社に工業用水を供給している「東毛工業用水道」③藤岡市の給水量の56・5%を賄っている「藤岡市上水道」-で、いずれも八ツ場ダムの暫定水利権を使っている。
 県と藤岡市はダム完成による水利権の安定化の必要性などを挙げて「継続」方針を説明。「八ツ場ダムの利水開発量は倉渕ダムの90倍で代替水源の確保は困難だ。治水面の代替案も国から示されていない」と倉渕ダムとの違いを強調した。
 県の川滝弘之県土整備部長は「委員会の意見を尊重して県の対応方針を(正式に)決定したい」と話した。松浦幸雄高崎市長は倉渕ダムについて「暫定水利権の安定化が図られるのであれば建設中止を受け入れたい。今後の対応は県と十分に協議していきたい」とコメントした。

//////////////////////////
【2010年3月25日 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000001003250004
  倉渕ダム中止へ
//////////////////////////
【2010年3月25日 読売新聞群馬版】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100325-OYT8T00027.htm
  凍結の倉渕ダム正式中止へ
    県公共事業再評価委が答申

//////////////////////////
【2010年3月25日 毎日新聞群馬版】
 http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100325ddlk10010146000c.html
 倉渕ダム建設:県公共事業再評価委が中止答申 高崎市の水需要が伸びず 
//////////////////////////
【2010年3月25日 東京新聞群馬版】
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100325/CK2010032502000112.html
 前知事凍結 倉渕ダム建設中止へ 『費用対効果が低下』
//////////////////////////
【2010年3月25日 産経新聞群馬版】
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/100325/gnm1003250235000-n1.htm
倉渕ダム中止を再評価委員会が答申 大沢知事「答申を尊重」   


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)報告

2010年03月24日

ダム関連問題、本日の全国の動き

本日24日現在の全国のダム問題の動きをお伝えします。

まずは、熊本県の荒瀬ダム問題。
熊本日々新聞の記事です。本質的な解決へ、また一歩進展です。
【3月24日 熊本日日新聞】
 http://kumanichi.com/news/local/main/20100324004.shtml
 荒瀬ダム発電関連の減額予算案を可決 県議会
【2010年03月24日 熊本日日新聞】
 http://kumanichi.com/news/local/main/20100324002.shtml
 荒瀬ダム発電継続を知事断念 きょう表明

次は、吉野川可動堰問題の朗報を伝える二紙です。
こちらは全面解決のようです。
①【2010/3/24 10:12 徳島新聞】
第十堰可動堰化を否定 国交相、保全軸に検討
 前原誠司国土交通相は23日、2000年1月の徳島市の住民投票を
受け、白紙状態となっている吉野川第十堰(ぜき)の可動堰化計画につ
いて市民団体のメンバーらと会談、「(可動堰は)選択肢にない」と述
べ、建設しない考えを表明した。

 前原氏は、約260年前に造られ、改修を重ねて使われてきた第十堰
の保全を軸に今後、流域住民の意見を反映させる委員会を設置し治水対
策を検討する方針も示した。
 国交省の大臣室で行われた会談には、市民団体側から吉野川シンポジ
ウム実行委員会の姫野雅義代表世話人ら9人が出席した。
 会談後、記者会見した姫野氏によると、前原氏は国交省の有識者会議
で検討している「できるだけダムに頼らない治水」の方針に沿って対策
を検討すると表明、国交省が持つ治水情報を提供する考えも明らかにし
た。
 さらに「第十堰は川の流れを邪魔していない。しかし、どの程度傷ん
でいるのか、治水の代替案をどうするのかを科学的にやらなければいけ
ない」とも述べ、早期に調査を始め、河川整備計画に盛り込みたいとの
意向を示したという。
 前原氏は23日午前の記者会見で、可動堰計画について「川全体の治
水をどのように考えていくかを含めて検討したい」と述べ、包括的に見
直す考えを示していた。
 姫野氏は「大事なポイントでかなり具体的で、明快な話が出たと思
う。長かったが流域の人たちの意思表示が国に届いた。今後は国交相の
方針が反映され、早い段階で委員会が設置できるよう働き掛けたい」と
語った。
 吉野川第十堰の可動堰化計画 吉野川河口から約14キロ上流にある
固定堰が、治水上の支障になるとして取り壊し、その下流約1・2キロ
地点に新たな可動堰を設ける計画。2000年1月に徳島市の住民投票
で建設反対が9割に上り、当時の与党3党合意で「白紙」となった。0
9年8月に国が策定した吉野川水系河川整備計画には第十堰対策は盛り
込まれなかった。10年1月、仙谷由人国家戦略相が「復活はありえな
い」と可動堰計画の中止を明言。前原国交相は09年10月に「政権と
しての見解は今後詰めていく」と説明していた。
~~~~~~~~~~~~~~
②【3月24日9時2分配信 読売新聞】
吉野川第十堰、国交相が「可動化中止」明言

 吉野川・第十堰(ぜき)の可動堰化計画について、国が
「白紙」としたままになっている問題で、地元住民団体メンバーらが2
3日、前原国土交通相を訪ねて第十堰の保全などを要望。
 メンバーは同省で記者会見し、「大臣は『(可動堰化は)選択肢にな
い』と中止を明言した。住民投票から10年。これで可動堰化は完全に
なくなった」と笑顔で報告。「今後は堰をどう保全するかだ」と、新た
な課題に取り組む意欲を見せた。
 同問題は、国の可動堰化計画が2000年1月、徳島市の住民投票で
反対多数となり、「白紙」とされたが、国交省は05年、吉野川河川整
備基本方針などで可動堰化の可能性を否定せず、現在の堰をどうする
か、宙に浮いた状態が続いた。今年1月には仙谷国家戦略相が、「(可
動堰化は)ありえない」と復活を否定した。
 前原国交相に要望したのは、住民投票から10年を記念したシンポジ
ウムを開いたNPO法人「吉野川シンポジウム実行委会」の姫野雅義代
表世話人ら住民団体のメンバー9人。この日、東京都の中央合同庁舎で
非公開で面会。▽第十堰の保全存続▽保全に向けた住民参加型の検討委
員会の設置――などを求めた。
 メンバーらは会見で、「前原国交相は何度も『(可動堰化は)ありえ
ない』と言い、『保全に向けた調査を行う』との発言もあった。中止に
なったと受け止めた」と晴れ晴れとした表情で報告した。
 姫野代表世話人は「ここまでずいぶん長かった。国が決めたことに1
0何年も反対し続け、ようやく国に届いた。市民も吉野川が身近で大事
という感覚になった。決して無駄じゃなかった」と喜んだ。第十堰の近
くに住むNPO法人「吉野川みんなの会」理事の山下信良さんは「前原
大臣は『住民の方と思いは一緒です』と何度も口にした」と満足そうに
話した。
 姫野代表世話人は、前原国交相が、保全を前提に、治水面での科学的
データが不十分だとして今後調査を行うことや、住民参加で情報を公開
する検討委設置に前向きだったとも報告。「住民がかかわっていく、全
国のモデルケースにできれば。どんどん提言したい」と期待していた。

そして、わが八ッ場ダム。
まだまだ「どこまで続く、ぬかるみぞ」の感です。
報道記事はあいもかわらぬ根老舗旅館廃業問題です。一の事柄が決意されるまでには種々の要因があるものでしょうに……
【2010年03月24日 朝日新聞群馬県版トップ 写真二葉】
  国信じ、振り回され
  http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581003240001

ことのついでに。この廃業問題はこの間上毛、東京新聞にも掲載されていました。
読売  3/23 4面 「政治の現場」の政権半年5 「八ッ場中止」地元を翻弄
読売群馬版  3/16 
  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100316-OYT1T00589.htm
  八ッ場の老舗旅館休業へ、ダム中止表明後初

また、
 【2010年03月24日 上毛新聞21面
 東京近郊の大学生ら「八ッ場」周辺を見学
 「下流の無関心さ 実感」  


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2010年03月17日

県議会八ッ場ダム特別委員会傍聴

 県議会に傍聴に行きました。
 八ッ場ダム特別委員会、その最終会と冒頭の委員長あいさつにありました。
 メンバーは15名。そのうち、5名?ほどは、産業経済土木常任委員会の委員。
傍聴席におかれた委員会次第によれば、

 3 付託議案(第1号議案)の概要説明・内容説明
 4 付託議案(企業局関係)の概要説明・内容説明
 5 付託議案の質疑
 6 付議事件の質疑
 7 付託議案の討論・採決
 8 開会中継続審査(調査)特定事件の決定

 付託議案(第1号議案)とやらが、「お手元の資料」とか「議案書〇ページをご覧ください」とかで説明されるのだが、傍聴者には先の委員会次第の1枚のみだから、ようするに耳だけでの理解で、具体的に「一号議案の〇〇〇」の〇〇の部分を聞き逃した耳には、まさにチンプンカンプン。
 いかに立場が違うとはいえ、ダム推進派の委員の皆さんのご意見には「そのご認識はちがいますよ。事実はこうですよ」と繰り出したい場面が多々あり。でも、じっと我慢の子ならぬおばさんでいるしかない。
 特に水質問題の辺りはひどかった。幾人かが新聞記事を片手に「毒水」に言及。「〇〇記者っているかい」と記者席を見て、記事の中の現地民の証言に「本当に毒水って言ったンかい」などと問う場面まである始末。異口同音にヒ素があれば、とうに死んでいるとか吾妻川の水を飲んでいるけれど、大丈夫とのいつもながらの“おちょくり的論調語”。
 
 採決は全て可決。
 しかも、一号議案以外は、全員賛成。
 不思議なのは一号議案の時に、野党筋が割れたから、より混乱。これが八ッ場ダム問題の決着だと踏んでいたのだが、おかしくなってしまっている。野党筋はどうなっているのだろう。確執はなんとなく感じてきたが…… 私が味わっているのと同じカタチではないかと踏む。

 質問の多くは15日に委員会一行が、現地長野原執行部と話し合った事柄を踏まえての質問だった。トップバッターの萩原渉議員が、途中、副知事の召喚を要請。席を入れ替えるとのことで、しばし休憩に。
 で、目の前の県職員に、「その資料、ちょっと拝見できませんか」と問うと、「議事課に聞いてください」という。ガードがかたい。
聞けば、不可なのは目にみえている。可ならば、最初から席に配布されている。現実に参考人招致の時は、講師のレジメは貰えた。「後で聞いてみますけれど、最終的には情報公開採るしかないかもしれませんね」と引き下がった。が、「しかし、知事は県庁は県民のためにあるといいますけれど、議会は県民が最もないがしろにされていますよね。資料ももらえなず、録音記録はダメ。筆記するにも机なし。皆さんがお偉くなった時には、改善してくださいね」とたたみかけた。
 確かに職務に忠実なる、わが群馬県職員たちよと感心していたら、旨のプレートにはそう書いてなかったけれど、午後になって、水特法の下流都県の負担割合の資料を採りに行き提示するに及んで、彼らは特定ダム対策課関連の職員とわかり、さすがは特定ダム対策課筋よ、?悪名高き私に、おいそれとは見せないよなとと、今度は得心した。

 見せぬとなると、より見たくなるもの。
 しかも、終日、机なしの席で、身体をねじりながら委員席を見ながら、筆記していると手首が疲れてしまうし、身体も痛くなってくる。この日、真ん中で2分割し、記録したノートは19ページ。老化現象だから仕方なしとは思っても、なんでこんな隅で、オドオドとしなければならないのかといささか、腹立たしい。 当初は「傍聴させていただくだけで有り難い」的感覚であったが、慣れとはたくましいもの。
 
 で、おばさん組のずうずうしさで、羞恥心をかなぐり捨てて終了後、以下を議会事務局に申し出た。
 1、傍聴人にも、会場内に限った「レンタル形式」で良いから、資料と議案書を見せるなどの措置を講じてほしい。5人に1冊でも良い。
 2、筆記するしかないのだから、職員やマスコミ席と同じように机を設置できないか。

 2番はあっさり、「場所なし」とのこと。(……県民が主役ですぞ。でも、このおばさんは、しおらしい県民の域を超えているけれど)
 1番は、議事課は次第のみ作成で、資料の作成はしていないのでわからない。ではどこかと問うと、財政課が行う由。「財政課ですか?」と思わず念押し。(でも、資料の元は各担当課が作成するものだと思ったけれど」
 そして、議案書などは県民コーナーで販売しているという。これは驚嘆。「あら、群馬県ですごいんですね」とは言ったものの半信半疑。そりゃ、議事録の閲覧はこの間、ずいぶんコピーを撮らせてもらったけれども……

 早速、確認と情報公開の手続きに、県庁内2階の県民コーナーへ。
 受付で、議案書の販売場所を問うと、笑われた。
 過去の議事録は禁帯出で閲覧可。
 ただし、予算書は確かに販売していた。定価は1980円でほっとした。もっとすると思っていた。でも、買うほどの必要性もない。欲しいのは〇〇号議案でまかり通る、その議案の詳細。議員に配布される議案一式の中味。

 次に顔なじみとなった情報公開室の担当者の名前を伝え、呼んでもらった。彼はやすみでもう一人の職員さんが出てきてくれた。やはり、財政課は作成するだけで元は特定ダム課ではとなり、まずはそこへとなった。手配してもらって、同じく顔なじみの特定ダム対策課の職員さんがまず見えた。記事課の権限だろうとなり、問い合わせ。
 答えは、今後作成予定の記事録と一緒のものなのだが、切り離して資料のみならば、それは担当課の判断によるとのこと。「資料のみで、結構です」と添える。特定ダム課の方は瞬時、困惑顔で「協議させて欲しい」とおっしゃる。「それではそういうことでお願いしますむと立ち上がった。食い下がっても仕方なし。どうしても手にいれなければならないものとも違うし駐車場の時間もある。懇切に対応してくだされたこの方を怒らせても仕方ない。
 「開示請求の書類はもってますか?」とルールに基づく手順を情報公開の担当者が問うので、「持ってはいるけれど、開示か非開示か決まったらでいいわ。それに正しい正式名称、わからないから、むしろ〇〇さんの方で教えていただきたいし」と伝えて、普段は腰の重いおばさんにしては、めずらしくあっさりと足早に駐車場に。超過の負担金額は少なくしたい。ところが、駐車場でまた、ひとパニックあり。どこまで、なんで何事ともあっさりスムースにいかない運命のヒトなのか。
  
 さて、皆さん、(議事録に載らない)常任委員会などの傍聴に際して、一県民にすぎない当方の上記の要求は、行きすぎでしょうか?
 ご意見、請う。  


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2010年02月23日

拙著の誤植に対する措置について

 心ならずも、拙著 新版『八ッ場ダムー計画に振り回された57年』の57年間の巻末年表の1事項に脱落が生じ、ために続く4事項の日にちがくりあがってしまったことを、前にお知らせいたしました。
 本日、夕刻、版元の明石書店での会議の中で、対応策が協議され、当方にも19時頃に連絡がありました。
 結論としては、現在、書店にある「初版本については、二刷と交換する」とのことにきまったそうです。
 担当者の上司から、連絡をうけ、営業部の方と簡単な段取りを聞いただけで、細部についてはまだ、決まってません。予想外の大きな対応策となってしまいまして、当事者としては本当に困惑しています。
  
 お買い上げくださいました皆様に、つつしんでお詫びいたします。
 書いた者の道義的責任として、誤植を発見して以来、頭が痛く 明石書店の担当者のところに対応策を求めてまいりました。ようやく、今日の会議で決着すると聞いていた本日はとりわけ終日、落ち着かないものがありました。
 慌てて、担当者の上司に、どの過程で脱落したのかは、不明だけれども、非は全面的に当方にあるので、「どうか、担当者への責任問題は穏便にお願いします」と伝えた次第です。「社内でも今後のために原因追跡調査は行います。なお、ご意向は汲ませてもらいます」とのことでした。

 本欄をお読みの皆さま方の中で、お買い上げくださいました方がいらっしゃいましたら、下記までご連絡くださいませ。
 版元と相談して、出来る限りの対応をさせていただきますので……
  鈴木郁子  連絡先     spq272s9@rondo.ocn.ne.jp へ
                    電話 027ー373ー5672
   
     


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2010年02月12日

脱落部分による誤記のお詫び

 さて、本日は本欄をお借りしての、どえらい訂正事項とお詫びごとです。
 最も、恐れていたことなのですが、新著末尾の巻末年表「相克の歴史をひもとくー谷間を彩る闇の華ー」の末尾、つまり「新政権樹立後の動き」のさらに末尾の、一項目の内容が脱落。
 ために4項目の日付けがズレてしまって、内容が一日づつ繰り上がり、日時と事項が異なってしまっていたのです。
 まったく、致命的なミスでお買い上げくだされた方々には、心からお詫び申し上げます。

 脱落した事柄はP302、10/19の1都5県知事の記事。
一日づつ日付けと内容がズレてしまったのです。以下が正しいものをです。
///////////////
10.19 1都5県知事、八ッ場現地視察および意見交換会を開催。建設中止白
    紙撤回の共同声明発表。27日開催の知事会への大臣出席を要望する

10.21 川内博史・衆議院国土交通委員長(民主党)現地視察。両町長と面談し参考
     人質疑等を要請。やんば館展示物に異論(翌22日、工事事務所が撤去保管。
     が、三日月政務官「地元民刺激」との判断。23日には再び展示に至る)
10.22 利根川治水同盟」(利根川流域1都5県の自治体など115団体)、国に建設
     中止の撤回を求める要望書を提出。前原国交相と住民の意見交換会を25日
     予定の旨を三日月国交省政務官が群馬県に打診。(県は翌23日長野原町に
     伝え、同日夜住民代表は町役場で対応協議。「時間なし」と拒否を決定) 
10.23 前原国交相、記者会見で「関東知事会出席は地元住民との対話を最優先」
     と返答。三日月政務官「新たな枠組みで治水・利水、環境面からも八ッ場ダ
     ムを再検証したい」と述べる
10.26~27 水上町赤谷川の茂倉沢「2号ダム」撤去
/////////////////////////////////

 5日夜、延び延び状態でついに最終日に突入の横浜市内のキャンパスで開催予定のフォーラムでの発表時に必要なパワーポイントの制作過程で判りました。夜半過ぎ、夕刻の写真消失ハフニング後に気持ちを入れ替えて作業。一連の大臣を始めとした各要人の八ッ場来訪時の写真も彩り的に加えたのですが、写真類の日時を入れるのに確認の意味で拙著の年表を見た際、あろうことか、10/19の一都五県知事の来町の記述が脱落。ために次々と四項目もの日にちがズレてしまっていたのです。新聞記事を確認しつつ作成したので安心感があり、その後の作業で脱落するなどとは思いもしていなかったのです。
 本当に困りました。愕然どころか悄然。どこの過程で脱落してしまったのか、いかに突貫工事的な作業だったとはいえ、年表のミスは致命傷的なミス。基本的な最終段階での校正ミスでした。
 本を出す資格などなかったのだと、しばらくは呆然状態。心が凍りつくというのはまさにこういう時だと感じました。
 版元は土日は休み。とりあえず6日からの会での販売コーナーに置く書籍に差し込む訂正表と、発表原稿を明け方までかかって作成。(なお、ここでは販売という形ではなく、結果的には一冊も売れなかったのである意味ではほっとしてます。)
 何度となく担当編集者の携帯に連絡し、週明けを待ちました。幸い、増補分は印刷直前段階でセーフ。誤植表を出すが一週間くらい先になるとの由。早く店頭にある書籍にも入れなければと心はやりましたが、対策を練るので個人的には動かないで欲しいとの連絡も受けてました。
 ですが、昨日の販売時には、道義的にも処置が必要ですのですので、取り急ぎ訂正表を個人的に作成し、本日、本欄でお詫びいたします次第です。
 お買い上げくださった方で、訂正表、必要な方は恐れ入りますがご連絡くださいませんか。なお、当方で判る方には、明石書店で作成次第、順次、何らかの形でお届けさせて戴きます。  


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2010年02月03日

お詫びいたします。誤植一覧

 現在までに以下の誤植が見つかりました。
すでにお買い上げくだされた方々に、ご報告させて頂くとともにつつしんでお詫び致します。
 「八ッ場ダムー計画に振り回された57年」誤植表
① P117  終わりから7行目末尾  自足袋姿 →白足袋姿
② P222  初めから7行目   映画監督山田洋二氏→山田洋次さん
③ P244   初めから2行目  
  目にしてきたばかりの目にはそ危機感がつのる。→「そ」トルツメ
④ P262 終わりから2行目 
  「なんて、ムダなことを。二桁くらいの数の車しか通らかったんべに」   →通らなかったんべに」
⑤ P293  初めから1行目 
  手にした書類の価値の価値も分からず、→「の価値」トルツメ

⑥ P319[年表]  上から14、15行目 
1963 10月  県、草津町・湯川の中和工場を完成させた   
    12月  県、品木ダムと湯の湖を六合村に完成させた
        ↓  
1963 11、10 県、六合村に品木ダムと湯の湖を着手
    11月  県、草津町・湯川に中和工場を完成させた   
        ※諸説あり。最終的に品木ダム水質管理所に併せました。

 せめて今般のことで、お問い合わせくださった方々への拙著には添えたいものと急きょ、まとめ出しました。
 殆どを姉が見つけてくれ、錯綜状態を極めていた12月末に連絡を受け、最初の幾つかはメモしていたのですが、忙しさに追われて自分の記憶力を過信。後でメモしようと思ったのです。処が、次々と時間に間に合わないことのみ舞い込んで、いつの間にか失念。またも忘却のかなたに霧散。
 そして、今般、一覧表を作成しようとして困惑。指摘された幾つか忘れてしまったのです。慌てて、姉に電話。伝えたからもういいと思ってメモを残してないという。しかも、本はご近所の知人に貸してあり、手元にない由。
 ところが、昨日夕刻、その姉から電話があり、拙著をまた一時的に戻してもらって、私は時間に追われているだろうからと読み直してくれたそうで、見つかった幾つかを再度、伝えてくれたのです。
 このすぐ上の姉との年齢差は6歳もあり、戦前と戦後派の感覚の相違もあってか、姉妹というより叔母のような感覚で育ってきました。でも、最近は本当に助けられることばかりです。
 誤植といえば、前著の時にも誤記があり訂正したのです。今回の年表以外の箇所のほとんどは、前著の時から気がつかなかったものです。どうして編集部の方たちも?輪読体制でチェックしてくれているのにと思いますが……、誤植というのはつきないもののようですね。
 いけない! 最も悪いのはそこつ者の書いた本人でした。思いのみ先行し。きちんと書いたと思い込み、校正段階でも思いこみで読んでしまっているのです。
 
 それにしても、年表の品木ダムは「着手」と「完成」は錯綜としてしまった校了段階でどうしてこのようになったのかわからないのでずか、致命傷的なミス。責任を感じます。但し、年月日は諸説があって。実際に10月〇日となつていたのもあるのです。
 これは自身で直ちに気がついたのですが、悲鳴をあげ、しばし落ち込みました。上の行と末尾が同じく「完成」。ほどなくまた同一事項の完成があるので、おかしいと気がつかれる方もいらっしゃるものと思い、それがせめてもの救いですが……。最初にお求めくだされた方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 また、当初記述の年月日は、古い文献にはそうなっていたのでずか、今般の増補に辺り、品木ダムのホームページの年表に統一させ、訂正させて戴きました。

 約2週間の新版作業中、最も難儀したのが、不慣れな罫線の年表作成。限られた字数に苦慮している段階で、2度にわたり一段づつ年代と事項がズレてしまってことです。訂正段階で上段の記述と混同し間違えて下げてしまったらしいのです。
 でも、出来上がってみれば、罫線を外し苦心した元号もいっさい取り外されていたので、第1稿の時、もしくは立ち上がり時に「罫線も元号も要らない」との方針を確認していれば、あんなムダな労力を使わなかったのに……と、悔います。
 
 ところで訂正表といえば傑作だったのは五年前、極めてご親切な八ッ場のLさんは、編集者が作成した誤植一覧の文字が小さすぎて読みにくいだろうとご判断。七か所ほどありました。
 役職等でお忙しい方なのに、ご丁寧にもコンビニで拡大コピーを重ねられ、本のページよりも大きい、確かA四判にしてくださったのです。しかも当時、拙著を委託で置かせて戴いていた長野原町の書店にまで出向いて、在庫品の小さな訂正表と変えてきてくださったというのです。
 それを聞いて、思わず苦笑。記しながらの今も吹きだしてしまうのです。
 誤植というのは編集者やライターにとっては恥の部類です。で、粋の良い若い編集者のメカにめっぽう強かった彼は、あえて小さくしたかもしれなかったのに……と。
 このように私に対してというより、自分たちのことが出てくる拙著に思い入れを示してくだされる八ッ場の方々、それぞれのご厚意はありがたかったけれど……、本当にご親切がすぎるのです。 

 さて、先ほど午前10時過ぎ、明石の今度の編集者からの電話で増刷が決定したとのこと。なんと今週末には印刷にかかる由。で、誤記があったら、明日10時までにとの達し。
 早速、また八ッ場のMさんに。「あのね」と連絡。「そんなこといちいち知らせなくってもいいんだよ。アンタ、俺はね、忙しいんだからね」と本日はご機嫌斜めらしく、口癖の「忙しい」を連発なされる。
 「だって、あんなに喜んで新聞買いにいくなんておっしゃってくださったから」と添えると、「うれしかったんだよ。あん時は。俺ラ、ホントに自分のことのようにうれしかったんだよ」と今度は、普通の声音で。そして、アンターというのであるが、オッチョコチョイな処があるから、よ~く考えて行動すべし。お礼状は出すべし。などのご高説をくりだされたのでした。 反対期成同盟の旗を止むなく降ろしてからの日々、この方たちが村内で遇されてきた苦汁の歳月。どんなにむなしく悔しかったことかと思われます。
 なお、伊東光晴さんにお礼のはがきをまだ書いている間がないのです。そのうちに「書いたか」と問われ「まだ」と伝えると、「そういうことは早くするもんだ」と叱られそうな面持ちですけれど……

 誤植一覧を何とか準備し始めていて丁度、良かったですが、まさかこんなに早く増刷されるとは思いもしませんでした。
 さてそこで、土曜日に用いる生まれて二度目のパワーポイントづくりにとりかかるのを中止。明朝までは、全精力を傾け、これから、心新たに誤植さがしです。年表のところが何とも心配ですが、恐らく時間なし。で、早速、また姉にも援軍を。

 さて、皆様のなかでも、もし、旧著・新版をとわず、ミスにおきづきの方、よろしくお願いいたします。疑問点でも構いません。そんなわけで、本日は珍しく早々とアップです。  


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2010年01月31日

毎日新聞・書評欄に拙著が

  拙著『新版 八ッ場ダムー計画に振り回された57年』が毎日新聞の書評欄にでました。
 今日は八ッ場へ行き、10時近くに帰宅。何気なくみた電話のそばに、FAXらしきものがあったので、手にしてびっくり、おもわず上ずってしまいました。
 それは版元の明石書店の社員の方が入れてくださった、本日の毎日新聞の書評欄の伊東光晴さんによる書評でした。大きさからいっても、書評欄の通常以上の行数があり、ひけをとらない分量なのでした。
 冒頭の何行かだけ読んで、思わず、まだお休みにならないであろういつもお世話になってる八ッ場のある方に電話して喜びを伝えました。そして、電話口で続く以下のあらましを読み上げながら自分でも一緒に拝読した次第です。
 評者の伊東さんは、著名な経済学者としか存じ上げない方なので、名もない拙著をこのように読み砕いてくださって批評してくださったことに感謝あるのみ。本当にうれしさがこみあげてきました。本人も気が付いていなかった鋭い洞察力に、さすがは最前線の知識文化人と、ただただ感嘆の呈です。
 最近は毎日新聞をとっていないので、紙面全体を確認できませんが、落ち着いて行を数えたら108行もありました。ちなみに朝日新聞・書評欄では通常本文は60行、写真や見出しがゆったりとってありますけれど……
 かつて15年間、作家の故・井上光晴さんの文学伝習所なるサークルで学びました。娘の荒野さんは現在、直木賞作家として活躍されています。明日、奥さんの郁子さんに電話して墓前に報告してもらおうかとさえ思います。
 かつて晩年の井上さん宅に、知人の映画「全身小説家」の監督夫婦ともに挨拶にあがったことがありましたが、試写会の段階で唖然とした次第です。もちこんだ責任上、伝習所から遠ざかって久しいのです。暮れに新版の拙著をお送りした際に、久しぶりに電話。「もう80歳になったのよ」という奥さんの声はあの頃と変わらなずとっても、張りがあって、早すぎてもったいなかった井上さんの分も長生きして欲しいと心底思いました。どうやら私は「光晴」さんと「郁子」さんに不思議なご縁があるようです。 
 当時、伝習生たちが、懇親会の席で「先生、伊東光晴は有名だけれど、井上光晴は知っている人が少ないよ」とか、「今に逆転し、作家・井上荒野さんのお父さんの光晴さんと呼ばれるようになる」などと何かにつけて、井上さんを揶揄して茶化していたのが思い出されます。
 そして、確かある大手出版社がある時、お二人の稿料明細書を間違えて送付。明細をみたら……の話をご自身で脚色して講義の余談に披露。私も複数回、聞いたのを覚えています。
 思えば毎月、複数の文芸誌に執筆していた井上さん宅に、月末近くに電話して奥さんに掲載誌や講演日程を伺い、苦心してワープロで打った簡易印刷した手づくり機関紙に載せ、全国300名を超えるサークル仲間に知らせるのが自発的に行っていた私の役目でした。当時は全て自費。よくぞ毎月の送料が出せたものと今との差に思い馳せます。ちなみに当時の給料の半分は電話代などに消えていた時代でした。
 とりわけ書評が掲載される曜日には、各紙をいち早く確認。井上さん宅に「〇〇新聞に出てました」と通報するのが、その当時の楽しみの任務の一つでした。

 そんなこんなしているうちに、先ほどお電話した八ッ場現地のお一人で電話嫌いのある方から、珍しく電話があって、「これからさ、コンビニへ行って買ってくるからさ」と、掲載誌の毎日新聞の確認なのでした。「よしてくださいよ。危ないですよ。何とかして後で送りますから」と申し上げましたが……、私の電話で眠りばなを起こされて寝つかれなくなったとの由。
 「日刊ゲンダイ」を車で約10分弱の長野原町で一軒のコンビニまで買いに行っている様子。で、9月末の私のコメントの時には数日後に、ことのついでにお伝えすると、「そんなん、俺ぁ、読んでらい」とにべもなく。でも、うれしさが言外に匂ってました。後日、最近は連日、買いに行っていることを伺った次第。この方は本当に我がことのように喜んでくれているのです。有り難いです。
 このように思いあふれた方たちに、守られ叱られ示唆されつつ、育てて戴いている過程で、時にこみ上げるものに突き動かされながら記させて戴いたのがこの本なのでした。
 メールをみましたら、運動筋のある方からも「載ってますよ」と、サイト名まで添付してメールを頂戴していました。本当に各種ダム情報にアンテナ張り巡らし、素早い対応ありがとうございます。
 
 書評一つで嬉しがるのは「器が小さい証拠」で見苦しいかもしれませんが、運動体筋から「ペラペラとめくったら良くない本」とのレッテルを張られて狭い道狭い道へと入りこんだ五年間の歳月を思うと、このように取り上げられたという事実、それだけでも心が膨らむのです。そして、「売れりゃ、いいけどなぁ」と願ってくださる方たちがいる。その方たちに少しでも朗報を伝えたい。
 実は本日、八ッ場へ行ったのは、東吾妻町のある本屋の社長さんから、暮れに委託でお願いした拙著が一昨日売れきれたとの連絡を戴き、お届けにあがったのでした。
 
 それゆえにこそ、伊東光晴様、八ッ場の皆様方、そして面映ゆくも「作家による」などと伊東光晴さんが冠してくださっているのに、小説入門以前の幼稚さだった私にも、何とか真実を見極める基礎力を養なってくださった、作家・井上光晴さんご夫妻、その他たくさんの方々、何よりも掲載してくださった毎日新聞さん、さらに版元の明石書店の皆さんなどもろもろの方に、心からお礼を申し上げたいのです。
 そして、無言のエールを送り続けてくれている、八ッ場の声なき祖霊たちに。消えて行った小動物や草木類にも。

 以下に伊東光晴さんの書評文を転載させて戴きます。
/////////////////////////////
【2010年1月31日(日)毎日新聞 書評欄】
今週の本棚:伊東光晴・評 『新版 八ッ場ダム』=鈴木郁子・著
 ◇『新版 八ッ場(やんば)ダム』
 (明石書店・2415円)

 ◇作家による「政治と金」の貴重な記録 

 政権交代は、群馬県の八ッ場ダムを黒四ダム以上に有名にした。それが、五年ほど前に出たこの本を新版として加筆出版させた。八ッ場ダムについての貴重な、そして唯一といってよい外部者による記録である。
 著者は、一九九九年十一月、関東の耶馬渓(やばけい)といわれている吾妻渓谷に遊んだ文人たちの足跡を調べるための取材で、この地がダム建設でゆれていることを知る。
 美しい自然に惹(ひ)かれ、ダム建設に翻弄(ほんろう)される人たちのもとに通いつづけ、反対運動にのめり込みながら、書き、調べ、記録していく。小説を書く人ゆえの文章が、この地からの情感を読む者に伝えてくれるのがよい。
 特記すべきことが幾つかある。第一は、住民に対する補償基準の提示額、妥結額が表となって示されていることである。宅地は一級から六級まで、それぞれがいくらか。雑種地は、田は、畑は。山林は一級から四級、保安林は、原野も。部外秘のこうしたものは、研究者でも入手が難しい。なぜ入手できたのか。売却を余儀なくされた人が、わざと捨てて著者に拾わせたものだという。全二四ページ、その一部が記されている。補償は家はもちろん、井戸、立木一本一本について行なわれることは知っていたが、こうした資料が外に出たのは、私の知るかぎりはじめてである。

 第二は「ダム屋」に言及していることである。ダム予定地に補償目当てで家を建て、交渉に当たる連中である。もちろんその背後には政治家の影がある。八ッ場ダムでは著者が確認したのが四一戸あり、五〇軒ともいわれている。この本では、その背後関係をぼやかして書いているが、必ず土建業者と地方政治家がいる。鳩山政権はここにメスを入れるべきであろう。
 「ダム補償」の研究について著書がある故華山謙・東工大教授によると、この「ダム屋」は、目ぼしいダムには必ずあらわれるという。

 第三は、公共事業を受注した業者が、自民党地方支部へ献金していることに言及していることである。ただしこれは、毎日新聞の福岡賢正記者の『国が川を壊す理由(わけ)』(葦書房)--熊本の川辺川ダムについてのものからの引用である。福岡さんの本を読むと、自民党の地方政治家がなぜ公共事業誘致に熱心なのかがわかる。受注した土木工事費の〇・一%(国と県の事業)、市町村のそれは〇・〇五%が自民党の地方支部に寄付される等々である。強度の酸性の水が流れこみ、水道用のダムとして不適とされた八ッ場ダムなのに、上流にこれを中和するダムまでつくり、建設を進めようとした理由のひとつがここにある。

 八ッ場ダム建設のための調査が行なわれたのは一九五二年で、この年建設省から町長あてに通知が届き、町長が反対陳情に動く。福田赳夫がダム推進であったことから、反対派は中曽根(康弘)派になり、集団入党するが、やがて説得されてゆく。そして五四年、熱烈な福田派である桜井武町長が当選し、五期二〇年をつとめる。

 この本の巻末にある「関連年表」は、この最初の調査から政権交代後の動きまで丹念に追って貴重である。福田と中曽根の対立がからみあい、いったん反対派が総力をあげて推した樋田富次郎氏が町長になり(七四年)、四期つとめたが、力と金で敗退してゆく過程が読みとれる。
 著者はこの本の最後で、生活がかかっている水没者と、反対を叫ぶ市民運動との意識のずれにも言及している。
(毎日新聞 2010年1月31日 東京朝刊)  


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2010年01月24日

前原大臣との意見交換会

 細部を記せばきりがなく、一口でくくるにはくくりようもない感じの一日でした。
 しいて、くくれば「不毛」の二文字のぼけた輪郭がちらつくとしようか。長引くことは必然だ。
 ともかく、一口で断じきれないのが、この八ッ場ダムの問題だ。
 
 意見交換会といっても、交換会という雰囲気でもないしあらかじめ人選された人間による、予想された成行き。従って、感動はなし。言葉で現実を余すことなく語るのは、極めてむずかしい。
 どっちの言葉も、紋切型。
 時たま、感動させられそうになった毎回ワンパターンの意見はできすぎで、「待てよ、本当か」と逆に滓のようなものが残ってしまうし……。
 終了後の一時、場内で、会場玄関先で、果ては駐車場でも後追い取材のマスコミに囲まれて、頬を紅潮させて語る水没地の方々。一時のヒーローではあった。
 村にわけ入って、いわゆる“近所のかげ口”ごとまで耳にしていると、何が本当で、何が空々しいか、おのづとわかる。。
 仕方のないことだが、ダムに対しての個々のかかわりあいの中から繰り出した意見であり、全体の配分は出来ていたのが、読み取れる。
 感動してかけよるマスコミ陣が、それぞれの発言者のダムにかかわる生活の一旦を知ったなら、たぶん、驚かれ一歩引くに相違ない。しかし、ここは聞いたことはすぐに伝える。吐きだしたその人物の言葉の核には、嘘はないから。
 定刻前の11時、浅間酒造のドライブイン駐車場に沿った道路わきには、右翼の街宣車が4台くらいズラリと一直線に並んでいた。町中にもくりだして、ダム推進を訴えていた。ために辻ごとに群馬県警が待機。右翼が繰り出したのは、今回が初めて。
 駅から車でご案内したマスコミ関係の方は、驚いていた。
 
 さて、白・黒ハッキリさせたい私の性分では好まない人物像だが、最も賢明な水没民とは、きちんとこの間の推移を見守り、自分の信念を貫き、どっちの意見にもくみせず、ダム資金にはさほど頼らす、こういうところにもでかけず、黙って例えば猫や犬でも相手に、終日この日をやり過ごす方かも知れない……、それでも、最後の決断は、まなじり決して敢然と国と対峙するそんな人間かなとも思わせられなくもない。。
 もちろん、隣近所には、「ダム問題に協力的でない」とうしろ指さされるに決まっているが……
 真にお利口なのはそんな方かも知れない。よそ様の村の出来事に首を突っ込んで、憎まれながら、疲労困憊の果てまで右往左往する、私のような人間は、愚の骨頂組なのだろう。
  それに近い方に開始前の町内探索で、出会えたことと、お知り合いの皆さんに配る温泉たまごをゆでている間、足湯でご一緒の吾妻町からという若いカップルの方に割り込んで思わず、ダムのカラクリを伝えると、「そういうことは、初めて聞いた」と目を輝かせてくれたことを、この日の収穫としようか。

 ところで、予想通りマスコミと地元民はほぼ同じ、というよりマスコミの方が多かった感じであった。
 何やら、出席者が予想外に少なくて、締め切ったはずの20日以降もしきりに「出てくれ」の動員がかかった由。
 その数は、多く数えても150弱ほどか。空席、特に正面向かって右手の中ほどはごっそりと空いていた。
 対するマスコミは150は完全に超えていたと踏む。数えるのも不謹慎なので途中で断念。
 受付の各字ごとの名簿用紙は、(何行なのか知らぬが、あっても40行ほどと踏むが)、仮に1枚の用紙だとすると、林・横壁は中ほどまでしか埋まっていなかった。
   


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2010年01月22日

県議会特別委。部屋が狭いのは重要性なし?

 群馬県議会特別委員会で第三弾の参考人招致がありました。
 要綱は以下の通りでした。昨日、確認しましたので、運動団体のメーリングリストにはまだ載っていなかったので、おせっかい精神の本領発揮で、急いでお知らせし致しました。それを転載します。

 期 日  1月22日(金) 13時半~16時半くらい
 参考人  13時半~約1時間   大熊 孝さん゜ 
              質疑・休憩
       15時~ 約1時間   嶋津 暉之さん
16時~  質疑
 ※傍聴は5名まで、8時半~受付開始
連絡先  http://www.pref.gunma.jp/cts/?LANG_ID=9

 確か予定にあったなと思い数日前から、県議会のHPにを見てきたのですが、見当たらず。この日は都合が悪いので一安心。
ところが、本日メモが出てきたので、議会事務局に問い合わせしてみた次第。
 なお、明日は同一時間帯に高崎市の審議会があるので私は不可。
終了後、駆け付けるつもりではいますが……、(朝、番号を採っておくと空席のまま占有してしまってもったいないので)。
 
 さて、15時半頃、到着。
 これまでは定員にみたず、仮に一杯になっても、定員が増やされたり、早退される方が必ずいらしたのです。で、昨日の電話でも、その場合は入れるということを伺っておきました。顔みしりの受付の方から、今日は8時半にはすでに定員。その後も何人かきたけれど、お帰り願ったという由。
 しかし、そこはオバさん組の度胸。「中に入らなければよろしいでしょう」とばかりにスタスタと。慌てて「でも、聞こえませんよ」という。「でも、いいですよ。雰囲気だけでも判りますから」とばかりに。すると会議室の前にたたずむとついてきた職員さんの知らせてで控え室から、職員さんが出てこられた。「今日は部屋が狭いので」とのことでした。が、最も聞きとりやすい扉の前に案内してくださいました。昨日の応接といい、公務員さんもとても親切になりました。
 なんと廊下でも、そりゃ、鮮明じゃないけれど、ちゃんと聞こえます。しかも、部屋が狭いためにしつらえた場内が効を奏して、マイクの正面らしき位置、音響効果抜群。
 「じゃ、ここでいいでしょか」と柔らかく申し出て、「資料の余りあります?」と貰いうけ、受付席に座らせてもらってました。
 顔見知りのある筋のある方が見えて、どこでもお邪魔ムシの私が受付席に神妙に座っているのでびっくり。で、ドアの前では迷惑だから、ロビーの方に出てひとしきり情報交換。これだけでも来た収穫あり。
 で、ドアが開くたびにすかさず、内部をちらりちらりとのぞき、概要把握。県議席のなんとまばらなこと。私はこういう時には、ふとっちょオバサンにはあらず、身のこなしが早いのです。
 この時間には最初の講師の大熊さんは、中ごろ後ろの席に座られていて、その手前の壁際が、これまでの経験から傍聴席と踏んだ次第。
 閉廷になって、出てきた方たち。まず先頭の地元の自民党県議から「おぅ」といわれ、「どうも」と返す。前回は「がんばるじゃねえか」との?エール。議員たるもの、どんなに小憎たらしいと思ってもこうでなければいけません。まぁ、選挙区ということもあるけれど、それに本心かくして如才ない人間のタイプは好きじゃなかったけれど、まあその位の度量がなければ……、その点、私の顔をみると困惑顔したり顔をそむけたり、ヒト言のあいさつの言葉も出ない議員もいる。そういう時には、心中深く「あなた、それじゃ、この次はないわよ」とうそぶく次第。だって、現に好き嫌いがハッキリしすきで主義主張を貫き通したこの私。落ちてましてよ。でもこれは個人の資質の問題。それにしても、議員の数は多すぎる。なんの仕事をしているのか。各種の傍聴で感じる。実のある議員のみになるよう暴論なから、定数は半減してもよいのでは。
 続いて、講師のお二人の周辺から、顔みしりの市民運動のリーダー格の皆さんたちも。その後に総合判断すると、最初の五名はこの方たち。昼近くに遠方から見えた方は、すでに定員外だったけれど、記者団のはからいとかで席に入れてもらった由。
(従って、定員を増やす措置は、この日はなされなかった模様。一回目の参考人招致の時は、確か、ありましたよ)。
 推察できたことですが、この方たちには何日前に連絡があって参加することになっていた由らしい。で事前の、予定通りのコースである、そのまま記者会見室へ消えていかれました。
 なんと私のメールは、日頃より仲間に入れてもらえない仲間の皆さんの首をしめ、最終的に分の首を最もしめる、おせっかいメール以外の何物でもありませんでした。 
 
 今日は傍聴人の枠には入らないので、駐車券への対応はダメと踏み、受付には行かず、そのまま兼ねてより折衝してきていた、情報公開の手続きに、 五階の記者クラブに行かれるらしい方たちの間に入って、エレベーターに同乗し、本館二階へ直行。
 ここでのやりとりも痛快なのではすが、長くなりますので、こらえます。
 担当者に「急ぐのよ」と最初に言ってあったので、?便宜的措置もあって、まだ退庁前の時間。で、議会事務局に聞いておきたいことがあったので、また逆コースで五階へ。その門部屋の記者クラブでは、歩いていく前方の正面ドア越しに、まだ記者会見が続いているのが見えました。記者さんたちのうちとけた態度から、山場は過ぎた感じでしたけれど……
 さて、廊下に出てこられた職員さんに幾つかの質問事項の最後に、どうして、今回は定員枠を増やす措置をしなかったのか。確か前々回に大事な場合には。その措置を行うとか聞いていたし、現にあったことを伝えた。すると、「今回は部屋は狭かったからとのこと」。では、前に比べて、ダム反対派の講師には必要性への意義がなかったからなのでしょうか。何やら週刊誌の切り口的な皮肉な表現となりました。

 肝心の委員会の中味、記者会見の内容は明朝の各紙をご覧ください。  


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2009年12月11日

?翌朝はアップされた「広報やんば」のお値段

 9日付、本欄に記しましたように、国交省の翌年度一括開示との入札方式に腹をたてながらも、翌10日には、長野原町の水没しない与喜屋にある八ッ場ダム工事事務所に出かけて、そこでは見られるとの通いなれた閲覧室に行こうかと思っていた矢先の10日午前11時すぎ、予期せぬ電話がありました。
 
 それは、八ッ場ダム工事事務所総務課の契約担当者から「訂正」なる電話でした。
 「昨日はうかつにも忘れてしまって、来年度に一括掲載と言ったけれど、事務所のホームページにアップされていましたのでご覧ください。私が忘れていたのです」式の訂正でした。
 ひらめくものがありましたが、(たぶん、?このブログもどこかの監視体制化にあり、読んだどこかの指示による、おそらく高度の判断でしょうがと)、すかさず、「じゃ、一緒に検索してみましょ」と一旦は電話を切り、かけなおしました。
 「でも、昨日はここにはなかったわよね」との一言の抑えと確認はしましたが、否定語はかえってまいりませんでした。まだお若い職員さんの前途もありますので、「業務内容が複雑ですものね」と慰謝しながらも釈然としないものは残りました。

 実は翌日の11日はもしかしたら、県議会の「八ッ場ダム特別委員会」が傍聴可能となるかも知れないから、土曜日に行ってこようと思っていた八ッ場行きだけれど、平日でないと閲覧不可。土曜日に持っていくつもりの配布物やおかえしするものなどの準備は整わないけれど、一つのことにキリをつけないと落ち着かない正確だから、早お昼にして午後から、例の閲覧室に行ってこようかと心づもりしていた矢先だったのです。
 そこで、「早くに知らせてくれて、またもの“時間のロス”をしなくて助かったわよ」と伝えた次第です。
  
 そして、「早いわね、私のブログ読んだの?」と謎かけしましたら、「職員のパソコンからは、そういうのは読めないんです」ときっぱりと否定。以前、株のインサイダー取引などから端を発し、公務員は職務中にはできない由。
 ヨシヨシ、それでこそ、わが国の公務員さんです。
 でも、群馬県警の最上階には公安の方たちがつめていて、常に思想犯の動向確認にご精を出しているとの風聞を聞きましたが、その手の専門職がいるはずです。事実、朝1番に、本省からの連絡やマスコミや市民側の資料が送信されてきていることは、かつて「あら、早いですね」と感嘆したことがあり、判ってます。
 ですので、これも読まれているものと心づもりしています。
 でもね、優秀なる頭脳の皆さま方。私たちは絶対値のある限られた命のなかで、誰も誰も、己が信じる「よりよい明日の到来」を目指して、自分の職責に汗を流しているものとそう信じている人間の一人です。
 しかし、人間が人間を監視し、陥れることの工作をすることは、極めて愚劣であり卑劣な行為ですよ。
 まぁ、政権が変わったからといって、変わり身の早い職員は、もっと卑劣な部類ともかんがえますが……
 
 でも、今回の対応には、逆の高度のご親切なはからいが、そこはかとなく感じられてなりません。
 いつぞやも週刊誌の誤認記事の時にも、とても親切心のあるご対応を頂きました。むしろ、本欄であらためて、お顔のみえない、恐らくこの先もお会いできない方々の、うれしいご配慮に、極めて小さな人間ながら、感謝の意をお伝えす次第です。
 ……どなただか知らないけれど、教えておかないと絶対にあきらめず問題視する性質の人間の一人である私の性格をも考慮しての対応かしらとも。現に即座にある筋に始動し始めてましたもの。

 そんなこんなで、今後3月までに、渋川市市内まで新聞折り込みで配達される、21号の内容が問題だとほのめかしたり、最近、とみに増えてきた新しい入札用語の相違点を確認し、人間味の感じられた若い職員さんとも、電話をきる際に、「良い時代をめざして、お互いの立場でがんばりましょうよね」と申し上げ、電話を終了。
 ちなみに、やはり随意契約と入札方式しかなく、昨日聞いた「簡易プロポーサル方式」も本日、検索した「企画競争方式による契約」も随意契約です。
 結論として、報道機関との癒着は、大いに倫理的にはわだかるものあります。が、広報活動は悪として退けきれない観点もあり、営業行為として契約も済んでしまっています。これを法的に覆すのはむずかしいものがあるようです。
 要はダム中止にて脱ダムの機運が、国民共通の話題となった昨今、従前のような報道を、相も変わらず上毛新聞社出版局がするか否かの1点にかかってくるのではないでしょうか。
 それこそ私たちは監視の眼をみはらせる必要があります。または意見書を提出する必要もあるかとも思います。
 
  そんな次第で、はからずも一昨日9日の「広報やんば」復刊に関しての、契約価格が判りましたのでお知らせします。
  契約日  平成21年10月 9日
  名称   H21八ッ場ダム建設事業最新情報提供業務
  契約金額(消費税及び地方消費税含む)は、\4,536,000-
  予定価格などは、以下をご覧ください。
 http://www.ktr.mlit.go.jp/yanba/nyuusatsu/nyusatsu/imgs/h211009.pdf
 
  でも、なんと約半額にもなりました。
 最初に私が聞き出した2003年刊行時の最初の契約金、1128万8100円の4割という驚異的なダンピング。
 4年後の2007年8月、青山貞一さんが調べ、ブログで発表、話題となった、904万3755円では、5割の半額に値する廉価。
  「じゃあ、今までは?」と言いたくもなりますよね……


  


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2009年12月08日

アマゾンからも、届きます

 発売になった拙著の件です。
 長らく、アマゾン上でも品切れ状態が続きまして、皆様にご迷惑をおかけいたしました。が、新版が出ましたので、アマゾンでは現在、早くも12/3頃には書名のみアップ。写真はまだ掲載されていません。通例、写真は幾日か遅れるとのことですが……、
 そして、お蔭さまで「2009/12/8 火曜日 にお届けします!」となってくれています。

 さらに、「まだ、カスタマレヴューはありません。最初のレビューを書く」の欄が目を引きます。確か最初の方には、何か特典があったかに記憶しています。
 旧著の最初のカスタマレウ゜ューは、ジョンソンさんが書いてくださいました。
 ご投稿のほど、皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

 
 八ッ場ダムの報道はなばなしき頃は、「八ッ場ダム」で検索すると、第一面の欄の上に活字、右わきに写真が掲載。ある時は前原大臣の顔写真の上に拙著があったものでした。
 それにしても、システムが良く分かっていないのですが、品切れ状態の一時、ものすごい高騰ぶりにビックリ。
 実は私の手元には、版元から販売の折に取り寄せた残数を返品するのもと考え、手元に置いていたので、自分用の保管分とは別に在庫がありました。
 あわてて版元に返品を問い合わせした処、「書店からの返品を待つ状態にて不可」とのこと。その頃から新版計画もあり、となると旧著を売るという行為も道義的に出来かねて、欲しいという方には貸出という形で対応してきた経過があります。
 一時、県内のどこの図書館でも貸出中。しかもかなりの順番待ちとの知人たちからの問い合わせが入りました。 
 従って、旧著の扱いは困惑ものです。

 さて、アップ直後の誤字などの訂正中の9時、姉から電話。
 昨日から東京新聞の八ッ場関連の記事を電話で読んでもらっているので、内心「今は忙しいのに」と思ったら、なんと誤字の指摘。
 土曜日5日に泊めてもらった際に新著を置いてきたのでした。この姉は私の区域では一日遅れの配達となる東京新聞の関連記事を、いつも保存しておいてくれるヒト。12/5~同紙では綿密なシリーズが開始されていました。で、5日・6日とたくさんの保存記事はもらってきたわけなのですが、昨日7日のは内容に関心があったので読みあげてもらったという次第なのです。本日はどんな記事なのか楽しみです。※(湯西川の栃木県都のことでした)

 最初に見つかった誤植は
 P117 終わりから7行目末尾   自足袋姿 →白足袋姿です。
  思い込みで読むから気がつかないものですね。編集段階でも復数の目を通してくださってますのにね。
 
  皆様もお気づきの点やご指摘、よろしくお願いいたします。  


Posted by やんばちゃん at 08:56Comments(2)報告

2009年11月23日

湯の湖 、上流域の心躍るミニトリップ

 22日実施した、品木中和工場→湯の湖→上流探索報告です。
 まずは、初めての方もいたので、草津町の温泉街はずれの湯川筋に設置された品木ダム水質管理所の中和工場周辺を見学。前回の8日の日に同じく、日曜日なので中に入れません。
 次に、湯の湖へ。
 この道は湯の湖への最短コース。夏には歩いて通りました。
 脱水工場の正面側にも足をのばしました、数年前からベルトコンベアーがとり外されています。
 最も変わったのは、つい最近完成したらしい、浚渫船「草津」の定位置だった場所の岸壁を埋め立てて建物が建てられたことです。さる8日の日の案内役として行った時に面喰ったのでしたが、草津は湖の右手に新しい道路と船着き場を造って移動していました。
 ここで、道を少々戻り、汚泥の乾燥場を二カ所持見て、三か所目の湖右手の高台へ。幸い休日だったので三か所とも中まで入りました。
 さらに大沢川沿いにくだり、縦断して谷沢川筋に行こうと思いましたら、交通止め。大沢川の土色の黄土色の水は、水は透明なものと思い込んでいる眼には、衝撃的でした。防災ダムの絶壁から滔々と流れ落ちる水。橋下に観測所がありました。土地の方にお聞きすると、一時はこのあたりで石灰水を流し込んでいたようでしたが、現在は中止されているとのことでした。

 仕方なく、谷沢川行きは最後にして、道なりに群馬鉄山へ。
 ここは群馬鉄山の持主の日本鋼管の私有地で、現在は「奥草津休暇村」となっていて、宿泊施設などが整っています。
 門をはいりかなり走ってから入場料210円を払います。採掘は1944(昭和19)年~1965(昭和40)年まで行われていた由。ここの鉄鉱石を運搬するために、突貫工事で進められたのが、現在の吾妻線であり、現在は廃止された大子線です。
 管理事務所の前の道の小道を行きますと、その尽きた川筋の両岸が手掘の跡地「穴地獄」。生ぬるく湯気のたちこめた川の中には、ここにしかないという、ク゜リーンのチャツボミコケがびっしりと川面を覆っていて、おもわず、「ワァー」と歓声がもれる景観でした。パンフレットや写真で見るのとは大違いの感動ものでした。
 源流は草津白根山から流れているとのことですが、足湯くらいはと思いもしましたが、それもぬるくてダメでした。ちなみに温度は25、6度くらいとのこと。
 PH2.8位の強酸性の中に生息するコケなのでした。そのつやつやとしたコケが、赤や黄色の鉱石の断崖に映えて、一見に値する景観です。
 
 最後に、湯の湖から草津市内にもどり、谷沢川上流の小道を観測所周辺を探索して帰途につきました。山間の木立を縫って走る谷沢川の流れを、落ちつくした木立越しに上から俯瞰するとまるで、黄土色の大蛇がのたくっているようでした。
 大沢川と谷沢川は湯川の色よりも濃い目の黄土色に感じられました。湯川も石灰の投入時は白濁していましたが、湯の湖にそそぎこむ時には、同じく泥色なのです。そして、湯の湖の真ん中付近は、おなじみのエメラルドグリーン。
  湖面は、ツートンカラーの色合いに彩られています。
  
 ある意味で、雪に閉ざされる前の絶好の機会だったかも知れませんでした。
 肝心の香草中和工場へは時間的に後日に。
  
(六合村パンフレットより)
 群馬鉄山は草津温泉の北に隣接するようです。旧群馬鉄山の跡地、かって露天掘りをした窪地には幻想的な「穴地獄」の風景が広がる。ビロードの絨毯を敷きつめたように、湧き出る鉱泉の流れの中に美しいチャツボミコケが自生する。強酸性泉の飛沫を浴びながら生育するという珍しい苔で、
日本では草津・阿蘇山に自生する貴重な植物である。

    


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(0)報告

2009年11月09日

ブログ不調の原因、わかりました。

 皆様へ

 過日、「プログの画面に文字が出ない」旨を記しましたが、原因がわかりました。
 拙著のまえがきを転載する際、付与されていたルビなどの記号が残っていたからでした。原稿の文章を「引用や転載などに便利だから」と、出版元から送信してもらっていたのを、コピーして用いていたのでしたが、その時に、このブログを太文字にしたりするなどとおなじようなレイアウトの機能の記号が残っていたからなのでした。
 気がついて、もしかしたらまだ残っているかもしれないと、丹念に見て行ったらあったのです。で、それを削除したら正常に作動しました。
 それまでは、とりわけ11/1付のそのブログは、私には見られず、管理画面でようやく確かめられるという有様なのでした。
 本当に機械はお利口なんですね。機種の違う遺物には、絶対拒否なのですから。

 皆さん、お騒がせいたしました。
 本当にメカにに弱いおばさんは弱りもの。

 たまには、スッキリとご報告のみで失礼します。  


Posted by やんばちゃん at 22:21Comments(0)報告

2009年10月29日

確かに大沢知事は「車も流された」と言い、写真にもあり

 
 気にはなりながら、外出。ようやく 確認しました。
 また、念のため、当日、参加されていたある方にも確認させていただきました。
 大沢知事は災害のことを2度にわたって述べてました。
 最初の一回目は、「死者も出ておりまして」のみでした。他の事例を挿入した後、再び平成10年の災害に触れ、2度目の語りの際に、一言ながら「車が流されれ」と述べていました。この部分、特に車の部分はとても聴きにくかったです。
 
  
 で、私は一回目の時の印象と2度目の聴きにくさで、「なし」としてしまった次第です。
 しかし、薔薇豪城さんは根拠がなければ書くはずもないし、寄せられたコメント「前橋人」も断言していられます。しかも、ノートには、大沢と書いて「河川敷に車を置くのが悪いのだ」とメモってあるではありませんか。大沢知事が何もいわなければ、私もこんな反応はしなかったことと思います。ちなみに森田知事の所に“役者だなぁ”とありました。
 何度も、慎重に録音テープを聴き直しました。
 下記に、(テープの巻き戻し方法が不明なので最初から聴きなおしているため限界があり、言葉はまったくの正確ではありませんが)、知事発言の概略を。

 前原大臣の説明終了後、地元知事として、質問の最初に指名された大沢知事は、まず前原さへのねぎらいの言葉、
「前原大臣に置かれましては、昨日からの国会開会、本当にお忙しい中、お越し下されて大変ありがたく、感謝もうしあげます」と述べ、質問項目にはいられました。
 ①私たち一都5県の知事は、19日、八ツ場ダムをみせていただきました。現地視察をし地元の方かだと意見交換し、その中で共同声明として、ダム中止を求めた声明を出して、大臣の方にもお届けしました。長い間、今も。ダム中止撤回をして頂いて、しっかりと治水・利水の必要性について、やはり公開の場で透明性のある議論をしていだきたいと思っております。
 
 ②あのう、やはり利根川水系全体を見て、このダム問題は考えていただかなければならない。ダムに頼らない中で、問題の解決、議論していただきたい。

 ーーここで、職員にパネルを持ち出させ、 
③「これは、昭和56(1981)年と平成10(1998)年におきまして、群馬県は非常に大きな災害が利根川におりまして、死者が出ておりまして、このような中でしっかりとした検証をしていただかないと、我々はなかなか群馬県の治水は守れない。ですのでしっかりと。
ーーーここでは、「死者のこと」は言いましたが、車が流されたことには言及されてませんでした

 ④ やはり、吾妻や長野原の方々が、ーー不鮮明ーー しかしなが、大臣の方にも、最初に「マニュフェストにあり」とご発言されましたがゆえに、まあ、失礼ですけれど、地元の方たちがかたくなになっとしまったというのは、現実であろうかと思われる。
 是非、ダムの総体を見直す中で、八ッ場ダムの現況をしっかりと見ていただきたいとおもったのです。
 
ーーーこの次でした。※ここでのパネルはその流されている写真だったかも知れませんね
 ⑤ それからこれは、平成10年に……、 八斗島における嶋津さん、よく嶋津さんは「13センチしかあがらない」といっているが、とんでもない話なんですね。これは車も流され、死者も出ているんです

 地元の方たちも 大変、心配していただいてますが、あまり長くなるのは、まぁ私は  ーー略ーーー心からお願い申しあげまして、私の質問とさせていただきます。ありがとうございました。

 ※印 パネルを作成した、群馬県河川課に伺いました。当日、持参したパネルは三枚との由。
 そのうちの一枚のパネル(朝日新聞掲載の)の4葉の写真の中で、下段左側の写真は、河川敷で車が流されている写真とのことでした。
 従って、大沢知事は車の流されることについて声も放ち、写真も援用していたことになります。 
  なお、台数については言及していないと思います。
 ※コメントをくださった「前橋人」さんが、85台と教えてくださっています。
 

 なお、28日の本欄への「前橋人」さんからのコメントを下記に転載。とても鋭利で冴えた切り口のご意見です。皆様も、コメントお寄せくださいませんか 

  コメント「前橋人」
 当該ニュース映像を視聴しましたが、大澤知事はご指摘のパネルを示しながら「(85台の)車が流され、死者まで出た」と前原大臣に訴えていました。
 平成10年5号台風では、確かに85台の車が増水により流されていますが、死者は出ていません。
  これは、八ッ場ダム工事事務所が掲示しているコラム「関東地方を襲ったこれまでの洪水」で明らかです。
    http://www.ktr.mlit.go.jp/yanba/about/colnmu2.htm

 関係して、(管理責任に苛まれ?)駐車場管理者が自殺するという事件はありましたが、それを指してあたかも増水による死者が出たような発言は不謹慎に思いました。 
 そもそも河川敷駐車場は県庁・前橋市役所職員の便宜に供するために仮に提供されていたもので、「駐車場使用承認の際及び河川敷駐車場の入り口に設置した利用案内によって、河川の増水または非常事態発生のおそれのあるときには駐車を利用してはならない」ことを条件に使用契約されていました。
 詳細は群馬県議会平成10年9月議会の9月30日一般質問の議事録を参照して下さい。
 当時、大澤現知事は県議会議員でしたから、一連の顛末は十分承知のはずです。
 「しっかりとした検証」を訴えるのであれば、過去の被害実態を塗り替えて政治利用するのは如何なものかと疑問を呈さずにはいられません。
         Posted by 前橋人 at 2009年10月29日 10:58
     
    


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