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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年02月03日

お詫びいたします。誤植一覧

 現在までに以下の誤植が見つかりました。
すでにお買い上げくだされた方々に、ご報告させて頂くとともにつつしんでお詫び致します。
 「八ッ場ダムー計画に振り回された57年」誤植表
① P117  終わりから7行目末尾  自足袋姿 →白足袋姿
② P222  初めから7行目   映画監督山田洋二氏→山田洋次さん
③ P244   初めから2行目  
  目にしてきたばかりの目にはそ危機感がつのる。→「そ」トルツメ
④ P262 終わりから2行目 
  「なんて、ムダなことを。二桁くらいの数の車しか通らかったんべに」   →通らなかったんべに」
⑤ P293  初めから1行目 
  手にした書類の価値の価値も分からず、→「の価値」トルツメ

⑥ P319[年表]  上から14、15行目 
1963 10月  県、草津町・湯川の中和工場を完成させた   
    12月  県、品木ダムと湯の湖を六合村に完成させた
        ↓  
1963 11、10 県、六合村に品木ダムと湯の湖を着手
    11月  県、草津町・湯川に中和工場を完成させた   
        ※諸説あり。最終的に品木ダム水質管理所に併せました。

 せめて今般のことで、お問い合わせくださった方々への拙著には添えたいものと急きょ、まとめ出しました。
 殆どを姉が見つけてくれ、錯綜状態を極めていた12月末に連絡を受け、最初の幾つかはメモしていたのですが、忙しさに追われて自分の記憶力を過信。後でメモしようと思ったのです。処が、次々と時間に間に合わないことのみ舞い込んで、いつの間にか失念。またも忘却のかなたに霧散。
 そして、今般、一覧表を作成しようとして困惑。指摘された幾つか忘れてしまったのです。慌てて、姉に電話。伝えたからもういいと思ってメモを残してないという。しかも、本はご近所の知人に貸してあり、手元にない由。
 ところが、昨日夕刻、その姉から電話があり、拙著をまた一時的に戻してもらって、私は時間に追われているだろうからと読み直してくれたそうで、見つかった幾つかを再度、伝えてくれたのです。
 このすぐ上の姉との年齢差は6歳もあり、戦前と戦後派の感覚の相違もあってか、姉妹というより叔母のような感覚で育ってきました。でも、最近は本当に助けられることばかりです。
 誤植といえば、前著の時にも誤記があり訂正したのです。今回の年表以外の箇所のほとんどは、前著の時から気がつかなかったものです。どうして編集部の方たちも?輪読体制でチェックしてくれているのにと思いますが……、誤植というのはつきないもののようですね。
 いけない! 最も悪いのはそこつ者の書いた本人でした。思いのみ先行し。きちんと書いたと思い込み、校正段階でも思いこみで読んでしまっているのです。
 
 それにしても、年表の品木ダムは「着手」と「完成」は錯綜としてしまった校了段階でどうしてこのようになったのかわからないのでずか、致命傷的なミス。責任を感じます。但し、年月日は諸説があって。実際に10月〇日となつていたのもあるのです。
 これは自身で直ちに気がついたのですが、悲鳴をあげ、しばし落ち込みました。上の行と末尾が同じく「完成」。ほどなくまた同一事項の完成があるので、おかしいと気がつかれる方もいらっしゃるものと思い、それがせめてもの救いですが……。最初にお求めくだされた方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 また、当初記述の年月日は、古い文献にはそうなっていたのでずか、今般の増補に辺り、品木ダムのホームページの年表に統一させ、訂正させて戴きました。

 約2週間の新版作業中、最も難儀したのが、不慣れな罫線の年表作成。限られた字数に苦慮している段階で、2度にわたり一段づつ年代と事項がズレてしまってことです。訂正段階で上段の記述と混同し間違えて下げてしまったらしいのです。
 でも、出来上がってみれば、罫線を外し苦心した元号もいっさい取り外されていたので、第1稿の時、もしくは立ち上がり時に「罫線も元号も要らない」との方針を確認していれば、あんなムダな労力を使わなかったのに……と、悔います。
 
 ところで訂正表といえば傑作だったのは五年前、極めてご親切な八ッ場のLさんは、編集者が作成した誤植一覧の文字が小さすぎて読みにくいだろうとご判断。七か所ほどありました。
 役職等でお忙しい方なのに、ご丁寧にもコンビニで拡大コピーを重ねられ、本のページよりも大きい、確かA四判にしてくださったのです。しかも当時、拙著を委託で置かせて戴いていた長野原町の書店にまで出向いて、在庫品の小さな訂正表と変えてきてくださったというのです。
 それを聞いて、思わず苦笑。記しながらの今も吹きだしてしまうのです。
 誤植というのは編集者やライターにとっては恥の部類です。で、粋の良い若い編集者のメカにめっぽう強かった彼は、あえて小さくしたかもしれなかったのに……と。
 このように私に対してというより、自分たちのことが出てくる拙著に思い入れを示してくだされる八ッ場の方々、それぞれのご厚意はありがたかったけれど……、本当にご親切がすぎるのです。 

 さて、先ほど午前10時過ぎ、明石の今度の編集者からの電話で増刷が決定したとのこと。なんと今週末には印刷にかかる由。で、誤記があったら、明日10時までにとの達し。
 早速、また八ッ場のMさんに。「あのね」と連絡。「そんなこといちいち知らせなくってもいいんだよ。アンタ、俺はね、忙しいんだからね」と本日はご機嫌斜めらしく、口癖の「忙しい」を連発なされる。
 「だって、あんなに喜んで新聞買いにいくなんておっしゃってくださったから」と添えると、「うれしかったんだよ。あん時は。俺ラ、ホントに自分のことのようにうれしかったんだよ」と今度は、普通の声音で。そして、アンターというのであるが、オッチョコチョイな処があるから、よ~く考えて行動すべし。お礼状は出すべし。などのご高説をくりだされたのでした。 反対期成同盟の旗を止むなく降ろしてからの日々、この方たちが村内で遇されてきた苦汁の歳月。どんなにむなしく悔しかったことかと思われます。
 なお、伊東光晴さんにお礼のはがきをまだ書いている間がないのです。そのうちに「書いたか」と問われ「まだ」と伝えると、「そういうことは早くするもんだ」と叱られそうな面持ちですけれど……

 誤植一覧を何とか準備し始めていて丁度、良かったですが、まさかこんなに早く増刷されるとは思いもしませんでした。
 さてそこで、土曜日に用いる生まれて二度目のパワーポイントづくりにとりかかるのを中止。明朝までは、全精力を傾け、これから、心新たに誤植さがしです。年表のところが何とも心配ですが、恐らく時間なし。で、早速、また姉にも援軍を。

 さて、皆様のなかでも、もし、旧著・新版をとわず、ミスにおきづきの方、よろしくお願いいたします。疑問点でも構いません。そんなわけで、本日は珍しく早々とアップです。  


Posted by やんばちゃん at 02:33Comments(0)報告