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2010年12月19日
145号開通式典 ……“黒い染み”張り付いて
開通式の模様を写真でお届けします。この前の10時半~、一昨日掲げたセレモニー会場のテント内で式典があり、終了後、写真のテープカットが行われました。
確かに道路の開通は、ヒトの心に灯りをともすものです。地域の発展ももたらすものに他なりません。
一昨日目にした真新しい道路標識には、「草津・上田」となっていて、道路網の拡がりを感じさせられてました。本日も草津町長を始め周辺町村からの来賓が見えてましたが、草津温泉には有利。しかし、吾妻渓谷は素通りになり、川原湯温泉は? 人の運命に似たものが道路網にもあるものです。
もし、この高規格道路がダムと関係なく計画されたのなら、団結の固い川原湯温泉街は「開通反対」運動でも展開したかもしれませんのに……

式典には、ご覧のようにいつものいわゆるお偉方のみで、最も犠牲を強いられた、元地権者などの一般住民は参加できず。わずかに道路上から横壁地域の数名が見下ろしていたにすぎず。しかも、来賓として席に座っていた女性は一名のみで、来賓としての紹介組には皆無。
この種のセレモニーに村人こぞって参加させる“意識構造のゆとり”が生まれた時が、真の社会改革と呼べましょう。
この日のやり方は旧来のロウ習そのままの体制で、昨今はかなりスマートにはなったものの「国交省の体質、変わらず」を眼のあたりに致しました。
但し、民主党政権下おいては、旧体制下つきものであった「引き物」も「昼食」もなかった由で、それにはおもわず拍手もの。
それにしても、前政権下でのつまらぬ浪費の数々はひどかった。
最後に後述しますが、その一端を語るのが、写真の新道路に至るまでの入り組んだ道路整備。一体、なんのため?と疑問符がいっぱいつきまとったものでした。
下の2葉はのテープカット後の試走風景です。1枚は試走直前のスタンバイの様子。次のは白根山系のもと、めがね橋にむかってのパトカーを先頭車にしての車列です。
9、4㌔の開通コースをめがね橋を超えた久々戸交差点でUターンし、3号橋から雁が沢ランプで、流れ解散とのことでした。

それにしてもです。ここにいたるまでの強引な道路整備は、素直に喜べないわだかまりが宿ってなりません。本日は、稀にみる上天気で、来賓者たちの皆さんは晴れがましさに満ち満ちて、「良い日だのう」と言いつつ、笑みがこぼれてました。が、素直に喜へない黒い染みがありました。
なまじ、ここに至る経過を見聞きしてきたがゆえに、オメデタイ日に不謹慎との批判を覚悟で記しますと、開通にいたるまでの横壁地区の道路網には摩訶不思議な現象がありました。
造っては、ほどなく交通止め。そして、いつの間にか解体されて、何メートルも離れない場所に新道路が出来上がっていて、これの繰り返し。あの道路舗装のトータルは幾らくらいになるのでしょうか?
いかに、工事用の道路とはいえ、もったいないがりやの素人目には、なぜ、近代工法による技術をもってして、最短距離で最終段階の完成図が描けなかったのかと思えてなりませんでした。この半年間は行くたびにというのはいささかオーバーですけれど、新道路や迂回路にさらされてきた他所者には、ムダ遣いのように思えてなりませんでした。
特に、ここ半年間はひどく、以前にも記しましたが、土地の通勤者の言葉に「朝、通った道が帰りには通れなかった」との逸話的事実が残っているほどてす。
さて、“黒い染み”といえば、どういうわけか、象徴的なのが、当方の安物カメラ。ついにこの試走段階にて言うこと利かず。
なんと、開口部分が全開せず、部分映像なのです。(……でも、この斜線の中の切りとられた映像って、トリミングなしのはからずも得難いものだったかもと思うと、撮っておけばよかったと残念)
買った当初の今夏の暑さの最中、車の中に置きっぱなしだったので、あちこちに黒い染みが広がってしまってました。カメラに詳しい方から注意された時には、すでに遅し。その上、すでに2ケタの頻度で地面に落としたものだから、あちこちゆがんでしまってます。買いかえねばと思いつつ、いつも直前になると動いてくれるので、全てに余裕なしのセカセカした日々の果て、今日まできているのですが、本日はついにダウンのもよう。
仕方なく手で窓口を押しあけて撮らざるを得なくなったのでした。
しかも、夕暮れ時にはそれも利かず、ついにスイッチも動かず、シャッター口が飛び出たママのいわゆる、赤ちゃんの出べそ状態。
念のため、帰宅後、充電したら何と開閉が出来た次第。しかも、こうやって中の写真も無事。
あの、赤ん坊のぐずりのような一時の言うこと利かずの現象は、なんだったのでしょう。……もしかして、“八ッ場の神様のグズリ”だったのかも。つまり、カミサマは全て、お見通し!! 怖いですね。
確かに道路の開通は、ヒトの心に灯りをともすものです。地域の発展ももたらすものに他なりません。
一昨日目にした真新しい道路標識には、「草津・上田」となっていて、道路網の拡がりを感じさせられてました。本日も草津町長を始め周辺町村からの来賓が見えてましたが、草津温泉には有利。しかし、吾妻渓谷は素通りになり、川原湯温泉は? 人の運命に似たものが道路網にもあるものです。
もし、この高規格道路がダムと関係なく計画されたのなら、団結の固い川原湯温泉街は「開通反対」運動でも展開したかもしれませんのに……
式典には、ご覧のようにいつものいわゆるお偉方のみで、最も犠牲を強いられた、元地権者などの一般住民は参加できず。わずかに道路上から横壁地域の数名が見下ろしていたにすぎず。しかも、来賓として席に座っていた女性は一名のみで、来賓としての紹介組には皆無。
この種のセレモニーに村人こぞって参加させる“意識構造のゆとり”が生まれた時が、真の社会改革と呼べましょう。
この日のやり方は旧来のロウ習そのままの体制で、昨今はかなりスマートにはなったものの「国交省の体質、変わらず」を眼のあたりに致しました。
但し、民主党政権下おいては、旧体制下つきものであった「引き物」も「昼食」もなかった由で、それにはおもわず拍手もの。
それにしても、前政権下でのつまらぬ浪費の数々はひどかった。
最後に後述しますが、その一端を語るのが、写真の新道路に至るまでの入り組んだ道路整備。一体、なんのため?と疑問符がいっぱいつきまとったものでした。
下の2葉はのテープカット後の試走風景です。1枚は試走直前のスタンバイの様子。次のは白根山系のもと、めがね橋にむかってのパトカーを先頭車にしての車列です。
9、4㌔の開通コースをめがね橋を超えた久々戸交差点でUターンし、3号橋から雁が沢ランプで、流れ解散とのことでした。
それにしてもです。ここにいたるまでの強引な道路整備は、素直に喜べないわだかまりが宿ってなりません。本日は、稀にみる上天気で、来賓者たちの皆さんは晴れがましさに満ち満ちて、「良い日だのう」と言いつつ、笑みがこぼれてました。が、素直に喜へない黒い染みがありました。
なまじ、ここに至る経過を見聞きしてきたがゆえに、オメデタイ日に不謹慎との批判を覚悟で記しますと、開通にいたるまでの横壁地区の道路網には摩訶不思議な現象がありました。
造っては、ほどなく交通止め。そして、いつの間にか解体されて、何メートルも離れない場所に新道路が出来上がっていて、これの繰り返し。あの道路舗装のトータルは幾らくらいになるのでしょうか?
いかに、工事用の道路とはいえ、もったいないがりやの素人目には、なぜ、近代工法による技術をもってして、最短距離で最終段階の完成図が描けなかったのかと思えてなりませんでした。この半年間は行くたびにというのはいささかオーバーですけれど、新道路や迂回路にさらされてきた他所者には、ムダ遣いのように思えてなりませんでした。
特に、ここ半年間はひどく、以前にも記しましたが、土地の通勤者の言葉に「朝、通った道が帰りには通れなかった」との逸話的事実が残っているほどてす。
さて、“黒い染み”といえば、どういうわけか、象徴的なのが、当方の安物カメラ。ついにこの試走段階にて言うこと利かず。
なんと、開口部分が全開せず、部分映像なのです。(……でも、この斜線の中の切りとられた映像って、トリミングなしのはからずも得難いものだったかもと思うと、撮っておけばよかったと残念)
買った当初の今夏の暑さの最中、車の中に置きっぱなしだったので、あちこちに黒い染みが広がってしまってました。カメラに詳しい方から注意された時には、すでに遅し。その上、すでに2ケタの頻度で地面に落としたものだから、あちこちゆがんでしまってます。買いかえねばと思いつつ、いつも直前になると動いてくれるので、全てに余裕なしのセカセカした日々の果て、今日まできているのですが、本日はついにダウンのもよう。
仕方なく手で窓口を押しあけて撮らざるを得なくなったのでした。
しかも、夕暮れ時にはそれも利かず、ついにスイッチも動かず、シャッター口が飛び出たママのいわゆる、赤ちゃんの出べそ状態。
念のため、帰宅後、充電したら何と開閉が出来た次第。しかも、こうやって中の写真も無事。
あの、赤ん坊のぐずりのような一時の言うこと利かずの現象は、なんだったのでしょう。……もしかして、“八ッ場の神様のグズリ”だったのかも。つまり、カミサマは全て、お見通し!! 怖いですね。