2010年02月21日
わが田園、まさに荒れなんとす
今朝は、地域を流れる井野川の、今年度最後のクリーン作戦を行いました。
八ッ場ダム問題に深入りしだした時と同じく、10年間前呼びかけて、地域の皆さんと一緒に、川と耕作放棄地のクリーン作戦を行い、どちらも事務局を預かってきました。
井野川は吾妻郡境の榛名山系の山ふところに位置する、旧箕郷町と北群馬郡の榛東村にある自衛隊相馬ケ原演習場の敷地の奥地から源を発するといわれている一級河川です。高崎市の北を東に向かって流れ、利根川に合流します。
通例、川の中のゴミを拾ってきました。今日の最大の粗大ゴミはバイクでした。巧妙にもナンバーは外してあったのでしたが、ゴミを拾いながら突き進んだ上流にすててあって、会員がひろい、カメラに納めた次第です。
終了後、独りで耕作放棄地の点検を。
こちらは耕作放棄地などの荒れ地を耕して、花を植えて美観を保つクリーン作戦です。
あることで耕せずに草で荒れほうだいだった水田三枚、もとは村一番の美田だっという併せて約四反以上、1200坪の広さの水田を借り受けて、春秋2回、コスモスなどの花々を植えてきました。
こちらは年々再々、花好きな方たちが減ってしまって往生しています。会員が集まらない現在はもてあましています。動いてくれない会長にかわって、年度末の報告書作成にたずさわる者には、毎年の苦痛ごとでした。ある年の私の作業日数は88日。現在は、しかたなく私が結局事務局兼会長。
昨年春は、緑化フェアでのボランティアとしての作業最終日に、高崎市の駅前通りに展示した花類の余り物の放出がありました。喜び勇んで、車で3往復して約500鉢の花類を貰ってきたのは良いのですが、植え付け、水やり、草取り作業に5、6、7、8月追われ通しで、なんと、5㌔の激減。父の没した年齢と同い年。やはり急速に痩せたその晩年を思い浮かべて、さすがに病気かと思ったほどでした。
ところが、秋口からの八ッ場ダム問題沸騰!!
丹精?の花々を、何とかと思っているうちに、10月下旬の一朝、早すぎる霜にやられて無残なことに。
八ッ場のベテラン農家のに「どうしたら言いかしら」と尋ねると、にべもなくおっしゃるには、「霜にやられたものをどうかすべえと思ったって、結局ムダだよ」。
とは言われても、でも、何とか少しでも救って、来春につなげようと、限られた時間の隙間をぬって時間を費やしてそそいで来たのでした。でも、もっとすごい冬場の寒さに向かって、ダメだろうな、長年の経験から会得した言葉には逆らえないなとは思ってました。せめて、バラの類だけは何とか守ろうとしたのでした。
でも、ついに寸暇の時間も割けなくなった、昨年末~今年にかけて、激減した体重が回復するにつれ、もう畑仕事には見向きも出来なくなってしまってきました。現在4、5㌔回復して、ほぼ元通りのビア樽体系に復旧。結局、ムダな努力なのでした。
そして、目下、浮上の困難な事柄を抱えて、久しぶりに荒れた畑にたって、あ~あ。
こちらも何とかしなければならないのですが、でも、もはや金銭的にトラクターを頼む余力もなくなりましたが、作業しさえすればストレートに進む事柄に加え、人間関係、とりわけ八ッ場ダム問題が根底にあるねじれた政治がらまりのイデオロギー問題はしんどいものがあり、これまたあ~ぁです。
八ッ場ダム問題に深入りしだした時と同じく、10年間前呼びかけて、地域の皆さんと一緒に、川と耕作放棄地のクリーン作戦を行い、どちらも事務局を預かってきました。
井野川は吾妻郡境の榛名山系の山ふところに位置する、旧箕郷町と北群馬郡の榛東村にある自衛隊相馬ケ原演習場の敷地の奥地から源を発するといわれている一級河川です。高崎市の北を東に向かって流れ、利根川に合流します。
通例、川の中のゴミを拾ってきました。今日の最大の粗大ゴミはバイクでした。巧妙にもナンバーは外してあったのでしたが、ゴミを拾いながら突き進んだ上流にすててあって、会員がひろい、カメラに納めた次第です。
終了後、独りで耕作放棄地の点検を。
こちらは耕作放棄地などの荒れ地を耕して、花を植えて美観を保つクリーン作戦です。
あることで耕せずに草で荒れほうだいだった水田三枚、もとは村一番の美田だっという併せて約四反以上、1200坪の広さの水田を借り受けて、春秋2回、コスモスなどの花々を植えてきました。
こちらは年々再々、花好きな方たちが減ってしまって往生しています。会員が集まらない現在はもてあましています。動いてくれない会長にかわって、年度末の報告書作成にたずさわる者には、毎年の苦痛ごとでした。ある年の私の作業日数は88日。現在は、しかたなく私が結局事務局兼会長。
昨年春は、緑化フェアでのボランティアとしての作業最終日に、高崎市の駅前通りに展示した花類の余り物の放出がありました。喜び勇んで、車で3往復して約500鉢の花類を貰ってきたのは良いのですが、植え付け、水やり、草取り作業に5、6、7、8月追われ通しで、なんと、5㌔の激減。父の没した年齢と同い年。やはり急速に痩せたその晩年を思い浮かべて、さすがに病気かと思ったほどでした。
ところが、秋口からの八ッ場ダム問題沸騰!!
丹精?の花々を、何とかと思っているうちに、10月下旬の一朝、早すぎる霜にやられて無残なことに。
八ッ場のベテラン農家のに「どうしたら言いかしら」と尋ねると、にべもなくおっしゃるには、「霜にやられたものをどうかすべえと思ったって、結局ムダだよ」。
とは言われても、でも、何とか少しでも救って、来春につなげようと、限られた時間の隙間をぬって時間を費やしてそそいで来たのでした。でも、もっとすごい冬場の寒さに向かって、ダメだろうな、長年の経験から会得した言葉には逆らえないなとは思ってました。せめて、バラの類だけは何とか守ろうとしたのでした。
でも、ついに寸暇の時間も割けなくなった、昨年末~今年にかけて、激減した体重が回復するにつれ、もう畑仕事には見向きも出来なくなってしまってきました。現在4、5㌔回復して、ほぼ元通りのビア樽体系に復旧。結局、ムダな努力なのでした。
そして、目下、浮上の困難な事柄を抱えて、久しぶりに荒れた畑にたって、あ~あ。
こちらも何とかしなければならないのですが、でも、もはや金銭的にトラクターを頼む余力もなくなりましたが、作業しさえすればストレートに進む事柄に加え、人間関係、とりわけ八ッ場ダム問題が根底にあるねじれた政治がらまりのイデオロギー問題はしんどいものがあり、これまたあ~ぁです。
Posted by やんばちゃん at 23:58│Comments(0)
│八ッ場に願う