2009年11月27日
八ッ場の実態は伝えるに難しすぎる
吾妻川の上流域には、先の湯の湖だけでなく、まだ幾つかの安全性を危惧させる要因が横たわっている。
それは追うごとに足を踏み込むたびに思うことだが、水没地の置かれている人間模様の様相に似ていると現地にたたす゜む都度、のど元につきあげてくる思いである。
現在までに、数多くの「八ッ場報道・ルポ」が記されてきた。
しかし、それは記者がディレクターが、そしてライターが水没地内を走り回って、たまたま遭遇出来得た人物が、その時に語った言葉を、書き手側の裁量で切り取る。、熟成させ、さらに肉付けさせて、自分が着地したいストーリィに、人物を言葉をちりばめて仕上げるだけである。
それは部分であって、真実の立像ではない。
一個の人間は複雑である。
ただし、読み手はそれらの前提がわかっていても、メディアが伝える側面をそれがそのキャラクターとして脳裏にしみこまされてしまう。
「ここに住んでいねぇモンにわかるか!」の叱咤の声は、事実だ。
一日や二日、「取材に行ってきました」とほら吹いても、八ッ場の現実はとらえきれない。
しかし、「締切」と書くことが大前提だから、聞いたことは全てとなり、局部的に取材したことを網羅する。
そして、同じ長野原といっても、水没地と非水没地ではことなり、水没五地区といえども、全水没地と部分水没では大いに感情のヒダが異なる。
まして、長野原町以外の者のいうことは、全体を構築するうえでの俯瞰する目線としての参考例としては必要だが、サラリと流れ出てしまうものがある。
また、取り上げる人物が、平素、その周辺でどのような評価を受けているのかまで忖度したら、筆は進まない。知らずとも、吐かれた言葉を辿って行けば、おのづと判るもので、それがわからなかったら、モノを書く、想像する資格ないといっても過言ではない。一つの手法として、それを伝えて重層化するということはある。
マスコミに取り上げられるということは、多くの場合が、「選ばれたヒト」的な意識の高揚感があり、往々にして、もてはやされる。現地には、書いてもらいたくてウズウズ状態の方も、現実にいられる。
さて、ある村のある方の言葉に(あの人のことは村のモンは知っているからいいよ。だけど、しらねぇヒトは本気にするし、下手すりゃ、どっかがやらせているとしかみねぇんで弱るんさの」と。
同じく、その末端に連なり、「飯のタネ」ほどにもならず、しようとも思わずに必死に歩いてきた者の一人として、「八ッ場の姿」を伝えることの難しさをこえて、氾濫する取材モノを前にして、困惑やむなしさを覚える。
最も冴えて優秀なるキャラクターは黙して語らず、じーと事の推移を見詰めていられて、凝縮された言葉をひと言、鋭く繰り出さしてくださるのではないだろうか。
そういう方に、お目にかりたいものだと念じつつ、この間、ヒトの行かない野道、小道、そして畦道を好んで歩いてきた。
私が、想像するそんな人物とは、案外、建て替え利かぬ暗い建物のジメジメした台所で煮炊きにおわれながら、食器類を黙々と洗っている、そんな嫁の立場の女性たち。または、建設現場で、手ぬぐいをほおっかぶり(今は帽子の時代だ)、ならぬ帽子を目深にかむり、じっと仲間うちの世間話に聞き耳をたてている方たちなのではないだろうかと、まだ不幸にしてお会いできぬ方たちの顔のさだまらない立像をえがく。
神様よ、そろそろそんな方たちにも、お目にかからせてくださらないだろうか。
何よりも優先するのは《書いても良い》とのお許しを頂けるか、この一点にかかる。
私は、ご本人に、一応の御断りをする。できれば、草稿をお見せする。しかし、そうすると、ほとんどがダメになるが、人権上、出来かねることである。書かれる方は、生身の人間である。
あるライターが電話をかけてきて、「上司の意見を聴きたい」といったそうだ、「留守」と伝えると、その方に問われた。役目がら「判りません」と答えたというある方は、他人に「出ている」といわれ、見たら「わからないと答えた」と記されていたという。立場上、困惑され、立腹していた。派生して、一時、マスコミ嫌いになられ、さらに、影に存在すると思いこまれている、市民運動嫌いの度を強められたことがある。
概して、「余りにホントのこと」もまた書けない。
飛びつきたくなるセリフもあるにはあった。しかし、書けばその方が困る。となれば記せなくなってしまう。そこまでの権利は一介のライターにないからだ。
さらに書かせてくださるメディアは限られている。機会があれば懸命に書く。何事も練習曲線だから、熟達し巧みになれる。
ある意味では、わが八ッ場は、マスコミの格好の餌食となってしまった。
そして、この私もまた、その一員には相違ならず、現地の方の指摘、「八ッ場でメシを喰っているやつら。……〇〇ちゃん、おメエも厳密にいえば、そうだからな」の言葉を、深く深く、自分の胸に突き刺し、自戒する一夜である。
しかしだ、あえて、自己弁護的に反論が許されるのなら、“巨額のメシ代を稼ぎだした、それこそヤツラの実態”をあぶり出すための、本質的な“ペンの力”というものは、いかなる時代にもある。たかが「ペン(=カメラ)、されどペン」なのだ。
そのために、筆先を磨き続けたい。
それは追うごとに足を踏み込むたびに思うことだが、水没地の置かれている人間模様の様相に似ていると現地にたたす゜む都度、のど元につきあげてくる思いである。
現在までに、数多くの「八ッ場報道・ルポ」が記されてきた。
しかし、それは記者がディレクターが、そしてライターが水没地内を走り回って、たまたま遭遇出来得た人物が、その時に語った言葉を、書き手側の裁量で切り取る。、熟成させ、さらに肉付けさせて、自分が着地したいストーリィに、人物を言葉をちりばめて仕上げるだけである。
それは部分であって、真実の立像ではない。
一個の人間は複雑である。
ただし、読み手はそれらの前提がわかっていても、メディアが伝える側面をそれがそのキャラクターとして脳裏にしみこまされてしまう。
「ここに住んでいねぇモンにわかるか!」の叱咤の声は、事実だ。
一日や二日、「取材に行ってきました」とほら吹いても、八ッ場の現実はとらえきれない。
しかし、「締切」と書くことが大前提だから、聞いたことは全てとなり、局部的に取材したことを網羅する。
そして、同じ長野原といっても、水没地と非水没地ではことなり、水没五地区といえども、全水没地と部分水没では大いに感情のヒダが異なる。
まして、長野原町以外の者のいうことは、全体を構築するうえでの俯瞰する目線としての参考例としては必要だが、サラリと流れ出てしまうものがある。
また、取り上げる人物が、平素、その周辺でどのような評価を受けているのかまで忖度したら、筆は進まない。知らずとも、吐かれた言葉を辿って行けば、おのづと判るもので、それがわからなかったら、モノを書く、想像する資格ないといっても過言ではない。一つの手法として、それを伝えて重層化するということはある。
マスコミに取り上げられるということは、多くの場合が、「選ばれたヒト」的な意識の高揚感があり、往々にして、もてはやされる。現地には、書いてもらいたくてウズウズ状態の方も、現実にいられる。
さて、ある村のある方の言葉に(あの人のことは村のモンは知っているからいいよ。だけど、しらねぇヒトは本気にするし、下手すりゃ、どっかがやらせているとしかみねぇんで弱るんさの」と。
同じく、その末端に連なり、「飯のタネ」ほどにもならず、しようとも思わずに必死に歩いてきた者の一人として、「八ッ場の姿」を伝えることの難しさをこえて、氾濫する取材モノを前にして、困惑やむなしさを覚える。
最も冴えて優秀なるキャラクターは黙して語らず、じーと事の推移を見詰めていられて、凝縮された言葉をひと言、鋭く繰り出さしてくださるのではないだろうか。
そういう方に、お目にかりたいものだと念じつつ、この間、ヒトの行かない野道、小道、そして畦道を好んで歩いてきた。
私が、想像するそんな人物とは、案外、建て替え利かぬ暗い建物のジメジメした台所で煮炊きにおわれながら、食器類を黙々と洗っている、そんな嫁の立場の女性たち。または、建設現場で、手ぬぐいをほおっかぶり(今は帽子の時代だ)、ならぬ帽子を目深にかむり、じっと仲間うちの世間話に聞き耳をたてている方たちなのではないだろうかと、まだ不幸にしてお会いできぬ方たちの顔のさだまらない立像をえがく。
神様よ、そろそろそんな方たちにも、お目にかからせてくださらないだろうか。
何よりも優先するのは《書いても良い》とのお許しを頂けるか、この一点にかかる。
私は、ご本人に、一応の御断りをする。できれば、草稿をお見せする。しかし、そうすると、ほとんどがダメになるが、人権上、出来かねることである。書かれる方は、生身の人間である。
あるライターが電話をかけてきて、「上司の意見を聴きたい」といったそうだ、「留守」と伝えると、その方に問われた。役目がら「判りません」と答えたというある方は、他人に「出ている」といわれ、見たら「わからないと答えた」と記されていたという。立場上、困惑され、立腹していた。派生して、一時、マスコミ嫌いになられ、さらに、影に存在すると思いこまれている、市民運動嫌いの度を強められたことがある。
概して、「余りにホントのこと」もまた書けない。
飛びつきたくなるセリフもあるにはあった。しかし、書けばその方が困る。となれば記せなくなってしまう。そこまでの権利は一介のライターにないからだ。
さらに書かせてくださるメディアは限られている。機会があれば懸命に書く。何事も練習曲線だから、熟達し巧みになれる。
ある意味では、わが八ッ場は、マスコミの格好の餌食となってしまった。
そして、この私もまた、その一員には相違ならず、現地の方の指摘、「八ッ場でメシを喰っているやつら。……〇〇ちゃん、おメエも厳密にいえば、そうだからな」の言葉を、深く深く、自分の胸に突き刺し、自戒する一夜である。
しかしだ、あえて、自己弁護的に反論が許されるのなら、“巨額のメシ代を稼ぎだした、それこそヤツラの実態”をあぶり出すための、本質的な“ペンの力”というものは、いかなる時代にもある。たかが「ペン(=カメラ)、されどペン」なのだ。
そのために、筆先を磨き続けたい。
Posted by やんばちゃん at 23:57│Comments(0)
│八ッ場に願う