2009年09月14日

マスコミ旋風、吹きすさんだ水没地に

 マスコミは世論に素早く反応するもので、まさに民主党のマニュフェストが完遂でき得るかのシンボル的存在となった、わが八ッ場ダム問題が、連日、報道されています。
 現地取材も加熱。
 何やら狂騒的な気配でした。
 すでに金太郎アメ的登場人物に食傷ぎみの読者を意識してか、各社とも目新しい人物の発掘に躍起となっているようです。
 報道の怖さをしっている住民は、選挙後、殺到したマスコミ陣の攻勢から逃れ、「居留守」を使ったり、逃げていたようです。
 そして、マスコミは当たり前のことですが、取材に応じてくれる人の人権よりも、いかに他局よりもインパクトがあって、センセーショナルな報道ができるかに憂き身をやつしそこに収斂させた切り取り方をしてしまうものです。
 その底流には、娯楽的要素を多分に求めるこの国の浅薄な聴衆の要望に応えてしまう、応えなければしのぎを削れない、憐れな報道意識があります。
 
 他方、日々穏やかに暮らしてこられた山里の村で、マスコミ取材にあうと、多くの方が舞い上がってしまわれるようで、得意げに話されるのをしばしば耳にしてまいりました。
 例えば、いち早く高台に移転した女性には、テレビ局からひんぱんに、あることの進捗度を問う電話が入るとかで、聞き違えなければ、「まい朝のように」とかでした。
 マスコミとつながっているということで“特別な存在”として、地域に鼻が高いのかもしれないなと思わせる口ぶりでなのでした。
 ……かつて(?今でもかな)私もマスコミ大好き人間ですから、真理の綾が良くわかるのかもしれませんけれど。

 実は、去る10日の夜、私も、会場内で数社からカメラを向けられたのです。で、「地元民ではなく、しかも反対の立場に立つこと」をきちんと告げ、お断りしました。報道陣らしき数は、約50名ほど。
 けれど「みのもんた朝ズバッ!」には「それでも、いいんです」と畳みこまれてしまいました。「この場面では、スタッフの皆さんにもかえってご迷惑をかけることになりますよ」と添えました。が、「構いません」とおっしゃるのですが、カメラをさえぎったまま拒否し続けました。
 ただし「どう、思いますか」ときたので、反対の理由を短く述べました。すると「終わった後、表でどうでしょうか」とも。
 というのは、数ある番組の中では信頼感をもっていたのとキャスターの態度にはひびきあうものがあったので、思わず、先の対応をしたのですが、私は朝のこの番組をきちんとみたことがなかったうえに、何よりもこの日のメイン取材である推進派の結成式の枠組と、お邪魔虫である自分の位置に自分自身でも、強い違和感があったのです。
 
 (なおもちろん、番組名は異なっていたので安心感はあったが、先の女性の話されたテレビ局と同じ。しかも拙著にも記しましたが、国交省からの大きな補助金で現地状況を制作したのも同局系のプロダクションという、潜在的な拒否感覚も手伝いました。このゼネコン体質の実態を暴露したことは、水没民に対しての生活再建は遅々として進まなかった五年前の段階では、少なからず地域に衝撃を与えたようて゜した)。

    メディアにおける人権感覚 
 速さが宿命とはいえ、翌朝5時半~開始で8時台に放映された同番組を、早朝より外出のため見られずようやく手に入れたビデオを、先ほど見てみました。(目下私のビデオは不具合で録音はおろか、音声も出ない始末。でも流れと雰囲気は伝わりました)。
 番組最後にあの切れ味の良かったキャスターの方が、現況を説明してくれていました。たぶん、内容的も質的にも、信頼できる部類に入るものでしょう。でも、日頃のおっちょこちょいで早合点にあらず、断って正解であり、自分ながら舞いあがることもなく冷静に対処できたと思います。

 ところで、番組は一過性であっても、周辺地域ではピリオド打てず、流布してしまうもの。
 さらにメディアに勝手に切れ取られ編集された人格は不特定多数にさまざまなイマジネーションを増幅させてしまうもの。
 
 とりわけ「映像と肖像権」は、大きなテーマです。
 かつて、日本の賞を総なめし世界の映画祭にも輝いたドキュメンタリー映画で懲りた体験があります。
 前作で名を馳せた監督の妻でプロデューサーとは数年来の親友とも呼べる仲。受賞後の第一作となる撮影開始に当たっては一緒に挨拶に行き、会への橋わたし役として制作に5年間、伴走。
 ですが、編集段階から次第に遠ざけられ、試写会上で違和感を覚え困惑。
 それから「映画芸術」などの映画雑誌や幾つかのメディアにて自分なりに闘うとともに、責任をとる意味でそのサークルから抜けてしまった苦い体験があります。
 
 さらにこれは映像ではなく新聞記事でしたが、過日、水没地のある方の私生活にまで及んだ内容がある新聞の三面記事に掲載されました。読んだご親せき筋の方々は、子供さんの将来を憂え、関係の修復を待ち望んでいただけに、「あんなこと、町中はおろか全国にしらせなくとも」と憤慨されてました。
 一読後、私もギョとなった次第。
 八ッ場に訪れた際、「いいんですか、あんなことまで書かせて」と問うと、ご本人は掲載紙を送ってもらってもいず、すでに掲載日の翌日の夜なのに、「まだ、読んでいない」とのこと、書いてあることを伝えると「ちょっと違う」といわれ、細部は異なっていたようでした。記者は書く目的で接近してくるのですが、ご本人は無防備だったようです。
 いかに新聞とはいえ、「なぜ。ゲラ段階で確認するかしなかったの」と問いました。
 
 私は人さまのことを記す時、仮に実名でなくとも、草稿をお送りし確認してもらい、「もし、嫌な表現があったら直しますよ」と伝えて参りました。自分がそうされた場合には辛いからです。
 でも、表現上の効果は薄れてしまうことが多々ありますが……
 確かに好都合の証言やセリフに合うと、小躍りしてしまうのは、取材側の習い覚えた本音です。
 それを書くと「インパクトに満ちた決めて」になって、記事にメリハリがでます。
 けれど、書いて公表した場合には、その方が追い込まれてしまうなと考えて断念。胸の奥にたたみこんだことが再三、ありました。
 ですのに、一度案内した後、私に話してくれるようにいつもの調子で無防備にはなされた効果的な一言を、インターネットに大見出しで掲載。今後の立場を考え、削除を申し出たことがあり、結局、その後、その方とは直接の原因かどうかは定かではありませんが、疎遠になってしまってます。

 ただでさえ辛い、現地のみなさんが、後々、極度の神経疲労に陥れられる取材ごとに、変な形で巻き込まれぬよう、昨今の狂騒的なマスコミ取材を憂えます。
  
 ただし、取材や報道には、立派な使命があることは、厳然とし手市民社会の成熟におおいに寄与してくれています。
私が“マスコミ大好き人間”の理由もそこにあります。
 「表現の自由」と「個人の人権」はむずかしい、永遠のテーマかもしれません。
  





 


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Posted by やんばちゃん at 16:39│Comments(0)八ッ場に願う
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