2009年08月18日

時代を超えて息づく“真理の道”の、選択を

 時の流れというものは、本当に分からないものだ。
 選挙戦の争点に急浮上した、わが八ッ場ダム問題。
 それにしても、八ツ場には、不思議な命脈があると、またも思い知らされる状況下になってきた。
 もはや万事窮すかとおもいきや、(水面下でのそれぞれの立場からの不断の努力が実を結びというか働きかけの積み重ねで)ふいに旋回する。その蛇行状の軌跡の繰り返しだったように思えてならない。
 
 昨今の水没地の方たちの“政争の具”にされているという怒りは、(根柢の基本的考えが異なり、反対市民の一員としてf針を刺す立場の私にも)、さもあらんと実感できる、ほんものの叫びであろう。
 ……当事者ではないから「実感できる」とまでは言い切れまいと指摘されれば声もないが、己の身に置き換えても、辛いものが走ってならないのは本当だ。国民不在の政策にさらされる同じ立場の響きあう国民の一人として感じられてならないからだ。
 考えてみれば長い間、国策と自民党大もの議員同士の勢力・金力争いに、翻弄された。その後も引き続き尾を引き、長引いた。
 時経た今般は、当事者の間には、“政権交替のいけにえかっとなった”という悲劇の主人公的、見解もあるのも無理からぬ。
 確かに八ッ場の皆さんは、「自分たちが造ってくれ」と頼んだものでもないのに、強引な懇願に渋々と従っただけ。
 幾星霜かを経た今日は突然、ダム不要論をめぐる政争の渦中に放り込まれてしまった。
 そして、まんべんなく肥え太ったのは、いかなる事業もいつの世もそうだが、権力に群がる一部の有力者たちという、相も変わらぬ構図。背筋正しい弱者たちには、恩恵は行きわたらず損な役柄ばかり。
 容赦ない時のニーズの変遷とはいえ、これでは怒りの捌け口もないだろう。私は何度か「皆さん、もっと怒るべきですよ」と申し上げたものだったが……。今からでも、遅くはない。立ち止まって、事実経過を見直すべきである。
 
 ところで、辛い体験に基づく怒りは、簡単に忘れてはならず、忘れようとしても忘れされるものではない。
 風化させ消し去りようもなく、断じて忘れてはならない種類の体験を、「原体験」と呼ぶという。
 おそらく、57年間という行きつ戻りつの歳月で語るに語れぬ痛みは、想像を超える、まぎれもない“痛みの原体験”であったろう。
 
 またも巡りきた、8/15という、最も風化させてはならない日。 
 思えば、ここには戦意高揚の美名のもとに、“造り上げられた国民の総意”が平然とまかり通り、さまざまな“演出”がなされたことは今や、つとに知られている。
 そして、……八ッ場を愛してやまない双方いずれもが、相反するそれぞれの立場で、同じ轍を踏まなければ良いがと念じる。
 ともかく私は、とりわけ「演出」とか「やらせ」という言葉が嫌いだ。
 取材ごとで調べれば調べるほど、ダム推進の長い過程にも、陰に陽に少なからずの、造りたいヒトたち側からの働きかけによる“民意操作”もあったことも浮かび上がってくる。
 操作というより、権力側の繰り出す方向に集中させるのだ。どこの地域もそうだが、その要員がちゃんといることが、切ない。
 
 終戦記念日の八月。
 さらに、刻々と日々決戦の時となり行く、衆院選・告示日の本日。
 ことさらに原体験の重み、その質。戦争に代表されるもろもろの仕掛けの構造にしみじみつくづく、思いはせてみる次第だ。
 
 だが、断じて忘れてはならないことは、(対世間的には若輩者の身で口はばったいもの言いだが)、世の中には“真理の道”というものがあるということだ。
 環境の世紀とよばれ、ダムをはじめとした大型公共事業の実態が明るみに出た、今回は、仕組まれたヤラセや演出効果にふりまわされることなく、いかに何でも、ピリオドを打つ潮時である。
 ダム建設の基本線に戻るべきである。
 ダム建設のうたい文句の「治水・利水」は必要性なく、真の目的には他にあった。
 この間の軌跡を見つめれば、おのづと見えてくる道筋がある。
 水没地の皆さんには、移転に付随して生活再建策という、餌を用意した。しかし、“釣った魚”には、餌を与えず、じっと自ら日干しになって去って行くのを待った。
  代替地造成をはじめ、肝心の生活再建が遅々として進まなかった施策の道筋から受けた体験も、またまぎれもない「約束不履行の原体験」だ。
 時代を超えて息づく、「真理の選択」をと、願ってやまない。




 


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Posted by やんばちゃん at 11:24│Comments(0)八ッ場に願う
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