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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年06月16日

反対運動初期の六人衆、最後のお一人が語る、証言集

 末尾まで、おつきあい戴きますとわかるのですが、本文は長すぎるので、表題の説明を先に。
 6人衆とは、ダム反対闘争のごく初期段階にて、亡くなった元町長・樋田富治郎さんを委員長に水没5地区選出の代表5名と樋田さんとの計6人の方の呼称のようです。
 皆さん、残念ながら、すでに鬼籍に入られ、現在は林地域の、本文中のGさん83歳のみとなりました。

 さて、今朝は間遠になっていた八ッ場関連のテレビ放映が久々にありました。
 でも、そう考えるのは当方のみらしく、13日に葬儀会場で、NHKテレビ局のスタッフから、「5月22日のはみましたか」と問われ、観ていないと伝えると、休業中の柏屋さんを中心に撮ったとか。
 言われてみれば30日の田植えのことで連絡中。複数の方たちから、テレビ放映のことが話題に上ってました。が、もう半年以上、わが家の同局は、映らないのです。つい数日前の晴天続きのある日、突然、映るようになったのです。ですので、今朝もおそるおそるでした。
  
 当初、川原湯温泉で聞いた内容とは、いささか違って、現在中之条に移転した元旅館主が、樋田富治郎さんの業績と言うより、ご自分との関わり方をナレーター的役割を演じつつ語る構成でした。
 午前中、あることで連絡した水没地内のFさんは、葬儀前に同テレビ局3人のスタッフに遭遇、撮影を受けたとかで、その際、
内容を聞いていたとのこと。そのFさんをはじめあちこちに、川原湯地区でテレビ放映のことを聞いて伝えたのは、このおせっかいオバさん。
 最後の場面は、当時の記録をとどめるために、現在執筆中らしくパソコンに向かっている映像でした。「当時の反対運動を闘った方たちはもう、ほとんど亡くなられて、生き残りはもう、私くらいかなぁ」的なことをおっしゃっていた。
 これは、すごい!! 公共放送NHKテレビで、記録集執筆が放映されるに及んでは。出版は容易いことでしょうから。
 
 実は、この方が役につかれた反対運動終息期の段階より、ずっと前の役員たち、亡くなられた樋田さんを委員長とした、水没5地区選出の委員長たち、通称「6人衆」と呼ばれた、そのメンバーの、今となっては最後の生き残り、Gさんの証言をもとに、執筆された著書の出版のことで、頭の痛いことがあったので、うらやましいこと限りなし。
 ある出版社への持ち込みが、「おもしろくて、読ませるけれど……」、まずは自費出版の枠でないと不可となってしまったのでした。
 で、そのGさんに嫌なことを告げなければならず、朝から、頭痛いのでした。
 電話すると、Gさんも最後の場面だけを見たとのこと。そして、たった今、知人から「これが生き残りの人たちですって、樋田さんへのお焼香の場面が、テレビに出てたと電話があったい」という。
 「……そんなことないですよ。出てませんでしたよ」と言うと、「だって、みたって言うんだい」と言う。どうやら、電話でつげた方の思い込みの激しさに加えて、著作が出来あがった後の、Gさんのウキウキ気分も手伝っているらしい。
 葬儀当日は、本日放映された主役の方の、すぐ後ろの席に、数名の当時の活動仲間が座っていて、横並びにお焼香したとの由。
 当方、画面がやっと映ったくらいのヒトだから、ビデオ収録はとうにあきらめていて録画していないが、確か映ってはいないと思う。
 朝から、高齢のGさんの少々、舞い上がり気味の高揚感を二つ、続けてへこましてしまった。

 ところで、余話。
 Fさんは13日午前、自分の田の畔の草刈り終わった処に、先のNHKスタッフ3人がやってきて、草刈りの場面を撮影させて欲しいと頼まれたそうな。
 しかし、もう刈るところがない。
 そこで、まだ青々としている、Gさんの田の畔を刈って、いつ放映になるとは知れぬ撮影に間に併せてやったという。
 「じゃあさ、丁度良かったね。だって、たぶん、Gさんは草刈りは苦手だもんね。草刈っている処、見たことないもん」と言うと、翌日14日にはGさんも、草刈りに訪れたらしく、現在は、きれいにしてあるらしい。 
 そして、Fさんから、先のナレーション役の方が、運動にご登場の、ずっと前段階の闘争の日々や、当時では若手組だったらしい、このFさんが、1974年4月16日の町長選告示日に至る、樋田さん擁立に際して、最初に「反対闘争の仲間から、誰か出せば良い」と提案した経過など、「実録・樋田町長誕生」にまつわる、熱いドラマ顛末記を伺った。
 さらに、選挙をかじった方なら、わかるように、票を逃がさないために、一人残らず「代表」「委員長」「総代」など「長」の文字を冠して、くすぐる地域の選挙手法のことまで。で、今朝のテレビ放送で誰しもが思い込んでしまった「事務長」職の実態などがつまびらかになった。
 
     反対運動の詳述秘話の刊行へのお力添えを 
 先にも述べたが、これらの語られることのなかった真相を、現在、Gさんの記憶をもとに、当時の職業活動家の方の丹念な筆で、描き出す作業が進んでいる。ところが、出版社の段階で、暗礁にのりあげてしまっている。
  すでに一冊の本としてほぼ完成している、Gさん83歳の「まえがき」によると、今朝のテレビと全く同一の執筆動機、「生き残りの者の責任として、当時の記録を書き記しておきたいと考えるようになった」旨のことが記されている。
 自費出版なら、道は容易いが、この出版不景気の最中、無名の新人の初の記録集を刊行してくださる、心優しい出版社さんは、どこかにいらっしゃらないだろうか。
  
 そこで、本日、預かった原稿の返却も含めて、急きょ私も加えて貰って、某所で初の出版作戦の会合。
 聞けば、今回のは最初の第1巻で、以後30~40年間の記録集執筆との遠大な構想との由で驚かさせられた。
 ならば、冒頭38ページにも及ぶ、Gさんのおいたちの記も理解できる。私はもったいないけれど全体の構成上、この自分史的な部分は長すぎるので、半減すべきと思っていた。
 それにしても、事実の持つリアリティの強さにはすごいものがある。
 実際に故・樋田富治郎さんとともに、強い連帯感にて、実際に最前線で闘い抜いた者のみが、語り得る事実が迫ってくる好著である。
 その席で、「あのさ、お宅の田んぼ。草刈りの前に、部分的に刈ってあったでしょ」と先のFさんの、いつ放映されるとも分らないテレビ出演のことを伝えると、「なんだ、それでか。なんで刈ってあるんだっておかしいと思ってたんだい」と氷解しての高笑い。
 証言者さんとライターさんの打ち合わせもあると察して、先に辞去。
 帰途、ある書店に立ち寄り、極めて豊富な知識をお持ちの名物店長さんにも、ご相談。
 有り難いご示唆を賜った。そして、顧客名簿に記されたそのライターさんのお宅の番号をお店で伺い、早速、その朗報を電話した次第。
 そのアイデアを電話でお伝えすると、どうやら、Gさんは疲れたのかガックリしてしまったのか、休んでいるらしい。「まださ、いろいろと方法あると思うから、がっかりしないでね」と言うと、「なぁに、そんなことぐれぇ」とはいいながらも、朝から、ガックリガッカリの思いをさせてしまった。長野原町まで、無事に帰れるだろうかと心配になってくる。
 
 本当に、この本が何とか、世に出ることを願っている。
 どなたか、出版界に通じる方のご支援を、切にお待ちしている。
 
6/ 17 追記
 (実は、もうその方の実名を明かした方がもう良いと考え、一部、表題変えたりした段階で、電話で問い合わせ。すると、「本が完成してからで良い」とのことで、また元の通りに。この方、度々言うのです。?「俺はねぇ、控え目なんだよ」と。私は聴くたびにウフフ。
 しかし、6人衆と言う言葉はお分かりになりにくいと思われるので、冒頭、本日になって、書き加えました。この間、表題が二転三転した理由です)   


Posted by やんばちゃん at 21:56Comments(0)八ッ場だより