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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年01月26日

ワイロって昔はもちろん、?今もある

 わが家のメインの置き時計は、既に昼近いのに、まだ7時をさしている。
 今日こそは何とかしなければと思うが、電池の予備がみつからない。買いにいくのもおっくう。わが頭の中のように、この家の中はまだ眠りのなかにある。何よりも、その周辺のホコリだらけを思うと、気持ちが滅入るのだ。若い日には体力で何とかこなせたが、家事に割ける時間がほとんど無くなって久しい。

 一昨日の24日、ある方から「これネ、僕の郷里のお菓子」と戴いた、送迎のお礼らしいお菓子を貰ったのを思い出して、親せきにおすそわけしようとした。
 津和野の銘菓「源氏巻」であった。その箱書きにはこのように記されている。

  江戸・元禄時代。赤穂の浅野内匠守の刃傷が゜起きる前のことです。当時の津和野藩主、亀井 親が勅使接待役を命じられ。吉良上野介に教示を依頼しましたが、浅野同様、数々の非礼を受け藩主を怒らせました。それを知った国家老多胡外記は早速、吉良家に進物を贈りつけ、ことなきを得ました。
  その時の進物の一つが「源氏巻」です。

 ーーここまでは、何のことはない。問題点は次の言葉。
 
 小判を下に敷きそのうえに竹皮で包んだ源氏巻をのせたという言い伝えがあります。津和野を救ったといわれる縁起の良いお菓子です。

 なぜ、戴きもののお菓子の箱がきに釘づけになったかと言うと、昨日、伊香保温泉の石段街をご案内しながら伺った、高良留美子さんから伺った同種のお話を思い出したからです。
 高良さんの祖父、参議院だった高良とみさんの父親である、和田義睦さんが中央官庁から新潟県に出向し、災害で流された万代橋の新設工事にあたっていた際に、土木業者(間組)から届いた、札束の敷き詰められた菓子折りのことを。
 その妻・邦子さんの機転で送り返した為に、「話の判らぬ役人」とレッテルを張られ、ほどなく新潟県を追われたという祖父のことを、高良さんが母親のとみさんの昔がたりに聞いたということを伺ったばかりだったからなのです。
 
 確か読んだ記憶があつたので、久々に刊行時に高良さんから頂戴したまま、なかなか読めずにようやく読破した大部のご著書『百年の跫音(上・下)』(2004年3月 お茶の水書房刊)を探し出した。
 上下併せて千ページを超える大作である。島村の養蚕技術から一族の歴史など縦糸横糸を縦横に駆使して明治・大正・昭和の変遷を描き切っている労作である。 

 やはり、この事実と祖父・和田義睦のことも記されていた。上巻の第二十章「新潟を追われる」(381頁)。
 作中人物の近年の登場者は仮名になっているので、お名前が本名かどうかは一読者の私には定かではないが、たぶん、祖父母の辺りまでは、ご本名と推察。
(※偶然、高良さんから戴いた電話の際に、確認させて頂きましたら、やはりご両親のお名前から仮名とのことでした)
 
 島村の田島弥平の一人娘、宮中に養蚕の技術指導で行った民。その長女の邦子の夫、和田義睦は極めて優秀かつ清廉潔白な土木技師だったようで、中央から派遣されて新潟県の内務部土木課長を務めていた由。新潟市は1908(明治41)年、二度の大家に見舞われて、県庁を残して全焼してしまった。この時、万代橋も焼け落ち、その万代橋の再建の時の出来事である。

 (---この辺りまで記してましたら、当の高良さんから電話を頂戴。またたく間に一時間以上も経過---)
 で、ひとまず、結論を記して、後ほど加筆・校正させていただきます。

 その結論とは、
 今回の八ッ場の発注工事に、ワイロめくことはなかっただろうか。接待と称することのあったことは知っているが、他県のダム建設であったことがなくはないと踏んでいる「献金制度」と同じく、元禄時代、明治末期にあったことが、今もないはずはなかろう。
 あっては困るが、“盗人や浜のまさごはつきるとも、世にぬす人の種はつきまじ”のことわざもあるくらいである。形成された社会通念が崩れぬ限り、ウミは出きれない。
 幸いにして、和田義睦さんに続く人物の比重は増しつつあるのは現実だが、八ツ場ダム工事事務所でも、実際に収賄事件も起きていて、最近、予想外に軽い刑が確定している現実がある。
 昭和三〇年代の子供の頃、しきりに話題になった話題の一つに、県政界経済界の大物は、福田赳夫の選挙に当時の金で、100万円カンパした逸話がある。当時の子供たちの遊び言葉に「百万長者」とか、「俺ん家は百万円あらい」とのほらふき語が横行していた時代での単位である。今で言えば、10億円くらいの言葉の響きであった。
 それで注目され、福田赳夫の覚えめでたく福田会の幹部にのし上がり県議会に。同時に事業も飛躍的に拡大させた?l立志伝中の人物がいる。
 先年、八ッ場問題を追う週刊誌記者が執拗に食い下がった経過があったが、黙して語らずだった由。
 
 たまたま戴いた菓子であり、もちろん下さった方に何の責任もない。が、「小判を下に敷きそのうえに竹皮で包んだ源氏巻をのせ」たことを「津和野を救ったといわれる縁起の良いお菓子」ともてはやす気風を是認し、もてはやす男社会の通念はまだ、生きているのだから、始末が悪い。  


Posted by やんばちゃん at 23:56Comments(2)八ッ場に願う