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2010年05月14日

樋田元町長、死去ー跫音、残して静かに

 図らずも、昨日、高山町長のインタヴュー記事から、ダム反対期成同盟から押し出されて初当選の樋田元町長の、1985年の推進方向への展開時の水面下での動きについて、ふれてしまいました。が、なんと、その樋田富治郎さんが、昨日の朝、ご自宅で、急に亡くなられていたのでした。
 早朝の「未確認情報ですか゛」とのメールで知り、現地に電話して確認した次第です。昨晩電話した情報通の方がルスでなければ、すでに温泉街では周知のことですから、たぶん、昨夜のうちに知っていたものをと思いました。
 苦渋の選択といわれる、1985年のダム受け入れの調印式に臨まれるまでの4期16年間の執政中には、きつい場面もあったことでしょうが、最後まで、黙して語らず、86歳のご生涯を貫かれたようでした。ご存じのように、山木館の前ご当主でもありました。
 
 前に聞いた話です。
 老化現象も進まれた頃のことですが、カバンを持って温泉街を歩かれていたとか。執務時代のものでしょうか、思わず、突き上げてくるものがありました。
 最晩年は、おみかけすることもなくなりましたが、7年くらい前までは、旅館真向かいの山際の花壇の手入れなどをしていらっしゃるのを拝見しました。
 政治の世界のアクめくものを漂わさせない清廉で穏やかなご風貌の方でした。たぶん、沈黙を守られるために広く世間にでて交わられるのを好まず、ご自分を誇示されるタイプでもなく、引き込みがちな晩年ではなかったでしょうか。
 私は八年前の町長選の際、ダム反対を掲げた候補者宅に泊まりこませてもらい、お手伝いをしていた席で、陣中見舞いにこられた樋田さんのお顔に、アッと思い至りました。
 お茶を出しながら思い切って「お話聞かせて戴けますか」とおそるおそるきりだしてみました。そうしたら、「いいですよ」言っていてくださっていたのに…… 、あの時に臆せずに、すぐに伺っていればと以後、何度か悔いてました。そして、今は突き上げてくる悔恨の思いが塊となって固まってます。
 というのは、その後、しばらくの間は旅館の前などでおみかけしていたのに、体調を壊されたとかで程なく、おみかけしなくなってしまったのでした。
 その場には、県議時代の山本龍さんも同席され、話が八ッ場ダムのことに及んでました。山本さんの「知らなかった。そうなんですか!!」の繰り返し語が切れ切れに耳にとどきました。まだダム問題に入って日が浅全容も分らないながら、県議って地元なのにあんな認識しかなんいのかしらと率直に思いました。

 昨日の続きをどこまで記そうかなとも心づもりしていましたが、しばし、私も沈黙。
 今は八ッ場へ出入りさせて戴いている者の一人として、ひたすらご冥福を祈るのみです。

 以下に報道記事を。上毛と読売の二紙は、何とも予定稿的、脚色気味な筆づかいを覚えます。
 上毛新聞と読売には現町長の談話があって、複雑。 両家は双方の選挙での義理関係で密接な間柄なのですけれど……、
 それにしても亡くなられても、八ッ場ダム推進の具に活用されたのでは、ほんの幾ばくかのご縁ながら、樋田元町長さんが痛ましい感じがしてなりません。しかし、樋田さんに似あわぬと瞬間的に感じた“政治家”の語ながら、その政治の世界に身を置いた者の宿命でしょうか。
 上毛新聞のは無料サイトにないので、割愛。
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 【2010年5月14日 朝日新聞群馬版】
 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581005140002
  ダムで過ぎた人生 元長野原町長が死去
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 【2010年5月14日 読売新聞群馬版】
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100514-OYT8T00063.htm
  樋田元長野原町長が86歳で死去
   八ッ場受け入れ決断
  


Posted by やんばちゃん at 22:55Comments(0)八ッ場だより