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新政権への八ッ場の声
昨日の任命式を終えた、新政権に対する、本日の報道を。
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【2010年06月09日(水) 朝日新聞群馬版】 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000001006090002
前原国交相再任 八ツ場地元、評価割れる
【2010年06月09日(水) 読売新聞群馬版】 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100609-OYT8T00058.htm
菅内閣発足 国交相再任会見 八ッ場中止方針変わらず
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【2010年06月09日(水) 朝日新聞群馬版】 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000001006090002
前原国交相再任 八ツ場地元、評価割れる
【2010年06月09日(水) 読売新聞群馬版】 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100609-OYT8T00058.htm
菅内閣発足 国交相再任会見 八ッ場中止方針変わらず
2010年06月08日
菅総理への群馬県内の声
本日8日は、いよいよ菅新政権のスタートです。
昨日に続いて、菅首相の誕生をうけての、去る5日付け、県内版の反応を。
主に政党関係が多いです。 最後に、上毛新聞の、国交相継続の前原大臣の言葉を。
文中★の箇所は「16日」となっているのですが、それゆえにパソコンは怖い。誤字だらけの本欄を記しているどっかの誰かは、たまたま見つけた正確を期する新聞記事のミスに、妙な安ど感。 (翌6日にも訂正記事なし、判断基準はどこに線を引くのだろうか)。
/////////////////////////////
① 【2010年6月5日(土) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/archive/news/2010/06/05/20100605ddlk10010252000c.html
菅首相:誕生
◇政治とカネ、八ッ場、普天間…
「手腕期待」と民主 野党「交代で解決しない」
◆ 街の声 新リーダーに期待
② 【2010年6月5日(土) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000431006050001
「民主党再出発」 野党はひややか・批判
③ 【2010年6月5日(土) 読売新聞群馬版】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100605-OYT8T00133.htm
八ッ場ダム地元「現場を見てほしい」
④ 【2010年6月5日(土) 東京新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100605/CK2010060502000101.html
新首相に菅氏 『反転』意気込む民主 野党各党は影響を注視
⑤ 【2010年6月5日(土) 上毛新聞一面下段末尾】
「次の内閣でもぶれずにやる」
八ツ場ダム問題で、前原氏
前原誠司国土交通相は★日の閣議後の退任記者会見で、八ツ場ダム問題について、「57年間かけてできなくて方向転換した。8カ月半で解決するなんて甘いものではない。次の内閣でもしっかりぶれずにやっていくことが大事」と述べ、中止に向け新内閣で継続的に取り組む考えを示した。
「何度も足を運ぶ」としていた、長野原町の水没予定地住民に対し、「現場の人には何の罪もなく、混乱、迷惑をかけ、申し訳なく思っている」とあらためて陳謝した。
昨日に続いて、菅首相の誕生をうけての、去る5日付け、県内版の反応を。
主に政党関係が多いです。 最後に、上毛新聞の、国交相継続の前原大臣の言葉を。
文中★の箇所は「16日」となっているのですが、それゆえにパソコンは怖い。誤字だらけの本欄を記しているどっかの誰かは、たまたま見つけた正確を期する新聞記事のミスに、妙な安ど感。 (翌6日にも訂正記事なし、判断基準はどこに線を引くのだろうか)。
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① 【2010年6月5日(土) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/archive/news/2010/06/05/20100605ddlk10010252000c.html
菅首相:誕生
◇政治とカネ、八ッ場、普天間…
「手腕期待」と民主 野党「交代で解決しない」
◆ 街の声 新リーダーに期待
② 【2010年6月5日(土) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000431006050001
「民主党再出発」 野党はひややか・批判
③ 【2010年6月5日(土) 読売新聞群馬版】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100605-OYT8T00133.htm
八ッ場ダム地元「現場を見てほしい」
④ 【2010年6月5日(土) 東京新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100605/CK2010060502000101.html
新首相に菅氏 『反転』意気込む民主 野党各党は影響を注視
⑤ 【2010年6月5日(土) 上毛新聞一面下段末尾】
「次の内閣でもぶれずにやる」
八ツ場ダム問題で、前原氏
前原誠司国土交通相は★日の閣議後の退任記者会見で、八ツ場ダム問題について、「57年間かけてできなくて方向転換した。8カ月半で解決するなんて甘いものではない。次の内閣でもしっかりぶれずにやっていくことが大事」と述べ、中止に向け新内閣で継続的に取り組む考えを示した。
「何度も足を運ぶ」としていた、長野原町の水没予定地住民に対し、「現場の人には何の罪もなく、混乱、迷惑をかけ、申し訳なく思っている」とあらためて陳謝した。
2010年06月07日
鳩山退陣への、八ッ場関係者の声
尻切れとんぼに終わった、去る6/2 の現地反応の独自取材の補いとして、翌日3日の八ッ場ダム関係者各方面からの県内報道を以下に。
県内の声の部分のみ転載。全体はサイトをご覧ください。
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①【2010年6月3日(木) 上毛新聞1面 下段】
鳩山首相 退陣
八ッ場問題 路線修正期待も冷静
首相交代で地元 「予断ない検証を」
◆篠原憲一 水没関係5地区連合対策委員会事務局長 「首相が代わることで民主党のマニフェストが変わり、ダムが実現できれば」
◆ 高山欣也町長 首相が交代することを「同じ民主党の政権ならダム政策に大差はないだろう」と冷静に受け止めながらも、「ダム検証で推進に変わる可能性はある」とし、新首相の誕生で、「予断なく」検証が行われることを期待する。
ーーー 以下、割愛ーー
② 【2010年6月3日(木) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100603ddlk10010216000c.html
八ッ場町長「誰が首相になっても同じ」
八ッ場ダム問題を抱える長野原町の高山欣也町長
「首相が代わっても、政権が変わるわけではない。ダム中止はマニフェストに載っているため、与党が民主党である限り、誰が首相になっても同じだ」と話した。
一方、前原誠司国土交通相について、高山町長は「続投してほしい。違う人に代わって振り出しに戻っても困る。米軍普天間飛行場問題は米国がかかわってこじれたが、ダム問題は普天間問題よりも解決する可能性は大きいかもしれない」と話した。
③ 【2010年6月3日(木) 読売新聞群馬版】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100603-OYT8T00062.htm
長野原町長「後任、期待せず」
▽大沢知事
「退陣表明はやむを得ない。総理の発言に国民が信頼感を失ったのは不幸なこと。1日も早く新しいスタートを切ったほうがいい」と感想を述べ、鳩山政権の8か月間余りについては「八ッ場ダムなど、地方主権と言いながら地方の声を聞かず、一方的に国で決めてきたものが多々あった」と総括。民主党新代表に前原国土交通相を推す声があることに対し、「いいね」と好意的に受け止めながらも、「新大臣になれば、人間関係を作るまで時間がかかる。替わらないほうがいい」と続投を望んだ。
▽長野原町の高山欣也町長
「首相が替わっても、民主党である以上、八ッ場ダムには直接関係がないだろうから、特段のコメントはない」と冷めた見方を示し、「マニフェストも半分ぐらい守られていないので、八ッ場もやがて推進に変わると期待している」と皮肉った。後任については「どなたでも期待はしていない。ただ、内閣が替わったら、次の国交相は前原さん以外がいい」と語った。
④ 【2010年6月3日(木) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581006030001
鳩山首相退陣 「八ツ場影響ない」 地元・長野原 冷静に受け止め
長野原町の高山町長は、クレー射撃大会に参加するため、安中市の会場にいた。出番を待っていた午前9時40分ごろ、携帯電話が鳴った。報道機関からで、鳩山首相の辞任表明を知った。「驚かなかった。首相が代わっても八ツ場ダムの行方には影響がない」と話す。
2008年8月、当時民主党幹事長だった鳩山氏がダムの視察に訪れた。「民主党が政権を取ったら、八ツ場ダムも中止されかねない」と、国交省関係者から陳情するように求められ、鳩山氏らが川原湯温泉の旅館で昼食を終えた後に会った。
だが、陳情書を受け取り、「よくわかりました」と言われただけだったという。
川原湯温泉で旅館を営む樋田省三さん(45)はこのとき、鳩山氏に会った。八ツ場のことをまったく知らないように感じた。「次の首相には、川原湯の再生に手を差し伸べてくれる人になってほしい」
同温泉の旅館主樋田洋二さん(63)は「(自民党に)政権が交代したのなら、ありがたい話だが、民主党の考え方は『コンクリートから人へ』のままだから」と冷静に受け止めた。
同じく旅館主豊田治明さん(74)は「ちょこっと来て、ダム中止を決めた。全然分かっていないのに(最低でも県外へ移転と)発言した普天間問題と同じで、政治家として失格」
近くで土産物店を営む樋田ふさ子さん(81)は、民主党の小沢一郎幹事長にも責任があると話す。昨年、八ツ場ダムの中止撤回を要望する署名を、来店した観光客ら1300人が書いてくれた。その中には小沢氏の地元の岩手県からの客もいた。
「そのお客さまが批判していた。小沢さんは自分のところばかりダムを造って、どうして50年以上も住民が苦しめられた八ツ場が中止になるのかと。両トップが代わって、政治が良くならないといけない」
県内の声の部分のみ転載。全体はサイトをご覧ください。
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①【2010年6月3日(木) 上毛新聞1面 下段】
鳩山首相 退陣
八ッ場問題 路線修正期待も冷静
首相交代で地元 「予断ない検証を」
◆篠原憲一 水没関係5地区連合対策委員会事務局長 「首相が代わることで民主党のマニフェストが変わり、ダムが実現できれば」
◆ 高山欣也町長 首相が交代することを「同じ民主党の政権ならダム政策に大差はないだろう」と冷静に受け止めながらも、「ダム検証で推進に変わる可能性はある」とし、新首相の誕生で、「予断なく」検証が行われることを期待する。
ーーー 以下、割愛ーー
② 【2010年6月3日(木) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100603ddlk10010216000c.html
八ッ場町長「誰が首相になっても同じ」
八ッ場ダム問題を抱える長野原町の高山欣也町長
「首相が代わっても、政権が変わるわけではない。ダム中止はマニフェストに載っているため、与党が民主党である限り、誰が首相になっても同じだ」と話した。
一方、前原誠司国土交通相について、高山町長は「続投してほしい。違う人に代わって振り出しに戻っても困る。米軍普天間飛行場問題は米国がかかわってこじれたが、ダム問題は普天間問題よりも解決する可能性は大きいかもしれない」と話した。
③ 【2010年6月3日(木) 読売新聞群馬版】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100603-OYT8T00062.htm
長野原町長「後任、期待せず」
▽大沢知事
「退陣表明はやむを得ない。総理の発言に国民が信頼感を失ったのは不幸なこと。1日も早く新しいスタートを切ったほうがいい」と感想を述べ、鳩山政権の8か月間余りについては「八ッ場ダムなど、地方主権と言いながら地方の声を聞かず、一方的に国で決めてきたものが多々あった」と総括。民主党新代表に前原国土交通相を推す声があることに対し、「いいね」と好意的に受け止めながらも、「新大臣になれば、人間関係を作るまで時間がかかる。替わらないほうがいい」と続投を望んだ。
▽長野原町の高山欣也町長
「首相が替わっても、民主党である以上、八ッ場ダムには直接関係がないだろうから、特段のコメントはない」と冷めた見方を示し、「マニフェストも半分ぐらい守られていないので、八ッ場もやがて推進に変わると期待している」と皮肉った。後任については「どなたでも期待はしていない。ただ、内閣が替わったら、次の国交相は前原さん以外がいい」と語った。
④ 【2010年6月3日(木) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581006030001
鳩山首相退陣 「八ツ場影響ない」 地元・長野原 冷静に受け止め
長野原町の高山町長は、クレー射撃大会に参加するため、安中市の会場にいた。出番を待っていた午前9時40分ごろ、携帯電話が鳴った。報道機関からで、鳩山首相の辞任表明を知った。「驚かなかった。首相が代わっても八ツ場ダムの行方には影響がない」と話す。
2008年8月、当時民主党幹事長だった鳩山氏がダムの視察に訪れた。「民主党が政権を取ったら、八ツ場ダムも中止されかねない」と、国交省関係者から陳情するように求められ、鳩山氏らが川原湯温泉の旅館で昼食を終えた後に会った。
だが、陳情書を受け取り、「よくわかりました」と言われただけだったという。
川原湯温泉で旅館を営む樋田省三さん(45)はこのとき、鳩山氏に会った。八ツ場のことをまったく知らないように感じた。「次の首相には、川原湯の再生に手を差し伸べてくれる人になってほしい」
同温泉の旅館主樋田洋二さん(63)は「(自民党に)政権が交代したのなら、ありがたい話だが、民主党の考え方は『コンクリートから人へ』のままだから」と冷静に受け止めた。
同じく旅館主豊田治明さん(74)は「ちょこっと来て、ダム中止を決めた。全然分かっていないのに(最低でも県外へ移転と)発言した普天間問題と同じで、政治家として失格」
近くで土産物店を営む樋田ふさ子さん(81)は、民主党の小沢一郎幹事長にも責任があると話す。昨年、八ツ場ダムの中止撤回を要望する署名を、来店した観光客ら1300人が書いてくれた。その中には小沢氏の地元の岩手県からの客もいた。
「そのお客さまが批判していた。小沢さんは自分のところばかりダムを造って、どうして50年以上も住民が苦しめられた八ツ場が中止になるのかと。両トップが代わって、政治が良くならないといけない」
2010年06月06日
一本も残さず伐採するのが草刈り、の概念を変えた市民たち
昨日の続き。
実は末尾に男性たちが全部そうではないことの実際の話を、記したのだが、保存しないうちにクリアになってしまった。で、本日、別項にて、再度。
お役所受注の草刈りなど仕事は、きれいに全て刈り取るのが常識で、そうでなければ、通例、OKがでなかった。しかし、その常識を゜変えた市民運動の男性たちがいる。
耕作放棄地とならんで、地元を流れる井野川のクリーン作戦の事務局となって以来約10カ年。足元の居住地部分だけでなく、下流域の旧高崎市内の井野川のクリーン作戦にも順会員として顔を出してきた。
この会で土手の草刈りを高崎市から依頼された際、同会の草刈り隊のメンバーは、土手の草にまじって咲いている野カンソウなど、野草の花々を刈り残したそうである。
1年目、検査の高崎市の担当職員は、めんくらって難色を示したらしい。会員たちは説明にかけつれて、自分たちの思いを伝えたらしい。そして、2年目からは何も言われなかったという。
そして、夏の終わり、この川辺には、黄色くほのぼのなつかしい野カンゾウの群れが、年々増えている。
考えれば、昔の農家の方たちは、鎌一丁の手刈りで、丁寧に畔や土手を刈った。秋から冬場の草刈りの際には、花の終わった後に葉が出てきて、葉知らずの花と言われているヒガンバナの濃い緑の丸い塊を刈り残しておいた。
それらが、枯れ草色の土手に点在し、冬場のひとつの風景となっていた。
今は、あんな゜刈り方をせず、草刈り機で一網打尽だ。
こういう身近な、通例ごとを変えて行く時も、大きいことが良いことだ、何もなくしてキレイにするのが仕事の証し的な発想の極まった処の、大型公共事業への意識を変革していく一助となるかも知れないと信じる。
ムダで危険な八ッ場ダムをはじめ、ダムは害あって、利する処なし。一部の有力者の懐を増やさせるだけだったと気がつくことだろう。
実は末尾に男性たちが全部そうではないことの実際の話を、記したのだが、保存しないうちにクリアになってしまった。で、本日、別項にて、再度。
お役所受注の草刈りなど仕事は、きれいに全て刈り取るのが常識で、そうでなければ、通例、OKがでなかった。しかし、その常識を゜変えた市民運動の男性たちがいる。
耕作放棄地とならんで、地元を流れる井野川のクリーン作戦の事務局となって以来約10カ年。足元の居住地部分だけでなく、下流域の旧高崎市内の井野川のクリーン作戦にも順会員として顔を出してきた。
この会で土手の草刈りを高崎市から依頼された際、同会の草刈り隊のメンバーは、土手の草にまじって咲いている野カンソウなど、野草の花々を刈り残したそうである。
1年目、検査の高崎市の担当職員は、めんくらって難色を示したらしい。会員たちは説明にかけつれて、自分たちの思いを伝えたらしい。そして、2年目からは何も言われなかったという。
そして、夏の終わり、この川辺には、黄色くほのぼのなつかしい野カンゾウの群れが、年々増えている。
考えれば、昔の農家の方たちは、鎌一丁の手刈りで、丁寧に畔や土手を刈った。秋から冬場の草刈りの際には、花の終わった後に葉が出てきて、葉知らずの花と言われているヒガンバナの濃い緑の丸い塊を刈り残しておいた。
それらが、枯れ草色の土手に点在し、冬場のひとつの風景となっていた。
今は、あんな゜刈り方をせず、草刈り機で一網打尽だ。
こういう身近な、通例ごとを変えて行く時も、大きいことが良いことだ、何もなくしてキレイにするのが仕事の証し的な発想の極まった処の、大型公共事業への意識を変革していく一助となるかも知れないと信じる。
ムダで危険な八ッ場ダムをはじめ、ダムは害あって、利する処なし。一部の有力者の懐を増やさせるだけだったと気がつくことだろう。
2010年06月05日
全て伐採するのが仕事と心得る、?男たち
何もない土曜日はめずらしい。
あったかも知れないが思いつかない。
身体が疲れきってしまっている。サンショウの実を2時間ばかり、一心不乱に採って、遅い昼食を食べた後、いつの間にか居眠りしてしまったほどだ。
もう、固くなり始めてしまって、時間の問題だ。ちりめん山椒用には手遅れ。レシピを書き換えて、臭み抜きや佃煮用にしなければならないかも知れない。それとももっと置いておいて粉用にしてもと思うようになった。
速い時期に採りつくしてしまえばよかったのに、それが毎年、できないのだ。もったいないからと採り出し初めてから、まだ3年目。それまではおびただしい量の実が、地面に落ちて芽生え。サンショウの苗木ばかりが生えたものだ。
そして、今年も新たに実をつけ始めた木がある。
ある古木には、とりわけたわわに実る。おもわず「アナタねぇ、こんなに健気に実をつけなくても良いのよ」といいたいぐらいだ。
この時期は用事がありすぎる。クリーン作戦を初めてからはより忙しい。自分の屋敷うちの管理さえままならぬのだから、本来は耕作放棄地どころではないのだと思いつつも10カ年たった。
それでも、欲深おばさんは、大きく茂った実のならないサンショウの木には、来年は春先に葉をとって、佃煮にしようと思う。そう思い続けて、数年たつ。
ところが、三日前のこと。ちょっとルスにしている間に、その木をはじめ、周辺の木々をあっという間に弟が、丸坊主にしてくれたのだ。
一昨年からお寺の役員になったため、草刈り機を購入。以来、あちこち要らぬ手入れをくれるのだ。武器を持つと、使いたくなるらしいと、私は内心思っている。あちらにすれば、「見るにみかねて」、店の合間をぬっての奉仕との思いらしいのだが……。確かに昨年の夏、クリーン作戦の農地の畔の伸び放題の草を切れない鎌で、手刈りしていた時に、弟が配達で通りがかった。何度も宣言されている。「そんなできもしねえことはやるな。家は手伝わないからね。当てにするなよ」と。店はお蔭さまで忙しいから、物理的にムリだと言う事も知っている。当てにしていなかったのに、草刈り機を持ってきて、夕闇の迫る中、懸命に刈ってくれた時は感謝したけれど。
いつもなら、ここで大ゲンカだった。が、最早、体力の限界を覚えつつあるので、一通りの文句を言っただけでこらえた。
そして、一昨日。「もう、うちの木は伐採しなくていいからね。それよりも、竹藪の小さい竹を切って」と姉たちもいる処で宣言した。
夕暮れ時、アピオス(ほど芋)のツルが伸びて、地面を這っているのが、ここ数日来の気かかりであった。支柱にするものが足りくなって、ひらめいたのが、春先に竹藪の小さな竹を切り取ったもの。大きすぎす、丁度良いかも知れない。
実は、竹藪に行くのは恐ろしいのだ。きっともうジャングルになっているに違いないからと。
通例、真竹の小さいのが生え始める時期から、すでに十日間ほど、経っている。毎年、今頃までには、キレない鎌一つで、キズだらけになって、二度目の伐採を行っていた。
しかし、昨年のうちに、体力的にもうムリと珍しく、弱音を吐いた。それに加えて、忙しくて行けなかった。
元は川べりの畑地だった。父が、晩年、孟宗竹を数本だけど、植えた。孟宗竹は良い。例年、一本たりとも増やすものかの意気ごみで、食べたり配ったりして、70本程度のものはまかなえ消化できる。だが、今年は、三本ほど増やしてしまった。
問題は、川筋の工事の際に、入ってしまって、孟宗竹と混在している真竹。しかも川辺特有の極細なので、人さまにあげるにも神経を使う。
自転車に載って行ってみたら、車が止まっている。弟の店の店名入りの軽のワゴンだ。いるいる、草刈り機で刈っている。こんなに早く、やりだすとは思わなかった。
敷地への土手を降りながら、あっと思う。すでにフキもホウブキも、大事にしていた山ウドも刈り取られてしまっていた。
八ッ場ダム工事事務所のある幹部の四年前のセリフが思いだされる。「大丈夫なんですよ。自然はまた、再生しますからね」。 確かに、それらは根があるから、来年も芽吹く。
文句をこらえて、勿体ながり屋の習い性で、きりとられたフキを拾い集めた後、目的の竹の小枝の葉の笹がかれて枝だけになって、枝が張っていてかえって好都合の支柱らおあつらえの竹の小枝を拾い集めだしているうちに、「あっ」と閃いて、駆けだした。どこにもない。三か所のうち、一カ所にだけ、1本と根もとだけが、残っていた。
2年前に植えた、赤いバラの苗木が、まだ4本、3本、4本と残っていたのだ。
子供の頃は、畑だった。そして、竹の侵食の及ばない東側の一隅に、山地を好むものを植えていた。それらの一つ一つを残しつつ、毎年、釜で丁寧に伐採してきたのだ。あの苦労をどうしてくれるのよ!!
私は、一応、雑木でも芽生えているものを、切り倒せないし、有り余ってもてあまし気味のフキやホウズキの一本だって、ムゲには切り取れない性分なのだ。間違えて、抜いてしまうと、また、丁寧に土にもどしてやってきたものだ。
思わず、「バカ。なんで!!」と怒鳴った。草刈り機を止めた弟に「見たら、バラダッテ、わかるだろうに」と文句を言った。
トラクターの場合には、こちらからお願いするのだから、日程も併せ、残して欲しい個所は、ロープを張ったりしての準備が出来る。ところが、弟の仕事は、配達などの合間の寸暇に突然、やってしまうのだから、本当に困りものなのだ。
まぁ、花盛りのオールドローズの古木は残したのを良しとしなければにらないだろうか。どのみち、いつかは、整理しなければならないのだし、死んであの世まで持ってはいけないのは自明の理。……そんな日はまだまだ先とは思いたい思うが、ヒタヒタと迫ってきてはいることは確実なことなのだし……
八ッ場の工事現場ではないが、どういうわけか、概して男というものは機械類が好き。そして、仕事というのは全てをなぎ倒し、平地にすることだと思っているらしい。
どちらかと言うと、穏やかな性格なので、私と「反対になれば」とまで言われている、弟にしてこうなのだ。
あったかも知れないが思いつかない。
身体が疲れきってしまっている。サンショウの実を2時間ばかり、一心不乱に採って、遅い昼食を食べた後、いつの間にか居眠りしてしまったほどだ。
もう、固くなり始めてしまって、時間の問題だ。ちりめん山椒用には手遅れ。レシピを書き換えて、臭み抜きや佃煮用にしなければならないかも知れない。それとももっと置いておいて粉用にしてもと思うようになった。
速い時期に採りつくしてしまえばよかったのに、それが毎年、できないのだ。もったいないからと採り出し初めてから、まだ3年目。それまではおびただしい量の実が、地面に落ちて芽生え。サンショウの苗木ばかりが生えたものだ。
そして、今年も新たに実をつけ始めた木がある。
ある古木には、とりわけたわわに実る。おもわず「アナタねぇ、こんなに健気に実をつけなくても良いのよ」といいたいぐらいだ。
この時期は用事がありすぎる。クリーン作戦を初めてからはより忙しい。自分の屋敷うちの管理さえままならぬのだから、本来は耕作放棄地どころではないのだと思いつつも10カ年たった。
それでも、欲深おばさんは、大きく茂った実のならないサンショウの木には、来年は春先に葉をとって、佃煮にしようと思う。そう思い続けて、数年たつ。
ところが、三日前のこと。ちょっとルスにしている間に、その木をはじめ、周辺の木々をあっという間に弟が、丸坊主にしてくれたのだ。
一昨年からお寺の役員になったため、草刈り機を購入。以来、あちこち要らぬ手入れをくれるのだ。武器を持つと、使いたくなるらしいと、私は内心思っている。あちらにすれば、「見るにみかねて」、店の合間をぬっての奉仕との思いらしいのだが……。確かに昨年の夏、クリーン作戦の農地の畔の伸び放題の草を切れない鎌で、手刈りしていた時に、弟が配達で通りがかった。何度も宣言されている。「そんなできもしねえことはやるな。家は手伝わないからね。当てにするなよ」と。店はお蔭さまで忙しいから、物理的にムリだと言う事も知っている。当てにしていなかったのに、草刈り機を持ってきて、夕闇の迫る中、懸命に刈ってくれた時は感謝したけれど。
いつもなら、ここで大ゲンカだった。が、最早、体力の限界を覚えつつあるので、一通りの文句を言っただけでこらえた。
そして、一昨日。「もう、うちの木は伐採しなくていいからね。それよりも、竹藪の小さい竹を切って」と姉たちもいる処で宣言した。
夕暮れ時、アピオス(ほど芋)のツルが伸びて、地面を這っているのが、ここ数日来の気かかりであった。支柱にするものが足りくなって、ひらめいたのが、春先に竹藪の小さな竹を切り取ったもの。大きすぎす、丁度良いかも知れない。
実は、竹藪に行くのは恐ろしいのだ。きっともうジャングルになっているに違いないからと。
通例、真竹の小さいのが生え始める時期から、すでに十日間ほど、経っている。毎年、今頃までには、キレない鎌一つで、キズだらけになって、二度目の伐採を行っていた。
しかし、昨年のうちに、体力的にもうムリと珍しく、弱音を吐いた。それに加えて、忙しくて行けなかった。
元は川べりの畑地だった。父が、晩年、孟宗竹を数本だけど、植えた。孟宗竹は良い。例年、一本たりとも増やすものかの意気ごみで、食べたり配ったりして、70本程度のものはまかなえ消化できる。だが、今年は、三本ほど増やしてしまった。
問題は、川筋の工事の際に、入ってしまって、孟宗竹と混在している真竹。しかも川辺特有の極細なので、人さまにあげるにも神経を使う。
自転車に載って行ってみたら、車が止まっている。弟の店の店名入りの軽のワゴンだ。いるいる、草刈り機で刈っている。こんなに早く、やりだすとは思わなかった。
敷地への土手を降りながら、あっと思う。すでにフキもホウブキも、大事にしていた山ウドも刈り取られてしまっていた。
八ッ場ダム工事事務所のある幹部の四年前のセリフが思いだされる。「大丈夫なんですよ。自然はまた、再生しますからね」。 確かに、それらは根があるから、来年も芽吹く。
文句をこらえて、勿体ながり屋の習い性で、きりとられたフキを拾い集めた後、目的の竹の小枝の葉の笹がかれて枝だけになって、枝が張っていてかえって好都合の支柱らおあつらえの竹の小枝を拾い集めだしているうちに、「あっ」と閃いて、駆けだした。どこにもない。三か所のうち、一カ所にだけ、1本と根もとだけが、残っていた。
2年前に植えた、赤いバラの苗木が、まだ4本、3本、4本と残っていたのだ。
子供の頃は、畑だった。そして、竹の侵食の及ばない東側の一隅に、山地を好むものを植えていた。それらの一つ一つを残しつつ、毎年、釜で丁寧に伐採してきたのだ。あの苦労をどうしてくれるのよ!!
私は、一応、雑木でも芽生えているものを、切り倒せないし、有り余ってもてあまし気味のフキやホウズキの一本だって、ムゲには切り取れない性分なのだ。間違えて、抜いてしまうと、また、丁寧に土にもどしてやってきたものだ。
思わず、「バカ。なんで!!」と怒鳴った。草刈り機を止めた弟に「見たら、バラダッテ、わかるだろうに」と文句を言った。
トラクターの場合には、こちらからお願いするのだから、日程も併せ、残して欲しい個所は、ロープを張ったりしての準備が出来る。ところが、弟の仕事は、配達などの合間の寸暇に突然、やってしまうのだから、本当に困りものなのだ。
まぁ、花盛りのオールドローズの古木は残したのを良しとしなければにらないだろうか。どのみち、いつかは、整理しなければならないのだし、死んであの世まで持ってはいけないのは自明の理。……そんな日はまだまだ先とは思いたい思うが、ヒタヒタと迫ってきてはいることは確実なことなのだし……
八ッ場の工事現場ではないが、どういうわけか、概して男というものは機械類が好き。そして、仕事というのは全てをなぎ倒し、平地にすることだと思っているらしい。
どちらかと言うと、穏やかな性格なので、私と「反対になれば」とまで言われている、弟にしてこうなのだ。
2010年06月04日
市民運動出身・菅総理誕生
市民運動色の強い、管直人さんが総理になった。
何となく、前途がほの明るい。
新総理誕生のニュースと並び、6/4は天安門事件から、21年目になるとの報道が、朝からしきりに流れる。
その日、私はある賞の受賞をめぐって、ある新聞の夕刊の漫画の脇、社会面の半ページ、8段の大きな扱いで報道された。隣の半分は宇野総理の例の、パアフォーマンであった。
そして、天安門事件の報道が比重を増すにつれ、翌朝にかけて、当たり前だが私の記事は小さく割愛されていった。
忘れもしない1989年6月4日なのである。
何やかやと追われ続けてしまって、週明けから気にはなりながら、ようやく礼状を二通したためた。
けれど、結局、きょうも投函できないでいた。
4時半に起きて、敷地内のサンショウや黒竹を摘み取り、市場へ。
帰途、前々から農繁期にならない手薄野うちに頼もうと思っていたが、果たせなかった、クリーン作戦のトラクターがけを頼んでいる方が麦刈後の田にトラクターをかけているにであった。
「田植え前はムリをいえないけれど、一段落したらお願いします」頼んだら、即、おこしてくださるとのこと。
朝から、午後にかけての、てんやわんやの思わぬ農作業があった。午後はその後整理。
ここの処、連日の農作業で泥が抜けず、しみついた手は、それでも、いつい草を手むしりするから、泥がしみこんで、土色の手になってしまった。
そうこうしているうちに、予定がズレこんで、数日来心づもりしていた、夕刻からの東京への会の出席もあきらめた。お世話になった方の2回目の講座であった。前回も欠席。次はと申しあげてはあったが…… 不義理をしている。同時刻には、ダム関連の会もあった。しかし、この手では、電車の中で見られたら困るなとつくづく、右手の泥が喰いこんだ黒い手をみやる。
それにしても、最近、郵便事情が、極端に悪くなっている。
民営前なら、夜、10時前に高崎の本局に持って行けば、ほどなくの22時過ぎにでる東京便があって、間にあわせてくれて、23区内なら、翌日は普通便でも届いたものだ。
それが、民営化後のかなり前の20時頃、いつものように安心しきって持っていったら、現在は普通便の場合は夕方5時までとのこと。速達なら受けるというが、速達ではまずい相手先もあるというもの。
そんな中かろうじて、地元の郵便局は19時までなら翌日届くというので、最近は地元に持って行っていた。早く仕上げれば良いのに、癖が悪くてギリギリのヒトなのだ。
御蔭さまで原稿などは最近慣れたパソコンで、殆ど事足りる。メール便の方が安くて、すく゜後の実家で扱っているから、都合が良い。そんなわけで、最近は郵便局から遠ざかっている。
夕食事後、せっかくしあげたのだから、届くのは週明けになるけれど、出来れば消印だけでも、今日の方がよいと思い立った。例によって朝から次々と追われて、夕方はタイミング悪く、姉を高崎駅を送って行き、19時までの受付時間にまにあわなかった。
表のポストは夜中まで何度か、集荷すると聞いていた。だから安心して、その他の投函物も整理して、何通かまとめた。その間、念のた20時頃から、電話をかけて、最後は何時に開けるのか聞こうとした。ところが電話に出ないのだ。
そして、驚いた。
夜の10時なのだから、仕方ないとしても、建物の灯りはなし。職員用の出入り口には大きな鉄柵があった。以前だったら、夜半すぎでも煌々としていたし、この門扉が閉められていることはなかった。
「ええ」と思いながら、ポストの時間をみると、なんと19時が最終になっているではないか。
通常はうたい文句の、民営化なればサービス向上がもたらされるものと信じこまされてきたが、逆ではないか。
国鉄民営化直後には、事故が多発した。国労関係者に聞けば、事故が起きても無理はなかった。民営分割化に反対した国鉄マンには、見せしめのあの清算事業団なとの過酷な配置換えがもたらされたのだ。その間の現場の混乱や不具合ではムリからぬ現実があった。
仕事や組合活動に熱心だった、全逓の皆さんも、かつての国労の皆さん達のように、このように合理化の過程で、組合活動もまた、変化させられてしまうのだろう。
往きの郵便局への道々は、カーラジオの報道に、新首相への期待感で心が膨らんだものだが、帰途は、明日の消印なら、明日、昼間、他の所用を兼ねてで良かったし、配達の方に持って行ってもらえばすんだのだと、ガックリして帰ってきた。
早朝からの疲労感がどっと出てしまった。
せめて、市民運動出身、新タイプの菅総理に、ほのかな期待をするしかない。
何となく、前途がほの明るい。
新総理誕生のニュースと並び、6/4は天安門事件から、21年目になるとの報道が、朝からしきりに流れる。
その日、私はある賞の受賞をめぐって、ある新聞の夕刊の漫画の脇、社会面の半ページ、8段の大きな扱いで報道された。隣の半分は宇野総理の例の、パアフォーマンであった。
そして、天安門事件の報道が比重を増すにつれ、翌朝にかけて、当たり前だが私の記事は小さく割愛されていった。
忘れもしない1989年6月4日なのである。
何やかやと追われ続けてしまって、週明けから気にはなりながら、ようやく礼状を二通したためた。
けれど、結局、きょうも投函できないでいた。
4時半に起きて、敷地内のサンショウや黒竹を摘み取り、市場へ。
帰途、前々から農繁期にならない手薄野うちに頼もうと思っていたが、果たせなかった、クリーン作戦のトラクターがけを頼んでいる方が麦刈後の田にトラクターをかけているにであった。
「田植え前はムリをいえないけれど、一段落したらお願いします」頼んだら、即、おこしてくださるとのこと。
朝から、午後にかけての、てんやわんやの思わぬ農作業があった。午後はその後整理。
ここの処、連日の農作業で泥が抜けず、しみついた手は、それでも、いつい草を手むしりするから、泥がしみこんで、土色の手になってしまった。
そうこうしているうちに、予定がズレこんで、数日来心づもりしていた、夕刻からの東京への会の出席もあきらめた。お世話になった方の2回目の講座であった。前回も欠席。次はと申しあげてはあったが…… 不義理をしている。同時刻には、ダム関連の会もあった。しかし、この手では、電車の中で見られたら困るなとつくづく、右手の泥が喰いこんだ黒い手をみやる。
それにしても、最近、郵便事情が、極端に悪くなっている。
民営前なら、夜、10時前に高崎の本局に持って行けば、ほどなくの22時過ぎにでる東京便があって、間にあわせてくれて、23区内なら、翌日は普通便でも届いたものだ。
それが、民営化後のかなり前の20時頃、いつものように安心しきって持っていったら、現在は普通便の場合は夕方5時までとのこと。速達なら受けるというが、速達ではまずい相手先もあるというもの。
そんな中かろうじて、地元の郵便局は19時までなら翌日届くというので、最近は地元に持って行っていた。早く仕上げれば良いのに、癖が悪くてギリギリのヒトなのだ。
御蔭さまで原稿などは最近慣れたパソコンで、殆ど事足りる。メール便の方が安くて、すく゜後の実家で扱っているから、都合が良い。そんなわけで、最近は郵便局から遠ざかっている。
夕食事後、せっかくしあげたのだから、届くのは週明けになるけれど、出来れば消印だけでも、今日の方がよいと思い立った。例によって朝から次々と追われて、夕方はタイミング悪く、姉を高崎駅を送って行き、19時までの受付時間にまにあわなかった。
表のポストは夜中まで何度か、集荷すると聞いていた。だから安心して、その他の投函物も整理して、何通かまとめた。その間、念のた20時頃から、電話をかけて、最後は何時に開けるのか聞こうとした。ところが電話に出ないのだ。
そして、驚いた。
夜の10時なのだから、仕方ないとしても、建物の灯りはなし。職員用の出入り口には大きな鉄柵があった。以前だったら、夜半すぎでも煌々としていたし、この門扉が閉められていることはなかった。
「ええ」と思いながら、ポストの時間をみると、なんと19時が最終になっているではないか。
通常はうたい文句の、民営化なればサービス向上がもたらされるものと信じこまされてきたが、逆ではないか。
国鉄民営化直後には、事故が多発した。国労関係者に聞けば、事故が起きても無理はなかった。民営分割化に反対した国鉄マンには、見せしめのあの清算事業団なとの過酷な配置換えがもたらされたのだ。その間の現場の混乱や不具合ではムリからぬ現実があった。
仕事や組合活動に熱心だった、全逓の皆さんも、かつての国労の皆さん達のように、このように合理化の過程で、組合活動もまた、変化させられてしまうのだろう。
往きの郵便局への道々は、カーラジオの報道に、新首相への期待感で心が膨らんだものだが、帰途は、明日の消印なら、明日、昼間、他の所用を兼ねてで良かったし、配達の方に持って行ってもらえばすんだのだと、ガックリして帰ってきた。
早朝からの疲労感がどっと出てしまった。
せめて、市民運動出身、新タイプの菅総理に、ほのかな期待をするしかない。
2010年06月03日
?国交省は、やっぱり前原さんが良い
昨日の昼、直ちに現地の声を取材した。しかし、その後、農作業に追われて、ついに夜まで突入。今朝の新聞もいっせいに長野原町の反応を取材していた。
どうやら、菅直人さんが民主党代表→総理になるらしい。
となると、路線はくずれず、手堅く安定感があるだろうな。実直な手堅さが受けてか、株まであがった。
しかし、まだ安心はできない、どんな作戦が浮上して思わぬハプニングがあるかもしれない、
前原さんは何やら、また国交省との声が高い。
前原さんの一番良い処は、「絶対にダム堤は造らない」と宣言していること。でも、他の工事は、皆、予定通りに行わせているのに、ここで他の方が大臣になって、ダム堤までおしきられたら、何もならない。それが、心配だった。
洩れ聞く、前原さんのご性格は「人の言うことはガンとして聞かない」「自分で一度、決定したことは絶対に予定変更しない」とか。となれば、ダム堤は絶対に造らないのは想像でき、民主党政権の間は安心できる。
どうか、政権が変わったら、「それヤレ」とならないように、ダム堤建設につながる工事にはピリオドを打って欲しい。
面白いのは、わが群馬県知事の大沢さん、今朝の朝刊で「前原さんなら、気ごころか゜わかっているから良い」的なコメントを出していることである。
大沢知事さん、前原さんなら、絶対にダムは造らないんですよ。いいんですよね。
2010年06月02日
鳩山首相、辞意表明。新国交省によって変わるか、八ッ場の運命!
本日9時50分、テレビを消そうとしたら、何となくおかしい民主両院議員総会が開催されるらしい。そして、程なく開催前に早くも「辞意」をキャッチした女性アナウンサーが伝えた。
幸い、出かけることもなかったので、そのまま、くぎ付けになって、会見を聴いた。
新しいスタートがまた、切られた。
新改革、第二弾だ。
鳩山総理は、辞意にいたる直接的要因として、
①沖縄問題解決の不備
②自身の政治資金疑惑問題
そして、「何年か先を見て欲しい。鳩山が言っていたことがわかっていただけるような時代がやってくることを」との言葉。進取性が逆に批判の対象となってしまった感もある。
ここで、思わず涙が出そうになってきた。
先日のシンポでも、私も、大きいことがいいことのダムは男社会の論理。その中で女の身には息苦しいものがあったと伝えた。何年かたてば、多くの場合に、私たち女性の提唱したことが実現化、妥当な意見として定位置をしめてきた経過があることも。
それらが、一瞬、ダブった。
さらに、小沢幹事長と小林千代美議員にも、辞任を求めたことを話した。
すべて、原稿なしだった。
歴代の自民党の総理とはちがって、市民感覚あふれるこの総理に、トコトン思うままの理想的な政治をやらせてみたかったった。例の秘書の政治資金問題で、足元をすくわれた。
ある元活動家の話によれば、つつかれだした頃、「自民党にはそういうアラ探し機関がちゃんとあるんだ。だから、民主党も急いで編成して、大いに逆探知しろっていたのに……」
しかし、テレビ画面では、前政権のしりぬぐいでずいぶん難儀していたのに、「政治と金」「クリーン政治」をぬけぬけと言っているどっかの党の幹部層の厚顔な発言が、続いている。こういう顔をポーカーフェイスというのであろう。そっちの方がもっとひどいじゃないかと申し上げたい。
八ッ場の地では、また自民党政権になって、ダム堤ができると信じ込まされている。
予想はされてきたが、このさわやかな辞任によって、おいそれと自民党復活とはなるまい。
追伸
① 11時15分過ぎ、 「閣僚も総辞職」とのこと。となると、前原大臣も辞任。となると、「絶対にダム堤は造らない」との1点に期待してきたのに、新大臣によっては、ぐつきだしかねない。
② 昼休み、八ッ場現地の反応を聴いた。反対派のDさんは、閣僚辞任のことはしらなかった。「えぇ、こまっちゃうのぅ」と言った。まだ、町内で話題になっている処に行っていないから、賛成派の意見は分らないとの由。
///////////////////
それにしても、 民放はさすがに速い。
何年か前の衆議院の開票がおくれて、最後の議席が決まらなかった時がある。深夜二時は回っていた。関東地方から、社民の一議席を死守野構えで、多くの支持者が身じろぎせず、待っていた。
選挙慣れしていなかった私には、どうしてみんな帰らないのか、わからなかったが車に載せてきた、退女教と党役員幹部の方が、最前列の方で、NHKテレビに魅入っていて、帰らないのでじってと後ろで待っていた。
NHKの確定が出る、15分ほど前だったろうか、前の席にいた、テレビ朝日のの女性ディレクターが「あ、出た!」と叫んだ。そして、首をつき出した私に「もう、〇〇党に決まりましたょ」と端的に言った。
止せば、よいのに、前に進んでいって、「先生、もう決まったってテレビ局の方が」と言ったが、身じろぎもせず、誰も呼応しなかった。
帰途の車の中で叱られた。「みんなが、じっと待っている処で、あんなことを口にするもんじゃないよ」と。
(そんなことがあっので、数日前より、晴れた日は突然、映るようになったNHKに念のため、チャンネルを廻していたら、20分間の鳩山演説の後半になって、「身を引かせて戴く」という後に、テロップが流れていた)。
幸い、出かけることもなかったので、そのまま、くぎ付けになって、会見を聴いた。
新しいスタートがまた、切られた。
新改革、第二弾だ。
鳩山総理は、辞意にいたる直接的要因として、
①沖縄問題解決の不備
②自身の政治資金疑惑問題
そして、「何年か先を見て欲しい。鳩山が言っていたことがわかっていただけるような時代がやってくることを」との言葉。進取性が逆に批判の対象となってしまった感もある。
ここで、思わず涙が出そうになってきた。
先日のシンポでも、私も、大きいことがいいことのダムは男社会の論理。その中で女の身には息苦しいものがあったと伝えた。何年かたてば、多くの場合に、私たち女性の提唱したことが実現化、妥当な意見として定位置をしめてきた経過があることも。
それらが、一瞬、ダブった。
さらに、小沢幹事長と小林千代美議員にも、辞任を求めたことを話した。
すべて、原稿なしだった。
歴代の自民党の総理とはちがって、市民感覚あふれるこの総理に、トコトン思うままの理想的な政治をやらせてみたかったった。例の秘書の政治資金問題で、足元をすくわれた。
ある元活動家の話によれば、つつかれだした頃、「自民党にはそういうアラ探し機関がちゃんとあるんだ。だから、民主党も急いで編成して、大いに逆探知しろっていたのに……」
しかし、テレビ画面では、前政権のしりぬぐいでずいぶん難儀していたのに、「政治と金」「クリーン政治」をぬけぬけと言っているどっかの党の幹部層の厚顔な発言が、続いている。こういう顔をポーカーフェイスというのであろう。そっちの方がもっとひどいじゃないかと申し上げたい。
八ッ場の地では、また自民党政権になって、ダム堤ができると信じ込まされている。
予想はされてきたが、このさわやかな辞任によって、おいそれと自民党復活とはなるまい。
追伸
① 11時15分過ぎ、 「閣僚も総辞職」とのこと。となると、前原大臣も辞任。となると、「絶対にダム堤は造らない」との1点に期待してきたのに、新大臣によっては、ぐつきだしかねない。
② 昼休み、八ッ場現地の反応を聴いた。反対派のDさんは、閣僚辞任のことはしらなかった。「えぇ、こまっちゃうのぅ」と言った。まだ、町内で話題になっている処に行っていないから、賛成派の意見は分らないとの由。
///////////////////
それにしても、 民放はさすがに速い。
何年か前の衆議院の開票がおくれて、最後の議席が決まらなかった時がある。深夜二時は回っていた。関東地方から、社民の一議席を死守野構えで、多くの支持者が身じろぎせず、待っていた。
選挙慣れしていなかった私には、どうしてみんな帰らないのか、わからなかったが車に載せてきた、退女教と党役員幹部の方が、最前列の方で、NHKテレビに魅入っていて、帰らないのでじってと後ろで待っていた。
NHKの確定が出る、15分ほど前だったろうか、前の席にいた、テレビ朝日のの女性ディレクターが「あ、出た!」と叫んだ。そして、首をつき出した私に「もう、〇〇党に決まりましたょ」と端的に言った。
止せば、よいのに、前に進んでいって、「先生、もう決まったってテレビ局の方が」と言ったが、身じろぎもせず、誰も呼応しなかった。
帰途の車の中で叱られた。「みんなが、じっと待っている処で、あんなことを口にするもんじゃないよ」と。
(そんなことがあっので、数日前より、晴れた日は突然、映るようになったNHKに念のため、チャンネルを廻していたら、20分間の鳩山演説の後半になって、「身を引かせて戴く」という後に、テロップが流れていた)。
2010年06月01日
戦後派文学の作家、お二人のサイン
数日前に記した、いかなる時も少しのプレもない知人、〇〇子さんのことから、私はある詩が思い出されてならなかった。
が、ここの処の寸暇の余裕もない日々の中で、その詩集を、本棚から出して、ひも解くことも出来なかった。
かつて、20代のどんじりの年にだったろうか、子供の頃からのひそかな夢ではあったが、うっちゃり捨ててしまった「文学」のぶの字に再び駆け寄った、15カ年間の歳月がある。
そして、うれしいことに戦後文学の騎手ともいうべき、質の高い仕事をなされた作家の方たちの謦咳に接することのできたのは、小さな人間にとっては、望外の幸せであった。
忙しなかった5月が去り、6月に突入した朝の一時、ようやく、これまた久しいこと開けたことのなかった、それらがびっしりつまった、本棚をあけた。
でもその〇〇子さんのきっぱりとした姿勢に通じるその詩は、どの詩集に入っていたか、思潮社の例の詩集シリーズを手にする前に、『木の花嫁』という分厚い箱入りの割と豪華な詩集を出した。
しかし、そこには所収されていないように思えた。これはもっと晩年になられてからの集大成だったよなと浮かび、箱に収めかけて、そのなつかしい筆致の署名を見た。ここにある本は、ほとんど署名本なのだ。
その作家は、詩集だけで三段階の詩集を出されていた。
最も豪華なのは限定百部の一冊が確か五万円のもの。通し番号があって、それを三冊ももっている。あの頃は、本だけは買い込んだ。またねそんな資力のあったほんの一時だった。
師事したこの作家の本の量はおびただしい。
しかも、新刊がでると都度、二割引きで30~50冊、纏めて購入。それを全国の仲間に送ってやっていた。今、考えれば、なんと愚かしい時間の浪費をしていたのかと思える。まあ、今ではできようもない贅沢な時間の使い道であった。
若い頃の詩だから、初期の詩集だよなとして、思潮社発行の現代詩文庫のシリーズ59を抜き出した。これも2冊はあった。こちらは保存用。もう一冊あるはずなのだが……
記憶に残る、「同士Mよ」や「八女のオルグ」などの単語をたよりにくっていったが、求める相通じる精神性の漂う詩はどこにもなかった。
それにどう、考えたって、今を生きる〇〇子さんの世代と戦後のその時代の空気や生きる姿勢がマッチのしようがないのだ。
でも、この中の一つを写して、みようかと思い立ち、薄い想定の最もなじみのある思潮社の詩集を開けた。
内扉には、
86年11月28日、井上光晴。
そりゃそうだ、井上さんの詩集だもの。でも、その脇にもうお一人の名。あの「野間 宏」さんの名。
時は文学賞の選考会の席。
同席させてもらった際に、何冊めかの冊子を買い求め持参し、お二人に署名をお願いしたのだ。人のやらない突飛なことをしでかす人間なのだ。
そりゃ井上さんはお若いから、勢いよく書いてくださっても大丈夫だった。それにサインごとが大好きな方だった、野間さんはもう、手がご不自由だったらしいのだ。そんな事情も知らずの傍若無人に加えた無知とはいえ、失礼な依頼をしてしまったものだった。
しかも、井上さんにとって、野間さんは埴谷雄高さんと並んで、その師的存在の方なのだった。
それを自分の詩集の脇に、お願いしたのだから、井上さんご自身もちょっぴり困惑なされていたかもしれない。野間さんがもしメンツにこだわる狭い識見の方だったら、立腹なされたに相違ない。
そばにいた関係者もまたきっと、ハラハラなさっていたかもしれない。
その日から、すでに25年近くもの歳月が流れた。
お二人とも相前後して、鬼籍に入られた。野間さんの確か5月のご葬儀の日、私たちの場所から仰ぎみられた高台で、空を見上げて、必死で涙をこらえるように天空を見上げていられたわが師・作家・井上光晴さんの姿と顔。それは写真でみていた若き日の、詩人・井上光晴の意気軒昂とした清々しい横顔だった。
その井上さんのご命日は、先月30日だった。
それさえも定かでなくなり、死後刊行されて、巻末の晩年20年弱の年譜は、ご遺族から頼まれ、私が必死で作り上げた、絶筆集『病む猫ムシ』(1992年10月 集英社刊)の年譜をくってみるというお粗末さなのである。
時折り、当時の仲間たちで、「お墓参りに行かなきゃね」とは言いあっても、毎年毎年そのままになってしまう。
井上夫人はおっしゃる。「いいんですよ、遠くて、家族だってなかなか行けないんですから」。確かに遠い。瀬戸内寂聴さんが住職を務められている、山形県の天台寺である。
今だったら、野間さんに「サインしてくださいますか」などとたぶん、申し出られない。
でも、無知と若さと熱に浮かれてやってしまった行為だ。井上さんは病床から、私が図書館に寄贈した全十五巻の書籍にサインをして下さった。そして、自分でもサインということにも魅力を覚えなくなった。あってもなくても著書は、著書。こんな一冊しか書けない私でも、サインをと言われる。慌てて「ものすごく字が下手なんです。それにサインなんかあると処分される時困りますよ」と必死で逃げる。後にも先にも、仕方なく記したのは一冊だけである。
なにもかもご承知の上で、ご署名くださったに相違ない、戦後文学のお二人の大作家・野間宏さんと井上光晴さん。
当時のお二人の年齢に近づいて、その思いのご業績の一端にも及ぶべくもないが、直接、幾つかの言葉に接してきた者の一人として、この国の人間の明日のために、己の小さな守備範囲で、少しでも動かなければならない。
田植えどころのノンキなことに浮かれているべきではないが、それもまた八ッ場の未来につながるものと信じたい。
お二人のご冥福を祈って、止まない。
今日から6月。まもなく突入の梅雨空には死者たちが浮かびくる。
※【実は、27・28は超多忙でして、記そうと思いつつも時間なし。一段落した、6/1に記した感慨です】