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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年04月10日

払戻可。今春版「青春18切符」物語

 【熊本日日新聞より転載】野焼き後の原野に咲くキスミレ=南阿蘇村 2011年04月09日

  【2011年04月10日 熊本日日新聞 】
http://kumanichi.com/osusume/toretate/kiji/20110410001.shtml
 山肌黄色く…キスミレの花かれんに 阿蘇地方

 写真は、野焼きの跡の阿蘇山に自生するという黄色いスミレです。思わずクリック。
 オダマキの花もそうですけれど、どうして野山の花の中には黄色と紫色の2種類があるのでしょうか?
 どなたか、おわかりの方、お教えくださいませんか?
 
 さて、久しぶりに何とも爽やかな気分になれたのでした。
 で、思わず、可憐なキスミレのご紹介とあいなりました。
 一つは先月末以来、悩まされてきた頭痛やメマイの原因は、どうやら花粉症の治療薬として用いてきた、漢方薬を数種飲みすぎたための副作用らしいことが数日前に指摘されていたのでした。ついつい重症なので、次の新種のものと基本薬を服用してしまっていたら、そのどれにもカン草が2gほど入っていて摂取過多になり、「低カリウム血症」とやらかもしれないとの示唆を受けていたのでした。それは血液中のカリウムが減りナトリウムが多くなってしまっての症状らしく、先例があるとのことでした。
 で、ようやく昨日はしばらく通わなかった内科医さんにお世話になって血液検査などを。その際、他のおもわぬ余病もみつけてもらって、スッキリ。胃腸科の名医として「週刊朝日」の全国のランキングにも紹介された大先生亡きあと、今は若先生ですが、この息子さんもまたやっぱり信頼できる名医さんと改めて感謝の思いです。
 
 さて、さらにうれしいことは、JRではなんと「青春18切符」は、購入日が地震の起きる前、11日以前なら、残日分を返金してくれるそうです
 使用期限は本日までなのですが、皆さまの中で、もし余っていてお困りの方はもったいないから、是非、最寄りの駅でお問い合わせになってみてください(……震災募金にでもなさってもよいじゃないですか)。
 実は、絶対にダメとは思いましたが、もてあましていた3回分の切符を前にした4日前、やっとつながった運転状況の問い合わせ先のサービスセンターに両毛線の運行状況を問い合わせた際、待ち時間に「切符の払い戻し」の専用ダイヤル先が案内されていたので、青春18切符について聞いてみたのでした。が、やはり「不可」だったのでした。ダメでもともとと思いつつ、「検討してみてくださいな」と伝えたものでした。
 
 4月になるまでは、予定の会合は次々とキャンセル。列車の接続具合で、思い切っての遠出はできかかねてきて、無理やり消化したけれど、なおかつ残った一枚。
 朝のうち、急ぎの用件を片づけた後、もったいながりや精神にて昼近くになってから、近場の沿線の桜でもと出かけてみたのだが、さしたる目的もないのに電車に乗るのも気分が重い。
 思い切って、「もし格安で、他人に転売することの是非」を女性駅員に聞いた。「顔みしりの方にだったら、JRとしてはそこまでは言えません」といいつつ、当方の切符をみて、「もし、震災日前の購入なら、返金できますよ」とのこと。
 先のサービスセンターの対応を伝えると、「混乱していますので不徹底の部分もあろうかと思いますが……このことは協議されています」とのこと。
 まさに想定外の解放感にて、なんと、気分晴れ晴れの帰宅だったろう。こんなこと位で喜ぶのだから、たわいないこと限りなし。

 さて、のどもとすぎると浅はかな人間には、悔恨がせまる。
 もし、早く解っていれば、本日10日までの期限を前にして3枚もあまっている現実に、ようやく一昨日の8日、7月まで期日のある「相田みつを」展を観て、食事をするために都内にいる姪を、「学割の方がずっと安いよ」というのに、その帰省日にあわせて話を強引に成立させた。単に切符消化のための割高片道切符に使わなくともよかったのと…… 

 でも、偶然のかさなりというか、本日の思わぬ展開と言い、この世には妙な絆の縁もある。
 思えばこの日の強引な切符消化の顛末がなければ、その日の朝日新聞の原発関連記事や災害地の様子にふれえることも、何よりも姪とのしみじみと語り合えた食事の機会もたぶん、なかったのであったから……
 そして、これらが本年春の「私の青春18切符日記」のしめくり日記となるであろう。

 この日、私は先の副作用で頭も痛い事だったし、いつも持参しても読めずに持ち帰る重い単行本をやめて、ツン読状態の新聞五紙の山の中から、「福島第一、レベル6相当 スリーマイル超す」の見出しにひかれて、去る3月25日の朝日新聞を抜き取って持参した。
 往きの電車の中で、花粉症ではれ上がった上の瞼と下の瞼がくっついてしまいがちの左目も何とかあけて、隅から隅まで読んだものであった。読了し終えるまでなんと約1時間も要した。その朝日新聞の通称、三面記事の最下段に横見出しに小さな記事を発見した。姪の学んでいる大学の「卒業式 出席者は12人」の記事に出会った次第。副見出しに「被災者に配慮 学部の代表者のみ」と添えられていた。確かに配慮すべきことの一つだ。鉛筆一本もてぬどころか、親を亡くした被災地の児童のいることを思えば…… 卒業式なぞである。
 で、三月半ば過ぎ、たまたま実家に行った際、目の前で鳴り響いていた電話をとりあげたら、生協からのもので「ご注文戴いていた卒業式のはかまの件について」という内容に慌てて「母親と代わりますから」と、急いで探してとりついだ内容と結びついた次第である。
 これもまだ先の期限だったけれど、購入しておいたお得な食事券での姪との食事中、おのづと話題になったのは、卒業式のこと。「無かったんだねぇ。おばさん、さっき知ったとこ」と、はかまをはき損ねた姪に、「でもさ、めったにない良い経験だったし、大学院の時のはきっとあると思うよ」と言い添えると、かえって学部ごとのこじんまりとした親近感あふれる授与式で良かったかもしれないと姪はアッサリと言った。ほとんどの学校がとりやめたのかとも問うと、そうでもないらしかった。そして、「入学式も無し」とのことに「東大闘争以来だね」と思わず口にすると、「その時は入学試験もなかったんだってね」という。
 そうだった。十年一昔というけれど、およそ半世紀近くの今や忘却のかなたに消えていきつつある、60年安保や一連の学園紛争で過ぎ去ったあの時代。
 そして、未だに当時受けた心の傷跡をひきづり続けている当時の活動家たちも周囲にはいる。そしてこの世から消えていく寂しい現実もあるけれど…… “心優しい反逆者たち”と名付け、同名の小説を書いた作家もいた、そんな時代が確かにあった。
 そして、概して体制におもねることなく、潔く生きてきたそんな彼らのほとんどは、ダムや原発のからくりをも熟知してくれている、まさに心根の優しい反逆者たちなのだ。

 涙の卒業式が無事に済み、危ぶまれたいた現地の小・中の入学式は、心あたたまる善意の数々によって行われている報道を聞く度にほっとする。
 そして、かつての一連の侵略戦争・原爆投下や、今回の東日本大震災・原発事故の大教訓だけは断じて忘れてはいけない。語り継ぐべきことがらであることを自戒する、震災丸1か月後の本日10日である。  


Posted by やんばちゃん at 13:55Comments(1)八ッ場だより