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2011年04月12日
小出裕章さんへのインタピュー
3/12 その四
【←読売新聞より転載】福島県産の農産物直売イベントでトマトを試食する枝野官房長官=飯島啓太撮影
昨日の深夜1時台に九州地方の水問題関係者からの「転送の転送と」推察するメールの転載です。
おなじみの小出裕章さんへのインタピュウーとのことです。
「BCCにて 転載転送自由」とありましたので、転載させて戴きます。
小出さんの説明は明快で難しいお話を解りやすく説明してくださっているのでずか、聞き手の岩上さんという方の声が低くくて聞きとりにくいのが残念です。最後にインタヴュー者の岩上さんのまとめも添えておきます。
京都大学原子炉実験所 小出裕章氏に聞く http://www.ustream.tv/recorded/13897618
//////////////////////////////////
岩上安身氏が小出研究室に出向いてインタビューです。
2011.4.10 14:48から 2011.4.1017:00時点での小出さんの最新見解。
ーーーーここから岩上安身さんの書き起こし ツイッターからーーーーーーー
小出裕章助教のインタビュー、予定時間より早く始めます。今からです。
京大原子力実験所の小出裕章助教インタビュー
原子炉の圧力容器に穴の空いている事実、再臨界が始まっている高い可能性について、明晰に論じながら、最悪の破局を回避するシナリオを語る。
再臨界を止めるには、中性子を吸収するホウ素の投入すべきだが、東電は、一時投入を控えていた可能性がある。ホウ素の投入は、結晶の付着などの問題があるが、再臨界を起こさせてはならない。
続き。最悪の破局のシナリオは、どれか一つの炉がメルトダウンの果てに、水蒸気爆発を起こし、他の炉の冷却作業もできになくなって、連鎖的に爆発を起こすシナリオ。
その最悪の破局のシナリオが現実化すると、チェルノブイリが放出した放射性物質の6~10倍の量の放射性物質が飛散すると思われる。
続き。再臨界が始まっても、即、その最悪の破局になるのではない。再臨界の熱によって膨張すると、ウランは臨界がとまる。
が、また再開する、その繰り返しで、ブスブスとくすぶる。
続き。最悪の破局を避けるためには、とにかく冷やし続けること。圧力容器と格納容器を一体として扱い、サプレッションチェンバーというプールに溜めた水を、再び圧力容器に戻すループの確立が必要。
同時に外部冷却装置を設置するなどして、熱交換のループも確立しなくてはならない。
その現場作業、高い放射線量の中でできるか。できないと破局に近づく。
先日の宮城県中心の地震で、六ヶ所村の再処理施設、女川原発、東通り原発も、一時外部電源が絶たれた。福島第一原発と同じ危険な事故はどこでも起きうる。
原発はすべてやめるべき。
非常用電源を高台に設置すればいいとか、小手先の議論がまたなされているが、無意味。
機械は必ず壊れ、人は必ずミスを犯す。
事故は必ず起きる。そして原発事故の場合は、取り返しがつかない。
実は、そもそも、リスクを冒してでも原発を必要とする理由はない。
原発をすべて停めても、現在の火力発電所の稼働率を7割に上げれば、カバーできる。
政府と電気事業者の公開データだ明らか。
原発がないと電力が不足するというのは、真っ赤な嘘。
政府、マスコミは本当の事実を伝えない。
また、原発が安く電力を供給している、というのも嘘。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まだツイートが続いていますのでここからは
http://twitter.com/#!/iwakamiyasumi をみてください。

昨日の深夜1時台に九州地方の水問題関係者からの「転送の転送と」推察するメールの転載です。
おなじみの小出裕章さんへのインタピュウーとのことです。
「BCCにて 転載転送自由」とありましたので、転載させて戴きます。
小出さんの説明は明快で難しいお話を解りやすく説明してくださっているのでずか、聞き手の岩上さんという方の声が低くくて聞きとりにくいのが残念です。最後にインタヴュー者の岩上さんのまとめも添えておきます。
京都大学原子炉実験所 小出裕章氏に聞く http://www.ustream.tv/recorded/13897618
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岩上安身氏が小出研究室に出向いてインタビューです。
2011.4.10 14:48から 2011.4.1017:00時点での小出さんの最新見解。
ーーーーここから岩上安身さんの書き起こし ツイッターからーーーーーーー
小出裕章助教のインタビュー、予定時間より早く始めます。今からです。
京大原子力実験所の小出裕章助教インタビュー
原子炉の圧力容器に穴の空いている事実、再臨界が始まっている高い可能性について、明晰に論じながら、最悪の破局を回避するシナリオを語る。
再臨界を止めるには、中性子を吸収するホウ素の投入すべきだが、東電は、一時投入を控えていた可能性がある。ホウ素の投入は、結晶の付着などの問題があるが、再臨界を起こさせてはならない。
続き。最悪の破局のシナリオは、どれか一つの炉がメルトダウンの果てに、水蒸気爆発を起こし、他の炉の冷却作業もできになくなって、連鎖的に爆発を起こすシナリオ。
その最悪の破局のシナリオが現実化すると、チェルノブイリが放出した放射性物質の6~10倍の量の放射性物質が飛散すると思われる。
続き。再臨界が始まっても、即、その最悪の破局になるのではない。再臨界の熱によって膨張すると、ウランは臨界がとまる。
が、また再開する、その繰り返しで、ブスブスとくすぶる。
続き。最悪の破局を避けるためには、とにかく冷やし続けること。圧力容器と格納容器を一体として扱い、サプレッションチェンバーというプールに溜めた水を、再び圧力容器に戻すループの確立が必要。
同時に外部冷却装置を設置するなどして、熱交換のループも確立しなくてはならない。
その現場作業、高い放射線量の中でできるか。できないと破局に近づく。
先日の宮城県中心の地震で、六ヶ所村の再処理施設、女川原発、東通り原発も、一時外部電源が絶たれた。福島第一原発と同じ危険な事故はどこでも起きうる。
原発はすべてやめるべき。
非常用電源を高台に設置すればいいとか、小手先の議論がまたなされているが、無意味。
機械は必ず壊れ、人は必ずミスを犯す。
事故は必ず起きる。そして原発事故の場合は、取り返しがつかない。
実は、そもそも、リスクを冒してでも原発を必要とする理由はない。
原発をすべて停めても、現在の火力発電所の稼働率を7割に上げれば、カバーできる。
政府と電気事業者の公開データだ明らか。
原発がないと電力が不足するというのは、真っ赤な嘘。
政府、マスコミは本当の事実を伝えない。
また、原発が安く電力を供給している、というのも嘘。
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まだツイートが続いていますのでここからは
http://twitter.com/#!/iwakamiyasumi をみてください。
2011年04月12日
最悪「レベル7」 に
3/12 その三

【読売新聞より転載】
福島第1原発事故の国際原子力事象評価尺度(INES)の評価を「レベル7」に引き上げたことを受け、記者会見する原子力安全・保安院の西山英彦審議官(左)と広瀬研吉・内閣府参与(12日午前11時25分、東京・霞が関で)=金沢修撮影
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午前中、テケビ朝日で観た速報をお伝えしましたので、その後の新聞報道をお伝えします。当地もそうですか、とりわけ、夕刊の来ない地域の皆さま、ご参考までに。
それにしても、原子力安全・保安院て、今になって…… いい加減な感じですね。
先月の最初の会見の時の、あの斑目春樹・原子力安全委員長の、「心配には及ばない。安全のハードルを高くしてある」とかの見苦しいほどの防衛振りが浮かびます。この職員も学になったとかの話もあるほどだ……
ご存知のこととは思いますが、念のため整理しますと、もともと「推進」の前政権と一体のお墨付き係の〇〇団体なのです。で、過日のあの妙な防衛的な会見もうなづけるというもの。
①原子力安全・保安院 経済産業省
②原子力安全委員会 内閣府
③原子力委員会 〃
これに対して、真実の究明に力注いできた、民間団体には、
① 故・高木仁三郎さんの遺志をつぐ、「原子力情報資料室」
http://www.kankyoshimin.org/modules/blog/index.php?content_id=79
② 小出裕章さんらの「京都大学原子炉実験所」などの機関があります。
...........................
① 【2011年4月12日 9時07分(最終更新 4月12日 14時28分)毎日新聞】http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/news/20110412k0000e040006000c.html
福島第1原発:最悪レベル7 チェルノブイリに並ぶ
② 【2011年4月12日12時39分 朝日新聞】
http://www.asahi.com/national/update/0412/TKY201104120085.html
福島原発事故、最悪「レベル7」 チェルノブイリ級に
③ 【2011年4月12日13時52分 共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041201000192.html
福島原発事故、最悪のレベル7 チェルノブイリと並ぶ

【読売新聞より転載】
福島第1原発事故の国際原子力事象評価尺度(INES)の評価を「レベル7」に引き上げたことを受け、記者会見する原子力安全・保安院の西山英彦審議官(左)と広瀬研吉・内閣府参与(12日午前11時25分、東京・霞が関で)=金沢修撮影
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午前中、テケビ朝日で観た速報をお伝えしましたので、その後の新聞報道をお伝えします。当地もそうですか、とりわけ、夕刊の来ない地域の皆さま、ご参考までに。
それにしても、原子力安全・保安院て、今になって…… いい加減な感じですね。
先月の最初の会見の時の、あの斑目春樹・原子力安全委員長の、「心配には及ばない。安全のハードルを高くしてある」とかの見苦しいほどの防衛振りが浮かびます。この職員も学になったとかの話もあるほどだ……
ご存知のこととは思いますが、念のため整理しますと、もともと「推進」の前政権と一体のお墨付き係の〇〇団体なのです。で、過日のあの妙な防衛的な会見もうなづけるというもの。
①原子力安全・保安院 経済産業省
②原子力安全委員会 内閣府
③原子力委員会 〃
これに対して、真実の究明に力注いできた、民間団体には、
① 故・高木仁三郎さんの遺志をつぐ、「原子力情報資料室」
http://www.kankyoshimin.org/modules/blog/index.php?content_id=79
② 小出裕章さんらの「京都大学原子炉実験所」などの機関があります。
...........................
① 【2011年4月12日 9時07分(最終更新 4月12日 14時28分)毎日新聞】http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/news/20110412k0000e040006000c.html
福島第1原発:最悪レベル7 チェルノブイリに並ぶ
② 【2011年4月12日12時39分 朝日新聞】
http://www.asahi.com/national/update/0412/TKY201104120085.html
福島原発事故、最悪「レベル7」 チェルノブイリ級に
③ 【2011年4月12日13時52分 共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041201000192.html
福島原発事故、最悪のレベル7 チェルノブイリと並ぶ
2011年04月12日
『告発・電磁波公害』のご案内と雑記
3/12 その二
【↑朝日新聞最新記事より転載】ユネスコに響く震災レクイエム 音楽家110人が結集
http://www.asahi.com/international/update/0411/TKY201104110376.html
.......................................
昨日11日は、ほぼ終日、以下の二つの拙文の日時確認に追われ、没頭したしだいです。
そこで、確認できた事柄に基づき、本欄の過去記事の年月日の誤認について、訂正を施させて戴きました。
すでにお読みになられた皆さまに、念のため、以下に列記させて戴きます。
一、2011年3月26日 「大震災の教訓を「力の政治」の問いなおし策に」
①写真の日付 2002年頃⇒2000年
②文中、およそ9年前⇒およそ11年前の2000年夏
※理由は、当初は記憶に基づき「2000年」と記していたのでした。
ところが、確認のため、ようやく探しだした写真に「02 12 31」とあったのです。が、写真の「02」年を西暦使用主義者の当方、「2002年」と思わざるを得なくなったのでした。
となると、全体がおかしくなるんだけれどなと思いつつ、それでは掲載誌の「サンデージャーナル」を確認するしかと物置に行きました。乱雑に積み上げた箱の中から同誌の箱をようやく探しだしましたが、その綴りは(前にやはり確認しにきたらしく)綴り糸がほどかれてランダムになってました。肝心の記事がみあたらないのです。
すでに当時の神流川発電所の工事風景の写真探しに3日ほど費やしてしまって、何とも気ぜわしい上に例の花粉症による瞼下がりにてぼやけてしまって、ついに見つからないのでした。
でも、ここに「02」とあるんだから、「2002年」に間違いないだろうと疑わずに記してしまったのでした。
ところで、昨日11日は、物置で探しごとに追われてました。
その過程で、思い切って~2004年までの写真類の箱の整理に及んだのでした。
2000年頃からの現像写真には、ネガを差し込む袋に小さな写真見本がついてます。そして、神流川発電所関係の写真類はネガの束の上がき欄に「2000年」とあるではありませんか。
ここでようやく、つまり「02」とは、「平成12年」をさし、「平成12年12月31日」の意味なのではないかと気がつきました。でも、それなら「12」となるべきなのですが……
① 実は掲載後も何度か掲載誌をもってお礼かたがたお話を伺った方の家や、その後に取材した、とっておきの証言などもあったので上野村を訪れ、工事の進捗状況をカメラにおさめてはいました。だから、02年にも上野村には通ってはいたのは事実です。ただし、いかにのんきオバさんでも、12月31日の大晦日の日に上野村に行くはずもなかろう……と浮上してまいりました。
② 次に、何度かカメラの日付けが狂ったり、現像過程での不備で、何年も前の同一日付になったこともあったりしたのでした。て日時については定かではない期間もありました。
最後の確認手段として当時の手帳の日にちを繰って調べる道もあるのですけれど……
今度は手帳の箱をひっかきまわしたところ、なんとこの年だけないのです。もう「どうして」と泣きたくなる一瞬です。締め切り時間に追われる時には、本当に辛いものがあります。
で、今回は、日時がハッキリしないので、写真には「2000年」のみで入れなかった次第です。
どおりでいくら2002年と思い込んで、「サンデージャーナル」誌のファイルをくっても記事が出てこないはずであったわけでした。落ち着いて2000年の冊子をひも解いたら、もちろんあるにはありましたけれど、無記名でした。配慮によるものと思われますが、最後は編集長との対立構造にて辞めた同誌の記事には、幾つか無記名で記したものがありました。
でも、掲載写真のは写真ファイルのものと同一のものでした。
長くなりましたが、混乱のもととなった写真は、アナログカメラ時の10年前の何らかのカメラの日付けいれの不備によるものでした。こういう場合は、一応のメモをいれておくものですが、この写真に関しては、自分の記憶力が10年後にここまで落ちて混乱するとは予見できなかった、哀しさの顛末となりました。
あえて、細かに示しましたが、写真の日付け不備によって起こる混乱を記させて戴きました。
二、 2011年4月8日 「本日、川原湯温泉春祭り」に写真追加。
川原湯温泉の「大々神楽」の写真もみつかりましたので、「百聞は一見にしかず」ですので、本日入れました。
これには、日付け無し。たぶん、壊れカメラで必死に撮っていた頃のもので、少なくとも4~5年前のものと思います。
三 上記一の確認の端緒となった「東電50万ボルト送電線上武幹線」問題について
なお、核と電磁波は異なりますが、最近の提出済みの雑文に「東電50万ボルト送電線上武幹線」における電磁波問題を、国策」としての東電対応の実態として、自己体験の例として簡略に「一」の神流川揚水発電所と一緒に列記したのでした。
WH0の安全基準は「4ミりガウス」なのに、当時のパンレットには「50000ミリガウス」であったので、記憶力のみで、「約1万倍の乖離」と記した次第でした。
しかし、同様にして、もし間違えていたら訂正不可となり、決定的なミスに。
上述のように、ここの処、かなり記憶力が薄れてきても愕然とする日々なのです。
もし、ミスっていたら、それこそ「大きな誤認」となってしまいます。あれだけ当時、近隣の皆さんに説明する際に口にしていた数値なのですから、よもやと思うけれど、単位の読み違えっていうこともなきにしもあらず……
そこで、何もかもなげ打って物置に入って、当時2005年時の「電磁波問題」のファイルを探そうとしたのでした。しかし、これまた当時、購読した電磁波問題の通信「ガウスネット」の綴り類はあったのですけれど……
ところが、確かに堂々と「50000ミリガウス」と記されていた、東電のあの肝心のパンフレットが見つからないのでした。最も主要なこのパンフと朝日新聞の記事コピーなど、いつも持ち歩いていた袋が眼にはいらのです。
東電側との2回の説明会。区長さんとの同社への出向き、何度かの電話やりとり。そして、地域は愚か、隣町の送電下の住民の皆さんへのチラシ配布など、かなりの資料があったのに……絶対に捨てはせず、あるに決まっているのですけれど……。
焦燥感につつまれると余計、眼にはいなくなってくるのが通例。時過ぎるとちゃんとあるのにです。
当時の個人機関紙「みんなの青い空」には記さてなかったけれど、一応確認。一般質問はしてなかったと記憶するけれど、記事録もみようかとさえ思ったほどでした。
あんなにコピーして配布したのに、せめてもの朝日新聞一面の掲載記事も出てこないのです。
(幸いにして、この探しことの過程で、一に記述の写真類と掲載誌も確認できた思わぬメリット)
夕刻になっても、見つからない。
ますます不安が募った。最後の手は当時、確か1992~3年に朝日新聞一面に、小児ガンへのリスクなどのWH0見解の記事を執筆された記者さん、(?どうやらこの記事が原因で群馬に都落ちさせられて、朝日新聞〇〇支局長さんだった)あの方に伺う道しかないと思い浮かんだのでした。
古い名刺なので、直ちには探し出せない。でも幸い、苗字は覚えていて、お名前の字面もひょいとでてきたのでした。コレは我ながら快哉もの。
で、ダメ元でと必要事項を入れてインターネット検索を。あった、しかもなんとご著書も記されていたのでした。
とりわけ新聞社は個人情報にて教えてくれないものですが、こちらもダメで元々と〇〇支局に電話。こちらの身元と目的をきちんと伝えますと、うれしいことに九州のある支局の連絡先を教えて戴けたのでした。
そして、なんと4年ぶりくらいに連絡がついた次第。
東電との第1回の説明会直前の小一時間、レクチャーしてくださった時の未だ耳もとに記憶ある声音。群馬を去られる直前、「ついに、東電が電磁波の危険性について認めましたよ。記事をみてください」との朗報をうれしそうに連絡してくださった声音そのものの声が、はるか向こうにあったのでした。
数値は「あってますよ」と即座に。ホッとしました。「もしかして単位を読み違えてたかもと」と伝えると、何か閃かれたらしく、ちょっとの間をおいて「関西電力では、5000ミりガウス」であったとも言い添えてくださいました。関西電力のことは知りませんでした。
そういえば、八ッ場にもご案内して、現地の方たちに集まってもらって、語らいの場を設けたこともありましたっけ。そして、程なくの転勤でした。八ッ場のLさんなどはその直後から、何とひそかに朝日新聞も購読し始めていたのでした。後日、「ちっとも記事にならねぇ」とやや怒り口調にての言葉に、「あら、転勤になさったのよ」と伝えたことも思い出しました。
春三月のこの時期は、ようく年単位にて信頼関係が築けつつある矢先のなじみの、記者魂に燃えた記者さんたちの移動の時期でもあるのです。
さて、今となっては、もうご著書とともにもうお名前を公表してもさしつかえないでしょう。
お名前は松本健造さん。
ご著書は、『告発・電磁波公害』(2007年 緑風出版 1995円)
http://www.amazon.co.jp/dp/4846107140/ref=nosim/?tag=biglobe06-src-link-22&linkCode=as1
おかげさまで、松本さんに4年ぶりに連絡がついたことと、八ッ場ダム関連の膨大な写真類が少し整理できたことが最大の収穫でした。
しかも、2001年6月14日の補償調印式の日の、私的な写真類の前後に続く、小さな写真類のコマも出てきたのでした。ネガの一部もあったのです。もし、これらが使えれば本当に助かります。
サンデージャーナル誌では、経費一式全て自分持ち。掲載になってようやく2か月後くらい経て、一行×〇〇円の稿料が貰え、それが生活費の全てだったあの頃の厳しい生活。直後の決裂も想定せず、36枚撮りのフィルムに3本分の現像写真一式を収めたままだったのです。ほどなく廃刊になってしまったので、もうどうにもならず、残念でならなかった写真類でした。
八ッ場取材の過程でもとりわけ、数々の思い入れのあったのが調印式の日なのでした。あの日、ライターとは言いながらも、羞恥心と気おくれをこらえながら、おこがましくも記者クラブ所属の記者さんやプロ写真家たちらに交じって撮ったのでしたから。
さて、これが、昨日のわが仕事実績なり。
コレだもの、「働けど、働けどなおわが暮らし楽にならざり」ではなく、無理からぬわけ。でも、余震におののきながら、啄木並みに「じっと手をみる」次第です。
……啄木と言えば、先日、姪の大学の例の門前での待ち合わせの際、お茶の水から湯島方面に歩いていて、方角を間違えて湯島聖堂から反対方向に歩きかけてしまいました。台東区役所近くにあった、啄木の史跡案内板が目に入りました。
函館から妻子と母が到着し、本郷区本郷弓町の床屋「喜之床」の二階に移った啄木は、当時の「東京 朝日新聞」の校正係として働いていたのでした。仕事柄、終電に間に合わずに疲れ切った身体で切り通し道を歩いてきたことが説明されてました。

http://www.asahi.com/international/update/0411/TKY201104110376.html
.......................................
昨日11日は、ほぼ終日、以下の二つの拙文の日時確認に追われ、没頭したしだいです。
そこで、確認できた事柄に基づき、本欄の過去記事の年月日の誤認について、訂正を施させて戴きました。
すでにお読みになられた皆さまに、念のため、以下に列記させて戴きます。
一、2011年3月26日 「大震災の教訓を「力の政治」の問いなおし策に」
①写真の日付 2002年頃⇒2000年
②文中、およそ9年前⇒およそ11年前の2000年夏
※理由は、当初は記憶に基づき「2000年」と記していたのでした。
ところが、確認のため、ようやく探しだした写真に「02 12 31」とあったのです。が、写真の「02」年を西暦使用主義者の当方、「2002年」と思わざるを得なくなったのでした。
となると、全体がおかしくなるんだけれどなと思いつつ、それでは掲載誌の「サンデージャーナル」を確認するしかと物置に行きました。乱雑に積み上げた箱の中から同誌の箱をようやく探しだしましたが、その綴りは(前にやはり確認しにきたらしく)綴り糸がほどかれてランダムになってました。肝心の記事がみあたらないのです。
すでに当時の神流川発電所の工事風景の写真探しに3日ほど費やしてしまって、何とも気ぜわしい上に例の花粉症による瞼下がりにてぼやけてしまって、ついに見つからないのでした。
でも、ここに「02」とあるんだから、「2002年」に間違いないだろうと疑わずに記してしまったのでした。
ところで、昨日11日は、物置で探しごとに追われてました。
その過程で、思い切って~2004年までの写真類の箱の整理に及んだのでした。
2000年頃からの現像写真には、ネガを差し込む袋に小さな写真見本がついてます。そして、神流川発電所関係の写真類はネガの束の上がき欄に「2000年」とあるではありませんか。
ここでようやく、つまり「02」とは、「平成12年」をさし、「平成12年12月31日」の意味なのではないかと気がつきました。でも、それなら「12」となるべきなのですが……
① 実は掲載後も何度か掲載誌をもってお礼かたがたお話を伺った方の家や、その後に取材した、とっておきの証言などもあったので上野村を訪れ、工事の進捗状況をカメラにおさめてはいました。だから、02年にも上野村には通ってはいたのは事実です。ただし、いかにのんきオバさんでも、12月31日の大晦日の日に上野村に行くはずもなかろう……と浮上してまいりました。
② 次に、何度かカメラの日付けが狂ったり、現像過程での不備で、何年も前の同一日付になったこともあったりしたのでした。て日時については定かではない期間もありました。
最後の確認手段として当時の手帳の日にちを繰って調べる道もあるのですけれど……
今度は手帳の箱をひっかきまわしたところ、なんとこの年だけないのです。もう「どうして」と泣きたくなる一瞬です。締め切り時間に追われる時には、本当に辛いものがあります。
で、今回は、日時がハッキリしないので、写真には「2000年」のみで入れなかった次第です。
どおりでいくら2002年と思い込んで、「サンデージャーナル」誌のファイルをくっても記事が出てこないはずであったわけでした。落ち着いて2000年の冊子をひも解いたら、もちろんあるにはありましたけれど、無記名でした。配慮によるものと思われますが、最後は編集長との対立構造にて辞めた同誌の記事には、幾つか無記名で記したものがありました。
でも、掲載写真のは写真ファイルのものと同一のものでした。
長くなりましたが、混乱のもととなった写真は、アナログカメラ時の10年前の何らかのカメラの日付けいれの不備によるものでした。こういう場合は、一応のメモをいれておくものですが、この写真に関しては、自分の記憶力が10年後にここまで落ちて混乱するとは予見できなかった、哀しさの顛末となりました。
あえて、細かに示しましたが、写真の日付け不備によって起こる混乱を記させて戴きました。
二、 2011年4月8日 「本日、川原湯温泉春祭り」に写真追加。
川原湯温泉の「大々神楽」の写真もみつかりましたので、「百聞は一見にしかず」ですので、本日入れました。
これには、日付け無し。たぶん、壊れカメラで必死に撮っていた頃のもので、少なくとも4~5年前のものと思います。
三 上記一の確認の端緒となった「東電50万ボルト送電線上武幹線」問題について
なお、核と電磁波は異なりますが、最近の提出済みの雑文に「東電50万ボルト送電線上武幹線」における電磁波問題を、国策」としての東電対応の実態として、自己体験の例として簡略に「一」の神流川揚水発電所と一緒に列記したのでした。
WH0の安全基準は「4ミりガウス」なのに、当時のパンレットには「50000ミリガウス」であったので、記憶力のみで、「約1万倍の乖離」と記した次第でした。
しかし、同様にして、もし間違えていたら訂正不可となり、決定的なミスに。
上述のように、ここの処、かなり記憶力が薄れてきても愕然とする日々なのです。
もし、ミスっていたら、それこそ「大きな誤認」となってしまいます。あれだけ当時、近隣の皆さんに説明する際に口にしていた数値なのですから、よもやと思うけれど、単位の読み違えっていうこともなきにしもあらず……
そこで、何もかもなげ打って物置に入って、当時2005年時の「電磁波問題」のファイルを探そうとしたのでした。しかし、これまた当時、購読した電磁波問題の通信「ガウスネット」の綴り類はあったのですけれど……
ところが、確かに堂々と「50000ミリガウス」と記されていた、東電のあの肝心のパンフレットが見つからないのでした。最も主要なこのパンフと朝日新聞の記事コピーなど、いつも持ち歩いていた袋が眼にはいらのです。
東電側との2回の説明会。区長さんとの同社への出向き、何度かの電話やりとり。そして、地域は愚か、隣町の送電下の住民の皆さんへのチラシ配布など、かなりの資料があったのに……絶対に捨てはせず、あるに決まっているのですけれど……。
焦燥感につつまれると余計、眼にはいなくなってくるのが通例。時過ぎるとちゃんとあるのにです。
当時の個人機関紙「みんなの青い空」には記さてなかったけれど、一応確認。一般質問はしてなかったと記憶するけれど、記事録もみようかとさえ思ったほどでした。
あんなにコピーして配布したのに、せめてもの朝日新聞一面の掲載記事も出てこないのです。
(幸いにして、この探しことの過程で、一に記述の写真類と掲載誌も確認できた思わぬメリット)
夕刻になっても、見つからない。
ますます不安が募った。最後の手は当時、確か1992~3年に朝日新聞一面に、小児ガンへのリスクなどのWH0見解の記事を執筆された記者さん、(?どうやらこの記事が原因で群馬に都落ちさせられて、朝日新聞〇〇支局長さんだった)あの方に伺う道しかないと思い浮かんだのでした。
古い名刺なので、直ちには探し出せない。でも幸い、苗字は覚えていて、お名前の字面もひょいとでてきたのでした。コレは我ながら快哉もの。
で、ダメ元でと必要事項を入れてインターネット検索を。あった、しかもなんとご著書も記されていたのでした。
とりわけ新聞社は個人情報にて教えてくれないものですが、こちらもダメで元々と〇〇支局に電話。こちらの身元と目的をきちんと伝えますと、うれしいことに九州のある支局の連絡先を教えて戴けたのでした。
そして、なんと4年ぶりくらいに連絡がついた次第。
東電との第1回の説明会直前の小一時間、レクチャーしてくださった時の未だ耳もとに記憶ある声音。群馬を去られる直前、「ついに、東電が電磁波の危険性について認めましたよ。記事をみてください」との朗報をうれしそうに連絡してくださった声音そのものの声が、はるか向こうにあったのでした。
数値は「あってますよ」と即座に。ホッとしました。「もしかして単位を読み違えてたかもと」と伝えると、何か閃かれたらしく、ちょっとの間をおいて「関西電力では、5000ミりガウス」であったとも言い添えてくださいました。関西電力のことは知りませんでした。
そういえば、八ッ場にもご案内して、現地の方たちに集まってもらって、語らいの場を設けたこともありましたっけ。そして、程なくの転勤でした。八ッ場のLさんなどはその直後から、何とひそかに朝日新聞も購読し始めていたのでした。後日、「ちっとも記事にならねぇ」とやや怒り口調にての言葉に、「あら、転勤になさったのよ」と伝えたことも思い出しました。
春三月のこの時期は、ようく年単位にて信頼関係が築けつつある矢先のなじみの、記者魂に燃えた記者さんたちの移動の時期でもあるのです。
さて、今となっては、もうご著書とともにもうお名前を公表してもさしつかえないでしょう。
お名前は松本健造さん。
ご著書は、『告発・電磁波公害』(2007年 緑風出版 1995円)
http://www.amazon.co.jp/dp/4846107140/ref=nosim/?tag=biglobe06-src-link-22&linkCode=as1
おかげさまで、松本さんに4年ぶりに連絡がついたことと、八ッ場ダム関連の膨大な写真類が少し整理できたことが最大の収穫でした。
しかも、2001年6月14日の補償調印式の日の、私的な写真類の前後に続く、小さな写真類のコマも出てきたのでした。ネガの一部もあったのです。もし、これらが使えれば本当に助かります。
サンデージャーナル誌では、経費一式全て自分持ち。掲載になってようやく2か月後くらい経て、一行×〇〇円の稿料が貰え、それが生活費の全てだったあの頃の厳しい生活。直後の決裂も想定せず、36枚撮りのフィルムに3本分の現像写真一式を収めたままだったのです。ほどなく廃刊になってしまったので、もうどうにもならず、残念でならなかった写真類でした。
八ッ場取材の過程でもとりわけ、数々の思い入れのあったのが調印式の日なのでした。あの日、ライターとは言いながらも、羞恥心と気おくれをこらえながら、おこがましくも記者クラブ所属の記者さんやプロ写真家たちらに交じって撮ったのでしたから。
さて、これが、昨日のわが仕事実績なり。
コレだもの、「働けど、働けどなおわが暮らし楽にならざり」ではなく、無理からぬわけ。でも、余震におののきながら、啄木並みに「じっと手をみる」次第です。
……啄木と言えば、先日、姪の大学の例の門前での待ち合わせの際、お茶の水から湯島方面に歩いていて、方角を間違えて湯島聖堂から反対方向に歩きかけてしまいました。台東区役所近くにあった、啄木の史跡案内板が目に入りました。
函館から妻子と母が到着し、本郷区本郷弓町の床屋「喜之床」の二階に移った啄木は、当時の「東京 朝日新聞」の校正係として働いていたのでした。仕事柄、終電に間に合わずに疲れ切った身体で切り通し道を歩いてきたことが説明されてました。
2011年04月12日
終わらない余震、今朝もあり
3/12 その一
【↑朝日新聞より転載】地震で家屋が倒壊し、懸命の救出活動をする消防隊員ら=11日午後8時54分、福島県いわき市田人町石住、藤脇正真撮影
▼最新情報
「レベル7」に引き揚げ
「テレビ朝日」の報道によれば、
事故直後の放射線性物質は、一時間に1万テラベクレルの高い濃度であった由。
(初浮上の「テラベクレル」について、司会者やコメンテーターたちも困惑気味)
※なお、テレビ朝日では、17時現在のニュースでも、引き上げられた理由として、同種の報道をしています。
..................................
今朝、また地震あり。しかも、数度に及ぶ。
あたかも、お亡くなりになられた方たちの祥月命日にあたる、大震災発生日の先月11日から丸1カ月後の昨日11日、集中して起きた震度5前後クラスの余震。一回でも大型地震として剋目に値する大きさのものであるのに……
本当に先々の日がそら恐ろしい。
※表題と異なりますが、
またまた思いつくままにだらだらと記してしまいましたが、アップしてみたら、何とも長すぎます。
なお、せっかくの松本さんのご著書に対しても失礼ですので、分割させて戴きます。

【↑朝日新聞より転載】地震で家屋が倒壊し、懸命の救出活動をする消防隊員ら=11日午後8時54分、福島県いわき市田人町石住、藤脇正真撮影
▼最新情報
「レベル7」に引き揚げ
「テレビ朝日」の報道によれば、
事故直後の放射線性物質は、一時間に1万テラベクレルの高い濃度であった由。
(初浮上の「テラベクレル」について、司会者やコメンテーターたちも困惑気味)
※なお、テレビ朝日では、17時現在のニュースでも、引き上げられた理由として、同種の報道をしています。
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今朝、また地震あり。しかも、数度に及ぶ。
あたかも、お亡くなりになられた方たちの祥月命日にあたる、大震災発生日の先月11日から丸1カ月後の昨日11日、集中して起きた震度5前後クラスの余震。一回でも大型地震として剋目に値する大きさのものであるのに……
本当に先々の日がそら恐ろしい。
※表題と異なりますが、
またまた思いつくままにだらだらと記してしまいましたが、アップしてみたら、何とも長すぎます。
なお、せっかくの松本さんのご著書に対しても失礼ですので、分割させて戴きます。