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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年01月11日

小寺前知事、八ッ場には口出しせずってホント

 明日12日は八ッ場現地では、24日の段取りがほぼ確定されるとともに、他方、高崎市内では小寺弘之前知事が、参議院選比例代表として民主党公認候補としての立候補表明が予定されています。
 目下、自身の疑惑問題の渦中の、小沢一郎幹事長も同席予定です。

 昨日、小寺さんと八ッ場問題の癒着の構造の深さについて、民主党筋に苦言めく言葉を発してしまいました。
 すると、ごく内密のことながらと、「大丈夫、安心してください」とのことでしたけれど……、政治家ですからねぇ。    
 また、去る昨年11月、小寺さん直属のある県議と初めてお会いした会だったにもかかわらず、思わずズバリと同じことを伝えました。同じく、「その心配はありません」と断言。
 はたして、本当でしょうか。

 八ッ場の今後に大きな影響力を持つ、小寺前知事ですので、心配です。でも、小寺さんほどの頭脳の持ち主なら、今日の公共事業のカラクリくらい、当にお見通しのハズ。では、どうして、萩原昭朗さんとあんなに親密なの? それはワケありなんです!!
  


Posted by やんばちゃん at 23:40Comments(0)八ッ場だより

2010年01月10日

緊急会議のお知らせ

   急きょ、以下の提案ならびにお知らせを致しました。

24日開催予定の前原大臣と「地元住民」との意見交換会は 、
12日に役員会議が開かれ、細部が協議される見込みです。
 
 そこで、(地元情報を総合判断して)、何らかの対策を練らねば
ならない状況下にあるとの結論に達しました。
 何とも急な呼びかけですが、皆さんの知恵とお力をおかりした
く、多くの皆さんにご参加願えましたら幸いです。
 勝手ながら、具体的なことがらや会議場所については、以下へ
ご連絡ください。ご説明いたします。

  日時:    明日11日の18時~  ※現地との兼ね合いもあり、群馬県内にて
        ※軽食をたべながらの会議となります。
  連絡先:  090 2910 4722
        または、 027 373 5672 まで  


Posted by やんばちゃん at 18:12Comments(0)八ッ場だより

2010年01月09日

24日の詳細は、12日に正式決定

 
一 8日夜の横壁での会議は、年に4~5回開催される、国交省などからの定期的な会議だったようです。川原湯地区は年末に終了していて、24日の対応については提起されなかったもよう。 
 まず出席者は、通例の構成で、国交省(課長クラスまで)、群馬県、町側などに地区住民たち。
 ①国交省が今年度予算145億円の説明
 満額でダム堤を除く、今年度の生活再建Tは全部実施できるとの説明。
 (当然、ここでの生活再建というのは≒工事 ということなので問題あり)
②その工事場所の具体的説明
③ 24日に前原大臣と会うことは決定
  枠を広げて、参加を募る。
  当日発言希望者は、今、ここで手をあげて欲しいと委員長が「誰か。いねんかや」と促すが、誰も手をあげず。というか、委員長の無言の圧力の前には手を挙げかねる?
  それを12日の全体会議にはかって、発言者を決める。
※ ③のことについては、微妙なこともあります。
(が、この欄へのどこかのチェックの可能性もあるので、詳述しかねることもありまして……)
 ただし、このままの雰囲気では、他地区でもすすみ、やはり、委員会決定の発言者となり、揺るぎ難い「ダム推進の総意」になるのは目にみえています。


二 なお、この私的情報収集の過程で、次のことを聞きました。
 本日、夕刻にNHKラジオで流れたそうですが、
 14日に下流の議員や住民が、長野原町に行き、住民たちと話し合うとのことです。
 詳細を御存じの方、いらっしゃいましたら教えて下さい。
 
 追記
 判明しました。江戸川区周辺の方たちらしいです。
 (江戸川区の河川部長は、昨年末、県議会の土木常任委員会にまねかれて、熱弁をふるっていた)
 
 さらに詳細を御存じの方、お教えください。  


Posted by やんばちゃん at 22:01Comments(0)八ッ場だより

2010年01月08日

現地発、こち特報部なり

 本日夜は、横壁でダム会議が開かれる由。同地区での24日の対応が決まるものと思われる。
 イヌワシ問題は、目下、詳しい資料請求を請求中なので、しばし休憩。

 さて、明日の土曜日に、当地で地鎮祭を行う姉を駅に迎えに行った。
 車に乗ると今日はすぐに、いつものごとくの“私用のおみやげ品”を手渡された。それは東京新聞の八ッ場関連記事である。  夕刊配達区域ではない当地では東京新聞を採るのには極めて不便。以前、師事した作家の執筆記事の収集などのため、文芸欄の充実していた同紙を必要に迫られて購読していたことがあった。が、なんと一日遅れの配達なのであった。
 記事の内容はインターネットで知っているので、新聞の束を渡されてもいつもはツン読なのだけれど、本日は枚数もすくなかったので、なぜか直ちに開いてみたら、なんと本日付8日のも入っていた。
 そして本日も八ッ場ダムは、大きく取り上げられていた。もしかしたら、姉は記事をみて、電車の中で朝刊を読みながら来たのかもしれない。ここの「こちら特報部」はダイナミックな紙面採りと内容が注目に値する。
 ここのデスクの方もず~と以前に私の旧著を買ってくださった。領収書を書く際に渡された名刺には、まだ現在のポスト名は記されていない。打開策を願って、ついつい生来のおしやべりさんが、現地の情況を伝え続けたのを思いだす。 

  まだ、サイトにはないので、見出しのみ。
   中止でも1号橋(事業費52億)必要?
   生活再建見えぬ全体像
   
 の縦型大見出しのもと、さらに、
  八ッ場ダム国交省と24日意見交換
  水没予定地、移転前提で満額を
  建設後は「今の場所で温泉再生 困難」
  割れる地元、議論も進まず
 
 ところで、おかげ明日の地鎮祭の神殿の供え物ものの用意も万端。
 竹は庭先のだるま竹のまっすぐ素性の良いものを4本選んだ。(名称にはちょっと引くものがあるが竹藪までいくのが面倒だから)、供えもののメインのお頭つきも、小さな家の新築には不釣り合いなほどの特大すぎる見事な鯛。刺身になる寸前のこれしかなかった一匹なのだから仕方ないのだけれど、ケチな私は「もったいないよ。だって、家ではたべられないんだもの」と言ってしまったものだ。
 地鎮祭といえば、八ッ場現地での幾つかの麗々しい安全祈願祭が浮かぶ。とりわけ、転流工工事の際の公用車の黒い列と2張りものテントの長さと、当日、おちょくった建設会社の職員とのやりとりのこっけいさを思いだす。
 
 当日阻止行動の意味で、式典に参加省しようと現地に行ったのは当方のみ。
 あの時、私は本体工事の一歩として何とか「絶対阻止」をと思ったのだ。
 工事は少しでも進展しない手前の段階でストップさせるのが本道であるべき。 本体工事の準備工事と称される仮排水トンネル≒転流工の、直径8メートル四方ものトンネルを造らせたら、ますます中止が困難になるのは自明の理であったのに……
  
 さて、くさぐさの愚痴を振り捨てて、明朝は、まず現地に電話して情報取材。
 「現地発、こち特報部」に徹しよう。  


Posted by やんばちゃん at 23:48Comments(0)八ッ場だより

2010年01月07日

八ッ場のイヌワシ、それは死滅作戦か(三)

 パソコンの中を探したら、五年ほど前に記したイヌワシに関する拙文の書き出しが出てきた。確か、この後も何度か書きなおしを命じられたのに、その後、何の音沙汰もなく立ち消えたままの没原稿であった。
 ※生息地は情報公開の黒塗りをまねて、ここでも〇〇とさせていただく。
 ※記述年次は2005年9月初旬頃のもの
//////////////////////////////

 八ッ場にもイヌワシはちゃんといる。
 1988年9月1日刊行の長野原町百周年行事記念の写真集には、〇〇地区のイヌワシの営巣写真があり、同時作成のビデオにも飛翔の映像がある。
 イヌワシは通例、奥深い山の断崖に営巣し、「普通の野鳥愛好家では、調査のための観測場所にすら到達出来ない」といわれている。が、生息地一帯とされる丸岩山や横壁の集落は、JR線や国道からも間近く見渡せる場所であり、各地のイヌワシに通暁した人々は驚く。同時に、人里離れた辺境の地というダム建設地の常識を覆し、上流には観光地草津温泉もある水没地の密接した家並みにも、「こんな場所になぜ」と驚きを隠さない。
 そして、去る6月19日には、この〇〇の左手にそびえる〇〇村境の〇〇(1475m)の奥深い斜面で、「餌場環境調査」のための草刈作業が行われた。刈り取った草原にイヌワシの餌になる野ウサギがどのくらい出没するかを、ウサギの糞によって調べる調査であり、続いて翌週の26日にも、まる〇〇〇北部の〇〇〇で同様の作業が行われた。
 これは「八ッ場ダム猛禽類保全調査」に基づく作業で、長野原町大字〇の牧野・森林組合の組合員たちの仕事だが、元請けは「国土環境(株)」。
 「一般に、工事をストップしたい時はイヌワシを持ち出し、逆の場合は沈黙する」との声があるが、かつて群馬県でも小寺知事命令でゴミ焼却施設建設が中断したことがある。
 八ッ場ダム工事事務所は、昨今とみに環境問題に重きをおき、エコスタックなどと称して次々とムダとしか言いようのない環境政策を打ち出すが、そのわりにはイヌワシの棲息について沈黙状態が続く。
 そこで5月より、①どんな保護を行っているか、②調査やメンバーの具体例 ②95年時に棲息が確認されていたイヌワシはどうなったか等について質問を出してきた。

 6月14日ようやく届いた正式回答によれば、
 「平成7年度からはイヌワシを中心とした猛禽類の生態に関する調査を実施。平成10年度には、付替道路等の工事の本格化に先立ち、群馬県内のイヌワシ等の猛禽類に精通する学識者など専門家で構成する「八ッ場ダム周辺猛禽類調査検討委員会」を設置して、以後、調査方法、調査結果の評価、保全対策の必要性の有無、具体的な保全対策等について、委員会のご意見、ご指導を頂きつつ、継続的に調査・検討を実施」
 「現在、営巣地周辺での飛翔、とまり、ディスプレイ行動等を確認しています。なお、調査は、毎月、定期的に実施しており、調査結果を定期的に専門家に報告しています」
 結論として「なお、国土交通省では、猛禽類の保護の観点から、生息地が特定できる情報は公表していません」となる。
 回答中に繰り返される「専門家に相談」の言葉。
 ではその専門家=「八ッ場ダム周辺猛禽類調査検討委員会」のメンバーは誰かを含めた質問を直ちに行った。
 やはり、「公表しても良いかご本人の許可を得なくては」とラチがあかない。おそらく無報酬ということはなかろう。報酬は国民の税金から支払われるわけだから、情報公開の対象になる。これしきのことに待たされること一ヶ月。
 7月12日夕、全国のダムで「助言」を与えている人物を含むおなじみの次のメンバー名のみが届く。
                        ーーー以下、略ーーー
   


Posted by やんばちゃん at 23:52Comments(0)八ッ場だより

2010年01月06日

八ッ場のイヌワシ、それは死滅作戦か(二)

 学識者によるイヌワシ保護政策として、「八ッ場ダム周辺猛禽類調査検討委員会」なる会議が、急きょ、発足したことが、記されている。
 第一階は、1999年3月1日(月)に高崎市内のホテルの「つぐみの間」で行われていた。
 発足時のメンバーは建設省側は、八ッ場工事事務所長並びに職員。群馬県は県特定ダム対策課長。事務局はダム水源地環境整備センターの部長以下。
 そして、たった1時間の会議で〇万円の報酬を受け取る人たち三名の委員の二名の方たちは、新入り会員の私の方は良く存じ上げてい顔ぶれだったからだ。
 若い日の一時、友達に誘われてお付き合いで入っていた野鳥関係のサークルの先輩の方で、 そのうちのお一人で私よりも若い方にはイヌワシに興味をもった当時のその頃、思い切って電話したことがあった。最後に「現在のダム建設の状況下で、本当にイヌワシの保護は護り切れるのか」と質問してみたのである。弱々しく「極めて、むずかしい」と言ったようにも記憶する。幾度となく「もっと勉強してください」の言葉を返された。
 判らないからうかがっているんじゃないのと思ったが、私は?権威に弱いヒトだから、本当に勉強はしていないので仕方なく電話をきった。「あ~ぉ、あのスガスガしかった風貌の持ち主も、精神のぜい肉がついたものだ」と思った。

 後日、ダム問題の方の先輩格に伺うと、その会は全国的に“御用学者”を排出している機関の由。そして、三人の委員中、あらかじめの根回しで即座に委員長煮おさまった某大学名誉教授さんは、あちこちのダムのおなじみさんとの由。な~んだ、環境学者のゼネコンじゃあないか。そして、これらの野鳥関係者の口ぐせは「もっと、勉強してください」とのこと。その方たちも言われたそうである。な~んだ、これまた不勉強なのは私だけじゃないじゃない。
 かつて、お若い日はプロミラー片手に山奥に入り、自然界と一体になった方たちじゃないですか。あのう、私だって入会した頃はプロミラーって何って思ったけれど、それが双眼鏡のことだって位わかります。(ために当時では会のお薦め品の高額のを清貧の父親を泣かせて買ってもらいましたよ)。
 そうですよ。この幾つかあるらしい野鳥関係の会員の皆さんや役員クラスの研究者の皆さんが、専門家の知力を駆使して、本気で必死の構えで、イヌワシやオオタカを保護する運動を起こしていたら、今日の開発行為や自然破壊にまで至らず、なにも絶滅貴種にまでおいこまなくたってすんだかも知れなかつたのに……。
 ホテル内・「つぐみの間」とかでの委員会の深々とした椅子に座って、(読んだ限りでは)生ぬるい意見のご高説をしている場合じゃなかったじゃないですか? 
 そしてこの時、第一回の1999年3月1日(月)開催の会議から~、すでに10カ年以上もの時がたっているんです。何をやったんですか、対策を読む限り、手をこまねいていたとしか思えないのですけれど……
 現実に作家・大江健三郎さんだって、あちこちのダムが完成したとたんにタカの類をほとんど見なくなったって書いているそうじゃありませんか。専門家の皆さんが気がつかないはずないじゃありませんか。

 でも、そこまでは責められないかもしれませんね。
 じゃあ、「お前は何をしていたか」と問われれば、自分とて同じく、自力で八ッ場ダムを止められたわけではなく、政変によって打ち出された中止の方向性にすぎないのだから。
 ただし、声高に「中止」を求めて来続けてきたこと私たちと異なるのは、ダムを容認し根本的にダム建設の過程でイヌワシ保護は無理なことがわかっていて、その中で「音をしないようにとしよう」とか、監視カメラの位置をうんぬんとか言ったってヌカに釘。にもかかわらず、言いわけ的な会議の場に諾々と臨んできたことの差ではなかろうか。

 ところで、今まで読んだ中では会議は3回とも夕刻、19時前後に開始されるんだけれど、夕食は? 宿泊はどうなっているんだろう。下司の勘ぐりで興味あり。配置図を見ると総勢何人くらいになるのだろう。

 さて、この会議録の辺りは面白いのだが、「ディスプレイ」だとか「とまり」だとかの辺りは、「勉強してください」と言われる通り門外漢。しかも理科系のことは極めて苦手な私には、飽きてしまって遅々として読み進めない。早く読了しなければ次に進めないのだが……。  


Posted by やんばちゃん at 23:39Comments(0)八ッ場だより

2010年01月05日

八ッ場のイヌワシ、それは死滅作戦か(一)

 寒い日が続く。
 今朝は初雪とまでは言い難いが、うっすらと淡雪が地面や車を被った。
 昨晩、欠けはじめたとはいえまだ明るい月に照らされ、立木の一枝さえも視界にとらえられるほど凍てた戸外をみやりながら、八ッ場のイヌワシに思いを馳せたものだ。
 ほとんどがひた隠し的散在だったが、八ッ場にもイヌワシはいた。
 そして、現在おそらく、早晩、「いた」と言わなければならなくなっている時がくることは想定範囲内に入ってきた。そのことが切ない。そのために急にイヌワシに集中し始めた次第だ。

 五年前の2005年末、情報公開でとったまま、ツン読状態だったイヌワシ関連の資料の山を、目下、必要に迫られて読んでいる。
 その年度までの全開示請求は通ったものの、大宮の関東地方整備局の一室で閲覧できた資料の主要部分はことごとく墨塗り。図面や写真は一面の墨塗り状態。
 確かに「行政文書開示決定通知書」につけられた附箋には、あらかじめ「今回の開示文書も《大部分が墨塗り》のページがあります。墨塗りページの開示を希望しない場合はご連絡ください」とは記されていた。
 おもわず、ヒト言多すぎる性分のおばさんは「皆さんも大変ですね。こんな作業させられて」と放ってしまったのだが……。こんな時には「あ~ぁ、こんな不毛な作業をさせられたのが、甥や姪じゃなくて良かった」と思うことにしている。もはや、「夫や子供でなくて」とは言えないのだが、本当に不毛な行為ではなかろうか。公務員になって良い仕事をしようとしているであろう有為の職員が泣く。
 でも、私はとりわけ念入りに墨塗りされたイヌワシの生息地のほとんどは、判読できるのだった。で、「ここは〇〇のことでしょ。次のこの箇所はね、〇〇山と呼ぶのよ。それからねここは」と。この調子で、コピーの必要カ所に印をつける作業中の単純作業中にも、手とともに口を動かし続けていたものだ。
 コピー金額も御蔭さまで当初よりもだいぶ安くなって、確か10円にはなったが、それでも全ページ取ったらかなりの金額になってしまう。それにカラー写真は倍の20円なので、調子にのっておいそれとは採れなかった。
 でも、高崎市内のホテルで行われた「八ッ場ダム周辺猛禽類調査検討委員会」の会議録だけは、全ページ採った。
 
 そんなわけで、読みながら念のため、字数に合わせて推測可能な地名を鉛筆書きで記す。まるでパズルを解くような読み方をしている。
 すると後半部に墨塗りをしそこなった箇所があり、思わず噴き出した。墨塗りの箇所と全く同じワンパターンの記述だから、その特定個所は簡単に解読できてしまう。
 もしかしたら、これは顔もしらない作業を命じられた公務員サマの予期せぬミスではなく、意図的なミス? それが抵抗感の表れだとしたら余計おもしろい。まさに「お主、よくやるわいな」式かと、想像たくましく勝手解釈。
 「雪の明日の裸洗濯」とは祖母の言葉だったが、日中は結構陽ざしが暖かく、細目にあけたガラス戸からの冬日を背にたっぷり受けながら、妙な連帯感を感じる一時とあいなった次第。
 今回は、この辺で。

  


Posted by やんばちゃん at 21:13Comments(0)八ッ場だより

2010年01月04日

移転者の皆さんに幸あれ

 遅ればせの年賀状の一通が「あてどころありません」と帰ってきた。最近は年賀状のみのご縁だった。もしかしたら電話が通じるかと直ちに電話したが、ダメであった。
 お一人で自宅で委託をうけた書籍を仕上げるフリーの編集者だった。一時、知人の仲介で、少しお手伝いさせて貰えるとの話もあったが、当方の事情で実現しないままに立ち消えとなって、そのまま疎遠になった。
 新宿御苑に面したマンションだったが、あの辺は開発行為はもうないだろうし、まだ建て替えの時期でもないだろうし、。
 出版不況の折柄、行き詰まってしまわれたのだろうか。
 そうしたら、どうされているのだろう。 田舎に帰られたのならよいけれど……、確か九州の方とか人づてに聞いていた。折からのホームレスのニュースに、お一人で世の中に執着心のない方だったから……、もしかしてとなどと失礼ながらチラつく。 

 もうお一人、レイアウト専門の印刷関係の方には、連絡のとりようがなく、今年はその年賀状も出せなかった。
 仕事を止める旨の連絡を受けた際に、教えてもらった電話番号のメモ書きをどこかに紛らわせてしまって、探し出せずに年越しをしてしまった。伺った電話番号を、きちんとノートに記しておけば良かったのだが……
 私が一時出入りしていた県内の出版社の印刷関係をして下さっていた東京の業者であった。印刷は下請けさんに発注されていたのだが、滞っていて支払えない代金を「内容が良いから」と自分の処のみならず、外注さんへの経費も建て替えてくださるほどの人の良い方で、ついに積りにつもった立て替え金が莫大な金額となり、昨今の不況下、倒産に至ったらしい。
 この方の通常感覚では考えられない善意のお蔭で、すでに断末魔をあげていたこの地方誌が続けていられたのである。確かに、並みのジャーナリズムでは掲載不可の社会の暗部をえぐり出す精力的な雑誌ではあった。
 何年か前、返済を求めて群馬に見えた時に、私はとうにその出版社を辞めていたのだが、やはり貰えなかったのかとその負債額の大きさに驚きながらも、快く駅からの車の運転をしてさしあげたことがある。
 良心的な仕事をなされる方で、感性も鮮やかだった。で、幾つか個人的な印刷もお願いし、お世話になってきた。
 「最終的には地裁に申し立てる」といわれるので、いかに経済面にに無知な私でも、さすがに「取ろうと思ったって無理ですよ。払う気持ちなどないと思いますし、お宅た゜けではないんだしたぶん払えないと思いますよ。このまま地裁に直行した方が良いと思われますよ。時間の問題となりますよ」と差し出がましくご忠告したことがあった。
 昨年の夏頃、ようやく倒産手続きを終えたというその最後のあいさつの電話中「若い日から、この仕事一筋できたんですよ。それが……。ただね、息子がね、お父さんは何も悪いことはしてこなかったじゃないか。社会が悪いんだよって言ってくれたのが救いです」と声を詰まらせられていた。
 活字離れの昨今、出版業界の不況は、好きな分野だけに辛い。
 何とかして連絡先の電話番号のメモ類を探し出し、来年の賀状は出したいとものと願っている。

 一方、あちこちに負債を残しながら、何度かの倒産の憂き目にあいつつも、記者魂の一念で突っ走ってきたオーナー夫婦は、
「会社には関係ない」と言い切っていた息子さんが買った今風の建売住宅に最高額の年金生活で暮らしている。その年金で私たち出入りのライターへの微々たる報酬も賄われていたわけであった。
 今は数多くの方たちへの月々の返済金に当てていられるのだろうか。だが、「年金は生活費ですからね。強制手段はとれないんですよ」と、借金返済の義務はなし的に語っていた奥さんの言葉が蘇る。
  
 このお三人達よりももっと厳しい生活力しかない私でも、こうして全てがいびつながら、今年も漫然と過ごしていられる。
 都会での生活と異って、地方では仮に現金がなくとも、有り難いことに周囲が親せきや知人なので何とか活路が開ける可能性がある。
 移転した水没地の方たちも集団移転したのなら、まだ地域の築き上げたつながりがあったろうが大半が個人事情で単独に転出している。わずかに中之条町の一角に集中して移転組の方たちのお宅があるらしいが……
 とりわけ借地人にて十分な補償金もないまま、新築移転など夢の夢で、都会に紛れ込まざるをえなかった方もいただろう。
 ある女性は「いくら、息子の家だって嫌なこともあったよ。最初は友達も出来なくってさ。病気になって入院したんだよ。どこも悪くなくてストレスだって言われたけれど」と語ってくださった。
 八ッ場から転出され、それぞれの地に根を張らた方たちの、今後の生活に幸あれと祈る、三ケ日明けである。  


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(0)八ッ場に願う

2010年01月03日

変わり行くであろう、八ッ場の保存食

 本ブログの立ち上がりの頃にも記したが、昔は店もなく雪に閉ざされた、八ッ場の女性たちは保存食づくりにことの外、たけている。納屋の一角には、使い込まれた漬物樽がズラリ。
 春先の山菜類、夏に取れ過ぎてもてあますキュウリやナスなどはもちろん、その家独自のご自慢の希少品がある。
 その豊かさがその家の豊かさであり、主婦の力量のみせどころである。
 女にとって、食料貯蔵庫歩もち、そこに食べ物をどっさり保存して、「さて、どれを使おうか」としばしの段どりに時と頭を使うのは喜びの至福の一時なのである。
 女性が役割分担として、家事を担うのは制度ではなく慣習ではあるが、誰しも、買い置きの束をうれえつつ、でも何となく安心感があるのは、家事を担う者なら、共通の灌漑であろう。 しかも、元材料のほとんどは、自分で近隣の野山に分け入り、またわが家の畑で採れたものゆえ、愛着もある。
 思うに、山里の漬物の旨さは、その家の主の思い入れが、愛情が多分に作用して、旨みをかもしだすように思えてならない。

 それらは、主婦業には縁のないこの私でも、少なからず味わう感慨である。
 そして、本日、貯蔵庫とまでは行かないが実家の大型冷蔵庫の一隅に、勝手においてある、私の即席保管庫の整理に行った。 
 すると、始めて、真竹の塩漬けに成功していた。ゆでた時の感触のまま腐らずにあったのだ。 ああ、暮れのうちに気がつけば正月に使ったのに。
 これまでは八ッ場でもらってきた長くて輝く肌あいの見事なキュウリを近隣におすそわけするのにも、郡部のわが家周辺では、どこの家でももて余すのがこの時期の通例で、「やだぁ、うちでも貰ってもらいたいくらいだよ」と言われるのがオチ。町場の知人宅まで持って良くの時間もないし、遠くの親せきに宅急便で送る程のものでもない。
 そこで、何年か前には試みたことがある。
 期限切れの販売不可の醤油が一杯あったから、まずこれに漬けてみた。残暑の暑さに耐えられず、とろけてしまって見事に失敗。塩漬けしたのも然り。懲りずに何度かやってみた。いずれも不可。主婦業同士のつながりもないから、ノウハウを聴く機会もない。それに今や、女性たちも勤めているし、安価にスーパーで賄える。そんな保存食づくりに精は出さない。いつか、伝統食を造る材料を持って行ったら、私よりも年上の方に「いいよ、スーパーで買えばすむんだから」と断られてガックリ。
 確かに、子供の頃から漬物や保存食を旨いと思ったことはない。大樽に祖母が作った味噌はカビ臭かったし、タクアンや白菜漬けは古くなると水出しして油でいためたのを食べさせられたものだ。
 結局、忙しい時間をやりくりしての手間暇がムダ。最近は止めた。
 
 ちなみに私はものが捨てられない性分である。
 幸い、キュウリを大量にくれた方も年々、歳を取られて自家用だけになってらしく戴けなくなった。が、わが家のチビた真竹は悩みの種。
 大した竹藪でも広さでもないのだが、四月末~六月末まで、孟宗竹から始まり、黒竹、そして真竹には特に悩まされ続けてきた。この細い真竹が問題。太いならともかく、他人様にあげるのには気がひける代物。それでも、人さまの戸口におそるおそる立つ。「食べて貰えるかねぇ」と。わが家にはまだ極細のが残っている。夜、これを湯で、前の晩のを向いて調理。味をつけて冷凍保存にしてきた数年間がある。
 汗みどろになって体力を消耗しての二時間近くの格闘。その後の配布先処分の手間。毎年バカにならない。
 そして、ついに昨年は実家の大型冷凍庫が壊れ、小さめのに切り替えられ、「余分なものは入れるな」と宣告された。
 もの置きに眠っている旧式のアイスクリーム用冷凍庫を稼働すると、電気代がバカにならず、もったいない。かくして、味付冷凍保存は利かなくなった。 (それでもここ数年はある方法を考え出したが、長くなるので割愛)。
 
 竹の切り口に塩を詰めると、いつしか全滅するとのことだが、そんなムゴいことは出来かねてきた。
 しかし、昨夏はボランティアでの休耕地の草むしりと相まって、五キロも激減。限度と考え、「もうできないよ」と弱音を吐き、初めて弟に伐採を命じた。クルミを拾いに行った秋口、いつの間にか切り払われていた桑の木の大木などを見て、ワァッとおもったが懸命にこらえた。いつもなら、「なぜ、切ったのか」とここで姉弟げんかがはじまるのだが……。
 
 そして一昨年の夏というか秋口、八ッ場でお茶受けに頂いたキュウリと生姜の千切りの甘酢漬けの旨さをほめちぎりながら、この家の奥さんに保存方法を聞いた。気候が極端に異なるが、何しろ塩をたくさん使うこととのこと。それに尽きる由。
 で昨春は、ダメだろうとは思いつつも実験的少量を、失敗作の倍の塩づけをしてみた次第。その試作品が色ツヤ失わず、冷蔵庫のなかで持ちこたえてくれていて感動もの。
 為に、しょっぱいのなんの。そうそうと思い出したのが「水出し三日」の言葉。水道の蛇口で勢いよく洗い出し、アッと思った、この塩は「高いんだよな」と。塩はとっておいて青菜をゆでる時に、使っても良かったんだと、ケチ精神の本領を発揮。
 現在、水につけてある。 保存食は、ケチには出来ない。
 
 ところで、八ッ場周辺にも大型スーパーが続出。
 「漬物なんか買った方が安くて世話がない」という若い女性たちや、 私と同じく漬物下手な女性たちの時代となった。

 ※三ケ日のゆったり気分で、またも私ごとを備忘録的に長々と記してしまいました。お許しを。  
   


Posted by やんばちゃん at 23:37Comments(0)八ッ場だより

2010年01月02日

八ッ場よ、平穏なれ

 初夢を見るのは、本日の夜なのか、それとも1日の夜なのか定かでなくなった。で、久しぶりに辞書を引いた。
 良かった。まだ間に合う。現在では今晩2日の夜だという。昔は元日の夜だったそうである。夜といっても、明け方に夢で目覚めることが多いのであるから、初夢も明け方になるのだろうか。
 これまた良かった。実は今朝、すなわち2日の朝、幾つか夢をみたのだが、どれもおぼろで息苦しいものだった。寝ざめの床で、混沌とした八ッ場の状況のようだなと思い当たった。で、困惑してしまっていたからだ。
 で、ほっとしている。今晩はまさしく縁起の良い夢をみたいものだ。

 それにしても、昨晩の月はまん丸で煌々と輝いていた。正月ってこんなに満月だったろうかと、不思議であった。私には星座のことも月の変転もこれまた無知に近く定かでない。
 居眠りしてしまって昨夜というより夜更け、もう少し干しておこうと思っていた洗濯物の幾つかを、昼間取り込むのを忘れていたので、夜半過ぎ、寒さをこらえて庭に降りた。隅々まで照らすような明るさに虚をつかれた思いであった。
 今朝方、すっかり初夢の日と思い込んでいたままに犬の散歩にでると、西の空に白っぽい満月がそのまま、まだかかっていた。

 わが八ッ場の生活再建が本質的に進んでくれることをひたすら願う。生活再建≒残事業ではない。地域の明日のたつきがしっかりと経つことを意味する。
 願わくば八ッ場よ、昨晩の満月のごとくに煌々と輝き、そして平穏なれ。  


Posted by やんばちゃん at 20:55Comments(0)八ッ場だより

2010年01月01日

金のなる、ダムと言う名の木

 新年、おめでとうございます。
 昨日に続く今日で、どこがどう違うというのではありませんけれど、やはり心持ち気持ちが引き締まりますね。「いやしけよごと」がどっさりと訪れることを、人並みにのぞんでやみません。

 さて、正月から勢いよく切り込んでみてもですので、拙著『八ッ場ダムー計画に振り回された57年』から、部分転載を。
 揶揄加減の文章なので、囲み記事風にして字体も変えてあります。末尾に「つつましく生きる一市民の繰り言」としたのですが、初版時の編集者たちから「削除した方が良い」と言われました。
 知れば知るほど犯罪的なダムの構造的カラクリに、やけっぱち気味な独白です。
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  P202   第二部 いらない! 八ッ場ダム
   第15章  問う、逆説・まやかしの論理(一)
             ---自然と共生できるか、ダムを造りたい人たちよ
 
  【注】 文中の年代などは2004年時のものです。

 この国には、ダムという名の木がある。未完成のものだけでも、その数約三〇〇。
 ひとたび植栽されたら、絶対に枯れず、金のかかる始末の悪い木である。こんなことにもと思うところにも大金が費やされ、足りなくなれば増額につぐ増額でいくらでも出せるという、造りたい側には、極めて好都合な“金のなる木”である。
 本当に治水・利水が必要で、急を要する施設なら、さっさと突貫工事で仕上げれば良いのに、なにやかやと不必要な枝葉を次々と広げて、名目をつけては“事業”とやらを発注する不可解さがある。ダム工事の事業とは、なぜ、かくもPRが必要なのだろうか。
 さらに品物をくれたり、無料で水没民に自分史を書かせたり、次々に新しい企画を考え出す。しかも、ダム事業が始まって以来、大手ゼネコンを先頭にこれら関係諸企業はあちこちのダムを渡り歩いてきた、同じ顔ぶれの面々である。まさにダム建設企業ファミリーではないか。ために地元企業にはうまみがない。
 従って、実がなり、熟れて熟すまで慌てず騒がずで、田植え時の水田じゃあるまいし、ファミリー全体の隅々に仕事が行き渡るまで、いろんな名目の発注を行い、容易には完成に持っていかないのが通例。
 いかに水に関する利水計画とはいえ、田んぼに水を張らせるのとは、ちーいっとわけが違うだろうに。
 茂みの中は専門外の部外者には直視できず、分からないから、情報公開が普及し出すまでは日本の国内にありながら治外法権国家に似ていた。しかし、今でも仮に面倒な手続きをして、手間隙かけて情報公開なるものを採っても、「個人のプライバシーにご迷惑をおかけしては」とここだけはもっともらしい人権感覚で、肝心要の部分は墨塗り。敗戦直後の国定教科書を思い出させる代物。納税者の権利には考え及ばないらしい。
 そして、何かにつけてあたかも、「とってもいいことしているんですよ」の精神を振りまいて子どもたちをまきこんだ、ミエミエのことをする。

 ある関東地方の県境のダムの場合、なんと今年で五二年目に突入。長さも金額も日本代表どころかギネスブックにものる勢いである。
 進入路工事はほぼ完成。付替道路や代替地に着手し始めた今や、自分たちが壊した環境問題に目を向け出して、あたかも「とっても良いことしています」的に環境部門に精を出す関連財団があるのだ。この新手の環境集団はやはり、予定稿通りにこのダムにも姿を現しだした。厚顔無恥の“厚顔”とはこういうことかと得心する。

 ところがこの頃の不景気風に煽られ、ちょっぴり葉っぱの裏が見えた。どうやら、肝心の資金がついに続かなくなっているらしい。
 何よりも木にはその生えている土壌の質が大切なのに、このダムの地形は、有名な地すべり地帯。ある代のある正直な職員は「こんな所にダムを造るべきではない」と漏らしたそうである。しかし、その後は一切、そんなことは微塵にも匂わさせない。
 いまだに「安全性について、心配には及びません」と胸を張る。しかし、地すべりが懸念されていた奈良県・大滝ダムでは、試験湛水してみたら心配が現実のものとなり、二〇〇三年一〇月には地すべりが起き、直ちに水を抜き、移転の必要のなかった家まで、移転の騒ぎになっているではないか。
 もし将来、ダム湖畔の家々と住民がそろって、ダム湖にドブーンとなったら、誰がその責任をとるのだろう。この国始まって以来、公務員には仕事上での責任はなく、裁判起こしても負けるのは大方の場合、住民の側だそうであるから、やっぱり、こういうことに声を大にして反対しなかった水没当事者と、いわれるままにというか、気がつかずに国税を黙々と払い続けた国民だろうかね。しかし、住民の意志というより、保守政権の構造にがんじがらめにされていいなりの都県の首長判断なのだ。市民運動の寝食忘れての応援でかろうじて、めでたく当選したとたん、変わり身早い“裏切り知事”となる者もいるご時世である。
 しかし、この間の折衝ごとに出されるお茶っ葉一つから接待だ出張だと称する費用も、尊い国民の税金でまかなわれるのだということを承知しておいてほしい。
 五〇年間のムダ金の集積と今後の事業費を足した、このダムの事業費総額は四六〇〇億円。その他の負担や利子まで計算すれば、八九〇〇億円。誰がこの金払わせられるのだろう。子孫たちは、この先どうするんだろうね。   


Posted by やんばちゃん at 20:10Comments(0)八ッ場だより