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2010年10月13日

推進にむけた要望に、うなづく三井副大臣

 


 



本日13日14時半からやんば館で、「あいさつ」に見えた、写真の三井国交副大臣と津川政務官を囲む懇談会が開催されました。
 これ以前に現地案内があった模様でした。
 体系的なまとめは、明朝の新聞記事をご覧ください。
 当方はもあいもかわらぬ予断と偏見にみちた、自分なりの感慨を。なお、メモなしでの記述ですので、微妙なずれについてはご容赦を。

 冒頭あいさつの中で、三井副大臣は、「現地を案内してもらって良かった」旨の挨拶語にしては、思い入れのあるニュアンスの発言をしていました。「生活再建も検証もスピードを上げたい。見れば見るほど、聞けば聞くほど地域の実情が分かった」と言う発言もあったのでした。工事現場の進捗度をみせて、前原逆襲をはかった手と同じだと感じた次第です。
 大沢知事や高山長野原町長のくりだす、①民主党政権への批判、②生活再建策の早い実現、③予算執行のために22年度予算のすみやかな手続きなど一言一句に、大きくうなづく、特に三井副大臣のしぐさが妙に気になりました。
 とりわけ、「老舗旅館がどんどんつぶれていく。生活再建は急いでほしい」旨の発言や、「急げ急げ」の語句には、三井大臣の首の揺れが大きくなっていた。
 ……首を振ったからと言って、「やる」という言質とはならない。
 うなづかれてほっとする場面と、「そんなに大きくうなづかれちゃ、困るのよ」の事態が交錯して、一種微妙な感じ。
 でも、ぶら下がり会見で「今日は町民はなぜ参加しなかったのか」の問いに高山町長の廻りくどい「町にあいさつにみえたのだから。町民にあいにきたのではなく、あいさつにみえるというので」という説明があった。何かの機会にテープ起こしするつもりだが……
 だから、本日は「あいさつ」のみのハズ。確かに、いちども安請け合いはなさらなかった。
  
 そして、下記写真のすぐ後ろの席から副大臣にささやく側近の人物が、影のご指南役=実力者のようにお見受けした。
 
 最後に吾妻郡選出の県議が言及、要望的発言を行った。何やら“NHライン”と呼ばれているらしいお二人であった。当方、詩人・伊藤信吉さんにならって、“吾妻郡烈風ライン”と名付けたい。もうお一人、地元も地元の県議がいらっしゃるのだが、この方、なりをひそめている。第三の新人となってくれるだろうか、その動静にちゆうもくしているが、気配さえ伺えない。
 最初の県議が、詰問調。続くこのもう一人の県議は、柔らかく、現在はやりの文系型議員風の繰り出し方であった。ソフトで好印象を与える嫋嫋とした語り口は、巧みだなぁと思えた。というより得だなと思った。
 若くてりりしい好青年タイプの津川政務官が初々しく、「後ほど教えてください」と繰り出す以前にも、確か、この方の身をのりだしての示唆があったように記憶する。
  




 さて、大沢知事は例の、「負担金留保」問題にふれ、「国が検証の上、白紙撤回してくれれば、いつでも払う用意はある」的な発言を、前のめりになって、まるでかけ引き調の声音で投げかけました。
 これ、私たちは裁判で「公金違法支出」を争っているわけです。で、違法にあらずでの仲間内裁判で勝訴したと豪語しているのにかかわらず、現在、ストップ。
 次回の裁判で、この辺りは争点にもちこめないでしょうか。
 どなたか、この辺りを整理して、整合性のある論理の組み立てをしてくださる方はいらっしゃらないでしょうか。投稿をお待ちしています。
 
 【終了後のぶらさがり会見でこたえる大沢知事】  


Posted by やんばちゃん at 23:51Comments(0)八ッ場だより

2010年10月12日

再度、16日のお知らせを

 本日も暇をみては、16日に迫ったイベントの広報に歩いております。
 もう一度、本欄に掲げて、皆様のお力添えをあおぐ次第です。
 



 それにしても、民間のイベントチラシを置いてくれる機関が少なくなりました。かつてのⅠ時期の“市民運動のオンナ⇒オバさん”の過程で、置かせてくれていた公共施設でも、現在、許可されるのは各行政がらまりのもの。それ以外は審査のうえ許可されるか、またはその会場を使用する団体のみなどと厳しくなっていました。
 ま、考えれば当時も反天皇制や裁判物はきびしかったのは事実ではありました。地域でやっていた「しゃべるん兵衛」などは、県の機関の茶室までかりられましたが……
 今回、れっきとした県の施設、群馬会館がかりられただけでも良しとしています。7~8つ問い合わせて、皆ふさがっているか断られ、最後に空いていたうえに、あっさりとOKになった会場です。でも、当方は番号を問い合わせした県庁からつないでもらったのが大きかったと思っています。

 その上、マスコミ筋も、一向に記してくれる気配なし。記者クラブに投げ込みをした上に、顔見知りの記者には依頼してみたのですが……
 それほど大きな意義のある会でもないのは、これまたわかりますが…… 
 思いだすのは、いつぞやの田植えイベントの際に訪れた、ある支局でのこと。
 「八ッ場」と感心を示されて振り向き、次にチラシを一瞥し「田植えですかぁー?」と声を落とされた。次に「高邁な志はないんですか?」と繰り出された。思わず「ココロザシはあるにはあり……」まで言って飲み込んだ。
 仕方ない、ここでココロザシの中味を洗いざらいしゃべるわけにはいかない。
 「あ、忙しいんだったっけ」とおっしゃって、席を移された。どうも全体の感じで、その支局に常駐の方ではないらしかった。この顔も知らない記者だかデスククラスの方なのか、それともたまたまそこにいられた援軍の記者なのか不明だけれど、内心“八ッ場人気”にあやかったオバさんが、便乗して呑気に田植えでもやらかすのだろうと思われても仕方ない。
 あまんじてこの屈辱をうけよう。しかし、琴線をつかれて、今に至るまで後味が悪い。
 以来、数度となく、あの精神的屈辱場面は、浮かび出る。理論て国に一矢報いるのもまた結構。
 だが、それと同じくらい反対市民が八ッ場の土地で、神聖な田の田植えを行うには、長年の信頼関係と地元の方たちの並々ならぬ配慮と支えがないと位置づけられないのだ。確かに「高邁な志」にはほど遠い低さではあるにはあるが……
 八ッ場の混沌とした状況を知っていられる、前線の記者さんたちなら、間違ってもおっしゃらなかったろう。

 8月のうちにほぼ決まっていたことなのに、いつもギリギリ直前にならないと動けぬ性癖の困ったオバ゙さんです。
 資料代と記したのだから、きちんとして資料を用意しなければならないのですが、連日、目いっぱいで余裕なし。しかも残る3日間、朝~夕刻まで日程ばかり。
 明日13日  ダメでもともと副大臣来町の八ッ場へ
 翌 14日   県議会「八ッ場ダム特別委員会」
    15日  東京高裁に出向き、進行協議の場に原告として参加
 そして16日  本番のイベントと続く。その朝も、8時半集合の女性問題関連の一大イベントあり

 家の周りでは,採らないともう色が変わって落ちてしまう山椒の実や、固くなってしまうシソの実など、どれも採取が必要な状態。
 何よりもくだんの田植えの時に、あまった稲苗がもったいなくて、一箱もらってきて植えた「嫁入り八ッ場米」も刈らなくてはならない。もう、周辺の田は刈り取られてここだけで、ほんの少しづつ、2枚の田の隅に実っているのが目立って仕方ない。
 それこそ、通るヒトたちから、「変わったことやるオバさんだ。おかしくなったんじゃないか」と思わぬ憶測までうみかねない瀬戸際にある。急がないと次の工程のモミすりなど、ついでに一緒にしてくれると親切に言ってくださった近所の農家の方の作業にさえも間に合わない。
   


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)八ッ場だより

2010年10月11日

なんと、政信さんがわが家へ

 
 なんと、昨日はうれしいお客様がありました。
 皆さまに書籍のことでお世話になっている、篠原政信さんが、突如、わが家にみえたのです。
 二つのメーリングリストに投稿させて戴きました処、皆様からご注文を頂戴しました。
 おかげさまで8日の日に預かってきた書籍では、足りなくなった上に振替口座の用紙も必要になり、連休中に取りにいかなければならなくなったのです。
 朝、連絡しますと、もしかしたら今日は著者の中野さん宅に行くかもしれないとのこと。で、それではどこかでおちあって受け取ることになりました。当然、私が渋川方面に出かける心づもりでいました。
 いずれにしても、午後になるそうなので、急いで予定していた伊勢崎市の古民家で開催中のステンドグラス展を観に友人と行って、昼すぎの早い時間には帰宅。待ちあわせに適した指定の場所まですぐさま駆けつけられるように、待機。秋晴れの暑いくらいの陽ざしの中で、運転大丈夫だろうかの杞憂と、めずらしく“男性”との待ち合わせなので、なんとなく心浮き浮き。
 ※(本来は、昨日記したかったのですが……、結構、いろんなお立場の方がご覧戴いているようなので逡巡。それにご本人にも6断りしてからでないとためらってました)

 待つことに耐えられないせったかちな当方、すぐ出かけられるように身支度をしなおすや否や「どうなっていますか? 出かけて来てるんでしょうか?」と携帯に連絡。すると、意外や意外、もうわが家の近くにきているとのこと。
 (この間のわが家にたどり着いてくださるまでの顛末は末尾に)
 


 なんと、オープンカーで現れたのです。
 数年前、選挙ごとの時に、お世話になっている長野原の方たちの代表として政信さんとAさんとBさんが、野菜やお米をドッサリこん積んでお出で下さったことがありましたけれど、事務所の方に直接、お寄り頂いたので、わが家に上がって戴くのは初めて。
 まさかの来訪に、歓待の意味でうわずってしまつて大騒ぎをする私に辟易したらしく、「おおか、でっけぇ騒ぎするなよ」と門口で、書籍送付に必要な振り込み用紙などを手渡すと「帰る」そぶりをみせるられたので、「あがって、ね、あがってくださいな。お見せしたいものがあるんです」と上がって頂いたのでした。
 そして、パソコンの前にご案内。といっても、わが家は食卓の端にパソコンがあるのですけれど。
 急いで、ご注文頂いた皆様方のお名前を、直接ご覧いただきました。なお、振込用紙一式を政信さんが届けてくださったので、本日、無事に発送できましたことをご報告いたします。
 そして、パソコンの前に座って戴いて、本欄のご自分の写真も観て頂きました。
 しきりに悔いるのは、この時、パソコンの前で、ご自分の写真に見入っている、この場面を写真かビデオに撮っておけば良かったなと。

 上の写真は、ほどなくお帰りになる時に、県道に出る道順までご案内したのですが、道筋の古墳群の周りのコスモスが今、見ごろなんです。で、ちょっとと思って、駐車場に先導したのでしたが、その時間なしとのことで…… 
 でも、ようやく、この記念すべき日のスナップを撮ることをひらめいて、お願いしたんです。でも、あぁ、一緒に撮ってもらえば良かったのに!! これまた残念。
 83歳にして、オープンカーなんて。オープンカーは政信さんの若い日からの夢なんだそうで、確か77歳の頃、ご自分へのご褒美として購入されたものでした。
 写真背後の絵看板は、当地のボランティア団体「はにわの里応援隊・はやて」(代表・当方)が4年ほど前に、村づくりの補助金約30万円をもとに設置。右手には手作りの周辺の見どころチラシを置いているのですが、もう数日来尽きてしまっているのです。無いのがわかってもここの処、時間に追われて補充できず、本日、ようやく入れて補ってきた次第です。大工さんにも看板屋さんにも限られた予算でご迷惑をかけたものでした。その前の年には、村内のあちこちに盾もち人ハニワをあしらった道しるべをたてました。
 わが家の周辺には、5~6世紀の特徴ある高度の古墳群が三基あり、「はにわの里」と呼ばれ整備されています。
 とりわけこの時期は、二子山古墳と呼ばれる、冒頭のコスモスの向こうに見える墳丘の廻りに、住民のボランティアで咲かせてきたコスモスが咲きだします。大輪の良質のコスモスが、墳丘部に植栽された小熊笹の濃いグリーンに映え、それはそれは麗しく心洗われる美観をかもします。 このような古墳の整備は、文化庁でも初の試みとされてました。
 真ん中の写真は、駐車場をでて、渋川市に向かう、わが政信さんの雄姿です。毎回、写真は強い口調でね「魂を吸われる」とか時代錯誤なことを言われて、強く拒否されるのですが、構わず撮っているのです。末尾に記した目的があるからです。

  ーー 政信さん、わが家に到着するまでの顛末記ーー
 「はぉ、アンタ家の近くまで来てるんさ」。
 「えぇ、私が、渋川まで出かけたんに。無理なさらなくていいのに」。前述のように、二度ほど陣中見舞いに見えてくださっているが、その時の運転はBさんだった。わかるかしらと心配でならない。
 「じゃあ、そこにいてください。迎えにいきますから。何か目印になる建物は?」と問うと、挙げた建物は二つの幹線沿いにそれぞれあってどっちの店舗なのか不明。すると、「いいよ、何とか行くから」とおっしゃる。
 それにしても、本当に心配でならない。
 急いで、合間合間に玄関と庭先を掃き、部屋の中を慌てふためきながら片づける。
 でも、長過ぎる。……おかげで、ある程度の掃除ができたけれど。
 再度、かける。「迷っちゃったみたいだい」。それはそうだろう。周辺は戦国時代の名残りをとどめる迷路のような道で、知られている地域なのである。
 「じゃ、何か、目印は?」 幾つかおっしゃるが、見当がつかない。どうやら、行きすぎているらしい。
 「とにかく、動かないで。今、探しにいくから」とつげると、 「あのさ、弟さんの店の電話番号、教えない」「今日は休み。でも、その辺でも店の名前、言えば分ると思うから。でも、とにかく、そこにいてください、探しますから」というと、「あのサ、ナビがあって、電話番号あれば、案内してくれるんだよ」とおっしゃる。
 おもわず、「ええ、スゴイいんじゃない」と驚く。当方は持っていないし、ホントにナウいよ、政信さんは。
  「……篠原さん、もしかして今日、オープンカーで来ているの」と尋ねると「ウン」とのこと。
 さっきから、紅葉マーク付きの愛用の軽トラでみえるものと思い込んで、時折り、通りに出ては、軽トラが通るのを待っていたのだ。
 「あのさ、煩くってしょうがねぇから、ハァ、電話かけないで頂戴、ナビがちゃんと連れて行ってくれるから」。
 
 電話といえば、夏ごろ、暑いのに首から何か下げているのに気がついた。
 「何ですか、それ」。しまったぁという顔をなされた。「あぁ、何でもネェンだよ」ととぼけて首を廻される。やや太めのそのひもには、良く見るとNTTの文字がいっぱい入っている。紐の先は、胸元のシャツのポケットに収まっている。
 「それ、ケイタイ?」と問うと、「バレたか」といった表情で照れている。でも、否定はなされない。「ちょっとごめんね」と胸元のポケットに入っている紐に手をかけてひっぱりだすと、やはり、ケイタイ電話がでてきた。
 「何だ、持ってたんですか?」と。タク、もうと思う。
 政信さんに連絡とるのは至難のわざで、関係者にはつとに知られている定着した話なのだ。いくら電話しても出ない。ルス電になっていればまだよいけれど、それもまちまち。「俺はネ、電話の前に張り付いていられるわけじゃねえんだよ」。確かにご明答ではある。
 お一人暮らしだから、いらっしゃらないと、どんどん心配が募ってしまうことがあるのだ。恐らく、当方と同じく連絡ごとに難儀されている上に、ご高齢の身をきずかっている娘さんたちが、持たせたのであろうと推測している。
  「あんたには、持っているって言うと、ショッチュウかけられてうるさくてしょうがねぇし、仕事にならねぇから。教えたくなかったんだよ」とのたまう。 
 そして、最後にとどめの言葉「俺はね、アンタみてぇな暇じんと違って、忙しくてならねぇんだよ。これからだって、まだ消毒しなけれりゃ、ならねぇし、〇〇にも行ってこなけりゃだし、しきれねぇくれぇ、用があるんだよ」と。
 確かに夜7時過ぎに犬の散歩に行かれるまで、このお年でびっしり仕事がある。それから夕食の支度などだから、大変なのはよくわかる。
 その超忙しい方が、いらしてくださったのである。大喜びしない方がおかしいではないか。
 本当に、今日は、かのケイタイが役立つ日となった。
 以来、ず~と教えて貰えてなかったのだから、何となくシャクだけれど、探し回ってもどうしても連絡かない時には、メモをたよりにかけてみる。三回に一回は通じて、連絡がついて、ずいぶん緩和された。

  「じゃあ、ゆっくり気をつけて来てくださいね」とは言ったものの、ずいぶん、手間がかかっている。
 お蔭で、ここの処、ほとん掃除がてきないで散らかし放題の部屋を手短かに整え、ざっと、掃除機が掛けられた。
 簡単な飲み物も用意できた。そうなると、余計心配になってきて、道路に出て、どっちの方角から見えるのか、あっちこっち見回す。 
 来た来た、ゆっくりノロノロ運転に近い。
 そうだ、ビデオだビデオだ。とこの時は、たぶん、到着なされるなり「忙しい。帰る」を連発なされるであろうからと、心づもりしている。そのご雄姿を撮る余裕があった。
 ダム反対の者は、どっかの地元情報検討業務だか、なんだかの国の費用による記録映画では収録できないとか、何とかの言質がある。だから、政信さん始め、お付き合いさせていただいている方たちの記録は、嫌がられても煩さがられても、私設応援団的民間ボランティアが記録させていただく所存だ。
 それらの皆さんのお元気なうちに、上映会を行いたいが、当方、撮るだけで、撮れているのか、使い物になるかさえ、定かでない。どうにすれば、確認できるのかさえ判らないのだ。
 いつか、プロの方が廻しているのを観たことがあるが、ゆっくりゆっくりだった。私は生来の早口に同じく、猛スピードで撮ってしまうから、ダメかもしれない。政信さんのスローな運転とスピード違反も甚だしい当方との運転技術の差にも似通っている。  


Posted by やんばちゃん at 22:57Comments(0)八ッ場だより

2010年10月10日

「コンクリートから人へ」の行方

 
上の写真は、 「コンクリートから人へ」の行方 「都市問題」公開講座ブックレット20 
 去る5月29日(土)の本欄にも記させて戴きましたが、この日、(財)東京市政調査会のパネルディスカッション「コンクリートから人に」にパネラーの一人として参加させて戴き、「八ッ場ダム」問題について、拙論を訴えさせて戴けました。

 基調講演は仙谷由人さん(当時は国家戦略担当大臣)
 他のパネリストの皆さんは、池上 岳彦(立教大教授)
                 片山虎之助(元総務大臣)
                 森  民夫(長岡市長・全国市長会会長)
                 新藤 宗幸(千葉大教授 司会)
 9月中旬過ぎ、ブックレットとして刊行され、現在、書店に並んでおりますので、ことのついでにご覧願えましたら幸いです。
 また、書店にない場合で、必要な方は当方にもありますのでご連絡戴ければ、お送りさせて戴きます。

 題名:「コンクリートから人へ」の行方 「都市問題」公開講座ブックレット20
 発行: 財団法人 東京市政調査会 定価:  476円+税=500円 頁数:  69頁
 送料:  サービス
 代金支払方法:書籍送付の際に郵便振替等の用紙を添えます。
 連絡先:spq272s9@rondo.ocn.ne.jp 

※(財)東京市政調査会は1922(大正11)年、当時の東京市長・後藤新平によって設立されたものです。
  


Posted by やんばちゃん at 19:44Comments(0)紹介

2010年10月09日

再度、篠原政信さんの本のご紹介


 皆さま、昨日掲載の写真よりも、こちらの方がよいでしょ!!
 昨日8日の篠原政信さんの笑顔です。
 これぞ、わが政信さんの笑顔なり!!

 初期の反対期成同盟の活動が、リアルに描かれています。
 また、当時1950~60年代の中之条町、高校、川原湯温泉駅、そして、篠原政信さんを御存じの方にとっては興味深い一冊です。
    ? 定価  1500円
    ? 送料   サービス
    ? 注文方法は、左記へ spq272s9@rondo.ocn.ne.jp  または027ー373ー5672へ。携帯090ー2910ー4722
    ? 支払い方法は、篠原さんの口座へ直接、お支払い願います。
   
          番号などは本の送付の際に明記します。
 
 さて、上の写真が、晴れて公開となった問題の本。光っているのは光沢で濃紺色1色の地に2号橋が掲載されています。
 221頁。グラビア写真には当時の貴重な写真が10頁にわたり掲載。
 当時、一緒に知恵をしぼり、ともに汗を流した関係者の写真もご遺族からお借りしたそうで、掲載されています。一種の追悼の書ということです。
 お読みになられた方は「おもしろい」とおっしゃってくださってます。
 現に、往路の途中にある、拙著も置かせて戴いていた書店のオーナーさんに、前回の八ッ場行きの際、立ち寄らせて戴いて「お読みくださって、よろしかったら置かせて戴けますか?」と打診し、手元の本を貸出用として置いてきたのでした。
 昨日、出がけに「どうでしょうか」と問うと、「ご親戚もふくめて中之条高校時代のことも、知っていたのでなつかしかった。おもしろいですよ」と、快諾。篠原さんに伝えて、帰途、立ち寄らせて戴きました。で、勇気を出して、もう一軒の書店にもお願いしてみました。
 実は、行き違いにてか流通経路を持たない出版形式になってしまったことも、気落ちしている一つなのですが、「玄関に積んでおいたって、どうしようもないよ。出来たものはさばかなきゃ」と、どんな場面でも、人呼んで「ハッパ掛け係」と言われてきました当方、先日来、篠原さんをしきりにハッパをかけています。ために、発送・PRの雑務を担う次第です。
  ですので、皆さまにおすがりせざるを得ません。

 ここから、先はどうでもいい、備忘録。でも、政信さんのキャラクターが浮かびあがります…… 
 昨日は篠原政信さんが、6、7日の2日間かかって、汁田というか、水が入っていて機械刈りが出来ず、残しておいた稲穂を、無事にハンデエにかけ終わった処に、到着。
 何やかやと始末しなければならず、昼過ぎに家をでたのだから仕方ないが、手刈りで刈った稲穂が田に散らばっているのをとりたかったのにと、残念。
 仕方なく、今年はもう使用しない刈り取り機を田から軽トラックに上げる場面を撮ろうとしていると、畔から道路にあげる処で悪戦苦闘の模様。難度が稲刈り機が横転しそうになった。 すると、「人が苦労している処なんか、撮るもんじゃネェゾ!!」と一喝。この日、最初の罵声をお見舞いしてしまった。
 当方は、何年か前だったら、軽々と移動出来た機具なのに、ご高齢の身で苦労している様を写したつもりなのに、ご自分の屈辱な場面を採られたと思われたらしく、「意地悪なヤツめ」と思ったらしい。
 初めての方ならびっくりしておじけつくことと思ったけれど、10年余のおつきあいだから、もう慣れっこ。言いわけもしないでケロッとしていた。
 すると、アルミ製のハシゴ状の農具を取りにいかれ。無事にトラックに積めた。
 続いて、汚れた農機具類をしまうために、排水設備のある農産物直売所でホースで洗っているところにまで、このにわか取材班は追っかけ。
で、昨日掲げた9/17の写真では、この若者顔まけの元気な姿が感じられないので、写真の撮り直しが閃く。
  我は、悩み多き“労農ハムレット”なり 
 昨日の写真を掲げたブログを打ち出し、事後承諾をかねてお見せしてはある。
 あの日は廻り刈りに使う、稲を縛る藁をしごいている処に出合って、「それどころじゃネェよ。俺は忙しいんだよ」と忙しいの口癖語をおっしゃるので、「じゃ、ちょっとだから」と撮った写真。
 この日も「いいよ!、写真なんか」のいつもの罵声は受けたけれど、でも、悩みごとが一つ一つ、クリアできていくらしく、いつもながらのこんな笑顔をみせてくださったのです。
 まさに、悩み多き、“労農ハムレット”の形相でした。
 電話をかけると「そっとしておいてくんない。俺は今、頭がいっぱいだったんだから」と電話をがシャリの日々が続いていたのでした。
  見て、くださいな。あのうかぬ顔。仕方なしに本を手にしているうかぬ顔を。
  そんなこんなの状況もありましたが、何といってもの決定打的は、皆さま、二つの写真の違い、わかりますか? 
  (それは、〇〇を入れていなかったんです)
  対比のために、前の消そうと思ったけれど、そのままにしておきます。  


Posted by やんばちゃん at 09:34Comments(0)八ッ場だより

2010年10月08日

地元民の書籍刊行。初期の反対運動、如実に再現



【去る9/17 稲刈りの準備に余念のない篠原さんに、ムリやり本を持たせて撮ったスナップ】
 この方は長野原の林にお住まいの篠原政信さん。
 初期段階の反対運動水没地区選出の委員長たちの集まり、俗に“6人衆”と呼ばれた時代の、、林地域の委員長を若くしてつとめられた方です。その反対期成同盟の、最後の生き残りの方となりました。
 無念のうちに亡くなっていった当時の仲間のことを、生きている自分の責任として描き残したいとの思いをずっと心に秘めていたそうです。
 手にしていられる本は、8月末に刊行された、当時の知られざる闘争の真相を、篠原さんの記憶と当時の資料をもとに、その頃、オルグ団の一員として秘密裏に地域に居住していた活動家の中野泰さんが、記した本です。
 題名は『21世紀 日本のピラミッド 篠原政信・八ッ場ダム物語 第一部』です。
 最初は、第一部の書き出しとのことで、篠原さん自身のおいたちがありますが、51ページ以降は、反対期成同盟の裏面史が
当時を実際に知る、中野さんならではの筆致で、リアルに描かれています。
 表紙には2号橋が、大きく載っています。
 (実は、ゲラ段階で拝読。冒頭の自分史的な部分は面白いけれど縮小した方が読者層が拡がることと。巻末の釈明的な記述は不要。題名は長過ぎる上に、2号橋をピラミッドに比喩するのはそぐわず、やや陳腐。「八ッ場ダム物語」の方がスッキリすることを、篠原さんを通して中野さんにもお伝えしたのでしたが……)
 
 (それらのごくごくわずかな瑕瑾を越えて)、中味は当時の反対闘争の醍醐味を今につたえてくれる、読みごたえのある一冊です。残念ながら、書店の流通に載りません。
 そこで、僭越ながら頒布のお手伝いをさせて頂きます。
   一冊 1500円 送料はサービスします。   必要な方は、とりあえず、当方のメールに入れてください。spq272s9@rondo.ocn.ne.jp
   篠原さんへの入金先など、細かいことは、これから八ッ場へ行き、篠原政信さんと詰めて参ります。 
 
  出がけの時間に急かれて、意を伝えきれませんこと、お許しください。   


Posted by やんばちゃん at 11:12Comments(0)八ッ場だより

2010年10月07日

決算特別委傍聴 /八ッ場版「老人と海」

 秋晴れのこの上なく佳き日に、決算特別委員会の産経土木常任委員会の傍聴などで、ほぼ終日、群馬県議会棟にいました。
 朝、傍聴の手続きに行くと、「土木関係は午後からになると思いますよ」と言われたけれど、出かけてきたのだから、聴くよりなし。
 三月の決算の時に、決算特別委にも関連して、八ッ場ダム問題の質疑があった。
 翌日の新聞で、そのことを知って、不覚にも遅れをとって以来、幾度となく議会事務局の職員さんにかけて、確かめてきて、予算の次の決算時には遅れをとらじと対処してきていた。
 本質的には八ッ場のことは「八ッ場ダム特別委員会」で協議とされてきている。原則として、通常の常任委員会では協議しないことになっている。当初の土木常任委で持ちだした議員の発言を、牽制する騒ぎもあった。
 
  一片の資料もなしに、産業生活課を皮きりに、八課長クラスや関係機関が説明と言うか、早口に読み上げる膨大な21年度決算の事業内容や数字などは把握はもちろん、筆記しきれるものではない。
 「持ち出し」は禁止でも、参考資料として、見せてくれてもよさそうなものではないかと、傍聴の都度、思う。いつかは傍聴終了後直ちに、「情報公開」で、その日の配布資料一式の開示の手続きをしてみた次第。
 実際に、緩和の方向に向かいつつはあるのだが……、
 現に、国レベルでは、記者クラブ登録なしの一介のライターへの「取材」枠を拡げてくれつつある。写真も録音も可能になっている。
 
 この日、傍聴人は全常任委を合わせて当方独りの模様。記者席もまばらだった。
 実際、終了後、かなりの時間経過後に、駐車券を貰いに行き、使用名簿欄を見れば、6月議会の特別委員会に来た当方の名前のみ。6月以前のつづりは年度末で閉じたらしく、今年度の名簿にはその前に独りの三名の記述であった。
 これでは、「傍聴」枠やその待遇の拡大を訴えても、どうしようもない。利用者がいないのだから。
 ために、駐車券一つの発行でも、議会事務局の職員さんたちも不慣れらしく、議事課で手続きを終えて、駐車券担当の庶務課に行くと、議事課からの「傍聴に来た」との証明がなければ「出せない」とのことになる。つまり、同行してもらって堂々と室内を横切れば良かったのが…… 。
 し~んと静もりかえって、気固い空気に臆して当方にも、いささかの遠慮があって廊下を通ったのがまずかった。確かに傍聴にきたのかどうか、定かではない。

 産業経済常任委員会分野における冒頭の「第7カン」の声に、「第7巻」と記してしまって、「あぁっ」と苦笑。
 しかし、「款」の文字がとっさに描けない。「款・目・項・節」だったけと記憶の底から立ち上がってくる言葉。
 一期だけの地方議員の端くれだったけれど、オール前保守系といった感の当方の町議会では、予算決算の質問時には、冒頭に「〇款〇目の〇項について」というのが、恰好良いというか、不文律風な風潮があって、「決算書の〇ページの〇〇についておお尋ねしますなどと言おうものなら、初心者として軽んじられるとか言うのが、伝令としてとび、定着化していた。
 実際、伝手のある先輩議員からいち早く伝授したらしいほぼ同期の男性議員がいち早く、これみよがしにはれがましく「えぇ~〇款〇目について」と繰り出していた。
 財務会計や議案書など諸事項の説明会当日、葬儀ごとか何かで欠席したため、遅れをとった当方は当初、戸惑った。
 「何よ、そんな形式的慣習よりも、質問の中味の濃さだよ」と思い、使うには釈だった。なにごとにも形式が先行する町議会だった。それがかの政党筋の連綿とした格式のように受け止められた。
 2度目の定例会過ぎにスラスラと繰り出せ始めた頃、ほどなく始まった高崎市への「編入合併」。断じて、「対等」ではなかった。密約に応じて暗躍した一部幹部たち。八ッ場ダムの暗転劇と同じだ。
 アメと鞭に次々と合併賛成派に転じられ、少数派に追い詰められていく最後までなびかぬ合併反対派として、合併反対闘争に明け暮れざるを得なかったたこの一時期、八ッ場通いは必然的に間遠になったものだ。
 本日、県議たちが繰り出す質疑は、予算に付随しての内容の総称的傾向の質問が多かった。
 こちらが、面とすれば、かつて味わった数値に関してのみの質問は点だった。

 12時50分~ 開始の肝心の土木関係では、15課長もの説明事項が続いた後、質疑にはいった。
 最後から二人目の質問にたった関口県議が「河川について」質問した。 
 浮かび上がったのは、改修が必要な河川は、1700㌔のうち1280㌔。このうち約420㌔が終了。 関口県議は「あと、30年くらいかかりますね」と言っていた。が、山場にかかりつつあった時、応えようとする河川課長に向かって、よく聞き取れなかったが新井委員長が「まとめて説明してやってよ」的な言葉をくりだした。これをうけて、関口県議は「この後、委員長は忙しいらしいので、詳しいことぱまた後ほど個別に教えてください」と自己規制的にほどなく結んでしまった。
 
 またも、思い出せば、県議会のこの場合とは異なったが、かのどっかの議会では、革新系筋の長い質問にはブーイングが飛んだ。「はぁ、止せよ」といったり大きなアクビをしてけん制したのは、例の力の結束を誇示する、どっかの党筋であった。
 それはわが町は無論、高崎市の場合にも顕著だったっけ。
 一般質問はかかさず、その際にホントのことを遠慮せずにズバズバと「モノ言うオンナ」、しかも合併反対の議員でここでも、なびかず、質問時の用語にアッサリと「合併」とせず、「編入合併」の語を用いる当方は、時間内の制約は守ったけれど、これらの旧高崎市の体育会系のオジ様議員たちには気にくわないらしく最もヤジとばされた。こういう時、わが町からご長老議員をはじめ、編入組町村からの議員はもはや大高崎市の中ではおとなしかった。
 議会=学芸会の語が一時期、マスコミをにぎわしたが、質問はあらかじめ予定稿の作文を提出。それを担当課と詰めていく。その過程で「編入合併」の語は使わないでくれと何度かトラぶった。
 で、「新市の醸成というのは、反対してきたものが、良かったと言える時にこそ、達成であり完成点である」と言うと、大きなヤジにさらされ、壇上からヤジの主をじっと見据えたこともあった。
 議員の務めを吐き違えていまいかと、新米議員には苦々しかったことが多々あった4年弱の歳月であった。しかし、そういう議員や表だっては口を開かずに裏工作や根回しに長けた議員が、実力派として重きを置かれ、当選する仕組みがまだある。
 議員たちが八ッ場のことではおとなしくなりつつあるという、世評が最近、話題にのぼっている。
 しかし、うれしいことに、これとても終末街道に近づきつつある。
 そして、“議員”というのは、政務調査費一つでも、会派単位だから、個人の意志を越えて、悪に手を突っ込む仕組みにさらされるしかけがある。見るものはみたという感じだ。

 机もない傍聴席で述べう時間、必死にメモを採っていると、いささか疲れた。

 帰宅後、前述10/2の八ッ場のXさんに電話した。何度目かの電話の20時過ぎ、ききとれぬような声で、「今日、やっと刈り終わったい。昨日と今日の二日間で。結局、手刈りだったんだい」と。
 例の刈り残した汁田のことである。確か、もう83歳にはなられるではなかったろうか。
 先日、『老人と海』の心意気で、ご自分の限界に挑まれるのではと記した。
 想定したのはヘミングウェイの小説の題名だったが、今週末から、シネマトークたかさきで映画の「老人と海」が上映されるらしい。与那国島で、小舟で200㌔のカジキマグロに挑む、老漁師を追った、ジャン・ユンカーマン監督のドキュメンタリー映画である。
 海と陸とのそれぞれの場の営みに、ある種の感動がある。
 あぁ、今日,八ッ場に行ければ、私たちの申し出を拒み、機械刈りにも見切りをつけ、独りで手刈りに挑んだXさんの姿をビデオに収められたのにと、ちょっぴり後悔。
 でも、きっと、手を出してしまって、怒鳴られていたろう。おっしゃる通り、気長にやることが最良の長生きの薬。
 Xさんが、またこの先もずっと農作業を出来ることを祈る。人間の身体は使い続けることで持続可能なのだから。 
 まだまだ、八ッ場のために一働きも二働きもしてもらわなければならない方なのだ。  


Posted by やんばちゃん at 22:44Comments(0)八ッ場だより

2010年10月06日

10/16のイベントチラシ

 
 8月初旬から進めてきた企画です。
 当初は、お出でくださる方のお立場などを考慮。ごくごく内輪のメンバーで伺う予定でしたが、結果的にこのような仕儀になりました。
 本日、印刷。
 記者クラブへの投げ込み取材依頼をしてまいりました。

 会場が5時までですので、近場のレストランに移動し、食事をとりながら、また歓談を深めさせて頂きたいと思います。
 ご希望の方は、なるべく早めにお申し込みください。
 足踏み期間は長かったのでしたが、ここへきて急速な展開となり、会場探しに往生しました。ために参加人員に限りがあります。
 お早めにご連絡ください。遅くなりますと、勝手ながらご希望に添えないことがあります。


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【2010年10月6日(水) 上毛新聞一面】 
 副大臣ら八ッ場視察 「地元へのあいさつ」 国交省が説明 国土交通省の三井弁雄(ワキオ)副大臣と津川祥吾政務官が、13日に予定している八ッ場ダム視察について、馬淵澄夫国土
交通省は5日の記者会見で、目的を「地元へのあいさつだ」と説明した。
 三井氏らは長野原町の高山欣也町長、東吾妻町の中沢恒喜町長と会談する見通し。大沢正明知事も参加する方向で調整し
ている。  


Posted by やんばちゃん at 18:09Comments(0)八ッ場だより

2010年10月05日

副大臣ら、八ッ場来訪

  膠着状態の八ッ場ダム問題に、次の動きが伝えられました。
 【2010年10月5日(火) 上毛新聞一面】  
 国交大臣ら 八ッ場訪問へ 改造内閣初 13日にも
 
 国土交通省の三井辨雄(ワキオ)副大臣と津川祥吾政務官が、13日にも、八ッ場ダムの地元の長野原町に高山欣也町長と東吾妻町の中沢恒喜町長をそれぞれ訪れ、面談する方向で調整していることが分かった。9月に菅改造内閣が誕生して以降、初めての地元訪問となる。
 三井副大臣らは両町長に就任のあいさつをし、同ダム問題について、意見を交換するとみられている。


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  【お知らせ】 チラシが添付できないので残念ですが、要項のみ
 現地の方と膝つきあわせて、本音トーク  
 市民同士、せめぎあいながら本音の処で語り合います。
 立場的には残念ながら未だ、対立の構造ではありますが、八ッ場現地のダム推進の方が、反対市民のもと、群馬の都市部に来て話をしてくださるのは、初の試みです。

  日時 10/16(土)15時~ ※開場 14時半 
  
場所: 群馬会館 第3会議室 ※資料代300円 
 
 【内容】現地の篠原箭さんを講師として、最初に「なぜ八ッ場ダムが出来ないと困るのか」を伺い、続いて膝つきあわせてのなごやかなトークに移ります。双方の認識をより深め、市民同士の響きあいを期すものです。
 
 ? 主催:「ST0P八ッ場ダム・市民ネット」
? 連絡先 090-2910-4722 
    spq272s9@rondo.ocn.ne.jp

 ※群馬会館駐車場が満杯の時は県庁駐車場を。2Hまで無料です
 ※17時半~懇親会予定 会費1500円以内にて。要事前予約
   お気軽に、ご参加を!!

  
  


Posted by やんばちゃん at 22:34Comments(0)八ッ場だより

2010年10月04日

10/1 検討会議での配布資料の公開

 
 【10/1 「検討」会議 第一回 1都5県実務者レベルによる  千代田区第3合同庁舎】
 1日の傍聴記にも記しましたが、席上、関東地方整備局が配布資料を会議後、公開しました。
 当日の冒頭で事務局が、項目などを読み上げて説明したものです。遅刻組で席についたものの汗タラタラ状態で、どこかで見たなと思っても、パソコンのPDFファイルで読むのと、冊子にまとめられたのでは大違いでした。いかに頭に浸透していないかの証明ですね。

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 「八ッ場ダム建設事業の関係地方公共団体からなる検討の場(幹事会)」(平成22年10月1日開催)配付資料
http://www.ktr.mlit.go.jp/river/shihon/river_shihon00000158.html

・議事次第
 http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000016396.pdf
・幹事会構成員名簿
 http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000016397.pdf
・資料-1 規約(一部改正案)
 http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000016398.pdf
・資料-2 今後の治水対策のあり方について 中間とりまとめ
 http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000016399.pdf
・資料-3 個別ダム検証の進め方等
 http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000016400.pdf


  


Posted by やんばちゃん at 21:43Comments(0)紹介

2010年10月03日

1日開催の「検討の場」報道一覧

 本来ならば昨日は、1日の様子を伝える、県内版各紙を報じるつもりでいたのでしたが、かきだしたら何ともあらぬ方向展開してしまいました。
 1日遅れのマスコミ報道一覧をお送りします。
 すでに,yambaメールに雨宮さんが詳細な一覧列記をしてくださっていますので、転載させて戴きます。
 
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◆群馬・八ッ場ダム建設の是非について関係自治体の意見を聞く「検討の場」幹事会開催
   (FNNニュース10/01 13:00)<ニュース動画あり>
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00185430.html

◆八ッ場ダム再検証の検討会(NHKニュース10月1日18時26分)<ニュース動画あり>
http://www.nhk.or.jp/news/html/20101001/t10014326001000.html

◆八ッ場ダム:必要性めぐり「検討の場」初会合 国と6都県(毎日新聞2010年10月1日19時54分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101002k0000m040045000c.html

 
◆八ツ場ダムの地元と会合 国交省、全国で見直し開始(日経新聞2010/10/2 0:01)
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E2E3E2E1E78DE2E3E3E2E0E2E3E29797E3E2E2E2;at=ALL

 ◆八ツ場ダム検証めぐり初会合 地元は不満訴え(日経新聞2010/10/2 2:50)
http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819490E2E3E2E4978DE2E3E3E2E0E2E3E29EE7E3E2E2E2;p=F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E6;o=F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2F2

◆八ッ場ダム 国、検証日程説明拒む(2010年10月2日読売新聞群馬版)
  「検討の場」初会合6都県の不満続出
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20101002-OYT8T00020.htm

◆八ッ場再検証 『生存権にかかわる問題』 県幹部、国の対応批判(東京新聞群馬版2010年10月2日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20101002/CK2010100202000081.html

 <写真あり>幹事会の初会合に臨む(前列左から)県の細野企画部長と川滝県土整備部長=東京都千代田区で


◆「検証いつまで」6都県、国に反発(朝日新聞群馬版2010年10月02日)
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581010020001

   


Posted by やんばちゃん at 10:53Comments(0)八ッ場だより

2010年10月02日

海と陸との交流的、食べ物考

 今日から水源連の総会が、北海道千歳市で開催されています。
 当初は参加するつもりでいたのでしたが、迷いつつ断念。今週末の土日は実は大きな会が三つありました。
 先月の20日過ぎからのダム問題の動きから、中止から丸1カ年たつ10月は、新たな展開がおきることは予測されていました。その時には、現場にいたいという思いも少なからずありました。
 結局、考えるのが嫌になって、遠方での二つの会はどれも断念、その前に地元でのイベント参加はキャンセルしてしまったのです。
 そんな時、八ッ場のXさんが頭の痛い話の一つとして、田に水があって、先週、機械刈りが出来ずに刈り残していて気がもめる。「村中で残っているのは俺ん家だけなんさ」と寂しそうにおっしゃる。最後になるのが大嫌いなこの方の気持ちを考えると、手刈りでも何とか早く仕上げて、ホッとさせてあげたいと思うのも、人情というもの。実は昨年の田植えだったと思うが、機械が横転してしまったことがあったと、人づてに聴いている。毎年、往生する機械が入らない汁田らしいのだ。
 確認に八ッ場に行くと、確かに目立ちます。当方、手刈りの経験あり。でも、幾ら年をとった女でも独りでそんなお手伝いをしていると、地域社会はうるさいのだそうで、そんなご注意もうけました。
 そこで思いめぐらすと、ある男性の知人が浮かびあがった次第。お願いしてみたら、日曜日は新潟県での稲刈り援軍部隊に参加予定とのこと。土曜日だったらということで、二人で手刈りでやってしまおうと意志一致。
 ところが電話すると、頑固なXさん「有り難いけれど、構わねぇでくんない」と断られてしまった次第。
 ……おそらく、『老人と海』的に、ご自分の力の限界にいどまれたいのでしょう。

 そんなこんなの次々と予定狂いの気抜けの本日は、午前中まで締切を待ってもらっていたサークル誌へ八ッ場の食べもの考の雑文を記し、午後は女性学関係の役員会に前橋まで出かけただけで、所在なく自宅待機の呈です。
 でも、身体が疲れてますから、かえって良かったかもしれません。もし、総会に参加していたら、昨晩はパニック状態で準備に追われていたでしょうから。
 
 ところで昨日、昼食時のレストラン街を歩いていたら、和食の店ではいずれもイクラ丼が秋の味覚として大々的に並んでました。そうもう、本当に秋なのです。
 一昨日、実家の小さな店にも初もの艶のある見事な筋子が入っていたのでした。会議を終え帰宅した時には閉店時間を過ぎてしまっていて不可。たぶん、売れ残っているだろうからと、一年ぶりに近いイクラの味を口元に思い描いて楽しみに、帰宅。
 「売れ残っているよね」と飛び込むと、あるにはあったが、昨晩のとはどうも様子が違う。小ぶりなだけではない。「それ今日、また仕入れたんだよ」と言う。「でもちょっと、コレ、おかしいんね」と口にしつつ、求めた。
 調理のために、パックから取り出した際に氷解。通常、筋子は膜のかかった側を上にしてパックする。それを反対側を上にしたから、見栄えが悪いし違和感があったのだ。市場でパックしたのか、誰がパックしたのかわからないが……
 
 山里の者には魚介類に憧れがあり、海辺の育ちの者には山菜類が珍しい。概して、山里の食文化を持つ、八ッ場のお宅では魚類は喜ばれる品の一つ。
 で、八ッ場の皆さんからの頂き物のお返しには、この時期、親しいお宅には好みも判るので、筋子を調理し、イクラにしてからお届けする。「私の手づくりですけれど、お味みてください」と順次に。
 幸い、私はあのヌルヌル感と血なまぐささが平気なのである。
 コツは熱湯処理した後、キッチンペーパーの上で転がすこと。この作業を磨くというらしい。本当にきれいに粘膜が取れて、紅いイクラが出てきて妙味がある。秋の一時のこの作業に、私でも年々熟達してくる。塩味は色よく上がり、醤油味は旨みが出る。で、昨晩は半々にしてみた。
 そして、昨晩来、何度となく冷蔵庫を開けては、お味見。かなり減ってしまった。次に八ッ場へ行くまで持つはずもなく、いかに順番にとはいえ、来週中ごろに、もっと多めに作らなければならない。

 そういえば、今日の会合にミョウガを持参。終了間際に、「ミョウガ、食べてくれる方、いるかしら」と問うと、会議中の冷静な態度とはうって変わって、「私、戴く!」と中年過ぎの熟女たちが、全員勢いよく手あげてくださった。「八ッ場のよ」と言い添えつつ包みをほどくと、「わぁ、すごくいいんじゃない」と頬を紅潮させてのぞき込む。ファッション性の高い品々を身につけたA子さんまで、「うちの近所のスーパーでね三個で〇〇〇円もするのよ」との主婦感覚そのもの言葉を添えた。
 そこで、お母さんの手は平等という、壷井栄の『母の手』にあやかって、おもむろに妻にも母にも成れず終わる女が、その不慣れな“母の手”式に、数えて等分に分けてさしあげた次第。 
 だから、私は八ッ場の行く先々のお宅の門口で黄色い花を咲かせてしまっているミョウガ一つでも、コレ、町の者にとっては欲しいのにと思え、「今、採れば、まだ食べられるのになぁ」と立ち止まってみつめてしまう、次第なのだ。大農家のZさん宅では、前回も前々回も黄色い花ざかりだった。 

 さて、今頃、宴たけなわの懇親会では、北海道の旨いものづくしが並べられているだろう。もちろん、極上のイクラもたっぶりとあるだろう。  


Posted by やんばちゃん at 21:36Comments(0)八ッ場だより

2010年10月01日

キレイごとの群馬県幹部。検討の場スタート

 本日発足の、「八ッ場ダム建設事業の関係地方公共団体からなる検討の場(幹事会)」とやらの長い名前の会合が、11時~ 九段第3合同庁舎の11階 共用会議室で行われました。
 
 まず、事務局より規約とま中間まとめ案等の説明があったあと、各県からの質疑に移りました。群馬県から出席したのは川滝県土整備部長と細野企画部長のお二人。
 挙手して7人目に質問を行った、県土整備部長の質問要旨。
 「八ッ場ダムが全国に先駆けて検討会ができたことは、群馬は評価している。しかし、いつ終わるのかわからない。具体的に地元に説明したいので、教えてほしい。
 しかし、一般的な土木工学の問題ではなく、八ッ場の問題は住民の問題で、基本的人権、生存権の問題。 これからダムを造るような議論に思えるが、八ッ場ダムの場合はほぼできている。一般論ではなく八ッ場ダムの問題として提示してほしかった」
 
 この「人権問題」への言及に群馬県の一員として、八ッ場ダムにかかわる者として、最初に引き金をひいた県幹部の発言として聞くと、腹がたってきた。この一年間のみをピックアップすれば、人絹問題にはまぎれもないのだが、しかしである。
 ダムを嫌だという水没民に手を代え、品をかえ、人権無視の懐柔策を繰り出してダム建設に向かわせたのは、他ならぬ群馬県政。
 大物政治家の密命を帯び、消極的な神田知事に代わり、誕生した清水知事が強引に進め、課長職時代からその窓口となっていた小寺知事が着実に受け継ぎ、担ってきたのではなかったか。
 それこそ、その間の軌跡は、人権無視ではなかったかと。

 近頃、水没民の聞き取りをまとめた当時の強引な手法をリアルに再現した、本が刊行された。そこには前橋の料亭「松し満」で行われた、県と長野原町幹部との密会政治がリアルに記されている。
 多くの方に読んでほしいと思う所以だ。

 ついて゜、茨城県からの発言の後、9人目の質問を行った企画部長の発言には、いよいよおかしいと思えた。
 黙ってきいていれば、企画部長さん、あまりにキレイごとすぎる発言ではありませんかと。 
 一瞬、唖然としてメモをとらなかったが、なんと 「自治体に責任をおしつけてきた。県は計画的に建設を進めてきており、発電計画も着実に行っている」のような発言で、発電計画を進めている立場をどうすると言った語調だったのだ。 (後ほど、テープを確認)
 群馬県企業局は確かに、この間「発電も行います」とは宣言してきた。が、右往左往の発電計画ではないか。 
 しかも県企業局が、本当に発電すれば、東電ヘの莫大な減電補償問題が横たわっている。
 思い出したこともある。拙著のまえがきP8に記したが、企業局は2005年10月には、代替地先行取得に際しては、「公有地拡大促進法」の法律違反までしている。
 
 これではまるで、昨年の混乱時、どっかの意外にも純真な知事さんたちまでにその紅涙を絞らせた、かのお涙頂戴話と同じではないか。核になる事実は確かにあるが、よく知っている近隣の者たちにとっては、その誇大表現には首をかしげざるを得ない現実の類いである。

 他県からの意見を集約すれば、
 ①、いつまでなのか期限を区切ってほしい。
 ②、一般的な検証ではなく、八ッ場の進捗度などに照らした独自の現実に即すべき
の意見に纏められると感じた。
 そして、12時10分過ぎに終了。
 配布された資料一式、必要な方がいらしたら、コピーしてあげようと思って、メモ書きもせずに大事にしていたら、末尾に事務局から繰り出された、「それでは、終了後直ちに関東地方整備局のホームぺーに掲載しますことをご了承ください」なる言葉に「ああぁ、場馴れしていない素人は愚かだな」と苦笑。 遅れてきたので夢中だったが、よくよく考えれば、本日の資料もすでにインターネットで読んだものではないか。
   
 【備忘録的メモ】
 場所は千代田区役所と同じ建物の中の「第3合同庁舎」「11階」の文字面に、まとめ案の提出の行われた、国交省第3合同庁舎、同じく11階とばかり、思い込んでいた。
 霞が関よりも、九段下に行く方が手間どるから困惑。地下鉄九段下駅で、すでに10時58分。7時台の電車に乗るつもりだったのに、朝の交通混雑に出会い車が進まず、予想外に遅れて駅についたのが遅刻の原因。
 数分遅れ、汗まみれで駆けこんだ受付で、「一般傍聴」の席も用意されていたが、ダメでもともとと心臓強く「ライター」の名刺を出す。遠慮して「傍聴室はどちらですか」と聞くと、記者席に入れると案内してくださった。そちらの受付の女性の方が「写真撮影、まだ大丈夫ですよ」と早口で添えて下さった。荷物を席に置くや否や、前方に走り、マスコミ団の間隙をぬって、何とか、写真撮りの最後のⅠ~2分間に間に合った。
 ……前回から感じていることなのだが、河川局の職員さんたちは対立の構図にあらず、意外にも好意的な応接をしてくださるのだ。時代は動いている。
 
 帰途は眼前の清水門の構えにひかれて、久しぶりに北の丸公園から、竹橋通りに出た。パレスサイドビル内の毎日新聞社の中をウロチョロしていると、なんと、前橋支局にいられた役職の方とすれ違い、「あらっ」声をあげてしまった。こちらは即座にお名前でなかったが、幸い覚えていてくださった。こんなことってあるのかしらとうれしくなった。
 そして、東の方向に道なりに歩いていけば、国電の駅にぶつかるだろうと幾つかの地下鉄口をパスして歩を進めた。
 鉄柵にツル状の植物を這わせた、すばらしい出来栄えの植栽美の建物に行きついた。経団連の巨大ビルであった。これはいつかガーデニング関係の講演で、スライド上映されていた見本的な植え込みではなかったかと閃いて、写真に収めようとして、後ずさりしたら、守衛さん風の方に、「ここでの写真撮影は禁止です」と阻止された。なんと歩道の色分けが境目となるそうで、そこは、「大手町合同庁舎3号館」であった。 なんで、写真撮影が悪いのか、解しかねたが、素直にしたがって経団連側の歩道に戻って高い鉄柵を映した、で、逆に、「大手町合同庁舎3号館」の標識もカメラに収めた。
 「合同庁舎3号館」なる名称にはなんて、幾ばくかの縁がある日だったのだろうか。  


Posted by やんばちゃん at 21:45Comments(0)八ッ場だより