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2010年05月12日
抜き打ち的「八ッ場ダム特別委員会」
今朝、新聞を開いて、目が点にまではならないけれど、ちょっとびっくり。
なんと、県議会の八ッ場ダム特別委員会が昨日11日に開かれていたのでした。
知らなかった! ここの処、追われていたので迂闊だったなと県議会ホームページを開いたけれど今月27日~の五月定例会の日程はあがっていましたけれど、他のどこをみてもなし。
昨日の上毛新聞に《県議会 「八ッ場対策」など5特別委を設置》の記事があったけれど、開催日はなかった。
本議会はインターネットで見られるから行かなくてすむのだけれど、常任・特別委員会はほとんどかかさず傍聴に行くんです。一般傍聴は5名の定数、8時半~先着順なので、必死で番号札、採りにいってましたけれど、殆どの場合、独りでしたが…
で、午後、議会事務局へ問い合わせ。
「どこに載っているんでしょうか?}
「ないです。急に開催されることもあるんです」
「…… ……」
これって、ひどいんじゃないんでしょうか。
以前、確か3月定例会で、2009年度分の決算がらまりの八ッ場ダム特別委員会が開かれた時と同じでした。
つまり、県議会「八ッ場ダム特別委員会」は大手マスコミと関係者にだけ開かれているのでしょうか。
それと県議会議員と特別の密接な関係者なら、県議からの個人的情報で入手できるでしょうが、一般県民にはムリです。
かと言って「今度、こういう時は教えてください」と言えるほど、?税金をはらっているわけでなし。もちろん、税金うんぬんは冗談気味で関係ないけれど、ここまで頼むのは個人の権限を逸脱して、心得違いと心得ているけれど、本当に頼みたいくらいです。
まあ、単なる釈明的に、直前になって「本日、これから開催します」って掲載されても、むしろ困りますけれど。
なお、次回は6/11(金)。通例は特別委は二日間あってどちらかの日だったのですが、次回6月は1日だけだそうです。
以下に報道記事を転載。
毎日・読売・朝日新聞とも、この記事の前にトップ扱いで、参議院選の争点として、八ツ場が浮上していることが掲載されています。上毛は昨日11日の一面トップ。(明日の欄に転載)
富岡氏「住民納得で中止」
中曽根氏「着工すべきだ」
/////////////////////////
【2010年5月12日(水) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100512ddlk10010180000c.html
八ッ場ダム 流転の行方
用地契約は9割締結 3月末 代替地移転36世帯
///////////////////////////
【2010年05月12日(水) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581005120001
補償済み世帯 対象の90%
/////////////////////////
【2010年05月12日(水) 読売新聞群馬版】
八ッ場ダム事業 進捗率74.5%
なんと、県議会の八ッ場ダム特別委員会が昨日11日に開かれていたのでした。
知らなかった! ここの処、追われていたので迂闊だったなと県議会ホームページを開いたけれど今月27日~の五月定例会の日程はあがっていましたけれど、他のどこをみてもなし。
昨日の上毛新聞に《県議会 「八ッ場対策」など5特別委を設置》の記事があったけれど、開催日はなかった。
本議会はインターネットで見られるから行かなくてすむのだけれど、常任・特別委員会はほとんどかかさず傍聴に行くんです。一般傍聴は5名の定数、8時半~先着順なので、必死で番号札、採りにいってましたけれど、殆どの場合、独りでしたが…
で、午後、議会事務局へ問い合わせ。
「どこに載っているんでしょうか?}
「ないです。急に開催されることもあるんです」
「…… ……」
これって、ひどいんじゃないんでしょうか。
以前、確か3月定例会で、2009年度分の決算がらまりの八ッ場ダム特別委員会が開かれた時と同じでした。
つまり、県議会「八ッ場ダム特別委員会」は大手マスコミと関係者にだけ開かれているのでしょうか。
それと県議会議員と特別の密接な関係者なら、県議からの個人的情報で入手できるでしょうが、一般県民にはムリです。
かと言って「今度、こういう時は教えてください」と言えるほど、?税金をはらっているわけでなし。もちろん、税金うんぬんは冗談気味で関係ないけれど、ここまで頼むのは個人の権限を逸脱して、心得違いと心得ているけれど、本当に頼みたいくらいです。
まあ、単なる釈明的に、直前になって「本日、これから開催します」って掲載されても、むしろ困りますけれど。
なお、次回は6/11(金)。通例は特別委は二日間あってどちらかの日だったのですが、次回6月は1日だけだそうです。
以下に報道記事を転載。
毎日・読売・朝日新聞とも、この記事の前にトップ扱いで、参議院選の争点として、八ツ場が浮上していることが掲載されています。上毛は昨日11日の一面トップ。(明日の欄に転載)
富岡氏「住民納得で中止」
中曽根氏「着工すべきだ」
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【2010年5月12日(水) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100512ddlk10010180000c.html
八ッ場ダム 流転の行方
用地契約は9割締結 3月末 代替地移転36世帯
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【2010年05月12日(水) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581005120001
補償済み世帯 対象の90%
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【2010年05月12日(水) 読売新聞群馬版】
八ッ場ダム事業 進捗率74.5%
2010年05月11日
蛙の歌が聞えてくるよ。
久しぶりの雨、ちょっと日照りぎみでしたので、恵みの雨の部類でしょうか。植木類に水をやる手間が省けて大助かり。
その昔、大人たちが「丁度良い、おしめりだのう」という挨拶詞を交わしていたのを思い出させました。こういうのを「慈雨」とでも、いうのでしょうね。
さて、蛙には雨が似あいます。もうじき田植え時=梅雨時になるのですが、田畑をおおう蛙の大合唱にしばし、悩まされますよね。
わが家の庭に茶色の小さな蛙の子が飛び跳ねてました。早春に土を掘り返すと、まだ冬眠中だった青蛙が幾つか凍ったまま、白い腹を見せて出てくるので、また土の中に戻してやりましたけれど、茶色には、初めて。

写真は、八ッ場の青がえる。
周りは田ゼリの群落。
何年か前まではせりのを持ち上げると、土の中には大小のタニシがいっぱいいたものでしたけれど……
ここは久森とは違います。こういうとってきおきの場所が幾つかあるんです。地主さんにお断りすると、「セリぐれぇ、構わねぇよ。好きなだけ採っていきない」と言ってくださってます。ですので、セリ採りは春の楽しみ。だから、八ッ場へまたも行きたくなる、?理由なんです。都会から見える方たちにも味わって欲しいものと採りながら、いつも思います。
来年は、何年越しかの企画「セリ採りツアー」をぜひとも立ち上げたいと思ってます。
さて、冬眠から目覚めたばかりと言った感じの、このヨタヨタ蛙さん。喉をひくつかせたかと思ったら、たんぽの周辺から、突如、蛙の大合唱が起きたのです。
でも、この蛙からは音が出ていないのです。
しかも、春の陽ざ中。昼ちょっと過ぎのことなんです。野良弁をたっぷりつめこんでから、ちょっと運動がてら田んぼに入っていったのでしたから、13時前なのは確かなので、雨の降らないまっ昼間、沸き起こった蛙の大合唱を聞くとはおもいませんでした。
何とも、不思議な体験でした。
この時の「蛙の歌」はビデオに入っています。
間違いなく音声も入っていることと思います。まだ再生を確認している余裕なし。
なんと、このおばさんは、ビデオに音声が入るとはしらずに、何度かビデオに詳しい方に電話して「録音もできのんでしたから」と本気で聞こうと思っていたくらいの愚かさでした。でも、もしかしたら呆れられるかなとも考えて……
ですので、今までの撮影には、例によって甲高い声でまくしたててました。
連休に駅に甥夫婦を迎えに行った際、甥の子供をとりながら遠慮会釈なしにしゃべっていたら、甥が「伯母さん、声がみんな、入っているよ」と言う。「ナニ、やっぱし声もはいっちやうの」と言うと、「当たり前だよ。バカか」と甥の口癖で感心したように見つめられてしまいましたっけ。
その昔、大人たちが「丁度良い、おしめりだのう」という挨拶詞を交わしていたのを思い出させました。こういうのを「慈雨」とでも、いうのでしょうね。
さて、蛙には雨が似あいます。もうじき田植え時=梅雨時になるのですが、田畑をおおう蛙の大合唱にしばし、悩まされますよね。
わが家の庭に茶色の小さな蛙の子が飛び跳ねてました。早春に土を掘り返すと、まだ冬眠中だった青蛙が幾つか凍ったまま、白い腹を見せて出てくるので、また土の中に戻してやりましたけれど、茶色には、初めて。
写真は、八ッ場の青がえる。
周りは田ゼリの群落。
何年か前まではせりのを持ち上げると、土の中には大小のタニシがいっぱいいたものでしたけれど……
ここは久森とは違います。こういうとってきおきの場所が幾つかあるんです。地主さんにお断りすると、「セリぐれぇ、構わねぇよ。好きなだけ採っていきない」と言ってくださってます。ですので、セリ採りは春の楽しみ。だから、八ッ場へまたも行きたくなる、?理由なんです。都会から見える方たちにも味わって欲しいものと採りながら、いつも思います。
来年は、何年越しかの企画「セリ採りツアー」をぜひとも立ち上げたいと思ってます。
さて、冬眠から目覚めたばかりと言った感じの、このヨタヨタ蛙さん。喉をひくつかせたかと思ったら、たんぽの周辺から、突如、蛙の大合唱が起きたのです。
でも、この蛙からは音が出ていないのです。
しかも、春の陽ざ中。昼ちょっと過ぎのことなんです。野良弁をたっぷりつめこんでから、ちょっと運動がてら田んぼに入っていったのでしたから、13時前なのは確かなので、雨の降らないまっ昼間、沸き起こった蛙の大合唱を聞くとはおもいませんでした。
何とも、不思議な体験でした。
この時の「蛙の歌」はビデオに入っています。
間違いなく音声も入っていることと思います。まだ再生を確認している余裕なし。
なんと、このおばさんは、ビデオに音声が入るとはしらずに、何度かビデオに詳しい方に電話して「録音もできのんでしたから」と本気で聞こうと思っていたくらいの愚かさでした。でも、もしかしたら呆れられるかなとも考えて……
ですので、今までの撮影には、例によって甲高い声でまくしたててました。
連休に駅に甥夫婦を迎えに行った際、甥の子供をとりながら遠慮会釈なしにしゃべっていたら、甥が「伯母さん、声がみんな、入っているよ」と言う。「ナニ、やっぱし声もはいっちやうの」と言うと、「当たり前だよ。バカか」と甥の口癖で感心したように見つめられてしまいましたっけ。
2010年05月10日
保坂展人さんと辻元清美さん、群馬へ
お知らせです。
八ッ場ダム問題にお力を貸してくださる保坂展人さんが、以下の日程で群馬にみえます。
保坂さんは参議院比例選で出馬予定のようです。
その応援に、国交省副大臣の辻元清美さんも見えます。
とき 5月15日 午前11時~12時半
ところ 群馬音楽センター 会議室
実は、本日参議院院内集会で、保坂さんにお目にかかったので、「高崎にお見えになるのに、出られなくて申し訳ありません」とお伝えいたしました。
残念だけれど私はでられないのです。
土日の二日間は、関西から見える教職関係の方が、八ッ場に見えられ、その案内役をお引き受けしてあるのです。4月初めに打診がありました。拙著を読んでくださった殿ことで、版元を通じての依頼でした。
この日は家族旅行で、初めての初島の素敵な宿に泊まる予定だったので、何とも迷い「他の日ではダメですか」と言ってしまいましたが、やはりいずれ教材として活用してくださるとの意義ある“仕事”を優先した次第です。
ところが、その後、5/15と言う日は何とも日が良いらしく、行きたいなと思う村づくり研修旅行や女性学の総会等など、次から次と入るのです。そして、今度は前述の会。どれも触手を動かされる魅力のある会ばかり。
でも今回は“仕事”を最優先です。
東京の集会から帰宅しましたら、社民党の窓口役の藤江前橋市議さんから、手書きの手紙が添えられた当日のご案内がとどいてました。
皆さまの中で、ご都合つく方、いらっしゃいましたら、是非、ご出席なされて、お二人に八ッ場ダム問題を始めとしたことをお伝えくださいませんか。
八ッ場ダム問題にお力を貸してくださる保坂展人さんが、以下の日程で群馬にみえます。
保坂さんは参議院比例選で出馬予定のようです。
その応援に、国交省副大臣の辻元清美さんも見えます。
とき 5月15日 午前11時~12時半
ところ 群馬音楽センター 会議室
実は、本日参議院院内集会で、保坂さんにお目にかかったので、「高崎にお見えになるのに、出られなくて申し訳ありません」とお伝えいたしました。
残念だけれど私はでられないのです。
土日の二日間は、関西から見える教職関係の方が、八ッ場に見えられ、その案内役をお引き受けしてあるのです。4月初めに打診がありました。拙著を読んでくださった殿ことで、版元を通じての依頼でした。
この日は家族旅行で、初めての初島の素敵な宿に泊まる予定だったので、何とも迷い「他の日ではダメですか」と言ってしまいましたが、やはりいずれ教材として活用してくださるとの意義ある“仕事”を優先した次第です。
ところが、その後、5/15と言う日は何とも日が良いらしく、行きたいなと思う村づくり研修旅行や女性学の総会等など、次から次と入るのです。そして、今度は前述の会。どれも触手を動かされる魅力のある会ばかり。
でも今回は“仕事”を最優先です。
東京の集会から帰宅しましたら、社民党の窓口役の藤江前橋市議さんから、手書きの手紙が添えられた当日のご案内がとどいてました。
皆さまの中で、ご都合つく方、いらっしゃいましたら、是非、ご出席なされて、お二人に八ッ場ダム問題を始めとしたことをお伝えくださいませんか。
2010年05月09日
コゴミって、ご存じですか
※ 昨日の記述を二分割。本日づけに致しました。


コゴミをご存じない方もいらっしゃるらしいので、写真をご紹介します。
という私も知ったのは、最近。姉も叔母も、よく「コゴミがあった」といってましたが、私は不確かで採れませんでした。山菜採りの名人さん達に、何年か前、新潟県に連れていってもらって得心した次第です。
その後、注意してみればあるある。
天ぷらにするととっても美味しい。茹でてマヨネーズでもOK。
コゴミといえば、毎年、採取するたびに天ぷらを揚げるたびに、反射的に思い出す場面があります。
ある会の発足時からのメンバーとして動いていた最後の五月、゛現地でのコンサートの際に、土地の皆さんのお宅の庭先の産物、フキや花豆、このコゴミなどを譲ってもらったりして、都会の皆さんのお土産用に販売。
残ったコゴミを翌々日の火曜日夕刻の例会日に、天ぷらにして、喜び勇んで持参。それはうれしいニュースがあったからでした。こまめにある地域に足を運んでいる過程で、地域のダム関連役員さんと「飲み会」の約束ができたからでした。で、会員の方々にお知らせして交流をはかろうとしたのです。
現地との間に溝があったら、進展しません。食べながら飲みながらの交流は必要不可欠と飲めないヒトながら、思ってたのが実をむすびかけてたからでした。
すると、妙な空気。
「さぁ、〇〇さんが来たから始めましょう」とスタートからターゲットはどうやら私。ここで、まさに査問委員会並みの詰問にあい、以後はお出入り禁止を言い渡されました。数日後、事務局を通じて会長名による「例会に出席禁止」の文書が届いた次第です。この白い封筒は、ツバをひっかけられんばかりの仕打ちを受けた、わが生涯の屈辱の歴史として、今も保管してあります。
理由は、この間、勝手な行動が多すぎた由。でも、一昨日の販売のことはちゃんとお断りしたはずですし、むしろ歓迎されて、売上代金はいつものように会へも地元の皆さんにも還元したはずですし……
まあ、確かに一点集中主義のオバさんですから、取材も兼ねて八ッ場へ出入りしすぎたのは事実です。
が、逐一、事務局に「今日は八ッ場へ行ってきます」などと断って出入りするのものでもないでしょう。けれど、当時は県外から八ッ場へ出入りする団体にも「会に断って欲しい」と平然と言いきっていた事実があったくらいですから……
御蔭さまでその後、徹底的に干されて、天下の素浪人になった私は前よりも自由に気楽に八ッ場通いに明け暮れできましたが……
まぁ、その後、関係者から「あれは表向きの理由で、ジャマだっのよ、あなたは。動き過ぎるから」との「これが、真相」だとの暴露話も聞かされてます。
コゴミの天ぷらというと、反射的に、拙著の前著『八ッ場ダムー足で歩いた現地ルポ』の刊行後、半年経ったこの、2005年5月、確か12日の例会日での、「ペラペラとめくったら、悪い本」と、記念碑的なレッテルを貼られた日の屈辱が、鮮やかによみがえる次第です。
そうそう、そう言えば、迂闊にもこの本の出版も会を通してではなく、個人的なものでした。
確かに?ライターが会に出入りするのは、難しい側面もあるでしょうが、まさに自分の足で調べたことですから、それも個人の自由。表現の自由と思います。一つの一つの記述を一方的解釈され、曲解したそれをことさらにあおりたてる人物がいらっしゃったのだそうですけれど…… 単純極まりない私には長いこと構図がよめませんでしたが、この時の体験から“真の首謀者は最もしおらしく寡黙なり”ということでしょうか。
でも、その悪い本をそのまま、新版として出したのが、識者の方たちのお陰で、ちょっぴりだけれど世にでられて、「この、小さな人間にとっては望外のハレの日まで生きていられて良かった! めげずにいて良かった」としみじみ実感。
あっちもこっちもぶつかってイビツなこの愚か者を支えてくださったのは、かつての反対運動、その後、もたらされた転換期。日増しに勢いづく推進の動きの憂き日の中で、屈辱感を嫌というほど、味わった八ッ場の方たちでした。
いつも生意気なことも申し上げますが、腹の底の底から、感謝しているのです。
コゴミをご存じない方もいらっしゃるらしいので、写真をご紹介します。
という私も知ったのは、最近。姉も叔母も、よく「コゴミがあった」といってましたが、私は不確かで採れませんでした。山菜採りの名人さん達に、何年か前、新潟県に連れていってもらって得心した次第です。
その後、注意してみればあるある。
天ぷらにするととっても美味しい。茹でてマヨネーズでもOK。
コゴミといえば、毎年、採取するたびに天ぷらを揚げるたびに、反射的に思い出す場面があります。
ある会の発足時からのメンバーとして動いていた最後の五月、゛現地でのコンサートの際に、土地の皆さんのお宅の庭先の産物、フキや花豆、このコゴミなどを譲ってもらったりして、都会の皆さんのお土産用に販売。
残ったコゴミを翌々日の火曜日夕刻の例会日に、天ぷらにして、喜び勇んで持参。それはうれしいニュースがあったからでした。こまめにある地域に足を運んでいる過程で、地域のダム関連役員さんと「飲み会」の約束ができたからでした。で、会員の方々にお知らせして交流をはかろうとしたのです。
現地との間に溝があったら、進展しません。食べながら飲みながらの交流は必要不可欠と飲めないヒトながら、思ってたのが実をむすびかけてたからでした。
すると、妙な空気。
「さぁ、〇〇さんが来たから始めましょう」とスタートからターゲットはどうやら私。ここで、まさに査問委員会並みの詰問にあい、以後はお出入り禁止を言い渡されました。数日後、事務局を通じて会長名による「例会に出席禁止」の文書が届いた次第です。この白い封筒は、ツバをひっかけられんばかりの仕打ちを受けた、わが生涯の屈辱の歴史として、今も保管してあります。
理由は、この間、勝手な行動が多すぎた由。でも、一昨日の販売のことはちゃんとお断りしたはずですし、むしろ歓迎されて、売上代金はいつものように会へも地元の皆さんにも還元したはずですし……
まあ、確かに一点集中主義のオバさんですから、取材も兼ねて八ッ場へ出入りしすぎたのは事実です。
が、逐一、事務局に「今日は八ッ場へ行ってきます」などと断って出入りするのものでもないでしょう。けれど、当時は県外から八ッ場へ出入りする団体にも「会に断って欲しい」と平然と言いきっていた事実があったくらいですから……
御蔭さまでその後、徹底的に干されて、天下の素浪人になった私は前よりも自由に気楽に八ッ場通いに明け暮れできましたが……
まぁ、その後、関係者から「あれは表向きの理由で、ジャマだっのよ、あなたは。動き過ぎるから」との「これが、真相」だとの暴露話も聞かされてます。
コゴミの天ぷらというと、反射的に、拙著の前著『八ッ場ダムー足で歩いた現地ルポ』の刊行後、半年経ったこの、2005年5月、確か12日の例会日での、「ペラペラとめくったら、悪い本」と、記念碑的なレッテルを貼られた日の屈辱が、鮮やかによみがえる次第です。
そうそう、そう言えば、迂闊にもこの本の出版も会を通してではなく、個人的なものでした。
確かに?ライターが会に出入りするのは、難しい側面もあるでしょうが、まさに自分の足で調べたことですから、それも個人の自由。表現の自由と思います。一つの一つの記述を一方的解釈され、曲解したそれをことさらにあおりたてる人物がいらっしゃったのだそうですけれど…… 単純極まりない私には長いこと構図がよめませんでしたが、この時の体験から“真の首謀者は最もしおらしく寡黙なり”ということでしょうか。
でも、その悪い本をそのまま、新版として出したのが、識者の方たちのお陰で、ちょっぴりだけれど世にでられて、「この、小さな人間にとっては望外のハレの日まで生きていられて良かった! めげずにいて良かった」としみじみ実感。
あっちもこっちもぶつかってイビツなこの愚か者を支えてくださったのは、かつての反対運動、その後、もたらされた転換期。日増しに勢いづく推進の動きの憂き日の中で、屈辱感を嫌というほど、味わった八ッ場の方たちでした。
いつも生意気なことも申し上げますが、腹の底の底から、感謝しているのです。
2010年05月08日
品木ダム堤の点検風景です
※ここの処、写真がおかしくすっきりしていません。原因不明です。しばらの間、ご寛容のほどを。

去る4月26日、品木ダムへ行った時、ダム堤の年に一度の点検作業の日でした。
建物の中で話し声がしたり、階段を昇ったり降りたりしている音がしたので、何かやっているんかなとは思っていましたら、そのうちにヒゲもじゃもじゃの若者が「今から、始めるよ」と声をかけてくれました。以心伝心、何でもものめずらしそうに見たそうなオバさんとでも思ったのでしょうね。
写真は、請け負った専門業者の社員さんたちが、降りて行く処。
ダム堤の内側の水口に、(正式名を失念)鉄板の扉を降ろして、水を堰き止め、その反対側の吐け口の側に身一つ、ロープに伝いながら降りて行くのでした。
「あぷないから、気をつけてくださいよ」と応援しながら、観ていました。
同業者は他にもあるようですが、国内のダムの受注を受けると、こうして回るのだそうです。 費用をそれとなく「百万円くらい」と問いますと、職員3名で一泊二日で、そのくらいとのことでした。
「仕事中のご自分の姿はなかなか撮れないでしょうから、お送りしましょうか」と言うと、上司格の方が、「いっぱい撮ってあるから、いいよ」とのこと。
「いいわねぇ。あちこち行けて、次はどこ?」と聞くと、北海道と言ってました。「わぁ、いいんだ」と例によって、単純にうらやましがると、「仕事だもん」と笑ってましたけれど……
去る4月26日、品木ダムへ行った時、ダム堤の年に一度の点検作業の日でした。
建物の中で話し声がしたり、階段を昇ったり降りたりしている音がしたので、何かやっているんかなとは思っていましたら、そのうちにヒゲもじゃもじゃの若者が「今から、始めるよ」と声をかけてくれました。以心伝心、何でもものめずらしそうに見たそうなオバさんとでも思ったのでしょうね。
写真は、請け負った専門業者の社員さんたちが、降りて行く処。
ダム堤の内側の水口に、(正式名を失念)鉄板の扉を降ろして、水を堰き止め、その反対側の吐け口の側に身一つ、ロープに伝いながら降りて行くのでした。
「あぷないから、気をつけてくださいよ」と応援しながら、観ていました。
同業者は他にもあるようですが、国内のダムの受注を受けると、こうして回るのだそうです。 費用をそれとなく「百万円くらい」と問いますと、職員3名で一泊二日で、そのくらいとのことでした。
「仕事中のご自分の姿はなかなか撮れないでしょうから、お送りしましょうか」と言うと、上司格の方が、「いっぱい撮ってあるから、いいよ」とのこと。
「いいわねぇ。あちこち行けて、次はどこ?」と聞くと、北海道と言ってました。「わぁ、いいんだ」と例によって、単純にうらやましがると、「仕事だもん」と笑ってましたけれど……
2010年05月07日
安全祈願祭ー新聞報道
夕方の虹、見事でしたね。
クリーン作戦の畑にひまわりの種をまこうとして、はびこっている草を無中で退治していたら、誰かの呼ぶ声に顔をあげると、近所の奥さんがしきりに叫んでいるのだけれど、意味不明。指さす東の方角をみたら、巨大な虹が。娘さんから電話で知らせがあって見晴らしの利くところまで出てきたとのこと。「久しぶりだねぇ」と通りがかりの方たちにも教えて、しばし。で、慌てて、写真に納めて置こうと家に飛び込む。カメラはあいにく保存中でダメ。ビデオに入れたけれど旨く入っていてくれますように。
さて、昨日の湖面1号橋の安全祈願祭の各紙の報道記事をお伝えいたします。

.....................................
【2010年5月7日(金) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581005070001
「一筋の光明」と長野原町長
//////////////////////
【2010年5月7日(金) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100507ddlk10010114000c.html
八ッ場ダム・流転の行方:湖面1号橋工事、住民ら70人安全祈願 /群馬
◇長野原町長「不透明な中に光明」
//////////////////////
【2010年5月7日(金) 読売新聞群馬版】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/
中曽根氏、民主対応を批判 富岡氏は欠席
//////////////////////
【2010年5月7日(金) 東京新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/
湖面1号橋 本格工事へ八ッ場ダム生活再建事業 川原湯温泉で安全祈願祭
クリーン作戦の畑にひまわりの種をまこうとして、はびこっている草を無中で退治していたら、誰かの呼ぶ声に顔をあげると、近所の奥さんがしきりに叫んでいるのだけれど、意味不明。指さす東の方角をみたら、巨大な虹が。娘さんから電話で知らせがあって見晴らしの利くところまで出てきたとのこと。「久しぶりだねぇ」と通りがかりの方たちにも教えて、しばし。で、慌てて、写真に納めて置こうと家に飛び込む。カメラはあいにく保存中でダメ。ビデオに入れたけれど旨く入っていてくれますように。
さて、昨日の湖面1号橋の安全祈願祭の各紙の報道記事をお伝えいたします。
.....................................
【2010年5月7日(金) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581005070001
「一筋の光明」と長野原町長
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【2010年5月7日(金) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100507ddlk10010114000c.html
八ッ場ダム・流転の行方:湖面1号橋工事、住民ら70人安全祈願 /群馬
◇長野原町長「不透明な中に光明」
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【2010年5月7日(金) 読売新聞群馬版】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/
中曽根氏、民主対応を批判 富岡氏は欠席
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【2010年5月7日(金) 東京新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/
湖面1号橋 本格工事へ八ッ場ダム生活再建事業 川原湯温泉で安全祈願祭
2010年05月06日
湖面1号橋、安全祈願祭
本日の写真はどれも状態が悪いようで不鮮明というより、おかしいです。カメラがいよいよ寿命のようです。



【上:挨拶する高山長野原町町長 下:終了後、記者会見に応える大沢群馬県知事】
一号橋の安全祈願祭に行ってきました。
今朝、電話して時間を確認。 10時半~ でした。
やはり、二分遅れ。
辺りはし~いんと静まり返っていて、運転手さん風の方たちと盛んに引き出物を車から入口に運んでいる方たちだけ。自分が遅れていることには思い至らず、当初は「まだ始まっていない」との思い込み。
しばらくたって、ようやく全容が把握できた次第。
場所は、川原湯温泉駅前のかつての郷土料理店「ふるさと」さんの跡地。
橋脚部分にあたり、どうしても必要な土地とのことで盛っていたお店を廃業されて、あの風格のあった民芸風のおちついた構えだった店舗も壊されて、移転していかれたのでした。土台のみが残っています。
そこに大振りの真っ白のテントを二張り。
(後々にそれとなくめをやるとどうやら)小さい方は「控え室」。まあ、応接室と言ったところでしょうか、白い布のかかったテープルや椅子、ちょっとしたホテルのラウンジ風。
地面には一面に砂利砂が敷き詰められています。そして、山盛りし土に鍬入れ式などの神事が行われることになるのでしょう。
神事が終わるまでは、入口をシャットアウトされてますので、周囲の散策をしていましたら、高台の雑木林際になんとコゴミと
あさつきがいっぱい生えていました。
土手風のところでしたので、コゴミは自然に生えているものと勝手解釈していましたが、あさつきはお料理用にたぶん植えられたのかも知れないなと思い至りました。でも、わが家の近くの極太のと比べるととっても細くていじらしい感じがしました。浅間の噴火物による泥流と石に覆われた地面ですから、あまり育たないのかも知れません。
でも、もし、コゴミもあさつきも栽培していたものだとすれば、たぶん廃業なされた郷土料理屋さんが、ご商売の料理の添えものに間に合うようにと、家の周りに植えておかれたものでしょうか。
八ッ場でも、色の変わったマグロを出す旅館もあるのに、お邪魔した際のご店主夫人の注文を受ける時のさりげないアドバイスのなさられ方や料理を運んでくださる時の生き届いた心くばりが蘇り、こんな小さな素材一つにもオーナーご夫妻の心配りの一端をみたような思いでした。
そう思うと、あんな良い郷土料理店を、意味なくつぶさせてと、もったいなさがまたわきおこりました。
制止されないのをいいことに、2部は近づいて写真を撮りました。来賓は知事、中曽根参議院議員、地元県議など。
どことなく阻止気味の職員さんたち、どっかで見たことのあるおなじみの顔だなぁと思いました。
後で気がついたら、仮排水トンネルの同じく祈願祭の時、「撮影不可」というので、おちょくりつつ写真を撮らせた大成建設の職員でした。一度撮ってもらったのがダメだったので、「あなた、写真下手ですね」と言うと、極めて素直に「そうなんです」と言って、「これで堪忍してくださいよ」と再度、採ったのも私が、吾妻川を入れてと頼んだ構図には撮ってくれず、本当に下手だったのか、意識して見事に“富士には月見草がよく似合う”をやられたのか定かではないのですが……
その時のこと、歳を取ると健忘症でみ~んな、忘却の彼方だが、相手はたぶん、覚えていたのでしょう。写真をとるのを阻止するように、私の前に立つ時の表情からしても……
それでいぶかしく感じて、ようやく終了間際に、切れ切れの記憶の回路が周りはじめて、さりげなく胸のネームを見て、確信したの次第。
終了後、大沢知事の記者会見がありました。
来賓時の祝辞に同じく「前原さんに期待している」的な発言でした。
さりげなく見た引き物は、「秘幻」の商標名入りの浅間酒造の袋の中に、「秘幻」の確か二号瓶、四号瓶ではなかったと思う。
それに 熨斗紙つきの黒い箱でした。
【上:挨拶する高山長野原町町長 下:終了後、記者会見に応える大沢群馬県知事】
一号橋の安全祈願祭に行ってきました。
今朝、電話して時間を確認。 10時半~ でした。
やはり、二分遅れ。
辺りはし~いんと静まり返っていて、運転手さん風の方たちと盛んに引き出物を車から入口に運んでいる方たちだけ。自分が遅れていることには思い至らず、当初は「まだ始まっていない」との思い込み。
しばらくたって、ようやく全容が把握できた次第。
場所は、川原湯温泉駅前のかつての郷土料理店「ふるさと」さんの跡地。
橋脚部分にあたり、どうしても必要な土地とのことで盛っていたお店を廃業されて、あの風格のあった民芸風のおちついた構えだった店舗も壊されて、移転していかれたのでした。土台のみが残っています。
そこに大振りの真っ白のテントを二張り。
(後々にそれとなくめをやるとどうやら)小さい方は「控え室」。まあ、応接室と言ったところでしょうか、白い布のかかったテープルや椅子、ちょっとしたホテルのラウンジ風。
地面には一面に砂利砂が敷き詰められています。そして、山盛りし土に鍬入れ式などの神事が行われることになるのでしょう。
神事が終わるまでは、入口をシャットアウトされてますので、周囲の散策をしていましたら、高台の雑木林際になんとコゴミと
あさつきがいっぱい生えていました。
土手風のところでしたので、コゴミは自然に生えているものと勝手解釈していましたが、あさつきはお料理用にたぶん植えられたのかも知れないなと思い至りました。でも、わが家の近くの極太のと比べるととっても細くていじらしい感じがしました。浅間の噴火物による泥流と石に覆われた地面ですから、あまり育たないのかも知れません。
でも、もし、コゴミもあさつきも栽培していたものだとすれば、たぶん廃業なされた郷土料理屋さんが、ご商売の料理の添えものに間に合うようにと、家の周りに植えておかれたものでしょうか。
八ッ場でも、色の変わったマグロを出す旅館もあるのに、お邪魔した際のご店主夫人の注文を受ける時のさりげないアドバイスのなさられ方や料理を運んでくださる時の生き届いた心くばりが蘇り、こんな小さな素材一つにもオーナーご夫妻の心配りの一端をみたような思いでした。
そう思うと、あんな良い郷土料理店を、意味なくつぶさせてと、もったいなさがまたわきおこりました。
制止されないのをいいことに、2部は近づいて写真を撮りました。来賓は知事、中曽根参議院議員、地元県議など。
どことなく阻止気味の職員さんたち、どっかで見たことのあるおなじみの顔だなぁと思いました。
後で気がついたら、仮排水トンネルの同じく祈願祭の時、「撮影不可」というので、おちょくりつつ写真を撮らせた大成建設の職員でした。一度撮ってもらったのがダメだったので、「あなた、写真下手ですね」と言うと、極めて素直に「そうなんです」と言って、「これで堪忍してくださいよ」と再度、採ったのも私が、吾妻川を入れてと頼んだ構図には撮ってくれず、本当に下手だったのか、意識して見事に“富士には月見草がよく似合う”をやられたのか定かではないのですが……
その時のこと、歳を取ると健忘症でみ~んな、忘却の彼方だが、相手はたぶん、覚えていたのでしょう。写真をとるのを阻止するように、私の前に立つ時の表情からしても……
それでいぶかしく感じて、ようやく終了間際に、切れ切れの記憶の回路が周りはじめて、さりげなく胸のネームを見て、確信したの次第。
終了後、大沢知事の記者会見がありました。
来賓時の祝辞に同じく「前原さんに期待している」的な発言でした。
さりげなく見た引き物は、「秘幻」の商標名入りの浅間酒造の袋の中に、「秘幻」の確か二号瓶、四号瓶ではなかったと思う。
それに 熨斗紙つきの黒い箱でした。
2010年05月05日
旧六合村のこいのぼりです
五月五日です。
八ッ場でも、栄橋下の川原湯岩脈のところに、例年、こいのぼりがここ8、9年登場しますが、この風景はどこのものか、お分かりになりましょうか。
先日、旧六合村の品木ダムへ、雪解け後の今年は、2度目に行ってきました。
すると、山間にこんな風景が広がってました。長野原草津口の須賀川橋から、右手に旧六合村に向かう道筋を、草津に向かって半分同中の山の中の急カープの辺りです。
暮れに「エメラルドグリーンの湖を撮りたい」とおっしゃる方を御案内した時f、雪に降りこめられて、往生した付近でした。
本当はもう少し走って、次のカープの処で撮った写真の方が、背後にまだつぼみの桜の古木があって風情があるのですが、サイズや日付けの設定変更しても、それはこの写真よりも奥にあってか、どうにも選択出来ないのです。(何百枚もまとめて一度に保存しないで少しづつすればよいのだと、今、ひらめいた次第です)。
実はつたない記述のみながら、最近は皆勤賞ものの本ブログなのでした。が、3、4日と人並みに連休してしまいました。
で、さきほど、どうしようかなと思いつつ、一気に三日間、入れた次第です。浅い記述ながら、ノルマを果たして一安心。
本当はインチキこどのズルですから、心苦しいのですが、皆さま、お許しを。
なお、六合村は去る3月に、中之条町に編入合併しました。この日も中之条町と書かれた公用車で、職員さんたちが看板などの設置をしているのに出会いました。
2010年05月04日
今年の吾妻渓谷です

先月、4/26の吾妻渓谷の風景です。左手の淡いピンクが咲きだしたばかりのミツバツツジです。何だか、色が全体に薄すぎますよね。例によって、気ぜわしくガチャガチャと何枚も撮ったのでしたが……
念のため、申しておきますと、最近はカメラから直でも掲載できるようになれたんですよ。?かなり苦労して努力して、容量を小さくする方法を、少し学んだのです。
NTTのリモートサポートさんやカメラメーカーさんのお客様相談室の皆さんには、お世話を大変かけました。
でも、ビスタの場合、写真が全部載らないので、この点には往生して、日時やサイズなど動かして、「その1枚」を選択するのが大変なのです。実は、冒頭の1枚もたまたま、うまくアップできた、オンリーワンの1枚なのです。
で、過日、「ペイント」とかで容量を小さくする方法を教えていただいたのですが、こちらは未だ混戦状態です。
それにしても、確かに写真があるのとないのとでは、かなり違うものですね。
毎年、春のこの場面を撮りためては来ましたが、その反対方向は、例の仮排水トンネルで無粋ですね。
そうそう、それも添えてみます。
左手から川の中にせり出したコンクリートのものが、8M四方のトンネル。左手から、ダム堤工事の際、水を正面前方の小蓬莱山まで迂回させるトンネルでした。ダム本体工事の準備工事と位置づけられています。
中止後は、無用の長物です。本当にそうなって欲しいものです。
2010年05月03日
分れ霜って晩霜のことです。田植えもズレ込む模様です。
昨日、5 /2は八ッ場でも、最も寒冷地の山の中に、二枚ほど田を持つWさん宅の田植え予定日でした。
たぶん、八ッ場での最も早い田植えではないでしょうか。
例年、田植えの先陣を切るのがお好きなある方も、「Wさんとこ、2日に植えるんですって。だから、その日にまた来ます」と何気なく伝えると、「そんな早く、うえるんかや」と驚いていたくらいでしたから。
でも、目下、追われていることがあり、前の日にはいささか断念していました。
でも、「ビデオに納めますからね」と伝えてあるので、行けない旨を電話しようと心づもりしていましたら、何と幸い少し“執行猶予”ができたのでした。
で、喜び勇んで出かけようとしましたが、念のため、確認しの電話をしてみることにしました。たぶん、何でも早目早目の手まわしの良いYさんご夫婦なので、増してや田植えですから、早朝より仕事に出てしまうと勝手読み。珍しく早目に出かける心づもりだったのです。で、なんと、6時半に電話してみた次第。
ところが、農協さんからの連絡で、寒さで苗の育ちが悪く間に合わず、やむなく延期とのこと。7日過ぎに届くことに変更なったとのこと。
前に、ルスの時に玄関の張り紙に「裏のハウスにいます」とあったので、訪れてみましたら、ハウスいっぱいに苗まがしてありました。このお宅は自家用で間に合うと思い込んでました。
となると、あの苗はモチ米用の苗かもしれないなと思っています。人寄せの多いこのお宅では、度々、御赤飯を炊かれるのです。で、「ほら、食べながら気をつけて帰んなよ」と私も良く戴くのです(でも、気候のせいだと思いますが、どういうわけかモチ米に膨らみやあまりツ八ヤはありませんょ。
いかに最近、寒いかは今朝はわが家の八重葎の中に生えてくるワラビの頭まで、霜にやられて黒ズンでいる始末。こんなことは珍しいです。
今頃の遅霜を“分れ霜”というですよね。
この言葉、私のお気に入り語。で、かつて、演劇鑑賞会のサークル名に「分れ霜」という名をつけておいたくらいです。

それにタケノコも例年よりも、やや遅い感じですね。
でも、ようやく、旬にさしかかってきたようです。我が家の客人たちも、夕暮れ時になって、いっぱい掘ってきました。
竹藪の管理は私の仕事なのでずか、今年は思うように動けない日々です。
写真は先月末に掘った、わが家の初物です。例年は両端の゜大きさのものなんです。それでも大きいと思っていたのに、なんと今年はそれよりも二廻りくらい大きいので、思わずカメラに収めた次第です。
八ッ場ではタケノコはまだなので、持っていくと一足早い春となり、喜ばれます。
たぶん、八ッ場での最も早い田植えではないでしょうか。
例年、田植えの先陣を切るのがお好きなある方も、「Wさんとこ、2日に植えるんですって。だから、その日にまた来ます」と何気なく伝えると、「そんな早く、うえるんかや」と驚いていたくらいでしたから。
でも、目下、追われていることがあり、前の日にはいささか断念していました。
でも、「ビデオに納めますからね」と伝えてあるので、行けない旨を電話しようと心づもりしていましたら、何と幸い少し“執行猶予”ができたのでした。
で、喜び勇んで出かけようとしましたが、念のため、確認しの電話をしてみることにしました。たぶん、何でも早目早目の手まわしの良いYさんご夫婦なので、増してや田植えですから、早朝より仕事に出てしまうと勝手読み。珍しく早目に出かける心づもりだったのです。で、なんと、6時半に電話してみた次第。
ところが、農協さんからの連絡で、寒さで苗の育ちが悪く間に合わず、やむなく延期とのこと。7日過ぎに届くことに変更なったとのこと。
前に、ルスの時に玄関の張り紙に「裏のハウスにいます」とあったので、訪れてみましたら、ハウスいっぱいに苗まがしてありました。このお宅は自家用で間に合うと思い込んでました。
となると、あの苗はモチ米用の苗かもしれないなと思っています。人寄せの多いこのお宅では、度々、御赤飯を炊かれるのです。で、「ほら、食べながら気をつけて帰んなよ」と私も良く戴くのです(でも、気候のせいだと思いますが、どういうわけかモチ米に膨らみやあまりツ八ヤはありませんょ。
いかに最近、寒いかは今朝はわが家の八重葎の中に生えてくるワラビの頭まで、霜にやられて黒ズンでいる始末。こんなことは珍しいです。
今頃の遅霜を“分れ霜”というですよね。
この言葉、私のお気に入り語。で、かつて、演劇鑑賞会のサークル名に「分れ霜」という名をつけておいたくらいです。
それにタケノコも例年よりも、やや遅い感じですね。
でも、ようやく、旬にさしかかってきたようです。我が家の客人たちも、夕暮れ時になって、いっぱい掘ってきました。
竹藪の管理は私の仕事なのでずか、今年は思うように動けない日々です。
写真は先月末に掘った、わが家の初物です。例年は両端の゜大きさのものなんです。それでも大きいと思っていたのに、なんと今年はそれよりも二廻りくらい大きいので、思わずカメラに収めた次第です。
八ッ場ではタケノコはまだなので、持っていくと一足早い春となり、喜ばれます。
2010年05月02日
イヌワシよ、海の青さよ空の青さよ永延なれ
またも新聞情報です。
本日の上毛新聞の「地域 19面」のシリーズ「兵どもの夢跡」の4回目は、わが長野原町横壁の「丸岩城」でした。
昨年4月1日に上った時には、山上で時ならぬ雪にみまわれたものでしたが、今年の寒さから考えると、さほど驚くことでもなかったわけでした。
記事にもありますが、当時できたばかりの3号橋が眼前にニューと迫ってきて、「なにかしら」と一瞬、いぶかしく感じられたほどの衝撃でした。
長野原町のシンボルであり、イヌワシの生息地でした。「でした」と過去形にしなければならないのが切ないですね。
そして、展望のよいことこの上なし。
この時に観た眺望の良さが、昨年12月に記した「八ッ場のイヌワシ 保護作戦ならぬ、全滅作戦か」(ロシナンテ社 「月刊 むすぶ」№468)の中の、下手な創作物語風の章だて「イヌワシよ、海の青さよ空の青さよ永延なれ!!}」になっています。
八ッ場へ生き始めた頃、山村開発センターの中にあった町の教育委員会で、いとも明快に「丸岩って、昔、お城があったんですよね」と口にすると、こともあろうか、対応してくれた男性職員から、アホかといった侮蔑の感じのまなざしで「城があるわけないでしょ」と言われてしまいました。
(そんなことはない。確か、何かの資料で読んだことがある)と内心、思いましたが、相手は(いかに町以外から通っていられるとはいえ)、地元の教育委員会のご専門の職員さん。仕方なく赤面したまま、「そうですかぁ?」と引きさがったものでした。
後日、資料を見て、やはり戦国時代の攻防戦で、真田関係の確か、岩櫃城の齋藤氏のものだったと思いますが、まぎれもなく《城》だったのです。
(あの職員さん、お年からして、もう退職なされたかもしれませんが、後日、嘲笑ったご自分の認識不足に気がつかれ、逆に赤面なされたことかもしれませんね。ご専門の分野といえども、どなたにも盲点はあるものですね)。
さて、夜、珍しく携帯がなりました。
長野原町のXさんでした。なんと、丸岩の隣の高ジョッキ山に明日、ご家族で登るから、連れていって下さると言う、有り難いお誘いの電話でした。昨年、登れなかった山でした。
いつもなら、「はい、喜んで」と即座に駆けつけるのですが、明日は甥たちが急に、日帰りで来ることに。昨日来、タケノコを掘ってきて大がまでゆでたりして、1歳半のウタちゃんにあえるのを楽しみにしているのです。さらに、その他、いろいろとあるので、残念この上ないけれど、お断りました。
でも、最大の理由は、他の記すにはばかるあることに加えて、膝の痛み。1時間半かかるという急斜面で、もしも、皆さんの足出まといになったらという杞憂もあるのです。情けないかな、足腰が急速に衰えてしま、そんなことを想定しなければならない年になってしまいました。
昨年、なんとしても行くべきでした。もしかしたら、それこそ“まぼろしの永遠の高ジッョキ”になってしまうかも知れません。
本日の上毛新聞の「地域 19面」のシリーズ「兵どもの夢跡」の4回目は、わが長野原町横壁の「丸岩城」でした。
昨年4月1日に上った時には、山上で時ならぬ雪にみまわれたものでしたが、今年の寒さから考えると、さほど驚くことでもなかったわけでした。
記事にもありますが、当時できたばかりの3号橋が眼前にニューと迫ってきて、「なにかしら」と一瞬、いぶかしく感じられたほどの衝撃でした。
長野原町のシンボルであり、イヌワシの生息地でした。「でした」と過去形にしなければならないのが切ないですね。
そして、展望のよいことこの上なし。
この時に観た眺望の良さが、昨年12月に記した「八ッ場のイヌワシ 保護作戦ならぬ、全滅作戦か」(ロシナンテ社 「月刊 むすぶ」№468)の中の、下手な創作物語風の章だて「イヌワシよ、海の青さよ空の青さよ永延なれ!!}」になっています。
八ッ場へ生き始めた頃、山村開発センターの中にあった町の教育委員会で、いとも明快に「丸岩って、昔、お城があったんですよね」と口にすると、こともあろうか、対応してくれた男性職員から、アホかといった侮蔑の感じのまなざしで「城があるわけないでしょ」と言われてしまいました。
(そんなことはない。確か、何かの資料で読んだことがある)と内心、思いましたが、相手は(いかに町以外から通っていられるとはいえ)、地元の教育委員会のご専門の職員さん。仕方なく赤面したまま、「そうですかぁ?」と引きさがったものでした。
後日、資料を見て、やはり戦国時代の攻防戦で、真田関係の確か、岩櫃城の齋藤氏のものだったと思いますが、まぎれもなく《城》だったのです。
(あの職員さん、お年からして、もう退職なされたかもしれませんが、後日、嘲笑ったご自分の認識不足に気がつかれ、逆に赤面なされたことかもしれませんね。ご専門の分野といえども、どなたにも盲点はあるものですね)。
さて、夜、珍しく携帯がなりました。
長野原町のXさんでした。なんと、丸岩の隣の高ジョッキ山に明日、ご家族で登るから、連れていって下さると言う、有り難いお誘いの電話でした。昨年、登れなかった山でした。
いつもなら、「はい、喜んで」と即座に駆けつけるのですが、明日は甥たちが急に、日帰りで来ることに。昨日来、タケノコを掘ってきて大がまでゆでたりして、1歳半のウタちゃんにあえるのを楽しみにしているのです。さらに、その他、いろいろとあるので、残念この上ないけれど、お断りました。
でも、最大の理由は、他の記すにはばかるあることに加えて、膝の痛み。1時間半かかるという急斜面で、もしも、皆さんの足出まといになったらという杞憂もあるのです。情けないかな、足腰が急速に衰えてしま、そんなことを想定しなければならない年になってしまいました。
昨年、なんとしても行くべきでした。もしかしたら、それこそ“まぼろしの永遠の高ジッョキ”になってしまうかも知れません。
2010年05月01日
5/6 1号橋 安全祈願祭
いよいよ5月。
畑仕事や八ッ場に行きたくて、ウズウズ。しかし、締め切りを過ぎた草稿に追われています。 でも、何とか今夜中に仕上げて、明日はWさん宅の山の中の、冷たくて手がキレるような田での田植えの写真撮りに行かねばなりません。
さて、まさに五月晴れの天気とは裏腹に、残念ながら、今朝の地元紙・上毛新聞一面に、小さいながら、
【2010年5月1日(土) 上毛新聞一面】
八ッ場ダム 1号橋事業費は6億4400万円 本年度分で県 国と契約結ぶ
無料サイトになく、短くとも手打ちしている時間もないので、同種の報道記事の以下を転載。
【2010年4月28日(水) 東京新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100428/CK2010042802000100.html
橋脚工事、本格化へ 八ッ場ダム湖面1号橋 来月6日に安全祈願祭
畑仕事や八ッ場に行きたくて、ウズウズ。しかし、締め切りを過ぎた草稿に追われています。 でも、何とか今夜中に仕上げて、明日はWさん宅の山の中の、冷たくて手がキレるような田での田植えの写真撮りに行かねばなりません。
さて、まさに五月晴れの天気とは裏腹に、残念ながら、今朝の地元紙・上毛新聞一面に、小さいながら、
【2010年5月1日(土) 上毛新聞一面】
八ッ場ダム 1号橋事業費は6億4400万円 本年度分で県 国と契約結ぶ
無料サイトになく、短くとも手打ちしている時間もないので、同種の報道記事の以下を転載。
【2010年4月28日(水) 東京新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100428/CK2010042802000100.html
橋脚工事、本格化へ 八ッ場ダム湖面1号橋 来月6日に安全祈願祭