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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年09月13日

①八ッ場ダム訴訟ー進行協議10/15に

 八ッ場ダム建設の違法性をめぐって、前場地裁に提訴した「ストップさせるぐんまの会」では、昨年の不当判決の後、直ちに
高裁に上告しております。
 そして、ようやく高裁における「進行協議」の期日が来月15日と決定されたようです。
 
 これを受けて、先日来、群馬地元の福田弁護士さんたちのお骨折りで、原告団会議の段取りが進められてきて、本日、13時から、前橋の群馬弁護士会館で久々に会議が持たれました。

 裁判に詳しい方の話によると、本来、「進行会議」というのは、司法側と弁護団との協議で原告は関係なし的なようなのですが、群馬の場合には、原告もできるだけ大勢参加してほしいとのことになりました。
 また、協議の場には同席できませんが、ご関心のある方は同行していただければ幸いとの会議結果でしたので、以下に期日をお伝えいたします。

    期 日     10月15日(金)  ※時間は調整中
    場 所     東京高裁第11民事部  16階   ※たぶん1号法廷とのことですが、未定です。

 すでに、去る9日午後4時~、東京の「ストップさせる会」では進行協議を行ってます。
 その後の記者会見での模様が、本欄で昨日12日に紹介した、12日付け東京新聞の一面のきじであり、また「こちら特報部」の内容です。
 記事全体を紹介出来ればよいのですが、サイトにアップされておらず、かなりの量なのです。
 
 《八ッ場ダム「流量」また疑問符》の副見出しのついた「こちら特報部」の同紙のリード文を手打ちで以下に転載します。
 ーーー 「国土交通省は虚偽の報告をしてきた」-。八ッ場ダム(群馬県長野原町)建設の争点となってきた、利根川の治水基準点・八斗島(群馬県伊勢崎市)での(基本高水(最大流量)」。同省の計算を検証した専門家は、利根川上流部の森林保水力が無視されていると指摘する。さらに検証するにはデーターの公開が不可欠だが、国交省はこれを拒んでいる。ーーー

 検証したのは、拓殖大学の関良基准教授(森林政策)で、その際に用いた、基本高水を計算するのに使った計算式に「ウソ」があったということなのです。
 原因は国交省が、計算式を作るのに使った、八斗島上流部を五十四分割した「流域分解図」などの公開を拒んだため、関さんは同種の資料として、六九年に建設省関東地方整備局(当時)が「利根川上流洪水調整計画に関する検討」で示した二十三分割の流域分割図などを使わざるを得なくなったのでした。
 国交省側の苦しい答弁もありますが、記事中ではこれらの矛盾点も看破されています。

 さらに、八ッ場ダム訴訟の発端に尽力された高橋利明弁護士らが、10日、前原国土交通相に、同省の広報体制をただす質問状を提出しています。
 《続きは明日分に二分割》  


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)八ッ場だより

2010年09月13日

真の自然体験です。?ミョウガ採り体験ツアー

 
 上のミョウガの群落は、花が咲いてしまって、旬の時を過ぎても採ってもらえず放置状態の八ッ場のミョウガです。
 こんな群落が数十も拡がっています。どこの群落をかきわけても、このような光景が見受けられます。
 工事現場の端に群れている写真のミョウガたちに、来年の開花はありません。
 どういうわけなのか、最後の年となった生物たちは、本当にせいいっぱい咲き誇るものです。そして、その英姿を人間のまぶたに焼き付けて、地上から去っていくのです。 
 
 例えば、3号橋、昨日の報道で正式名は「丸岩大橋」となった地点には、1O年くらい前には、畑を追われたフキたちのこんな群落があちこちに見受けられ、フキのトウが道端にいっぱい芽吹いていたものでした・
 が、今はコンクリートの下で絶え果てていることと思います。
 フキの栽培は養蚕業の衰退に伴って、奨励された次の農産物でした。
 だから、横壁の高台にはフキがいっぱいあります。ある生産農家は、丁寧にそろえて手間暇かけて出荷しても、箱代にもならないどころか、市場から手数料を要求されて赤字だったと嘆いて、以来、出荷を停止。
 ミョウカもその類いのようだったようです。
 農協の薦めるままに秋田から高いフキの苗を取り寄せて、採算が採れた農家が果たして何軒あったでしょうか?
 一説に「国が奨励する作物や政策を守った百姓がみんなバカをみた口さ。方針なんか聞かずに自分の思い通りの方法をやったもんが、今は上手くいっているよ」との農家の方たちの声がありましたけれど……
 
 すでにわが家のミョウガは空白状態。今後、例年通り生えてくれるものがどうか定かでなく、ミョウガ大好き人間の当方、幸い元の地主さんとはお知り合い。二年前までは、広い屋敷うちのこれらのミョウガをこまめに採っては、おみやげにもたせて下さった奥さんも、今年はもうなさらないみたいです。
 で、元の持主さんのお顔が浮かぶおびただしいミョウガたちが皆、写真の朽ちたミョウガのようになるのは、時間の問題。
 そこで、工事現場の土砂の間から、まるで人目をひくかのように、身をのりだすように密集しているミョウガの一つかみを採らせて戴いて、ありがたく我がつましい食卓を飾らせていただくことに。みんな時すでに遅しの花咲きミョウガばかりですけれど、これって、ミョウガドロボーになりましょうか?
  
 ソウソウ、先日、お知らせした「多喜二奪回祭」では、小林多喜二が伊勢崎に来た時に喜んで食したという、「ミョウガの卵とじ汁」が参加者にふるまわれました。
 スタッフの方の話では、約80年前の1931(S6)年9月6日当時の伊勢崎市では、菊池家をはじめいっぱい芽吹いていたというミョウガが、今年は菊池家にも近隣にも生えていず、往生したそうです。八方手を尽くして入手したそうで、当日はお椀からはみ出るほど、たっぷりののミョウガ汁を御馳走になりました。
 そこで、おもわず頭に浮かんだのが、八ッ場の誰にも採ってもらえない、現在は、国のものですから、正式には採れないミョウガたちでした。
 
 このミョウガたちに来年があるのなら、都会の方たちに喜ばれるように、採り放題の「八ッ場・ミョウガツアー」でも企画したいものですが…… 
 
 国交省も、工事の休みの1日、現場を開放して採らせてくれるか、目をつぶって採らせてくれればよいものをと思います。
 その方が、税金をつかって、養殖のニジマスを購入して、わざとらしく久森沢に放流。千葉や埼玉の子供たちにつかみどりを行わせ、“にせものの自然体験”を味わさせるよりも、よっほど良い!!
 これぞ、真の交流事業?
 でも、そうすると、都会の子供たちも純粋で感性豊かだから、「ワラビやミョウガが大地にいっぱい生えていて、魚も育つ今のままの自然の方が良いな」と自覚してしまうことにつながりかねず、将来のダム反対予備軍の養成所になってしまって、困ることに……なるでしょうから、認可するはずもなし。
 しかし、国家の大金をつかって、水没予定地として買い上げた土地は、国民に還元するのが当たり前ではないでしょうか?
  


Posted by やんばちゃん at 07:28Comments(0)八ッ場だより

2010年09月12日

八ッ場づくしの今日の東京新聞

 本日12日の東京新聞は“八ッ場づくし”でした。
 
 まず一面
 ① 【2010年9月12日(日) 東京新聞一面上段 地図添付】 
 「八ツ場ダム 流量予測過大か 専門家指摘 国、建設根拠揺らぐ」 

 そして、おなじみ「こちらとくほう部」は、一面のより詳細な補いとして大特集。
② 【2010年9月12日(日) 東京新聞24面・25面 写真2葉 資料・図表】 
 にっぽん再起動
  八ッ場ダム「流量」また疑問符   
     専門家「国の値15~25%過大」  計算式「終戦直後の基準」
   森林の保水力 無視
   検証材料 公開せず

    国「国民の誤解や混乱 招く恐れ」
    建設反対側 弁護士 開示求め提訴

   さらに群馬版はシリーズの2回目。
 ③ 【2010年9月12日(日) 東京新聞群馬版 カラー写真】 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100912/CK2010091202000085.html
 「八ッ場ダム」-中止宣言から一年<中>
   生活再建の行方 地域振興策 めど立たず
 
 <上>も転載しておきます。
  【2010年9月11日(土) 東京新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100911/CK2010091102000068.html
 八ッ場ダム 中止宣言から一年<上> 
 是非論の停滞 国と流域都県 平行線

 
この記事の下段には「2号橋」の正式名が「不動橋」、「3号橋」が「丸岩大橋」と命名された記事があります。
 ④ 【2010年9月12日(日) 東京新聞群馬版 下段 カラー写真】 
  湖面2号橋 名称は「不動大橋」 

本日もまた最もてっとりやすい、新聞記事の転載とあいなりました  


Posted by やんばちゃん at 20:42Comments(0)八ッ場だより

2010年09月11日

15年ぶりの若女将―夕刊記事

 本日11日の読売新聞夕刊の社会面トップに、休業中の川原湯温泉「柏屋」さんでの「若女将」誕生の記事が、カラ―写真と図表入りで大きく掲載されています。
 なお、前橋支局に確認しましたら、明日の群馬版にも掲載予定のようです。となりますと、当然サイトにはなく著作権等のことも生じますので、見出しと要旨のみを。 
 
 【2010年9月11日(土) 読売新聞夕刊 社会面トップ(3版15面)】 
 「水没」の湯に若女将
      --八ッ場「中止」温泉街移転 宙に

《記事要旨》
 衰退する湯の街・川原湯温泉が、この夏、15年ぶりに若女将を迎えた。
老舗旅館「柏屋」の若社長のもとに今年6月末、神奈川県から嫁いだ若女将は、営業再開を信じ、女将さん修業を続けている。
 水没予定の温泉街で宿泊営業をしている旅館はわずか6軒。22軒あった往時のにぎわいはない。
 代替地の造成は進まず、営業再開のめどは立っていない。しかし、若女将は家族や従業員らと同居し、女将の心得や料理の取得に余念がない。
 若女将は「前原大臣はこの現状を知っているのでしょうか。会って話がしたい」と憤慨する。
 
 「休業中とはいえ、2人は玄関の花の手入れを欠かさない。再びお客でにぎわう旅館を切り盛りする日が来ることを願ってい」と結ばれている、記事のように、玄関前の草の手入れをしている初々しいお二人のカラ―写真が掲載されています。

(いかにも読売さんらしい記事ですが、お目出度いことですので、お知らせ致しました。春頃から、若社長の顔がとっても輝いていたのは、この吉事があったからなんですね)

 反対運動の華やかなりし頃、運動を陰で支えた剛毅な初代女将・めいじさんも、さぞかし、安心されたことでしょう。
 なお、近々、この初代女将をはじめとした、反対運動の勇士たち(物故者)の往時の姿を記した、当時の生き証人の証言をもとにした書籍刊行の準備が進んでいます。

  当地は夕刊配達区域外ながら、実家に時折り、読売の配達の方がサービスに夕刊を置いいってくれるのです。それを何気なく開いたら、載っていたのでお知らせさせて戴いた次第です。縁がありました。  


Posted by やんばちゃん at 21:21Comments(0)八ッ場だより

2010年09月10日

落石は、「災害」か?

 [写真の左手、上り車線約200㍍先に落下。正面先は松谷トンネル。手前は川原畑側]
 昨日の9月9日、落石現場の調査などに現地へ行ってきました。
 往きの松谷の交差点では、交通止めの標識が左脇にありましたが、全面交通止めではないようでした。おそらく、トンネル付近の住民への配慮と思われたので、避けました。
 3号橋を走っている車がありました。で、試走してみることに。
 横壁地区~林地区の第1学校付近までは走れ、ここでう回路を求められて、勝沼の交差点にでます。ですので、林地区一部~トンネルまでの区間が交通止めということのようでした。
 さて、問題の落石場所は、川原畑の諏訪神社前から、渋川方向に向かって200~300㍍のトンネル入り口の左手の道路沿いの斜面頂上から、数十㌢の石が10個ほど落ちたとのこと。
 もちろん、石はかたずけられているとのことでしたが、頂上付近を調べてみると、まだ落石の可能性の高い危ない石があったので、念のために「交通止め」にしたとのことを、現場関係者から伺いました。
 現場へは阻止されて近づけませんでした。川原畑口から登ってきたかなりの車が、Uターンしていきました。
 
    

[上記二葉の写真の中央高台は、川原畑代替地・諏訪神社]
 
 次に下の写真をご覧いただきたいのですが、交通止めの「災害」の文字をいぶかしく感じて、この辺のことを問うと、?「今般の台風により」とのことが、現場での工事関係者の間での、当面の公式的説明のようでした。
 
 なお、町内の方に伺うと、「イノシシが落とした」とか、「あそこはイノシシの通り道」とかの複数の声に接しました。
 しかも、「イノシシ憎し」の日頃のうっぷんを晴らす声に集約されてました。実際、最近、イノシシが増えて困っているそうですが……(なお、このことに関しては「日本熊森協会」などのお話によれば、これも人間がなした環境破壊の結果で、断じてクマやイノシシに罪はないのだそうです)
 そして、落石についての反応は、町民の方も「おっかねぇやのう。いつ落ちてくるかわからねぇんだから」とおびえてました。8日の深夜1時に職員が、発見したと報道されていますが……

 ただし、問題点は仮に台風やイノシシ君の仕業にしてもです、そのくらいで国道に落ちてしまう危険地帯なわけなのです。
 地盤のもろさによって、トンネル工事中には落盤事故。さらに同じく川原畑の要壁の土砂くずれが起きているのです。今後も絶対、安全とは言い切れない地層なのです。

八ッ場ダム工事所への質問 ※《13時現在にて》
今般の“災害”状況のきちんとした全容を国交省に伺おうとして、10時前から電話を入れています。
 その見解もいれてアップしようと心づもりしていたのでしたが、すでに3回目。 朝からずっと会議とのこと。端的に用件を聴く為に、机に要点をメモしたもの置いてほしいと伝えて、休み時間に食い込まぬようにと12時ちょっと前にかける。まだ終わらずとのことで、現時点の午後1時にとしてきたのです。が、13時現在、未だに午前中からの会議が終わらぬとの由。従って、分かり次第、お伝えします。
※《14時半時点にて》
 14時半半にかけたら、また、会議に出かけた由。帰社の時間は不明。
 で、(市民運動中、当方への窓口の〇〇さんが超ご多忙なのと、内部見解が統一されるまで軽々にもの言えないシステムなどの背後事情もわかるが……)、思わず口調を荒くし、13時の際の男性職員の対応時の約束事を伝え、「踏むべき手順と配慮はしておるつもりですが」と伝えた。
 「はっと」としたように慌てて、「お待ちください。もう一度確認して参りますので」と。そして恐縮の呈で「帰りましたら、電話するようにいたすそうですので」との女性の応接があった。
 「ご多忙なのはわかっているわよ。職員でしかも同性のあなたを困らせるつもりはないの。あなたがメモをおいてくださるのをお忘れになるはずないですものね」と語気を和らげ、「端的にイエスかノーかだけで構わない。聞いておいてくださらない」と頼む。
 ※《17時半時点にて》 
 しかし、17時。こうなったら、意地もある。またかけた。
 「電話するように伝えてありますので……申し訳ありません。こちらからかけますので」と。こちらもムリを承知でかけているのだから仕方ない。
 そして、17時16分、電話がなった。
 開口一番に「申し訳ないんですが、10分後にはまたでかけるんです」と言う。で、「ルールと仁義は守るわよ。〇〇さん」と2分弱で、手早く切り上げた。 本当に多忙なのだ。電話を貰えたことだけでも、異例と自覚すべきだろう。
 考えれば、同じ国民同志とはいえ、何年か前にくらべれば、対応は極めてよくなってきている。政権交代の効果は、こんな細部にも表れている。

 そんなこんなで、ようやく聞き得た、八ッ場ダム工事事務所の見解を以下に。
 「現場は切土や盛土はした箇所ではない。所有者が持っていたもとのままの状態。それが、経年劣化を起こしたものと思われる」とのことでした。
 (後日、土地の方に聞くと、土地はまだ買い上げてないようです。で、地主の許可を得ないと対応できないようです)。
 地域に流布しているイノシシの通り道でイノシシが落としたとか、現場にはまだ危険が予測される石があり、処置策が施される等のことについては、「何ともいえない」とのことで、ただ今「調査中」との由。
 今後の手当てについても、全て「調査・検討中」とのこと。

//////////////
 なお、くしくも、本日は以下の記事あり。
※個人名が含まれますので、<要約>という形をとらせて戴きます。
【2010年9月9日(金) 毎日新群馬版 NWESスポット欄】 
 長野原・作業事故死で書類送検
<要約> 09年12月の「湖面2号橋」工事現場で落下した鉄パイプの下敷きとなり即死した事故で、中之条労働基準監督署は9日、建設会社と現場監督を労働安全衛生方違反容疑で書類送検した。  


Posted by やんばちゃん at 09:14Comments(0)八ッ場だより

2010年09月09日

予感適中、付替え国道で落石

 本日の県内版各紙に以下の、国道145号付け替え道路での落石記事がありました。
  (上毛、毎日にもありますが、パソコンの調子が悪く打てず、轄愛)
 ※翌10日記入:原因はノートパソコン特有のひらがなと英数字が、ランダムに出てしまうものでした。

他方、読売では、②の報道あり。

/////////////////////////////////
 ① 【2010年9月9日(木) 東京新聞群馬版】 
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100909/CK2010090902000081.html
八ッ場ダム建設予定地 付け替え国道に落石  

 国土交通省八ッ場(やんば)ダム工事事務所(長野原町)は八日、町道として部分供用されているダム建設予定地の国道145号付け替え道路の一部区間で落石が発生したと発表した。事務所職員が同日午前一時ごろ、長野原町川原畑の茂四郎トンネル西側で落石を確認。通行車両への被害やけが人はなかった。

 同事務所は、通行車両などへの安全を考慮して、付け替え道路の半分程度にあたる約四キロの区間で当面の間、通行規制を敷く。落石現場付近では当時、雨は降っておらず、同事務所が原因を調べている。

 同道路が通る住民の移転代替地については、ダム事業に疑問を示す市民団体から「地滑りの危険が強い区域であり、耐震性にも問題がある」との指摘が出ている。同事務所は、落石現場の斜面について「未造成の区域であり、代替地整備とは無関係」としている。 


////////////////////
 ②【2010年9月9日(木) 読売新聞群馬版 図あり】http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100909-OYT8T00086.htm
  川原湯代替地 配湯施設12年5月に完成
    国交省、旅館関係者に説明


 八ッ場ダム(長野原町)水没予定地の川原湯温泉街の生活再建を巡り、旅館が代替地に移転した際に温泉を各戸に供給する配湯施設が、2012年5月に完成する見通しとなったことが8日、わかった。国土交通省八ッ場ダム工事事務所が旅館関係者らに説明した。移転後の営業再開スケジュールの目安が示されるのは初めて。施設完成は、温泉街再建の第一歩となるが、配湯方式が未定で、稼働後の施設維持費を国がどこまで負担するかも未決着。当面は、国と地元との協議が続くが、将来への不安から休業を決める旅館も出ていた温泉街からは、安堵(あんど)の声が上がっている。
 旅館関係者によると、同事務所が7月下旬、温泉街の移転手法を協議する川原湯地区ダム対策委員会の温泉部会で日程を説明。他の水没地区より分譲が遅れている川原湯地区の代替地について、同年3月に一部を除いて分譲可能になるとの予定も明らかにした。

 坂道の両側に旅館が並ぶ川原湯温泉街では、坂の上にある源泉から湯を引いており、現在、6軒が営業している。代替地は、現在地より標高が約30メートル高いため、移転に際し、国が貯湯タンクや配管、ポンプなどの配湯施設を整備する約束になっていたが、これまで時期などは示されていなかった。

 出席した旅館経営者は「これまで先行きが不透明だった。その日程が守られるか不安もあるが、一歩前進した」とほっとした様子で話した。

 配湯方式は、各旅館を温泉が循環し、湯を有効利用できる「循環方式」と、各旅館に個別に湯を送る「魚骨(ぎょこつ)方式」の2種類があり、数億円単位の初期投資が予想されている。稼働後の維持費の負担も現在より重くなることが確実のため、負担軽減を求める温泉部会と国が協議を続けている。

 川原湯地区の代替地は、JR吾妻線の付け替えで建設される新川原湯温泉駅(仮称)周辺の一部を除き、住宅ゾーンは来年3月までに、温泉街ゾーンは12年3月までに造成地全体の分譲が始まる見通しという。

 同事務所は「現在、地元と協議中でお話できない」としている。

  


Posted by やんばちゃん at 08:58Comments(0)八ッ場だより

2010年09月08日

本日も、「無償譲渡」県方針の続き

 源泉の利用権や温泉施設など、5億円相当の県有財産を「無償譲渡」する県方針について、昨日につづき本日は、以下の4紙が報道しています。

/////////////////////////////////////////////
 【2010年9月8日(水) 毎日新聞群馬版】 
八ッ場ダム 流転の行方 
 温泉権など無償譲渡へ
    川原湯温泉 県が長野原町に
 


【2010年9月8日(水) 朝日新聞群馬版】 
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581009080001
 長野原町に地元の温泉権など無償譲渡 県方針 

八ツ場ダム(長野原町)に絡む地元の生活再建支援のため、県は、川原湯温泉の温泉権や源泉湧出(ゆうしゅつ)地、露天ぶろといった地元にある県有財産を、同町に無償譲渡する方針を決めた。資産価値は5億円ほどとみられる。21日開会の県議会の9月定例会に譲渡承認を求める議案を出す。
 1988年から89年にかけ県が川原湯再建のために掘削した源泉「新湯」の権利のほか、別の源泉「元の湯」が含まれる周辺県有地約550平方メートル、共同浴場「王湯」に付帯する露天ぶろなど。温泉の権利が約4億5千万円ほどの資産になるという。
 町が8月、無償譲渡を県に申請したため、検討してきた。譲渡されれば、町と地元で迅速に生活再建のための利活用をはかれる。代替地移転が進んでも源泉などの権利は変わらず町側に残る。
 県特定ダム対策課は「もともと地元の生活再建のために所有していた財産で、移転前が譲渡の良いタイミングだと判断した」と説明した。

 【2010年9月8日(水)  読売新聞群馬版】 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100908-OYT8T00118.htm
   県の温泉権、町に無償譲渡/長野原
      5億円相当、生活再建支援で
 
 
 八ッ場ダム中止問題で、県は、水没予定地の川原湯温泉街など長野原町の生活再建を支援するため、県が掘削した源泉の利用権(温泉権)や、所有する温泉施設など、5億円相当の県有財産を同町に無償譲渡する方針を決めた。県議会9月定例会に関連議案を提出する。源泉では、県、町、地元行政区などの権利関係が入り組んでおり、県の権利を消滅させることで、煩雑な手続きを経ずに、地元の判断で利活用を進められるようになる。同町が8月下旬、県に要望していた。
 譲渡対象となる県有財産がある源泉は、川原湯地区の「新湯」、「元の湯」と横壁地区の「白岩の湯」。「新湯」は県が掘削し、湧出(ゆうしゅつ)量は毎分200リットルで、川原湯温泉の基幹となる源泉。県が温泉権の7割を持っており、共同浴場施設や観測小屋とともに無償譲渡する。
 また、「元の湯」では、川原湯温泉の共同浴場「王湯」が立つ敷地約550平方メートルと、露天風呂施設が県の所有。王湯の建物は、地元行政区が所有する一方、敷地は、県が地元住民に貸し出すなど複雑な権利関係が生じており、土地と露天風呂を町に譲る。
 「白岩の湯」も県が掘削した源泉。温泉権の7割が県所有で、観測小屋とともに無償譲渡する。

 【2010年9月8日(水) 東京新聞群馬版】 
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100908/CK2010090802000096.html
    源泉など無償譲渡へ 県が長野原に 八ッ場ダム生活支援で
 県は、八ッ場(やんば)ダム建設予定地にある川原湯温泉(長野原町)の生活再建支援を目的に、温泉の権利や源泉がわき出す土地などの県有財産を町に無償譲渡する方針を決めた。九月定例県議会に譲渡承認を求める議案を提出する方向で準備している。
 譲渡の対象は、ダム完成に伴い代替地に移転する計画となっていた川原湯温泉の新たな源泉「新湯」の権利と、古くからの源泉「元の湯」がわく県有地約五百五十平方メートル、共同浴場「王湯」に付属する露天風呂など。源泉などの資産価値は五億円程度に上るとみられる。町側が八月下旬、県へ源泉などの無償譲渡を要請していた。
 川原湯温泉の生活再建では、政権与党の民主党県連が昨年十一月に、「現在地での営業継続」を前提とした案を提示。地元が猛反発した経緯がある。
 県特定ダム対策課は「川原湯温泉の再建はあくまで代替地移転が前提」と強調した上で、「県が所有する権利を町に渡すことで、温泉資源などの利活用法を町と地元だけで決めることができる」としている。  


Posted by やんばちゃん at 20:09Comments(0)八ッ場だより

2010年09月07日

群馬県、温泉の権利を無償譲渡

 
 昨日来、群馬県内版では、21日から始まる県議会9月定例会における、八ッ場ダムへの対応策が伝えられています。
 本日の上毛新聞一面では、準トップ記事扱いで、源泉の無償譲渡が明らかになっています。
 代替地移転を望んでいる町側は、単純に喜んでいますが、はたしてそうでしょうか。直感ですが、部外者の冷めた目には、そうにもみえませんけれど……
 サイトにないので、手打ちします。

 【2010年9月7日(火) 上毛新聞一面】
 
 長野原町に県 温泉権など無償譲渡へ
  9月定例議会に議案  川原湯、生活再建で

 
 八ッ場ダム問題に絡み、県は長野原町の生活再建を支援するため、川原湯温泉の温泉権や源泉湧出地、温泉関連施設などの県有財産を町に無償譲渡する方針を固めた。金額に換算すると合わせて5億円程度に上るとみられる。県議会9月定例会に譲渡の承認を求める議案を提出する。
 譲渡するのは、川原湯地区の生活再建のため、県が約20年前に掘削した源泉「新湯」の権利(湧出量の7割)や、昔からの源泉「元の湯」が湧出する県有地550平方㍍、共同浴場「王湯」に付帯する露天風呂ーなど。横壁地区の源泉「白岩の湯」の権利(湧出量の7割)も含まれる。
 町が8月下旬、無償譲渡を求める文書を県に提出した。町が正式に権利を持つことにより、県との調整や手続きといった制約なしで町と地元が利活用法を決定できるため、代替地移転後の円滑な生活再建につながるという。
 県は、「もともと地元の生活再建のために所有していた財産なので、代替地整備が進んできた今が譲渡のタイミング、譲渡後も生活再建を支援することは変わらない」としている。
 長野原町の高山欣也町長は「大変ありがたい。住民のために有効に利用したい」と歓迎している。


 【2010年9月7日(火) 上毛新聞一面下段】  
   雇用創出や八ッ場事業推進を要望 
     9月補正予算案で 自民県連が知事に  


Posted by やんばちゃん at 20:40Comments(0)八ッ場だより

2010年09月06日

代表選、いらだちの中で見つめる現地

 昨日の朝日新聞の群馬版を転載せていただきます。
 8月中旬以降の現地をとりまく、内外の動きが、わかりやすくまとめられていると思います。

  【2010年9月5日 朝日新聞群馬版】  http://mytown.asahi.com/areanews/gunma/TKY201009040307.htm
 八ツ場ダム、工事進むが議論停滞 
          民主代表選見守る地元



 続いて、昨日、お知らせした、知られざる小林多喜二の検挙、奪還」事件に関する伊勢崎市の3回目を迎えた同研究会のHPをお知らせさせて抱きます。
 長谷田事務局長さんの精力的な取り組みによって、史実をもとに縦横に取材網を広げられ、詳述されています。ご一読を。
   http://www.takijidakkan.com/  


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2010年09月05日

時を越え、解放歌よ高く響け

 八ッ場ダム問題をちょっと離れます。
 でも、根は一つです。
 
 本日、伊勢崎市で催された「第3回伊勢崎・多喜二祭/菊池敏清宅・現地見学会」に参加させていただきました。大変、感動的な会でありました。
 1931(S6)年9月6日、菊池敏清さん等伊勢崎市周辺の市民の招きで文化講演会に訪れた小林多喜二・中野重治・村山知義たちを、午後6時~の講演会前の茶話会が無届け集会とのかどで、伊勢崎警察署が検挙したのです。
 
 詳述は実行委員会の研究分野でありますので、ご遠慮させていただきまして、以下の必要な関係事項のみを。
 詳細は、http://www.takijidakkan.com/ 多喜二奪還研究室
 
 逮捕の知らせを受けた、講演会場の共栄館で待っていた聴衆たちは、怒って押し寄せ、「多喜二を還せ、多喜二を還せ」と、警察所を取り囲み抗議。
 また伊勢崎周辺の知識人、(もちろん、3人ともすでに鬼籍にはいられていますが)、石井繁丸元前橋市長(当時は弁護士)・角田儀平治弁護士・佐田一郎氏などの農民運動や無産運動の闘士たちの援護射撃もあって見事に奪還しえたのだそうでした。
 ただし、釈放の条件として、「公表しないこと」が取引条件だったことが、長い間、表にでなかった理由のようでした。
 配布されたパンフレットを拝読しますと、この時、仮庁舎と呼ばれていた、当時の木造2階建ての伊勢崎警察を囲みながら、「署内外で床を踏み鳴らしながら展開した抗議行動に署員は退避、署内外に労働歌・革命歌が響いた」と記されています。
 
 そこで、以前、「後ほど」としたままになっています、その「革命歌」の歌詞を。
 しかし、この時、唄われた「革命歌」が、ご紹介する、太田市出身の築比地仲助が応募し当選した、以下ご紹介のものであったどうか、他にも幾つかの革命歌があったのかどうかについては、現段階では心元ありませんが……
 
 ようやく探し出した共学文庫でもらった歌詞を先に添付してみます。 
 この共学文庫でのチラシの歌には、10番まであります。
 ただし、題名はなし。従って、私は、「ああ、革命は近づけりの歌」と勝手に命名していました。
 右隅に 「1985・7・5 3000」なる日付けのようなものが印刷されていますが、おそらく「共学文庫」の案内のこのパンフを印刷した日ではなかったでしょうか。
 
 その後、後に唄い手の添田唖蝉坊が統合して7番までに圧縮したと伝えられている歌詞を添付しますが、二つの歌詞は、若干異なっています。現段階ではどちらが正しいかわかりません。
 「共学文庫」の採録歌詞は、おそらくどなたかの記憶をもとに採譜したものではなかったでしょうか。
 結論として、原歌詞では「一高寮歌」のメロディでは、途中までしか歌詞がなく、そこで、二フレーズづつずらして前送りにして、七節に仕上げたように感じます。

「共学文庫」配布の歌詞  
 ああ革命は近づけり ああ革命は近づけり
 たてよ白屋らんるの子 さめよ市井の貧窮児
  
 見よ、わが自由の楽園を 蹂躙したるは何者ぞ
 見よ、わが正義の公道を 壊廃したるは何奴ぞ
  
 圧制、横暴、迫害に  われらいつまで屈せんや
 わが脈々の熱血は 飽くまで自由を要求す

 われらに自由なからずば むしろ墳墓を選ばんと
 わが同胞は露国にて 絶叫しつつあらざるか
  
 春らんまんの花さえも 権門勢家のために咲き 
 秋れいろうの月さえも 瑤台朱閣のために照る
  
 わが子はかつて戦場に かれらのために殺されき
 老いたる父もいたましく かれらのために餓死したり

 ああ積年のこの怨み  いかで報いで止むべきや
 われらは寒く飢えたれど なお団結の力あり
  
 ああたて 君よ、 革命は われらの前に近づきぬ 
 農夫はスキクワとりて起て キコリはオノをとりて起て

 鉱夫はツルハシとりて起て 工女はオサをとりて起て
 森も林も武装せよ 石よ何故飛ばざるか

 われらのし血下りては やがて染めたる赤色旗
 高く掲げて惨虐に 反逆すべく絶呼せよ
  
 ああ革命は近づけり ああ革命は近づけり

................................

   「革命歌」
 嗚呼革命は近づけり 嗚呼革命は近づけり
  起てよ白屋襤褸の児 醒めよ市井の貧窮児
  見よ我自由の楽園を 蹂躙したるは何者ぞ

見よ我正義の公道を 壊廃したるは何奴ぞ
  圧制横暴迫害に 我等は何時まで屈せんや
  我脈々の熱血は 飽迄自由を要求す

我等に自由なからずば むしろ墳墓を選ばんと
  我が同胞は露国にて 絶叫しつつ在らざるか
  春爛漫の花さえも 権門勢家の為に咲き

秋玲瓏の月さえも 瑤台朱閣の為に照る
  我が子は曾つて戦場に 彼等の為に殺されき
  老いたる父もいたましく 彼等の為に餓死したり

ああ積年の此の恨み 争(いか)で報いで止むべきや
  我等は寒く飢えたれど なお団結の力あり
  ああ起て 君よ 革命は 我等の前に近づきぬ

農夫は鋤鍬とりて起て 樵夫は斧をとりて起て
  鉱夫はつるはしとりて起て 工女は梭(おさ)をとりて起て
  森も林も武装せよ 石よ何故飛ばざるか

我等の眥血下りては やがて染めなす赤色旗
  高く掲げて惨虐に 反逆すべく絶呼せよ
  ああ革命は近づけり ああ革命は近づけり

作詩 築比地仲助
作曲 楠正一

〈備考〉
この「革命歌」(発表時は「革命の歌」)は、1907年7月
「大阪平民新聞」(主筆・森近運平)が革命歌を募集したとき、築比地仲助が「革田命助」というペンネームで応募し、当選したもの。
この歌を載せた1908年の「日本平民新聞」は革命歌を載せたという理由で発売禁止になった。  


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2010年09月04日

地蔵たちよ、産土の地の守護神たれ 

 本日は拙文の転載にて。
 例にあらずのおだやかな主義ですが…… 
 
 地蔵たちよ、産土の地の守護神たれ 
 村の辻々に華を添えるかのように鎮座し、悪病の侵入をまもってきた結界の石仏群。
 これらは古から悪霊の侵入にニラミを利かせて、まさに守護神的な役割を担ってきた、土着のなじみある神々と呼べる。
とりわけ、双体道祖神は、旅行く人々たちの心を如何に和ませてくれたものであろうか。
 長い歳月をじっと抱き合ったまま、風雨にさらされながらも自分たちの止まった時のみをむさぼり続けている、何とも素朴かつほのぼのとした立像には、誰しも心そそられる。
 これらの双体神は信州が中心とされているが、隣接県のわが群馬にも数多く分布していて、倉渕村が質量ともに知られている。ちなみにその数は、寛永2年より大正13年の約300年間に94体にも及ぶという(1976年の調査による)。
が、長野原町にも、なんと41体もの双体道祖神があるのだ。

 中でも、八ツ場ダム建設に沈むとされてきた川原湯温泉・上湯原地区の通称・アベック地蔵には、ほっと心なごませてくれるものがあった。川原湯温泉街を通り抜け、上湯原地区の吾妻川にかかる栄橋に通じる木立ちの細道の中ほど、その沢筋の道路際にあり、№4なる立て札があった。 
 約45㌢ほどの象をよくよく見ると、男性の手を肩に受け止めた女性は、かすかにはにかんでいるふうに見えるとのことであった。
 この形のままに約250年間を、この地に鎮座し続けてきたのであった。
 長野原町教委発行の『長野原町の道祖神』(1985年刊)によれば、宝暦6(1756)年のものという。施主の名は「小○○助」とあるらしい。恐らく、この地のご先祖の方であろう。

 昨年八月末の衆議院選による政変によって、「中止」が打ち出された当時、まだ手づかずであったこの上湯原地域への大規模工事は免れるものと勝手読みしていた。
 そんな矢先の今春、工事は俄かに開始されてしまった。4月初めの風景が、写真①である。ほどなく、近くの土地に移動となった。目下、写真②のような工事風景が繰り広げられている。
 
  ※写真①②省略

 心配なのは、この辺一帯は、天明3(1783)年の浅間山の大噴火による、泥流に覆われたもろい地質の顕著な地層が、はっきりと見受けられた地域なのであった。
 この間、再三、開催された学習会の折には、地質学の講師はわかりやすい好適地として、この場で説明。近場の木陰にたたずんで、私たちは聞いたものであった。

 上部には、山中をくり抜いてトンネルだらけの付替JR吾妻線と新川原湯温泉駅が新設される。さらに付替県道林長野原線が走る。八ッ場のランドマーク的な建造物として、すっかり全国の茶の間に浸透した、湖面2号橋(仮称)も含み両端に延びる県道である。
 これらの上方に上湯原地域の代替地が造成される予定であるが、完成はどんなに早くとも二年後とされている。移転希望世帯は、同地区に残っている家の中で三軒のみ。
 恐らく、完成の暁にはこれらの石仏も、水没点586㍍より上方の代替地に、移設されることだろうが、二人だけの時を楽しむとともに、どうかしっかりと産土の神として、移り住む大地の安全を守りぬいてほしいものである。  


Posted by やんばちゃん at 22:07Comments(0)八ッ場だより

2010年09月03日

熊本県知事の態度に学べ? 

 八ッ場よりも、一歩も二歩も進んでいる、川辺川ダムの状況です。
 蒲島知事も、知事就任→川辺川ダム中止の受け入れと進み、その後の荒瀬ダムの撤去工事については、妙な抵抗を示しましたが、現在は市民パワーに押されて軌道修正をしたようです。熊本は知事も柔軟。元東大教授の学究肌ゆえにか、真理を見極める目線は確かのよう。エライ!!

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 【2010年09月03日  熊本日日新聞】
    http://kumanichi.com/news/local/main/20100903004.shtml
五木村の再建には自由度の高い資金を 蒲島知事
 【キャプション】川辺川ダム建設反対表明から2年を迎え、当面の課題などについて語る蒲島郁夫知事=2日午後、県庁(石本智)
  ※熊本日日新聞HP http://kumanichi.com/index.shtml

 続いて、昨日お知らせの「八ッ場ダム代替地の耐震性は安全」の記事を、水源連のメールにも投稿したところ、徳山ダム事務局長の近藤さんから、以下の返信メールが、同メーリングリストにありました。
 末尾の《「何か」が起こったら「想定外の大地震」といえば済む》というのはスゴイですね。

【近藤メール 転載】
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紀の川・大滝ダムでも、住民側がずっと「危険」を指摘していたのに、建設省とそこに委託された”学識者”が「大丈夫」といってGOサインを出したのでした(そのときの”学識者”の頭が、確か中川博次さんだったはず)。
ダムのほうではなく道路ですが:東海環状自動車道路という計画があります。
岐阜市の「御望山(ごもやま)」の南寄りトンネルを掘る、というコースになっていました。
この御望山の南斜面は崩れやすいので有名で、かつ、すでに住宅開発がされてしまっています。
「トンネルを掘ると斜面崩落などを誘発しないか?少なくとも、安全性が証明されていない」と、この地区の住民らは粘り強く反対しています(1995年からの反対運動に若干の関わりをもちました)。
この「安全性」について、さまざまな枠組み(都計審だったり、県だったり、中部地整だったり)の”学識者”が、いろいろ言うのですが、そのときの政治的風向きで結論が違う。
・・・つまり、まず「行政がどういう結論にしたいか」があって、”学識者”のもっともらしいお墨付きがある、というのが丸見え。
少なくとも15年間「御望山(ごもやま)」付近はコースも決まらず(当然にも)用地買収もできていません。
早く言えば「東海環状自動車道路」は不要だ、ということみたいです。

>代替地の耐震性  国「問題なし」
実際に「何か」が起こったら「想定外の大地震」といえば済むのでしょう。  


Posted by やんばちゃん at 09:20Comments(0)紹介

2010年09月02日

ホント?

 水没点586㍍の頭上に高々と盛土され、みあげるような高台の水没地内の代替地。これに対してこの間、、市民運動側は、安全性の確立はできていないと再三、指摘してきた経過があります。また、先般、「資料に偽証あり」とデーターをもとに指摘した新見解もありました。
 そんな最中、本日の上毛新聞一面の末尾に、次の注目記事がありましたので、手打ちで打ち出します。

 【2010年9月2日(木) 上毛新聞一面下段】
  代替地の耐震性  国「問題なし」
   八ッ場ダムで計算資料提出
  

 八ッ場ダムに絡み、県は1日、長野原町の水没予定地の住民らが移転する代替地の耐震性に問題ないことを示す計算資料が国土交通省八ッ場ダム工事事務所から提出されたと発表した。県は今後、計算が適切か確認する。
 新潟中越地震などをきっかけに宅地造成等規制法が改正され。大規模な盛土で造成された宅地の安全基準が強化された。これを受け、県が昨年2月から新基準での安全性を示す資料を国に求めていたが、これまで提出されていなかった。  


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)紹介

2010年09月01日

国交省、東吾妻町に回答

 本日の上毛・毎日新聞群馬版等には、いずれも小さな記事ながら、東吾妻町への回答書を持参した旨の以下の記事が掲載されていました。
 続いて、民主党代表選の結果いかんによっては、最もその進退がとりざたされている前原大臣の去る28日の記者会見の様子を、[yamba-open]グループのメールに入れてくださった雨宮メールの転載を。

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 ①【2010年9月1日(水)毎日新聞群馬版 行政ファイル欄トップ】
  ▽八ッ場ダム問題で国交省が東吾妻町長に回答

 国土交通省八ッ場ダム工事事務所の佐々木淑充所長は31日、東吾妻町役場を訪れ、中澤恒喜町長が提出していた八ッ場ダム問題に゜関する公開質問状に対し、「地元の方々、関係都県などのご理解を得ないまま法律上の中止の手続きに入ることはない」などと書かれた回答を手渡した。
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  そもそもの質問書とは、下記の8/28付けの公開質問書についての朝日の記事を転載。
②【2010年8月28日(土) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/areanews/gunma/TKY201008270472.html
  八ツ場ダム、国へ質問状攻勢 東吾妻町、「中止」に備え


【以下は、雨宮メール】
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8月27日の前原大臣会見について、記者との質疑応答を含めた会見録が国交省で公表されましたので、前段を含め該当部分 を改めてお知らせいたします。
  前原大臣会見要旨  2010年8月27日金)11:36~12:26 国土交通省会見室
  http://www.mlit.go.jp/report/interview/daijin100827.html  


Posted by やんばちゃん at 21:53Comments(0)紹介